第2話③「夢の冷めた街」
これは一筋の光に照らされる小さな世界の話。
そして憧れを追いかける少年とまだ夢を語れない少年の物語。
「魔女の子の相手は、私ひとりで十分だ」
「おい...その呼び方.....」
青人は膝をついたまま、低く怒りに震えた声を漏らす。
「他の地区の者にも、悪い噂は届いているんだよ...北の魔女のね」
「貴様ァ!」
美甘は片足で立ち、もう一方の足で何度も槍のような蹴りを放つ。
「さすがにこのスピードには...反応も追いつかないみたいね.....」
美甘は後退しながら呟く。その隙に焼はジャケットを脱ぎ捨てる。
美甘はお構いなしに飛びかかる。横に投げられたジャケットが地面に落ちるより早く。
「食堂じゃ笑ってあげたけど、アンタみたいな馬鹿は見苦しいのよね...」
「発火!」
美甘の脚が焼の左胸に伸びる。そして焼の上半身は真っ赤な炎に包まれる。
「...!」
燃え上がった炎は、焼の身体から噴き出し、美甘の脚を弾き返す。美甘は涙目で炎を睨む。
「火ィィィ!!」
ーーあついあついあつい!
「女の方がより速くなったと思ったら...」
「見ろよあの茶髪!燃えやがったぞ!」
観戦の生徒たちがよりザワつく。
「てかあっち、酷いことになってんぞ.....」
青人と広野の方を指差す生徒。
「そんな事も出来たのか。何故初めから使わなかったのか疑問だが、厄介な能力だ...」
「お、おい...なに、よそ見してやがる.....まだ...」
青人は広野に叩き伏せられ、地面に這いつくばっていた。
「彼が倒れるまでそこで寝ていろ、その方が楽で助かる」
残る力を振り絞るも、青人は気を失ってしまう。
第2話③
北区ーー。南から流れ込む川は街の中でいくつも枝分かれし、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
不思議なことに、それら無数の支流はすべて、街の北端ーー巨大な湖“集束湖”へと流れ着くようになっていた。
この街では、トップヒーローの影響によって空から水が降る“雨”という奇妙な現象が見られる。
空から水が降ってくるなど、他の地区ではほとんど見られない異常な出来事である。
そんな北区は、美しくも不可思議な“水の街”として、他の地区に知られている。
6才ほどの少年たちが、川辺で水切りをしていた。
冷たい水面に放たれた石は、跳ねるたび小さな輪紋を広げる。
「ぼくの石のほうが、いっぱい跳ねたもん!」
「お前のはすぐ沈んでんだって! 俺のなんか、向こう岸まで飛んでるし!」
ふたりは頬を膨らませ、睨み合う。
「俺の石は……」
青髪の小さな少年は、投げた石を見失って首をめぐらせた。やがて下流でそれを見つけると、その様子に、ほっと口元がゆるむ。
「……泳いでる」
「は? 流されてるだけだろ」
「違う。俺の石は、向こう岸よりもっと遠くまで泳いでいけるんだ」
そう言い返した瞬間、空が急に暗くなった。
晴天を覆い隠すように、厚い雲が流れ込んでくる。
「雨が来る……川は危ない、帰ろうよ」
指先がそわそわと動く。少年の声は、わずかに震えていた。
「ちぇ、つまんねぇの。で、お前はどうする、青人」
「……俺も帰る」
青人の視線は、友人たちではなく、下流の、もっと遠い方角を向いていた。
北区
中央区の北側に位置するこの街は、川が多いのが特徴で水の街とも呼ばれる。街中を流れる大小の河川は物流にも利用されている。
20年前の事件以降、北区のトップにはリヴァ・サファイアというヒーローが君臨しており、北の魔女や雨女などの異名を持っている。
ーー急な雨ってことは...
青人は川下にある湖“集束湖”を目指し駆けていた。
数分前ーー集束湖。
湖畔には1人の男が立ち、演説を行なっていた。
「あの壁の向こうがどうなっているのか、疑問を持ったことはないか?」
その男は道行く人たちに語りかけている。
「好奇心が湧いてこないか?この世界がどうなっているのか!」
「なに言ってんだ、アイツ……」
「壁の向こう?馬鹿馬鹿しい...」
街の人々は冷たく鋭い視線で男を見る。
「なぜだ!なぜあなた達はこの世の探求に興味がないのだ!翼のあるものなら、あの壁の上まで飛ぶことも容易だろう!なのになぜ誰もそうしない!なぜこの情熱は伝わらない!」
男は必死に熱弁するも、誰の心にも届かない。
近づいてきたのはチンピラだけだった。
「てめぇ、さっきからうるせぇんだよ!」
「んなもん勝手にやってろ!」
「テメェの興味なんぞ、どうでもいいんだよ!」
「耳障りだ!黙りやがれ!」
男はあっという間に取り囲まれ、殴られ、蹴られる。
離れでその光景を眺めていた女の子は、その恐ろしさに泣き始めてしまう。
すると突如天気は急変し、快晴だった空に厚い雲がかかる。
彼女は雨雲と共に現れた。
背中を隠す長髪は、川のように青く、雨雲のように暗い。サファイアのような青色の瞳はハットのつばに隠れている。そしてハットは左耳のピアスをチラリと見せる。
「やめなさい。子どもたちが見ています...」
瞬く間に顔を曇らせた空は、激しく泣きじゃくる。雨粒が落ちる音が、湖面に重く響く。
「あぁそうだな。だからこそ、人様に迷惑をかけてはいかんと、見せしめに教えなければ...」
「それにコイツの顔は見てるだけで吐き気がする」
声をかけられ一度足を止めたチンピラたちは、再び演説の男を蹴り始める。
「...あなたたち!」
女性が再び声を上げた時、道行く人たちみなの視線が集まる。
「夢を語ることが...惨めだと教えては!...」
「...子どもたちは!夢を失くしてしまうでしょう!」
半分隠れた彼女の必死の表情に、町民たちは少し動揺する。
「お、おい逃げるぞ...この突然の雨...こいつ魔女だ!」
チンピラのひとりは走り去ってしまう。足下の水溜まりが、バシャバシャとみっともなく大きな足音を立てる。
何人かの町民もその場から離れていく。
「だ、だからなんだよ!俺だって強ぇ能力持ってんだよ!」
チンピラは魔女と呼ばれた女性に向かって、拳を振るう。
「喰らえ!巨大化!」
能力が発動すると男の拳は巨大化する。
その拳の大きさは、人の頭も軽く握り潰すほどである。
女性は降り注ぐ無数の雨粒を集め盾を形造り、巨大化した拳を受け流す。
「み、水が盾に!?」
「バカ野郎!お前が相手してるのは、有りと有らゆる水を操るチート能力持ちの.....“トップヒーロー”だぞ!」
「それ早く言えよ!」
「覚えておきなさい!人の心を止めることも、咎めることも、出来はしないのだと」
「.....!」
チンピラはハットの影に魔女の目を見る。その眼差しに恐怖し気を失う。
その後、チンピラは水の輪にその身を拘束される。
「助かりました、サファイアさん...」
男は泥まみれの体を折って、深く頭を下げた。礼の言葉は震えていたが、確かに感謝の気持ちはあった。
その声音に、サファイアの瞳が微かに揺れる。無表情だったその口元が、ほんの少しだけ、柔らかくなる。
しかしーー
「魔女だわ。汚らわしい...」
「雨で服がびしょ濡れだ!最悪だなあ!」
「現れた瞬間、土砂降りなんて...さすが雨女」
「見た?あの能力...怖くな〜い?」
「きゃあ怖〜い」
今の騒動にわざわざ集まって来た人々は、仰々しく彼女を罵る。
一度明るくなった彼女の表情は、人々の罵声によって再び曇ってしまう。
人々の視線が次々と彼女の背中に突き刺さり、感謝の言葉より多く、侮蔑に満ちた非難が冷たい雨のように降り注ぐ。
それは“ヒーローが人を救った直後”の光景だ。
北区トップヒーローリヴァ・サファイア、彼女は最も市民に嫌われているトップヒーローである。
「目立つ怪我が無さそうで安心しました...」
サファイアは男の無事を確認し、湖畔から立ち去ろうとする。
川を流れていた小さな石は、ようやく湖にたどり着く。
濁った水面の上で、ひとつ、静かに沈んだ。
「この雨、やっぱり母さんだったんだね」
「...!青人」
青人は湖にたどり着き、彼女を母さんと呼ぶ。
「何かあったの?もしかしてヒーロー活動?」
青人は無邪気に宝石のような瞳をキラキラさせる。
「.....」
しかし彼女の表情はより一層曇り果て...
「俺!母さんみたいなヒーローになりたいと思ってるんだ!」
「だめ...そんなこと言っちゃ.....」
...雨水に晒されぬ目元は濡れていた。
「母さん?」
その目元に青人は気づいていなかった...
「青人...こんな.....」
...ただ、幼いながらに感じていた。母さんの辛いという気持ちだけが嫌というほどに。
目元のそれは口元にまで流れる。そして叫び声に涙が混じる。
「こんな私みたいには!な”らないで!!!」
眠る者を睨む、冷たい視線。目を開けているのは、果たしてどちらか。
まだ日が昇りきらない、薄暗い朝のような。
つい目を擦りたくなる、気怠い朝のような。
ここは寝起きのような街。嘲る者たちの、“夢の冷めた街”。
能力『水操』
身の回りの水を自由自在に操ることが出来る。
東区訓練校生徒の石水青人と、北区トップヒーローリヴァ・サファイアの能力。
あの日からだろう。口数が減ったのも、ヒーローを毛嫌いし始めたのも。
母さんはあの冷めた街で闘っているのに、登校中に見た東区のヒーローは、みんな歓声を浴びていた。
恨みたくなるよ。でも、北区の罵声よりは気分がいいな。
ーーヒーローの街...か。
『俺は!サニーフレアみたいなヒーローになるんだ!』
『俺!母さんみたいなヒーローになりたいと思ってるんだ!』
ーーったくあのバカは...言ってることまんま同じじゃねぇかよ.....
「...おい!」
ーー.....?
「...おい!青髪!目ぇ開けろぉ!!」
第2話③「夢の冷めた街」