10.混乱
よろしくお願いします。ストーリーに少し矛盾があるかもしれませんが、お目溢しください。
カートが移民局を出たのは深夜だった。
昨夜は収集がつかず、だがそれ以上に精神的なショックが大きい。
朝起きても疲労感が拭えず、出勤する時間はいつもより遅く、始業ギリギリになってしまった。
しかし、カートが出勤すると、空気が違っていた。
「おい、クラウスさんの件、知ってるか?」
「娘の追放と一緒に、クラウスさんも市民権取得を辞退したらしい」
「ふざけんなよ。あいつ、都市開発の要だぞ」
「上がブチギレてる。どうするんだ、あれ……」
廊下では、係官たちがざわつき、部屋の奥では、引き続き上司たちが対応に追われていた。
カートは青ざめた。市民権に関わるやりとりは密室でのことだ。
プライバシーに関わることなので、情報管理は徹底されているはずだ。
なのにたった半日でなぜこんなに騒ぎになっているのかーーー
昨日、クラウスとの話し合いは決裂した。
無理も無い。
上役が下手なことを言いかけたのだ。カートでさえ発言には再三注意を払っているのだ。移住してきてすぐ、クラウスが担当になってからのクラウスの印象は、真面目さと、その次には子煩悩で親バカというものだった。
彼に関する調書にもそうした記載はしてある。注意事項もだ。
カートは、アンネリーゼとも親しく話す。
あれだけ甘やかす親バカのクラウスに育てられているにも関わらず、慎ましくて子供らしく優しい子だと思っていた。
カートは無言でコーヒーマシンの前に立ち、紙コップに湯が注がれるのをぼんやりと見つめていた。
――まさか、クラウスが“ああ言う”とは思わなかった。
静かな人間だった。理性的で、いつも筋を通していた。
それが、昨日はほとんど感情を爆発させるように、「娘と出ていく」と断言した。
あのときのクラウスの目は、怒りだった。
もう五年ずっと付き合いがあってそれなりに親しくしているが、あの男のあんな表情は初めてみた。
まっすぐな怒り。
「……最悪のタイミングだ」
上司の一人が吐き捨てるように言った。
これは、もう個人の問題じゃないというのはカートも昨夜聞かされていた。
クラウスの定時報告での自己申告よりずっと彼は優秀だったようで、市民権獲得後には再開発案件において重役ポストが既定路線として準備されていたそうだ。
"クラウスが去ってしまえば、案件は確実に遅延し、結構な割合を白紙に戻す必要がある。"
大袈裟に聞こえたが、一報を聞いて、終業後にも関わらず、慌てて他局から担当者が飛んできたほどだ。
彼の認可が早まったのは一つに他局からの圧力だ。しかし、カートが手順にのっとり、本人にヒアリングをしても、彼は市民権獲得を他の移民と同じように目標のひとつとしていた。スクリーニングも彼自身はなんら問題がなかったし、娘の方もいつものスクリーニングには何ら引っ掛かる要素はなかった。
一報は、彼が信頼を築いた旧地区の政治家たちにも波及していて、大騒ぎだ。
そして、外部だけではない。
移民局にとっても、「娘とともに出ていく」という選択が、この都市の“理想的な移民モデル”を否定することになる。
彼は忙しい仕事の合間を縫って、サボらず移民局への定時報告を怠らなかった。
正直労働者階級が多い移民局の中で、糊が効いた真っ白なシャツを来て、少しクラシックなジャケットを羽織って並ぶ彼は異質な存在だった。
それでいて、彼は広い意味では建築労働の一人だったので、同じ現場で従事する人間と話をするのが好きだったようだ。
移民局員とちがって、クラウスは移民側の人間としての立ち位置のままだったのだ。
市民権を得ていない移民は正直、不遇を承知の上で労働に従事している。
が、それは数年後に獲得できる市民権のためだ。
そして、クラウスはその模範的存在として、旧地区だけでなく、新地区でも注目されていた。
それを追放する。新地区の動揺は大きくなるだろうし、規模によってはデモや暴動化は免れない。
それが当局にとって、どれほどの痛手かは、若手のカートでも理解していた。
「上を説得できないんですか? 娘だけでも…」
「カート、上の判断は変わらずだ。朝イチでクラウスを引き止めろと指示が出ている。」
カートはその言葉に目を見開いた。
「娘の件は……?このままですか?」
「決定事項だ。クラウスさえ残れば、それでいい。それが上からの通達だ。」
カートは言葉を失った。
なぜ、娘だけが切り捨てられる?
クラウスは模範的移民。
娘も問題を起こしたことはない。学校でも優等生として評価を受けていた。
にも関わらず、都市は理想的な父娘の片方だけを選んだ。
それは、明らかな“不整合”だった。
カートは、席を立ち、クラウスのもとへ向かおうとした。
「待て。お前はもう外れることになった。」
「……え?」
「クラウスは今日の午後もう一度来ることになった。
上と直接交渉が始まる。お前は今後、手を出すな。
それより、アンネリーゼの“対応”を頼む。保護と監視を兼ねてだ」
カートは何も言わず、その場を後にした。




