◇075 呪病
エステルの『ギフト』【聖なる奇跡】による回復魔法の光が、弦、吟、鼓を包む。三人程度なら一度に治すことができるみたいだ。もちろんエステルの『ギフト』のことは口止めしてある。
私が調査を依頼した、白髪老爺の弦、ニコニコ巨漢の吟、長髪無口男の鳴、おっとりお姉さんの調、活発ポニテの鼓の五人のうち、先ほどの三人が感染していた。
この病気──銀魔病は感染するとすぐに手のひらに症状が出るのでわかりやすい。
普通に見るとわからないが、手を氷水にしばらく浸しておくと、手のひらにうっすらと銀色の斑点が現れるのだ。
これを放置しておくと、やがて高熱とともに全身に銀の斑点が現れて、半年ほどで命を落とす。
この初期症状もゲームの中でリオンが見つけたんだけど、なかなかわかりにくいよね……。しばらくすると普通の肌に戻っちゃうし。それに平民だと氷なんてなかなか用意できない。
「村を出てからは誰とも接触していないのね?」
「は。オボロに乗ってまっすぐこちらへ来ましたので、律様以外には誰にも」
オボロは霊獣なので感染の心配はないだろう。律も氷水に手を突っ込んでもらったが問題はなかった。もちろん私も。
この病気は普通の病気ではない。太古の魔法使いが生み出した、いわゆる【呪い】の類なのだ。
その【呪い】は、ゲームでは作り出した魔法使いの遺体とともに封印されていたのだが、とある村でその封印が解かれてしまう。
その時たまたまその村に居合わせたのが、『1』で皇国を追放され、エステルたちに復讐しに戻ってきたサクラリエルだった。
サクラリエルは見事に感染し、その【呪い】の病原菌をこの国に持ち込んでしまう。
接触者の体内にある魔素を媒介として、人から人へと感染するこの呪病は、あっという間に国中に広がってしまったのである。
その呪病を治すために、エステルとその仲間たちが奔走するのがリオンルートの流れなのだが……。
本来ならこの病気が広まるのは十年後のはずだった。それがなぜ今広まってしまったのか。
弦じいの話を聞いてその原因がわかってしまった。
──私のせいだった。
正確に言えば、私が宰相さんにホットドッグを食べさせたから。
ケチャップに大きな可能性を感じた宰相さんは、トマトの苗を隣国のプレリュード王国から取り寄せ、うちの国でも栽培できるか実験的に育て始めたのだ。
その試験農場に指名されたのが例の村で、畑を開墾したときに魔法使いの墓を発掘してしまったらしい。
どのみち十年後には誰かが掘り起こして病気をばら撒いてしまったのだろうけど、きっかけになってしまったのが私だということに少なからずショックを受けた。
これってゲームの強制力……? いや、女神様たちが言っていたように、この世界はゲームじゃない。起こり得る未来を私がゲームとして体験していただけなのだ。
考え方を変えてみれば、まだ誰も死んではいない。
今なら間に合う。
私はちょっと気分が悪いと部屋に引っ込み、全ての内情を知る琥珀さんにこれからのことを相談した。
「この病気のことをまずはお父様に説明しようと思うんだけど……」
『なぜそのようなことを知ってるのか、と聞かれると思うが?』
「そこはそれ、育ててくれた薬師のお婆さんに聞いたって言うよ。昔そんな言い伝えがあったらしいって」
『ふむ』
父母からの、なんでそんなことを知ってるの? という疑問には、育てのお婆さんに聞いた、という答えでよく躱している。
お陰で薬師のお婆さんは、ものすごく物知りで高い知識と教養のある人物ということになってしまった。
草葉の陰から『あたしゃそんなこと知らんよ』という声が聞こえてきそうだが、ごめんね! 許して!
『古代呪病を治す薬の作り方も知っていた、と?』
「う……。さすがに無理があるかなあ?」
『まあ、そこらは我が女神様より神託を受けたとすれば良かろう』
なるほど。お父様たちは琥珀さんが神獣だと知っている。それなら信じてくれるかな。
問題はその薬を作るための素材なんだけれども……。
銀魔病の解呪薬に必要な素材は五つ。
『精霊樹の葉』
『ミノタウロスの胆石』
『バンシィの涙』
『天神木の実』
『月光蜂の蜜』
この五つの素材を正しく調合してやれば、銀魔病の解呪薬が作れるのだ。
しかもこの解呪薬、かなり薄めても効果がある霊薬なのだ。
まあ【呪い】を解くための解呪薬だからね。体内に入りさえすれば、内側から【呪い】を壊せるってものらしい。
【呪い】なので、律の時と同じように【聖剣】でも断ち斬ることができる。
できるんだけど、この【呪い】は体内の奥に変調を及ぼすものであるから、直接斬りつけないといけないらしい。だから傍目にはものすごくイメージが悪いんだ。私がズバズバと人を斬らないといけない。やる方も滅入るよ……。
エステルの【聖なる奇跡】と同じように、私自身が病人全員に対処しないといけないってのも現実的じゃないし、やっぱり解呪薬は必要だ。
すでに村に定期的に来ている行商人や町に出稼ぎに行っている者によって、銀魔病は周辺の町にも広まっているはずだ。解呪薬を作って国中に配った方がより確実だろう。
さて、この五つの素材のうち、『ミノタウロスの胆石』と『バンシィの涙』は皇城にある。
私が見つけたあの隠し部屋。実はあそこに納められているんだよね。
これね、『1』でエリオットルートをやったプレイヤーならすぐにわかるんだけど、未攻略だと発見にけっこう時間がかかっちゃうんだよね。
このリオンルートは期限が決められていて、期日までに解呪薬を作れないと即バッドエンドになるのだ。
だからできれば遠回りしない方がいい。まあ、よっぽど下手を打たない限りは間に合うゆるゆる期限だけども。
達成率100%にするためにそのバッドエンドも私は見ましたがね……。救いのないバッドエンドだった……。
『天神木の実』はゲームと同じように、皇国の北にある霊峰エルドラから取ってくることができる。律の使役するオボロやキッチンカーを使えばかなり時間は短縮できるはずだ。
ただ残りの『月光蜂の蜜』と『精霊樹の葉』がなあ……。
まず、『月光蜂の蜜』だけど、これは完全に戦闘クエスト。月光蜂というモンスターを倒してその巣から蜜を取ってくるだけ。
と、簡単にいうけれども、リオンルートのある『2』では、『1』の攻略対象であった、エリオットとジーン、それに『2』の攻略対象であるプレリュード王国の第一王子、つまりルカのお兄さんらと協力して倒すのだ。
エリオットとジーンはいるけれど、十年後の彼らと同じ働きができるかっていうと……厳しいと言わざるを得ない。
まあ、琥珀さんと聖剣があるからなんとかなるかもしれないけど……。
さらに面倒なのは『精霊樹の葉』だ。
精霊樹とはシンフォニア皇国南部にある、エルフの里にある精霊が宿ると言われている大樹のことである。
ここのエルフたちがまあ、排他的で……。大半が人間たちなんかと関わりたくないって種族なんだよね……。
まだ嫌っているとまではいかないのが救いかな。中には人間を好む変わり者のエルフもいるし。
ゲームの中だと精霊樹が寿命なのか弱っていて、エルフたちがかなりピリピリしてたんだよね。
そこに行ってそのエルフたちが大切にしている精霊樹の葉をくれってんだから、とにかく揉めに揉めて……。
辛抱強く交渉したのと、エルフの族長の娘さんが病気で、エステルが『聖なる奇跡』で治してあげるというイベントでなんとか心を開いてもらい、『精霊樹の葉』を譲ってもらうことができた。
けど、たぶんその娘さん、今は病気じゃないんじゃないかな……。うぬう、ドワーフなら酒でなんとかなったのになー……。
エルフは銀魔病には罹らないんだよね。たぶん、体内にある魔素とかが多いから呪いへの抵抗力が高いんだと思う。
なので銀魔病もどこか対岸の火事って感じで、『あっ、そう。大変だね』みたいな。
オボロで飛んでいって、こっそりと空から何枚か取っちゃうか、とも思ったが、たぶん見張りもいるだろうし、エルフの弓の腕前は半端ないから危険だよね……。それにそんなことをしたら間違いなくエルフたちと戦争になる。
エルフたちはシンフォニア皇国の領内に住んではいるが、その里は自治を認められたほぼ独立国のような扱いなのだ。
なので、行動は慎重にする必要がある。
「とにかくお父様に話してこれからの行動を決めないと……」
私は琥珀さんと連れ立って、お父様の執務室となっている中庭の模型屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
「そんな呪病が……! すぐに兄上に知らせて対策を取らないと……!」
『慌てるな。先ほど言った通り、素材さえあれば特効薬を作ることができる』
私たちは先ほど話し合ったことをお父様に伝え、協力を仰ぐことにした。やはり神に仕える神獣である琥珀さんの言葉には重みがあり、お父様もちゃんと信じてくれたようだ。
「話はわかった。けどね、これは国の問題だ。公爵家令嬢が首を突っ込む必要はないと思う。ここは大人たちに任せなさい」
至極もっともな意見を述べてくるお父様。いやまぁ、確かにそうなんですけれども。
ゲームでの素材集めは学生たちだけでやってたからな……。リアルに考えるとおかしいよね。国の存亡の危機なんだから、国を頼れって話。そこらへんゲームっぽいけども。
でも『ミノタウロスの肝』と『バンシィの涙』は、『1』での隠し部屋を知らないと、ジーンの頼みによって皇国騎士団の手で集められたからね。まったく頼ってないわけじゃない。
それに学生たちが『この薬で治ります! 素材を集めて!』と言ったところで信憑性がないわな。エリオットの口添えがあったとしても、国が本気で動くとは思えない。
ゲームではリオンの『理論上作れるはず』という、なんともあやふやな言葉を信じてみんな行動してたからな……。友情、信頼、愛のパワーだ。
その点、お父様、ひいては皇王陛下直々の命令なら信用はバッチリだし、素材もすぐに集まるだろう。一つを除いては。
「お父様、『精霊樹の葉』だけは私たちに任せてくれませんか」
「何故だい? 確かにエルフたちとの交渉は難しいかもしれないが、サクラリエルたちが行ったところで同じことじゃないのかい?」
『小さき主は【聖剣】の使い手だ。さらに言うなら、我は神獣。精霊を崇めるエルフどもも我の言葉を無視することはできぬ』
ここらは琥珀さんと考えた。他の素材はまだしも、『精霊樹の葉』は交渉が長引いたり、失敗する可能性が高い。里のことにいくらか詳しい私が行って、直接交渉した方が早いのだ。
もちろん琥珀さんの言うことも正しくて、精霊信仰のあついエルフたちは、その上に位置する神々も敬っている。
その神の直接の僕、神獣である琥珀さんと、神から授けられた【聖剣】を持つ私の話なら、無下に断ったりはできないだろうという算段だ。
「そ、それならば琥珀殿だけエルフの里へ行ってもらって……」
『我は小さき主の護衛獣。離れる気はないぞ?』
ぐむう、とお父様の眉間に皺がよる。おそらく頭の中では父親としての心配と、皇弟・公爵としての責務が激しいバトルを繰り広げているのだろう。
しかしお父様とて、この病が国中に広がってしまえば、とんでもない大惨事を引き起こすということをわかっているはずだ。
やがて観念したかのように、お父様は大きなため息をついた。
「……わかったよ。でも護衛は付けるよ?」
「ありがとう、お父様!」
私は物分かりのいいお父様に飛び付いて感謝の意を表す。さあ、ここからはスピード勝負だ。
私のせいで十年も早く呪病が発生してしまった。誰一人として死なせるもんか。