◇080 精霊樹の復活
新しい店舗を手に入れたので早速召喚しようかと思ったら、アリサさんに止められた。
「結界も旦那様奥様の許可もなしに未知の召喚をさせるわけにはいきません」
ううむ。言わんとしていることはわかるんだけれども。でも基本的に私が行ったことのある店で、危険な店舗なんてないと思うんだけどなあ。
いや、ガソリンスタンドとか出てきたら危ないのか。あれ? ガソリンスタンドって店舗? 燃料を販売しているから店舗……だと思うが。燃料以外にもタイヤとかワックスとか売ってるしさ。
というか、そんなものに何かの間違いで火がついたらこのあたり燃え尽きてしまうんじゃなかろうか……。アリサさんの言う通り、今はやめとこ……。
朝早く再びレクスラムさんたちに連れられて精霊樹へと上る。
やっぱりこあい……! 高いって! せめて手摺とかつけようよ!
「わ……!」
精霊樹は昨日とはひと目でわかるほど回復していた。葉っぱからキラキラとしたものが弾けている。
それでもゲーム中に見たやつにはまだ届かないけども。
まだ弱々しいけど、昨日のとは段違いだ。だけど万全を期して、やはりエステルによる治癒魔法をかけてもらった方がいいだろう。
あらかじめエステルには頼んでおいたので、彼女には靴紐を結び直すフリをして、足下の幹に【聖なる奇跡】の治癒魔法をかけてもらう。
エステルの力がエルフたちにバレないように、私が彼らの注意を引き、ビアンカと律、アリサさんとターニャさんが壁になりエルフたちの視界を遮っていた。
「こ、これは……っ!?」
エステルが精霊樹に治癒魔法をかけると、すぐに辺りの枝葉から、ぶわっ、と光の粒がキラキラと舞い出し、エルフたちの目は驚きに見開かれた。
おおっ! これだよ! これが精霊樹の回復した状態。ゲームとおんなじだ。
「精霊樹が……! これは全盛期の精霊樹と同じ光……! 精霊樹が復活なされた……!」
『うむ。目障りな外敵がいなくなったので、精霊樹も力を取り戻したのだろう』
驚くミューティリアさんに、琥珀さんがなんかそれっぽいことを言っている。なんの根拠もない言葉だが、神獣である琥珀さんが言えば真実味が出てくるってもので、エルフのみんなは、なるほど……と納得していた。黄金蟲がいなくなっただけで回復するのなら、毎年回復していたはずなんだが。
神の使いである神獣がやってきた、ということで、それなら奇跡が起きてもおかしくない、と勘違いをしてるっぽいな……。もちろん、あえてそれを正す気はないが。
「これならばきっとサクラリエル様のご希望に応えられるかと。どうぞお持ち下さい」
そう言って、ミューティリアさんがぷちりぷちりと十枚ほどの葉を枝からちぎり、私に手渡してくれた。
木から切り離しても、葉からキラキラと光の粒子が漏れ出ている。これは綺麗だね。
よし、精霊樹の葉ゲット! これで他の素材も届けば解呪薬を作ることができる!
「ハバネロとトーガラシの実が生れば、来年以降黄金蟲に手を焼くこともないでしょう。本当にありがとうございました」
エルフの長であるレクスラムさんが頭を下げ、後ろのエルフたちもそれに倣って同じく頭を下げる。
てっきりエルフにとって、人間に救われたなんて恥だ! とか言い出す輩がいるんじゃないかと思ったんだけど、どうやらいい方向に進んだみたい。
おそらくは十中八九、琥珀さんの威光みたいなものなんだろうけど。まあ少しはエルフと人間の関係が改善されたなら結果オーライだけどさ。
「……オボロ?」
「え?」
私がこれからのエルフとの関係を考えていたとき、不意に律が顔を上げて、眼下に広がる村の先に視線を向けた。
オボロ? なに? オボロがこっちに来てるの?
私は律が視線を向ける先に目を向けたが、何も見えない。律にはオボロの姿が見えるのだろうか。
「いけない……! なんで……!」
律の表情に驚愕と焦りの色が浮かぶ。え、なに? 本当にどうしたの!?
「サクラリエル様! 今現在、オボロが攻撃を受けています! 一時、この場を離れることをお許しいただきたく!」
「え、オボロが? うん、離れるのは別にいいけど、いったい……」
「ありがとうございます! 失礼します!」
私が尋ねるよりも速く、律は精霊樹の上を駆け抜けて、眼下の村へ向けて飛び降りた。ちょっ……!? なにしてんの!?
何百メートルもある高さから飛び降りたら、どう考えても助からない。慌てて律が飛び降りたところまで駆け出そうとした私に、隣にいた琥珀さんが口を開く。
『慌てるな、小さな主よ。あやつなら大丈夫だ』
「え?」
見ると律は落ちながら、なにやら呟いているようだった。
そして地上まであと数メートルで激突……というところで、律の落下が急に遅くなり、止まったかと思うと今度は小さく弾かれて、くるくるっと回転しながら無事に着地した。
なにあれ? なんかクッションみたいなものに落ちたような……。
『風魔法で空気の塊を作り、それで衝撃を緩和したのだ』
「【エアスフィア】の魔法ですね。突進してくる魔獣などに使う防御魔法ですが、落下の衝撃を弱めるために使うとは……」
琥珀さんの説明にミューティリアさんが補足してくれる。
空気の塊? エアバッグみたいな魔法なのかな? だとしてもいきなり飛び降りるのはやめてほしい。心臓に悪いから。
「それにしてもオボロが攻撃を受けているっていったい……。オボロ……シームルグって強いんでしょう?」
『シームルグには治癒の力はあるが、そこまでの戦闘力はない。それでもあの巨体だ。そう簡単にやられるとは思えぬ。いざとなったら飛んで逃げればいいのだからな』
だよねえ……。飛べない理由がある? あるいは飛べなくなった? どっちにしろそのオボロのSOSを律が受け取ったってことか。
いったいなにが起こったんだろう?
◇ ◇ ◇
律の『ギフト』【翼類使役】は、鳥や翼を持つ動物や魔獣を使役する強力な『ギフト』だが、そう簡単なことではない。
使役できるのはあくまでも懐いてくれた種だけ。さらに知性の高い種には効きづらい。小鳥などなら比較的簡単だが、鳥は鳥でも魔獣の種となると知性が高かったりするのでうまくいかない。
そんな律が霊鳥とも呼ばれるシームルグを使役できたのは卵から己で孵したからだ。
【翼類使役】の力により、オボロは律の、律はオボロの意思を疎通できるようになり、兄弟姉妹、いや、半身のような感覚さえある。
だからそのオボロの恐怖や焦り、怒りや悔しさの感情が流れてきたとき、律は思わずサクラリエル様にその場を離れることを懇願していた。
護衛が護衛対象から離れるなどあってはならないことだ。戻ったら間違いなく上司であるアリサに叱られることだろう。気が重いが今はそれどころじゃない。
「オボロ……! 今行くよ……!」
エルフの里を駆け抜けて律は森の中へと突入する。入る時にあったエルフの結界も、出ていく者には効果はなく、方向感覚を狂わされることはない。
鬱蒼とした森を抜け、オボロがいる方向に視線を向ける。と、そこには何人かの黒づくめの男たちが、網を被せられたオボロに対して攻撃を加えているところであった。
「貴様ら……! オボロから離れろ!」
律は手首に隠してあった短い小柄を左右から引き抜き、オボロに群がる輩に投擲する。
「ぐっ!?」
「がっ!?」
それぞれ一人ずつ、肩と太腿に命中した。オボロを取り囲んでいた黒づくめの輩たちが一斉に律に視線を向ける。
全員見覚えのある顔。もしやと思っていたが、やはり叔父上の部下か、と律は確信した。
そのうちの一人、二十歳ほどの男が前に出てくる。弁髪にした側頭部には蛇の刺青。叔父と同じような人を見下すような目付き。
「探したぜ、律。よくも親父をやってくれたな」
「父上の仇を討ったまで。叔父上は正当な報いを受けた。それを逆恨みとは恥知らずめ」
男の名は韻。叔父の息子で、律にとっては従兄に当たる。
人をなぶって殺すのが好きという外道だ。叔父の命を受けて、暗殺部隊を率いていた。律を殺そうと追っていた奴らも韻の部下であった。
どうやら今頃になって里の情報を得たらしい。里にいた叔父一派は一人残らず倒したはずだが、その前に早馬か伝書鳩でも飛ばしたか。
飛んでいるオボロを見て追いかけてきたようだ、と律は推測する。
「けっ、父娘揃って気に食わねえ……! てめえの親父も誇りだ正道だと最後までやかましい男だったぜ。今どきそんなくだらねえ信念なんぞ、なんの役にも立たねえのによ!」
「裏切り者の分際で父上を侮辱するな!」
亡き父に対する侮辱を許せず、律はメイド服の腰の後ろにあった小さなポーチから短刀を取り出した。
このポーチはサクラリエルのポシェットと同じく、【収納魔法】が付与されたポーチである。公爵から下賜されたもので、葛籠ひとつ分くらいしか物が入らないが、側仕えとして必要な物が一通り入っていた。
武器もその一つ。護衛として必要な物である。短刀を振りかぶり、韻に斬りつけようとするが、その前に部下の男が立ちはだかって、律の短刀を刀で受け止める。
「くっ!」
さらに二、三度と斬りつけて、四度目で男の足を切り裂くことに成功したが、その間に韻は律から離れてしまった。
七音の一族において、律は不世出の天才である。幼い頃より厳しい訓練を受け、大人にも負けない技術と力を手に入れた。
しかしながら、それでも彼女はまだ六歳の子供である。訓練を受けた成人男性数人に囲まれては、どうしても不利なのは目に見えていた。
だが、律にとって韻を討ち取ることなど後回しで、オボロを解放することが一番の目的である。
うまくいけば、オボロに乗ってここから逃走することも可能だろう。韻たちの始末はその後でも構わない。
男たちの攻撃を躱しながら、投げ網に囚われているオボロのもとへと辿り着く。
網を切り裂こうとした律だったが、いくら力を入れても手にした短刀では切ることができなかった。
「その網は真銀を編み込んだ特別製だ! 普通の刀じゃ切れねえよ!」
「くっ……!」
飛んできたナイフを避けて律が地面を転がる。
真銀は魔力を含んだ金属で、魔剣にも使われるほど硬い金属だ。普通の刀や剣ではとても太刀打ちできない。
斬りつけてくる男たちに律は防戦一方で、オボロを救うどころではなくなる。
韻を含めて敵は六人、自分は一人。何人かに手傷は負わせたが、戦闘力を奪うまでには至っていない。
「ぐっ!?」
襲いくる刃を躱していたとき、律は右足首に激痛を感じた。
投げナイフでも食らったかと律が右足首に視線を向けると、そこには目もなく鼻もなく、ただ真っ赤な口内が見える、不気味な黒い顎が足首に噛み付いていた。