◇071 上級化粧水
「たぶんこの花じゃないかと思いますが」
「あ、これ! これよ!」
リオンにハルジオンやヒメジョオン、ホウセンカのことを尋ねると、彼は部屋に戻り、あっさりと私に全部の花を渡してきた。
間違いない、私の知るものと同じ花だ。特徴とさらっと描いた絵だけでわかるってすごいな。
「……でもなんでこれを持っていたの?」
ふと、疑問に思ったことを口にする。たまたまこれらの花を持っていたって、おかしくない? いや、植物大好きのリオン少年なら、あり得なくはないと思ってしまうんだけれども、これって根っこまでついてるし、なんなら土までついてるんだけど。
「僕は自分で見つけたほとんどの植物の種を保管してますので。これはその中のバルサームの種から栽培したものですよ」
リオンがホウセンカの花を手にとって説明してくれる。へえ、こっちじゃホウセンカをバルサームって言うのか。って、違う違う。
「いや、種を植えたってそんなすぐに花を咲かせたりしないでしょうが」
「あ、それは『促成の鉢』を使ったからですよ」
「『促成の鉢』?」
「我がトロイメライ家に伝わる魔導具です。その鉢に植えた種はあっという間に育つんですよ。このバルサームもさっき植えて育てたんです」
あ! そういやあったな、そんなアイテム! 確かトロイメライ家の家宝で、どんな植物の種でも植えるとたちまち芽が出て花が咲くっていう、便利アイテムだ。
季節に関係なく育つから、冬に春の花をエステルに見せるっていうイベントがあったっけ。
どんな植物でもとは言ったが、根が鉢いっぱいになると成長は止まるらしい。だから大きく育つ植物や、じゃがいもみたいな根菜類は難しいって言ってたな。
「その花をどうするんですか?」
「こっちの花は花びらを潰して染料にするのよ。爪に塗って色を付けるの」
「爪に……? 確か北方の一部の民族ではそのような習慣があると聞いたような気がしますね。それですか?」
「そ、そうね。たぶん」
そうなのか。まあ、似たようなことは世界中でされているからな。となるとこれで一儲けは難しいか? いや、王都のファッションリーダーであるお母様と、この国で一番の王妃様が使えば、貴族の女性はみんなコロリと行くはずだ!
「こっちの花は?」
「そっちは化粧水……お肌の潤いを与えて柔らかくしてれるものに使うのよ」
「この花にそんな効果が……?」
お、こっちはさすがのリオン君も知らなかったらしい。植物オタクのリオンも知らないのなら、こっちもイケるかな?
「あの、作るところを見せてもらってもいいですか? 公爵家の秘匿技術なら諦めますが……」
リオンの『ギフト』【薬剤生成】は作り方を理解し、素材が揃っていれば一瞬にして薬を作ることができる錬金術系の『ギフト』だ。
作っているところを見せるということは、リオンにも作れるようになるということである。
まあ秘匿技術もなにも、ただ焼酎に漬け込むだけなんだが……。
あ、度数の高い焼酎を手に入れるのが他の領地だと難しいかな? うちだと【店舗召喚】のリカーショップがあるから使い放題だけども。
実験に花を用意してもらうのはリオン頼みになるし、化粧水を作れたとして、うちだけが販売するのはやっかみを受けるかもしれない。
リオンのトロイメライ家は薬草などの産地だ。ハルジオンやヒメジョオンも大量に育てる技術があるだろう。
トロイメライ家との共同開発ということにした方がなにかと隠れ蓑になるか……?
「わかったわ。でも軽々しく言いふらさないでね。うちの特産になるかもしれないんだから」
「もちろんそんなことはしませんよ」
おそらく単純に興味本位で知りたいだけのリオンに、その背後にいるトロイメライ家を利用する気満々の私。
腹黒い? いいんだよ、私は悪役令嬢なんだから。
◇ ◇ ◇
「こ、これだけですか……?」
「これだけだよ」
リオンが『嘘でしょ?」みたいな目で見てくる。いやまあ、花と根っこを焼酎に漬け込むだけだからね。
ハルジオンとヒメジョオンがテーブルの上の焼酎の入った二つの瓶の中で浮いている。
まあ、これだけですぐできるわけじゃなく、本当は三ヶ月ほど漬け込む必要があるんだけど、公爵家には秘密兵器がある。
「お母様、やっちゃって下さい!」
「はーい」
お母様の手の中にあるハルジオンの入った瓶が光に包まれる。
すると、瓶の中の焼酎が無色透明からだんだんと色がついていき、中の花もあっという間に変化していくのがわかった。
お母様の『ギフト』、【歳月推進】だ。
【歳月推進】は、一メートル範囲の物体の時間を、強制的に進ませる『ギフト』だ。
最高で一年進ませることができ、その調整は自由にできるらしい。生物には使えないらしいが、ワインの発酵や、チーズの熟成に使っているというから、微生物などには効果があるみたいだ。
植物なんかも根から切ったものなら枯れさせることもできるらしい。だから肉の熟成もできる。
ちなみに一度時間を進ませた物体をさらに進ませることはできないとか。十回やって十年の時を進ませる、なんてのはできないってこと。
本来、一度時を進ませたら戻せない……のだが、お父様の『ギフト』、【物体修復】であれば、戻せてしまう物もあるとか。ホント似合いの夫婦だね。
「こんなものかしら」
お母様の手から色が変化した瓶を受け取る。うん、いい感じに染み出ていると思う。
蓋を開けて、花とか細かいゴミを取り除くために、一旦目の細かい布で濾す。
さらにここに薔薇の精油を少し足して焼酎の香りを消す。最後になぜか模型店に売っていた、プラスチックの小さなスプレーボトルに入れて……完成!
プシュ、と手の甲に出して塗り塗りと馴染ませてみる。うん、別にヒリヒリもしないし、大丈夫なんじゃないかな。
ハルジオンとヒメジョオンには皮膚美白成分があり、個人により効果に差はあるが、メラニン色素を抑えて潤いのある肌に整えてくれる……のだけれども、私みたいな子供の肌だとあまり違いがわからんね。元からもちもちすべすべの潤い肌だからなあ。
お祖母様くらいの年齢ならそれなりに違いがわかるとは思うけど……。
チラリとお祖母様の方に視線を向けると、お祖母様はにっこりとした笑みを浮かべた。
「サクラリエル? 時に目は口ほどに物を言うから気をつけることね?」
「っ、はいぃぃ!」
ぬおおお!? 心を読まれてた! さすが一国の皇太后、油断できぬ!
私がその洞察力にビビっていると、当のお祖母様が私の手の上からひょいと化粧水の入ったスプレーボトルを取り上げた。
そしてプシュ、と私と同じように手の甲に吹きかけて馴染ませていく。
「これは……! こんなに変わるものなの……!?」
「え?」
お祖母様が自分の手の甲を見て驚いている。え? そんなに驚くほど?
お祖母様の手を覗き込むと、化粧水を塗り込んだところだけが艶々しっとりと光り輝いていた。触ってみると、その他の肌と明らかに質感が違う。まるでそこの部分だけ若返ったような肌だ。
ちょっと待って、これってただの野草化粧水だよ!? いくらなんでもそこまでの効果はないでしょう!?
「サクラちゃん……これって普通の効果なの?」
「いえ、私の知っている限りではここまでの効果はなかったかと……」
お母様の質問になんとかそう答える。
お母様たちにはこのレシピは育ててくれた薬師のお婆さんから教わった、ということにしてある。
どうして普通の化粧水がなんでこんな効果に……? まさかこの花ってハルジオンじゃない……?
同じような花だけど、異世界の花が地球と同じ効果を持つかはわからない。ハルジオンよりも強力な美白成分が入っていた、とか?
「……ひょっとしたら『促成の鉢』の効果かもしれません」
私が考え込んでいると、リオンがおずおずと口を開いた。『促成の鉢』の効果? あの魔導具にそんな効果が?
「『促成の鉢』は大気の魔力を使い、種を急成長させる魔導具です。稀にですが魔力を取り込み過ぎて変質する種があると、父上から聞いたことがあります。たぶんこの花もその一種だったのではないかと……」
んん? 魔力を取り込み過ぎて変質? 魔導具で急成長させたことによりスーパーハルジオンになってしまったということか?
「それでこの効果……これは使えるわね。貴族の令嬢、奥方がこぞって欲しがるわよ、これは……。偶然とはいえとんでもないものが手に入ったわ」
すべすべになった自分の手の甲をうっとりと眺めながら、お祖母様がそんなことを呟いた。ちょ、ちょっと待ってよ!?
「お祖母様!? これはフィルハーモニー家とトロイメライ家で共同開発する新商品なんですからね!? 皇室の横入りはダメですよ!?」
「あ、あら? いやね、そんなことはしませんよ。……でもこの特製化粧水は皇室にも回してもらえるんでしょう?」
バツが悪そうにお祖母様はそんなことを口にする。いや、そりゃ献上するのはやぶさかではないけどさ。
「どっちにしろ正式にトロイメライ家と契約を結んでからですね。リオンもそれでいいわよね?」
「あ、は、はい。父上も反対はしないと思います」
フィルハーモニー家は焼酎を提供し、トロイメライ家主導で化粧水を作る。『促成の鉢』を使って、ある程度の上級化粧水も作り、そちらは完全に貴族用として売る、と。
共同開発のブランドとして売ればかなりの収益を見込めると思う。
ちなみにホウセンカで作ったマニキュアの方も、これまた私の記憶にあるホウセンカのやつより赤くテカテカとしたやつになった。
これも『促成の鉢』の効果なんだろうか? ハルジオンよりはっきりとした凄さはないけども。
だけどヒメジョオンの方はほとんど変化が見られなかった。いや、普通に化粧水としては効果があるんだけれども。これはこれで売れると思う。素材と製法を秘匿すれば、フィルハーモニー領とトロイメライ領でしか販売できないわけだし。
しかしなあ……これが売れたからって領地に人が来るわけではないよね? まあ、観光地土産として売ればいいのかしら?
フィルハーモニー領に行ったらお土産は化粧水、となればいいのかな。
焼酎も私の『ギフト』頼りではなく、自力で生産できるようにしないといけないな。
蒸留器が必要だね。あ、ドワーフのバレイさんに作ってもらおうかな。魔剣鍛冶師なら簡単に作ってくれるかもしれない。新しい酒ができるとなれば間違いなく協力してくれるだろう。
上級化粧水でわいわいとはしゃいでいるお母様たちを見ながら、私はそんな構想を練っていた。