◇090 秋の訪れ
春と秋に行われるという皇后様主催の大きなお茶会、『春陽会』と『秋涼会』。
女性限定のこの会は読んで字のごとく、春の陽気の訪れを、秋の涼しさの訪れを喜ぶ会であるとともに、国中の貴族女性が集まって、一堂に情報交換をする場でもあり、己の権勢を示す場所でもあった。
それは主催の皇族でも同じで、ぶっちゃけて言えば、今の皇族にはこれだけの力があるぞ、と、国内の貴族に示す場でもあるのだ。
なもんで、皇后様、および皇太后であるお祖母様の力の入れようは半端ない。下手な失敗をして、皇族が舐められるようなことがあってはならないからだ。
私の店のお菓子とお茶の組み合わせを考えたり、ファッションセンターの服を参考にして新たな服を考え出したりと大忙しだった。
その他にも、宮廷楽団の人たちが店にやってきて、【店内BGM】を耳コピしようとしたりね。
女神様からいただいた、この【店内BGM】だけど、狙った曲を流せるわけではない。
私が大雑把に『楽しい歌』とか『落ち着いた曲』など、あるいは『ロック』、『ポップス』などを指定すると、そのジャンルの曲が流れるのだ。
曲名を指定して流せるわけではないため、次にいつ同じ曲が流れるかどうかは私にもわからない。
なので、楽師の皆さんは耳を研ぎ澄ませ、聴いた曲を片っ端から譜面に起こしていく。
だけど一人が書ける旋律なんて一部だけだ。耳で聴いて全部書き写すなんて無理すぎると思っていたら、何十人も同時に聴いて書けるだけ書き起こし、後で見比べて抜けている部分を補いあうという強引な力技を出してきた。なんという執念。
一応、曲は歌がなくこちらの人たちにもわかりやすい『クラシック』を指定しておいた。
一回だけ『これはなんの音なんだ?』『わからん……』と騒然となった曲があったけど……。うん、この世界にタイプライターはないからね……。
ひょっとして【店内BGM】の曲のチョイスってサクラクレリア様の好みなのかな?
譜面を書き起こし、これから練習して秋涼会までに全て演奏できるようにしないといけないなんてかなりキツいよね……。私には頑張って下さいとしか言えない。
楽器店なんか召喚できるようになったら楽譜も売ってると思うんだけどな。
音楽家は大変だなぁ、と他人事のように思っていたら、数日後に私に音楽の先生がついた。なんでだ?
「貴族たるもの楽器の一つも弾けないと社交界で恥をかくからですわ。成人した貴族ならほぼ全員何かしらの楽器が弾けますよ」
と、教えてくれたのは私の音楽教師となった、パメラ・エチュード女史である。二十代前半の女性で子爵家の三女であるが、宮廷楽師の若手の中でもずば抜けて才能のある人らしい。なんだってそんな人が私についたかといえば、【店内BGM】のせいだった。
元々お父様とお母様は、私の音楽の先生を探してはいたようで、そこにパメラ女史が食いついたのである。
パメラ女史はお給金はいらないから、【店内BGM】を好きな時に聴かせてほしいと言ってきたそうで。
お父様としても、私が毎日のように呼び出している店舗の片隅に居座る許可を与えるだけなので、これを快諾したという……。いや、いいんだけどね。さすがに公爵家の沽券にかかわるので、ちゃんと給与は出すそうだが。
にしても、貴族は音楽が必須なのか……。聞いてみると、なんとビアンカでさえも拙いながらフルートを吹けるという。さらに驚くべきことにジーンもチェロを習っているそうだ。君ら脳筋じゃなかったのね……。
正直にいうと、私も楽器を弾けないわけじゃない。美術デザイン学生にありがちな、『バンドやろうぜ症候群』に一時期罹っていたからね。
だけどもなんとか弾けるのはギターとかキーボードなんだよ! バイオリンとかフルートなんてできんよ!
あれ? そういえば……。
私はパメラ女史に断りを入れて、屋敷の倉庫に入れておいたものを引っ張り出してきた。
「……? なんですか、それは?」
「えっと、異界の楽器、です」
「え!?」
パメラ女史の視線は私がソフトケースから取り出した、メタリックブルーのストラトキャスターに釘付けになった。このギターは質屋に置いてあったものだ。
シールドをアンプに繋ぐ。質屋にアンプも置いてあって良かったよ。しかも電池駆動のギターアンプだ。単三電池六本で何時間か弾けるやつ。
ストラップを付けて肩からギターを下げる。子供にはけっこう重いな……。
アンプの電源を入れ、ソフトケースのポケットに入っていたピックでギターを、ギャーン! と弾いてみる。
「はうわっ!?」
突然鳴り響いた音に驚いたパメラ女史が、わなわなと震えている。うむ、なかなかいい音。
六弦から一つずつ弾いて問題ないのを確認しつつ、ヘッド部に取り付けたチューナーで音をチューニングする。
よし、それじゃあ久しぶりに一曲……って、あれ!? 指が届かない!?
というか、手が小さくてネック幅よりも私の人差し指の方が短いよ! Fとか押さえるの無理!
おのれ……! 車の時といい、小さいことがこんなに不利になるとは……! 私は絶望感でガックリと膝をつく。
「ど、どうしたんですか!?」
「手が、手が小さくて弦を押さえられません……!」
「あー……」
パメラ女史は納得、というような声で、ちょっと哀れみを込めた目で見てくる。やめて! そんな目で見ないで……!
「ちょっとそれを貸してもらえますか?」
ちょっと半泣きになりつつも素直にパメラ女史にギターを手渡す。
パメラ女史はストラップの長さを調節して自分に合わせると、ピックで弦を一つずつ弾いていった。
フレットの位置で弦を押さえ、音を確認するように次々と鳴らしていく。
やがてその指は、ドレミファソラシド、と音階を刻み始め、コードまで弾き始めた。次々とアンプのスピーカーからいろんな音が奏でられていく。
「え……嘘でしょ……?」
私はいつの間にか彼女がエレキギターで弾いていた曲に気がついて、唖然とした。
これ、エルガーの『威風堂々』だ……。ビブラートまでかまして、完全に弾きこなしている……。
そのままパメラ女史は最後まで弾き切ってしまった。天才っているんだなあ……。
「いい……!」
「へ?」
「最高です! これは最高の楽器です! サクラリエル様! どうかこれを譲っていただけませんか!」
「えっ、と……まあいいですけど……」
「ありがとうございます!」
確かギター自体は三万円くらいで、アンプも二万円くらいだ。そこから異世界ぼったくり十倍金額でも五十万ってところだけど、宮廷音楽家の彼女からしてみれば買えない金額ではないだろう。
あーあ、私も弾ければバイオリンなんか習わなくてもよかったかもしれないのにな。
私は子供用のバイオリンを手にしてギターに浮かれるパメラ女史をよそにバイオリンの練習を始める。
まあ当然ながら、最初からまともな音なんか出るわけもなく、漫画だったら『ギゴー!』とでも擬音が付きそうな音しか出なかった。先行き不安だなぁ……。
◇ ◇ ◇
「これは予想外だったな……」
「いつもならなにかと理由をつけて代理を寄越すのですがね」
すっかり皇王陛下の執務室となったラーメンチェーン店『豊楽苑』のテーブルを挟んで、シンフォニア皇国皇王であるウィンダムと宰相であるテノール侯爵が唸りを上げていた。
テーブルの上には一通の手紙。封蝋に押されている紋章は双頭の竜。
それはシンフォニア皇国の東方にある大国、アレグレット帝国の帝室印であった。
「まさか帝室が出席すると言い出すとは……」
「おそらく、いや間違いなく、サクラリエル様が目的でしょうな。暗黒竜を倒し、呪いの魔剣を下し、エルフとの架け橋となった【聖剣の姫君】……。帝国が気にしないわけがございません」
「遅かれ早かれ、なにかしらの手は伸びてくると思っていたが、こうも露骨に正面から来るとは思っていなかったぞ」
アレグレット帝国は表立っては対立していないが、近接する国境付近での小競り合いはいくつも起こっている。
その騒ぎは盗賊団を皇国内に追い込んだとか、魔獣による暴走を引き起こしたなど枚挙にいとまがない。
アレグレット帝国とは険しいカリンバ山脈を挟んではいるが、そこから南にあるムビラ平原を巡り、歴史上何度も衝突してきた。
一番近い戦争でも三十年ほど前になるが、その戦争で皇太子として参加していたのが、現在のアレグレット帝国皇帝、パプテマス・ジ・アレグレットである。
齢五十を超えてなお皇帝の座に君臨する彼は、先の戦争でムビラ平原をもう一歩で支配できるところまでいきながら、皇国の若き英雄、ザルバック・オン・アインザッツの活躍によって潰されたという苦々しい過去を持つ。
「皇帝からすれば、サクラリエル様は自分の偉業を潰した者……アインザッツ辺境伯の孫娘でもあります。気にするなというのが無理というものでしょう」
「厄介なのに目をつけられたな」
帝国は今混乱期にある。皇国と同じく派閥争いがあり、一枚岩とはとても言えない。中には親皇国派といえる派閥もある。
皇国としてはその派閥に手を貸して帝国の実権を握って欲しいところなのだが……。
「で、誰が来るのだ?」
「帝国の第四皇女、レティシア・エ・アレグレット殿下ですな」
「第四皇女……? ああ、『氷の皇女』か」
アレグレット帝国第四皇女、レティシア・エ・アレグレットは、世間一般に『氷の皇女』と呼ばれていた。
それは彼女の持つ『ギフト』が氷系のものであったことに加えて、決して笑顔を見せぬ、その鉄仮面のような表情からもきているという噂は皇国まで届いていた。
「噂通りの鉄仮面皇女なら、皇国には全く歩み寄る気は無いということか?」
「でしょうな。向こうにしてみればサクラリエル様を調べたいのであって、我が国とことさら友好を結びたい訳ではないのでしょう」
なんならこちらを怒らせるために氷の皇女を寄越そうとしている可能性もある。難癖をつけ、侵略行動をとるのは帝国の御家芸だ。
「それと……同じく皇女がもう一人。リーシャ・エ・アレグレット殿下。第九皇女ですな」
「第九……知らんな。いくつだ?」
「御歳六歳。おそらくサクラリエル様と同い年ということで選ばれたのではないかと。生母の位が低く、皇位継承順も一番下のようです」
アレグレット皇帝には現在五男七女がいる。本来ならばもう何人かいたのだが、病死や不慮の事故などによって亡くなっている。
果たして事故だったのか、と思う不審な死もあれど、現在十二人の皇位継承者がいるわけだ。うち、二人の皇女はすでに嫁いでいるから、実質十人が次の皇帝候補ということになる。
アレグレット帝国もシンフォニア皇国と同じく、女性にも皇位継承が認められている。事実、先々代の皇帝は女帝であった。
しかし、皇位継承が認められているだけであって、その順位は生母の家格に大きく左右される。
リーシャ皇女はさらに下に弟がいるのだが、母親の家格から皇位継承順位は弟より下になっていた。
現在の皇位継承権第一位は皇太子である第一皇子であるが、彼はすでに三十に手が届き、さらには病の床にあるという。
皇太子には子がなく、次に皇帝になるのは皇太子の弟妹の誰かではないかと言われていた。
「こちらを敵視してくる馬鹿でなければ誰でも良いのだがな……」
「順当にいけば第二皇子ですが……こちらは軍部寄りの強硬派です。皇帝になればすぐにでもこちらに槍を向けかねません」
「向こうの情報を集めねばなるまいな。クラウドを通して七音の一族に頼もう」
伝説とさえ言われる諜報組織であった七音の一族が皇国についたとはまだ誰も知らないはずだ。
このタイミングで味方としたサクラリエルは本当に女神に愛されているのだな、と皇王は実感する。
でなければ神獣を護衛獣になどさせまい。帝国が何をしてきても、サクラリエルならなんとかしてしまうのではないか、と思えてしまう。
だが、全てサクラリエル頼みでは、大人としてそれは情けない。彼女はまだ子供だ。皇王とて可愛い姪に無理はさせたくはないのだ。
「秋涼会の警備は抜かりなく頼む。向こうが何を仕掛けてくるかはわからぬが、ただ挨拶して終わり、ということはあるまい。油断なくな」
「は」
◇ ◇ ◇
いくつもの思惑を乗せて、宴の準備が始まる。
果たしてその宴の終わりにはなにが待ち受けているのか。それは神のみぞ知る。
物語は回る。悪役令嬢の望む望まぬに関係なく。