◇072 新たな側仕え
『促成の鉢』は私の【店舗召喚】と同じく、一度使うと一日のインターバルが必要になるらしい。
種は一度にいくつ植えてもいいが、多ければ多いほど成長が遅くなり、大きくは育たないんだそうだ。
つまりそれで作る上級化粧水はさらに価値が上がったわけで……。これはもう、完全予約制だな……。
化粧水とマニキュアはお母様主導で売っていくことになった。初めは身近な貴族から、そこから段々と広めていって、やがて裕福な商人に、そして平民にと広がればいいと思っている。
「花の水なんて変なの作ってんだな」
「変なのとはなんだ。この化粧水の素晴らしさがわからんとは……。そんなんだからお前はセシル様に鈍いと言われるんだ」
庭のガゼボ(四阿)で話していた私たちに、興味なさそうな言葉を口にしたジーンがビアンカに口撃される。
まあジーンが鈍いのは今に始まった事じゃないけど、姉のセシルの言葉は正しいね。興味がないのはわかるけど、それを口にしている時点でデリカシーがない。
反対にエステルやビアンカの二人は化粧水やマニキュアにけっこう興味を持ってくれた。小さくとも貴族令嬢、オシャレや美容にはやはり関心があるらしい。
「女は面倒くさいな。爪とか塗ったってなんの足しにもならないだろ。強くなるわけでも、腹が膨れるわけでもねえし」
ジーンの言葉にエステルとビアンカがこれ見よがしに大きなため息をつく。
「なんというか残念な方ですね、ジーン様は……」
「そうなんだ、エステル。残念な奴なんだ」
「な、なんだよ! ホントのことだろ!」
残念な奴扱いされたジーンが反論するが、その返しも残念な感じだ。
エリオットもそれを見て苦笑しているが、あんたの護衛だよ、そいつ。今のうちにちゃんと教育しておいた方がいいよ、絶対。
リオンは昨日からハルジオンの研究に入ってしまった。なんでも『促成の鉢』を使わずにスーパーハルジオン(私命名)を作り出したいとのこと。
そのために普通のハルジオンとスーパーハルジオンを比べて、なにがどう変化しているのか調べるんだとか。
六歳にして一端の研究者だね……。植物オタクまっしぐらだよ。
私はテーブルの上に生けてある一輪の花を眺めながらリオンのことをそんなふうに思った。
この花はリオンに『促成の鉢』で育ててもらった鈴蘭である。エステルの目の前で育ててもらった。
エステルは『綺麗ですね』といたって普通の反応だったが、これで『スターライト・シンフォニー』におけるイベントを一つ消化した……はず。
たぶんこれでまた一店舗増えると思うんだけど……。
お手軽に増やせてよかったなと思う反面、これってリオンのイベントを進めたということになるからなあ……。
エステルがリオンルート完全に入ったら、私が流行り病に感染するんだけども……。いや、エステルの『ギフト』【聖なる奇跡】もあるし、特効薬のレシピも知ってるからなんとかなる、はず。
『む?』
私の膝の上で寝ていた琥珀さんが片耳をピクリと動かせて、のそりと顔を上げる。そのままじっとなにかを見つめるように空を睨んでいた。なにかあるの?
琥珀さんが視線を向ける方向に、私も同じように視線を向ける。
夏の青空が広がるその下にハルモニアの城下町が見える。特になにも……。
「んん……?」
空になにか……黒い点のようなものが見える。
なんだろ、あれ? 鳥……かな? 鳥だな。はっきりと見えてきたね。こっちに向かって来てる……けど、あれっ、なんか大きくない……?
こっちへ向かって来ている鳥が、とてつもなく大きいと私が気がつくころには、他のみんなも異変に気がついて騒然となり始めた。
「はぐれの魔獣か!? サクラリエル様、屋敷に避難を!」
「エリオット殿下もお早く! 護衛騎士は対空魔法の準備を!」
ビアンカやエリオットの護衛騎士たちが慌てる中、私の膝の上からぴょんとガゼボの外に飛び出した琥珀さんが大虎の状態に戻る。
『慌てるな。おそらく敵ではない』
「え?」
落ち着いた琥珀さんの声に、慌てふためいていたみんなの動きが止まる。
そうこうしているうちに頭上までやってきた大きな鳥から、六つの影が飛び出して庭へと着地する。
不審な人物たちの登場に騎士たちが一斉に剣を抜く。
「サクラリエル様! 七音律、ただいま帰還致しました!」
鳥から降り立った律が私の目の前で跪く。その後ろには五人の従者が同じように首を垂れている。
そして彼らを乗せてきたと思われる巨鳥がバサリと庭へと降り立った。カラフルな羽の色が美しい鳥だな。
『ふむ。シームルグか。珍しい者を従えているな』
琥珀さんの言葉に巨鳥がべたーっと頭を地面に下げて、まるで土下座のように伏している。
おお……これは琥珀さんの方が上とこの鳥もわかっているということ? さすがは神獣といったところか。
「シームルグ?」
『我と同じ神獣の一、炎帝の眷属だ。滅多に人に馴れない霊鳥で、その羽には治癒の力もある』
「このシームルグはオボロといって、私の『ギフト』【翼類使役】によって、完全に制御できます。暴れたりはしないので大丈夫です」
【翼類使役】。それが律の『ギフト』なのか。ゲームの中じゃ鳥を操ってエステルの情報を集めているシーンはあったけど、『ギフト』名までは出てこなかった。名前からするに鳥類を使役する『ギフト』っぽいけど。
【スターライト・シンフォニー2:再演】で登場する律は、どちらかというとリオンのボディガードといった面が強く、いい雰囲気になるたびに邪魔に入るというお邪魔キャラではあったが、主人公とはそれほど対立してはいなかった。
基本的にリオンに忠誠を誓っていたので、彼の意にそぐわないことはしなかったしね。
最終的には流行り病を防いだことでリオンの相手としてエステルを認めてくれる。
「サクラリエル様のお陰を持ちまして一族の歪みを正すことができました。これより七音の一族は貴女様に忠誠を誓い、その手足となって働きたく存じます!」
「あー……」
これって断れない……よねぇ……。お父様も乗り気だったし……。隠密一族なんてどう扱えば……。ん? 一族?
「ちょっと待って。一族ってどれくらいいるの?」
「はっ、女子供併せて二百人くらいかと。お許しが出ればこちらへ呼び寄せる手筈になっております」
「にひゃ……!」
あかん。これはもうキャパオーバーだ。人数的にも私の頭的にも。
とりあえずお父様に丸投げしよう。そうしよう。
私は考えるのをやめ、律たちを連れてお父様のところへと向かった。
◇ ◇ ◇
「七音律です! サクラリエル様の側仕えとしてよろしくお願い致します!」
「どうしてこうなった……」
爛々と目を輝かせ、メイド服に身を包んだ律が、ビシッ! とみんなに頭を下げる。
いやもう、お父様のところに連れていったら、あれよあれよと次から次へと決まっていった。
結果、律はビアンカと同じ、私の側仕えとして働くことになってしまった。
いずれ『学院』に行く際に、ビアンカと共に私の護衛、及び身の回りの世話をする人材となる。
つまり、今の護衛であるターニャさんの役割をビアンカが、世話役であるアリサさんの役割を律が学園で担うというわけだ。
とはいえ、律にメイドの心得などあるわけもない。今から徹底的に仕込むとのことで、アリサさんの下でメイド見習いとして働くことになった。ゲーム内でもリオンの側仕えとして働いていたから、それ自体はあまり違和感はないのだけれども、私のメイドってのが違和感バリバリである。
それと七音の一族はまるっとフィルハーモニー公爵家が抱え込むことになった。
あれから律たちが七音の里に戻ると、琥珀さんの言っていた通り、聖剣による呪い返しを受けた律の叔父は呪いをその身に受けて瀕死の状態になっていたという。
律は父の仇を討ち、里を牛耳っていた叔父一派を徹底的に駆逐できたと喜んでいた。
駆逐って簡単に言うけど、間違いなく血の粛清だよね……。怖っ。
お父様の話だと一族は順次領都へ呼び寄せ、しばらくは生活基盤を整えさせて、やがては様々な諜報活動を担ってもらうとのこと。
基本的に一族の長は律だが、その律が仕えるのが私、さらにその上である保護者のお父様が命令を下しても問題はない。
律の側近であった五人はそのまま律の直属の部下として働くことになるようだ。律は七音一族の技を彼らから学ぶという。
なんかもうアサシンメイドまっしぐらって感じなんだが……。いや、頼もしいとは思うけどね?
手合わせと称して庭でやり合っている律とビアンカを見ながらそんなことを考える。
ビアンカも強いが、律も負けてはいない。戦い方のスタイルがフェイントや奇襲といったトリッキーな戦い方なのは、やはり隠密一族の戦闘技術なのだろう。
「強いな。側仕えの同僚として心強い。これからもよろしく頼む」
「ありがとうございます! サクラリエル様の側仕えとして頑張ります!」
一戦交えた二人の間にほのかな友情が芽生えたようだ。おうおう、『1』と『2』の悪役令嬢が手を結んでおるわい。
正確には律は悪役『令嬢』ではないが。貴族の娘じゃないしね。
だけど許可があれば『学院』には平民も通うことができる。確か主人公が入学した年は、一割ほどが平民だったはずだ。
大抵は大商人の子供だったりするが、平民の側仕えがいないわけじゃない。
建前上、『学院』では平民だろうと貴族だろうと、生徒は共に平等としているが、それでも差別意識を持つ者もいる。
実際、主人公も平民上がりの貴族と馬鹿にされてたしね。馬鹿にしたのサクラリエルだけど……。
律の場合、平民の側仕えではあるが、その主が皇室の血を引いた公爵家令嬢である。表立って馬鹿にできるのは皇族か、他国の王族くらいだろう。
エリオットにはそんな差別意識はないし、ゲーム内に登場する主要な王族キャラにそこまでの差別主義者はほとんどいなかったから大丈夫だと思う。ま、何人か問題ありそうな輩もいたけど……。
「よし! 次は俺とやろうぜ!」
律とビアンカとの試合を見てウズウズしたのか、ジーンが木剣を持って飛び出して行った。……あんた確か今日のぶんの勉強、全くしてないよね?
相変わらず残念なジーンと律が模擬戦を始める。
アレだな、バレイさんに頼んで律の魔剣も作ってもらうかな。短剣か短刀で。
しかしこれで悪役令嬢が二人……いや、私を含めたら三人か。ゲームとはだいぶ展開が違くなって、先が読めなくなってきた気がする……。
私がリオンや律と先に出会ってしまったことによって、ストーリーの変化みたいなものが、なにか起きてなきゃいいけど……。いや、確実にストーリーに変化は起きてるんだけども。
エリオットとの婚約を無しにしたがために、ルカとティファをこの国に呼び寄せた。
ビアンカとグロリアの試合を起こしたことによって、現れるはずがなかった黒騎士が出現した。
あんなふうにイベントが強制的に展開するのは勘弁してほしい。
その理屈で言うと、起こりそうだなあ、流行り病……。
あ、ちょうどいいから七音の一族に調べてもらうか。なにもなかったら安心できるし、あったらあったで先手を打てる。
私はこれからのことを思い浮かべながら、ジーンと律の試合をぼーっと眺めていた。