◇008 初めての友達
「どっ、どうしたんだ、サクラリエル!? この子になにかされたのか!?」
未だショックに立ちすくんでいる私に、お祖父様が声をかけてきた。あ、マズい。ご、誤魔化さないと。
「あ、ああーっと! いえ、そういえばラムネ菓子もあげないとなー……と思いまして。驚かせてすみません、お祖父様」
私は苦笑いをしながら、ポケットに入れてあった、缶ジュースを模したラムネ入れを取り出して、エステルに手渡した。
「あ、ありがとうございます、サクラリエル様」
「いえ……。喜んでもらえてなによりですわ」
笑いかけてくるエステルに、私は引きつった笑みを浮かべるのがやっとだった。なんでこんなことに。
子供の時のヒロインなんてスチルになかったからわからんよ! 髪型も違うし、言われれば面影があるってわかるけど!
なるべくなら知らない者同士でいきたかった……。しかしがっつりと知り合ってしまった以上、この子に嫌われるのはマズいような気もする。いや、もちろんいじめたりはしないよ!?
「あらあら。仲良しさんね。サクラちゃん、お友達ができてよかったわね」
「とっ、ともだち!? あ、ああ、そうですね、おともだち……」
お母様の意外な言葉に私は思わず過剰反応してしまう。ヒロインと悪役令嬢がお友達ってどんな展開だよ。乙女ゲームとして成り立ってないよ、そんなの。
…………ゲームとして成り立ってない……?
待てよ。考え方によっては……悪くないんじゃない? ゲームとして成り立たなくすれば、全ての破滅フラグが無くなるのでは!?
ヒロインと友達なら対立することもない。……ないよね?
友達でも恋のライバル的な対立はよく聞くけど、私にその気が全くないのだから、対立しようがない。
「そ、そんな、平民出の私なんかが、公爵家のお嬢様と友達になんて……」
エステルが落ち込むように俯く。ああそういや、ユーフォニアム家は平民からの成り上がり貴族で、学園では馬鹿にされてたりしたんだっけな……。
うん、これも馬鹿にしたの悪役令嬢……。なんだろう、なにもしてないはずなのに、罪悪感がビシバシと。
この子はプレイヤーの分身、主人公だから、その家庭環境も育った背景も、おおまかに知ってるんだよね、私……。
さすがに子供時代の姿は知らなかったけど……。
まだ俯いているエステルに右手をスッと差し出す。
「関係ないですわ。あなたも男爵令嬢になったのでしょう? 同じ貴族じゃありませんか。私、長いこと病気で療養していてお友達がいませんの。エステル様さえよかったらお友達になって下さいな」
「あ、はい! 私でよければ……」
おずおずとエステルが私の手を握ってくれた。その表情には笑顔が甦っている。
よし、これでお友達。ヒロインとお友達。破滅フラグなんぞ全力で回避してやるぞ。
「よかったわね。エステルちゃん、王都に来たら遠慮なくお屋敷に遊びに来てね」
「あ、アシュレイ様。その、娘は貴族としての教育は受けておりませんので、お嬢様に失礼があっては……」
エステルの父であるロバートさんがお母様に申し訳なさそうに口を開く。おっと、邪魔はさせないよ!
「お友達ですもの。そんなことで目くじらを立てたりしませんわ。私だって貴族の教育なんて、むごっ!?」
「サクラちゃーん? お口閉じましょうねえ」
お母様に後ろから口を塞がれた。おっとマズい。貴族の教育を受けていないのは内緒だった。お祖父様までギョッとした顔をしている。失敗失敗。
「ま、まあ、なんだ、孫もこう言っていることだし、ロバートさえ良ければエステル嬢を遊びに行かせてくれ」
「は、はあ、それなら……。まあ、お嬢様が良いのであれば……」
「ありがとう、お父さん!」
エステルが再びロバートさんへと抱きつく。そういえばこのお父さんって若干心配症だったな。何かにつけて実家から手紙をよこす手紙魔だった。
そんな手紙魔にお母様が声をかける。
「男爵を授爵するなら王都にお屋敷を構えるのよね?」
「はい。アインザッツ辺境伯様にお願いして、探してもらっている最中です」
男爵は大抵が地方貴族である。領地を代官ではなく本人が治めているため、基本的には王都には住んでいない。しかし貴族であるから、社交シーズンなどで王都に滞在することも多い。その時のために王都に別宅を構えるのは地方貴族としてよくあることらしい。
「お父様、二区に辺境伯家所有の空き家がありましたよね? 嫁入り前にいただいた、名義は私になっているやつ。あれ、ユーフォニアム様に売っても構いませんわよ?」
「あれか? ありがたいが、アシュレイはいいのか?」
「構いませんわ。放置しているより遥かにマシです」
そこからはトントン拍子にエステルたちユーフォニアム男爵家の王都邸宅が決まってしまった。
これたぶん、ゲームとは違う場所だよね……。いや、ゲームでは王都別邸なんて出てこなかったけどさ。みんな学院での寮生活だし。
なんにしろ、これでユーフォニアム男爵家はフィルハーモニー公爵家にお世話になったという事実ができあがり、この二家は友好的な関係、という図が成り立つ。
お母様、ナイスアシスト! 家同士が仲良くしていれば、さらに破滅フラグは遠のく。……たぶん。
「奥様、そろそろ戻りませんと……」
今まで控えていたターニャさんがお母様へと声をかける。思ったより長話をしてしまった。
これからロバートさんとお祖父様は授爵の儀がある。邪魔するわけにはいかない。
「サクラリエル様! また必ず王都に来ますから!」
「待ってるわ! お菓子の感想、お手紙で知らせてね!」
手を振り去っていく三人に私も大きく手を振り見送った。
いやはや……。攻略対象にヒロインと立て続けに出会うとは……。皇太子の方はあらかじめわかっていたから対策ができてたけど、エステルの方は完全に不意打ちだったから、疲れたよ……。
帰りの馬車では疲れが出たのか、うつらうつらと睡魔が襲ってきた。
そういえば、エステルの手には『ギフト』の紋章がなかったな。ひょっとしたら、今回王都で『天啓の儀』を受けようとしてるのかもしれない。
エステルも高年齢で儀式を受けたから、あの【聖なる奇跡】を授かったのかな。
次に会ったら使い方を教えてあげようか。初めは擦り傷くらいしか治せないから、使えない『ギフト』だと勘違いしちゃうからね。
あの『ギフト』はレベルが2に上がるだけでかなり使える『ギフト』に跳ね上がるのだ。ただそのきっかけになるのは攻略対象とのイベントだからなあ。勝手に進めるのはマズいかな……。
それにしてもエステルがいい子でよかったよ。プレイヤーの選択肢によって、主人公の性格なんてコロコロ変わるからさあ。
……ひょっとしてこの世界のエステルって、私がプレイしたエステルなのかしら? そんなに変な行動はさせてなかったと思うけど……。明らかに地雷とわかる選択肢は選ばなかったし。
……いや、バッドエンドを見るために選んだりもしたか……? でも正規ルートでは、普通、に……。
ゲーム内容を思い出しているうちに、ついに睡魔に負けた私は深い眠りの中へと誘われていった。
◇ ◇ ◇
「なんというか、サクラリエルは変わっているな。あの感覚は市井の中で生きてきた強かさなのかもしれんが」
皇王であるウィンダムが、サクラリエルにもらった酢イカを齧りながら呟く。どうやらこれが気に入ったらしい。皇王はおつまみ系の駄菓子が好みのようだった。
皇后の方はカステラ棒を食べている。やはり女性は甘い物の方が好みらしい。
「物怖じしない聡明な子ね。エリオットの婚約者にできなかったのは残念だけど、こればっかりは無理強いしてもね」
「あの子は今まで不自由な生活を強いられてきました。そこから解放されたと思ったら、すぐに貴族の慣習に縛られるのは可哀想です。貧民街での暮らしの方が自由でよかったなんて言われたら、僕は立ち直れない……」
サクラリエルの父であるクラウドがその光景を想像したのか、落ち込んだように肩を落とす。
公爵令嬢である以上、貴族の教育は絶対に必要となってくるが、今はまだ押し付ける気はなかった。クラウドもアシュレイも、少しずつ慣れていけばいいと思っている。
すっかり親馬鹿になってしまったな、と皇王は自らの弟を苦笑しながらなんとも言えない目で見遣る。
「さて、そうなるとエリオットの婚約者は他の候補者から選ばねばならんが……」
皇族の婚約者は大抵幼少期より選ばれる。それは早いうちに婚約者としての自覚を促し、その仲を深めていく必要性があるからだが、エリオット皇太子の婚約者候補は絞り切れていないのが実情だった。
「他国から迎えるという方法もあるが……」
「帝国はないですね。王国か女王国か……」
シンフォニア皇国は三つの国に隣接している。東に険しい山脈を挟んでアレグレット帝国、西に大河を挟んでプレリュード王国、南に灼熱の砂漠を挟んでメヌエット女王国だ。
「女王国の姫をエリオットの嫁にもらうのか? あそこの女性は一筋縄ではいかんぞ。エリオットが尻に敷かれるんじゃないか?」
「ですが、あの子の性格だとぐいぐい引っ張ってくれる女性の方が妻に相応しいかもしれませんよ?」
メヌエット女王国からの嫁取りは、皇王は否定的、皇后は好意的と分かれていた。
女王国の名の通り、メヌエットは女性が大きな権力を持つ国であった。そのためか、この国の女性は総じて気が強い。
シンフォニア皇国とはそれなりに友好的な関係ではある。『学院』で知己を得て、交友関係を持つ貴族も多い。
「確か女王国にはエリオット皇太子と同い年の第三王女がいたはず。年齢的には問題ないかと」
「む……。しかしこちらで勝手に進めてもな。どうだろう、その姫をこちらへ招くことはできないだろうか。エリオットと会わせてから決めても遅くはあるまい」
サクラリエルの言葉に動かされたわけではないが、お互い好意を持たぬ者が結婚しても、家も本人も不幸になるやもしれぬと皇王は考え始めていた。
お互い顔を会わせてからの方がよかろう。ひょっとしたらうまくいくやもしれぬし、と皇王は思った。
「では女王国にはそのように計らいましょう。そうですね……。一ヶ月後のエリオット皇太子の誕生パーティーに招待してはどうでしょうか。ちょうど建国祭の時期とも重なりますし、長く滞在していただけるかと」
「うむ、いい考えだな。それでいこう。確かプレリュード王国の方にもちょうどいい年頃の姫がいたな。そちらにも招待状を送っておいてくれ」
このように、皇太子の知らぬところでお見合いパーティーが画策されていた。
しかし彼らは気付いていない。このことが、『スターライト・シンフォニー』における更なる重要人物を呼び寄せることになろうとは。
ここにサクラリエルがいたら、『あんたら、なにやってんの!? 余計なことを!』と叫んでいたことだろう。
かくして物語は回る。悪役令嬢の望む望まぬに関係なく。