◇076 空の旅路
お父様はすぐに行動に移った。
まずはうちの騎士が乗ったキッチンカーを飛ばし、皇都の皇王陛下に事情を説明。すぐに隠し部屋から解呪薬の素材である『バンシィの涙』と『ミノタウロスの胆石』を用意させ、こちらへと送って寄越させた。
なぜこちらへと寄越したかというと、『バンシィの涙』も『ミノタウロスの胆石』もそのままでは使えない。調合するには下準備として特殊な加工をする必要があるのだ。
そのために必要なのは一流の腕を持つ調合師。ゲームではリオンがその役を担ったが、さすがに現在六歳の彼には荷が重い。
なので今回はリオンの父であるトロイメライ子爵家の当主、ガロード・レムス・トロイメライ子爵に頼むことにし、うちに来てもらった。
来てもらった、というか、連れてきた。トロイメライ領からキッチンカーで強引に。くくく、勅命だと言えば逆らえまい。
皇都にみんな集めるより、ここに集めた方が楽なんだよ。エアコンもあるから作業もしやすいし。
トロイメライ子爵は『学院』で薬草学と錬金術を修め、領地経営にもそれを活かしている魔法薬のエキスパートだ。腕前は折り紙付き、今回の調合には申し分ない人物と言える。
「おおお!? まさか本当にこんなにも効果が違うとは……!」
「すごいですよね! 『促成の鉢』でこれほど差が出るなんて……!」
うん、そのトロイメライ子爵はうちに着くや否や、息子と例の上級化粧水で大盛り上がりを見せている。似た者親子め……。
トロイメライ子爵は茶髪で口髭を生やした、ハリウッド俳優のようなイケメンなのに、なんとも残念な性格のようだ。親子揃って薬草マニアとは……。
なんともなトロイメライ子爵にお父様がたまりかねて声をかける。
「うぉっほん! トロイメライ子爵。そちらは後日にしてもらって、さっそく『バンシィの涙』と『ミノタウロスの胆石』の加工を進めてほしいのだが……」
「あっ!? 皇弟殿下、申し訳ございません! あまりにも珍しいもので、つい……」
誤魔化し笑いをしながらも、トロイメライ子爵はテキパキと自らの領地から持ってきた調合道具を箱から取り出していく。
見慣れた薬研や乳鉢などに加え、珍しいガラス製のフラスコやアルコールランプのような魔導具まであった。
リオンほどじゃないけれど、私も薬師のお婆さんの下でポーション作りに携わっていたから、ちょっとはこういったものに興味がある。
魔導具を使った調合は、どちらかというと錬金術に近くて、私にはさっぱりなのだが。
調合するのはトロイメライ子爵だけれども、量産するのはリオンの『ギフト』、【薬剤生成】になる。
調合が成功したなら、リオンの【薬剤生成】で量産する予定だけども、兎にも角にも素材を集めないことには話にならない。
『バンシィの涙』と『ミノタウロスの胆石』の下処理はトロイメライ家の二人に任せて、残りの素材を一刻も早く集めなくては。
『天神木の実』の方はキッチンカーに乗ったうちの騎士たちが、すでに霊峰エルドラへ向けて出発した。
『月光蜂の蜜』の方は、教えた生息地へとジーンのお父様である総長さんが騎士団の精鋭たちと向かっている。これまた皇都経由で向かったキッチンカーでね。私のキッチンカーが大活躍だ。
もっとも一日で消えてしまうので、帰りは徒歩なり馬なりで戻らないといけなくなってしまうのだが。一日で行ける距離でよかったよ。
単純に時速八十キロで24時間ぶっ続けで走ると、1900キロほど走れる計算になる。日本縦断できちゃうくらい? さすがに24時間走るのは無理だろうけどさ。でも片道だけならこの国のどこにだって行けると思う。
まあ、私が戻ってきたら帰りのキッチンカーを中間地点に迎えに行かせよう。
そして我らが『精霊樹の葉』チームだが……。
まず、私と琥珀さんは決定。そこに私の護衛として護衛騎士のターニャさんとメイドのアリサさんが同行する。それとフィルハーモニー騎士団から騎士団長のパトリックさんとその部下が二名。
さらにエルフの里にはオボロに乗って行くので当然ながら律も加わる。
さらにビアンカがお父様に私への同行を懇願して、見習いだが側仕えとしてついてくることになった。
そうなると自分一人が仲間外れとなると、エステルまで行くと言い出し、その尻馬に乗ってジーンが、さらにエリオットまで同行を言い出して収拾がつかなくなった。
「まず当たり前だけど、エリオットは却下。皇太子をあまり友好的とはいえないエルフの里に連れて行けるわけないでしょう? そしてジーンも却下」
「なんでだよ!?」
「あのねえ、あんたは一応エリオットの側仕えでしょうが。守るべき主から離れるって、それでも護衛の自覚あんの? それにジーンは思ったことをすぐ口にするから、交渉には向いてない。余計なことを言ってエルフたちを怒らせそう。さらにあんたの『ギフト』【炎剣】とか魔剣で、万が一エルフの森を焼くようなことになったら、間違いなく戦争になる。だから却下」
「ぬぐぐっ!」
私の言葉にジーンは悔しそうに顔を歪ませ、ビアンカはうんうんと頷いている。
ゲームでもジーンはエルフとの交渉ではなく、他の素材を集める戦闘班だったし。
「エルフの里や精霊樹を見たかったんですけどね……。確かにサクラリエルの言う通りです。ジーン、今回は諦めましょう。私たちはリオンの手伝いを」
「ちぇっ、しゃーねーな……」
しゃーねーな、じゃあないっての。遊びに行くんじゃないんだぞ、まったく……。
翌朝、準備万端整えて私たちは中庭で待つシームルグのオボロの背に乗る。
オボロの背は十畳ほどもあって、十人……琥珀さんがいるから九人と一匹?乗っても大丈夫なほど広い。
シートベルトというわけじゃないが、首輪から伸びた飾り紐を腰のベルトに巻き付ける。
「じゃあ、行ってきます!」
「気をつけるんだよ!」
「無事に帰ってきてね!」
お父様とお母様に手を振って別れの挨拶を済ませると、オボロが翼をはためかせ、ふわりと離陸を開始した。
「行くよ、オボロ!」
『クァァ!』
律の手綱捌き? に合わせて、ぐんっ、とオボロのスピードが上がる。前から突風のような風が吹き始めたが、すぐにパトリックさんが手を翳し、自らの『ギフト』を発動する。
「【小結界】!」
キィン、と澄んだ音がしたかと思うと、先ほどまで吹き付けていた風がピタリと止んでいた。
パトリックさんは【小結界】という『ギフト』を持っている。これは半径五メートルほどに結界を生み出すことができる防御系の『ギフト』だ。この『ギフト』の使い手はけっこう多いらしい。
といっても、武器なんかでの強い一撃を食らうと砕けてしまうくらいの強さしかないらしいが。
だけどこれを展開するとオボロの背中での風圧が無くなるので、飛んでいてもまるでベッドの上にでもいるような感覚になる。なかなか快適だね。
まあ、オボロが急に上昇下降するとコロンといってしまいそうなので、飾り紐は身体にしっかりと結びつけたままだが。
「エルフの里まではどれくらいなの?」
「そうですな……この速さなら四時間もかからずに到着するかと」
パトリック団長の言葉に、私は意外と近いな、と思ったが、オボロの速さが時速百~百五十キロだとしても、四百キロから六百キロ離れているのか……。
えーっと、東京~大阪間が五百キロくらいだっけ? ううん……遠いような近いような……。新幹線なら三時間ちょいくらい? 新幹線と比べちゃダメか。
『クァァ』
「え? 大丈夫? あの、サクラリエル様。この結界があればオボロはもっと速く飛べると言ってますけど……」
律がそんなことを言ってきたけど、無理しないでいいよと言っておいた。さすがにそこまで急いでもそんなに差はないし、安全運転……運転? を心がけてほしい。
「すごいですね! あんな遠くまで見渡せます!」
「うむ……! まるで自分が鳥になったようだ!」
エステルとビアンカは臆することなく空からの風景を楽しんでいる。パトリックさんもその部下の二人の騎士も緊張はしているようだが、大丈夫のようだ。
大丈夫じゃないのは……。
「そ、創生の九女神様、た、旅の女神ジャーニー様、なにとぞ、ここ、この旅の無事を、おね、お願いします……! どうか、落ちませんように……!」
オボロの背にしがみつくように祈りを捧げているのは、私の護衛騎士であるターニャさんだ。どうも高いところが苦手らしい。無理しなくてもいいって言ったんだけど、護衛騎士が臆するわけには参りません! と彼女は乗る前に啖呵を切ったのだけれども。ま、結局こんなふうになってしまっている。
その横のアリサさんもターニャさんほどではないが高いところが苦手みたいで、能面の様な無表情で微動だにせず座っている。二人ともオボロの背中の真ん中に座り込み、しっかりと腰に繋がっている飾り紐をぎゅっと握りしめていた。
え? 琥珀さん? 琥珀さんは私の膝の上で眠ってるよ。肝が太いというか、さすがは神獣というか。
まあ、四時間近くもこうしているのも暇だよね……。琥珀さんのように寝てしまうのが一番なのかもしれない。
やがて風景を見るのにも飽きたエステルとビアンカと私は、オボロの上でおしゃべりを始めた。
「エルフの里ってどんなところでしょうね?」
「キラキラ光る精霊樹を中心に、自然とともにある里よ。建物もなるべく金属とかを使わずに作られていて、大木の上に家が建っているの。大木から大木へ吊り橋が架けられていたりして、上と下で移動できるようになっているのよ」
「ずいぶんとお詳しいですね。誰かに聞いたのですか?」
「えっ!? あっ、琥珀さんからね!? 事前にエルフのことを知っておいた方がいいかなって!」
ビアンカからのツッコミに私は慌ててその場凌ぎの言い訳を口にした。
危っぶな! ゲームで得た知識なんて言えるわけないし。言い訳の理由にされた琥珀さんは私の膝の上でぐーすか眠っている。後で口裏合わせないとなあ。
それからしばらく三人でおしゃべりを続けた。時々律も会話に入っていたが、今はなるべくオボロの方に集中してほしい。
パトリック団長もずっと周囲に気を配っていた。パトリック団長の【小結界】はダメージを受けなければ、長時間持続させることが可能だが、ダメージを受けてしまうと消えてしまうこともある。
風くらいなら大丈夫だが、バードストライクなんかがあるとマズいからね。一気に結界が消え、私たちは強風に襲われることになるからさ。
まあ、シームルグであるオボロへ向かってくる鳥なんかいやしないんだけど。でも飛竜とか空を飛ぶ魔獣もいるから油断はできない。
「見えてきました! あれがエルフの里では!?」
振り向いて放たれた律の言葉に、私たちは身を乗り出して前方に視線を向ける。
広い森の中、一際大きな大樹が見える。キラキラとした光が……見えないな? あれ?
だけど間違いなくあれが精霊樹だ。エルフの里はあそこにある。なんとしてもあの葉をもらって帰らなければ。
「あそこに着地します」
森の手前、開けている場所へとオボロが降り立つ。
さあ、ここからはエルフたちとの交渉開始だ。気を引き締めていこう。