◇061 出発準備
シンフォニア皇国に夏がやってきた。
日本と同じく四季があるこの国では、夏は暑く、冬は寒い。
なにを当たり前のことを、と思うかもしれないが、エアコンや扇風機がそこらにある現代日本と比べると、なかなかにこの国の夏の暑さは厳しい。
本来、王宮でさえ氷の魔法使いが作った氷で涼を取るくらいしか方法がないのだが、今年は違っていた。
ドン! とばかりに広い城の中庭に設置された、カフェ&パティスリー、『ラヴィアンローズ』。
そしてそれに並列して設置された『伊達模型店』。
私の『ギフト』、【店舗召喚】で呼び出された店舗である。
『ラヴィアンローズ』の方には、お母様にお祖母様、そして皇后様が、『伊達模型店』の方にはお父様に皇王陛下、宰相さんなどの姿が見える。
遊んでいるわけではなくて、一応これ、仕事中なのだ。
私の店舗の中にはエアコンが効いている店舗がいくつかある。それを利用して、涼みながら公務を行おうという……大人たちのなんとも堕落した姿であった。わからんでもないけど。
模型店に設置された大きな作業用テーブルの上で皇王陛下と宰相さんたちが書類を次から次へと処理しているのが見える。
他国の使者との謁見もここでやりたい、みたいな話も出たらしいが、さすがに却下されたようだ。
皇王陛下やお母様たちだけじゃなくて、お付きのメイドさんや文官さん、護衛の騎士も何人か店内に入って涼んでいる。それを羨ましそうに外から城の内勤の方々が見ているという、城内でこの世の天国と地獄が形成されていた。
これも仕事、と店内の者は言うだろうが、まあ皇王陛下の方は公務だとしても、お母様たちの方は単に涼んでいるとしか思えない。
そんな中、私ことサクラリエル・ラ・フィルハーモニー公爵令嬢も、優雅にエアコンの効いた中で午後の紅茶を……なんてことはなく、家庭教師であるストラム老に出された課題をひいこらとこなしていた。
「まさか異世界に来てまで夏休みの宿題を出されるとは……」
正確に言うと『夏休みの宿題』ではなく、『夏休み前の宿題』であるのだが。
あと数日もすれば私たちフィルハーモニー公爵家は領地へと帰る。
その前に出された課題を終わらせておけ、ということなのだ。
あっちでやってもいいんじゃない? と提案したのだが、それでもいいが、向こうでやりたいことができなくなるよ? とお父様に返された。
それは困る。私はフィルハーモニーの領地で色々としたいことがたくさんあるのだ。
そのために、あえて苦難を乗り越えようと決めた。夏休み前に宿題を終わらせることを。
「頑張ってね、サクラちゃん」
「……目の前でケーキを食べられていると、すごい気が散るんですけど……」
娘が勉強してる横で優雅にケーキを食べる母親ってのはどうなのさ?
さして心のこもっていないエールを送ってきたお母様をじろりと睨む。くそう、美味しそうだなあ! これが終わったら私も食べよう。
「はぁ……。サクラリエルがフィルハーモニー領に行ってしまったらこの生活も終わりになるのね……。私もついて行っちゃおうかしら」
皇后様がとんでもないことを言い出す。私の【店舗召喚】は一日しかもたない。24時間経過してしまうと消えてしまうから、領地に帰っている間はこの城では涼むことができないのだ。
まさかエアコン惜しさにうちの領地まで来る気ですか……?
「あら、いいわね。私もそうしようかしら。久しぶりにハルモニアに行ってみたいわ。どうせならエリオットも連れていきましょうか。あの子もハルモニアは初めてでしょう?」
皇后様の提案に、よりにもよってお祖母様まで乗り気になりだした。え? エリオットも連れていくの!?
「サクラリエルはいまキッチンカーを何台呼び出せるの?」
「え、と……最大で十台、ですかね?」
「なら充分ね」
いやいやいや! 決定ですか、お祖母様!?
別にいいんだけど、エリオットもか……。
うーん……エリオットが来るとなると、間違いなくその側仕えであるジーンも来るよなぁ……。
攻略対象二人が揃って来るってのは、なんか嫌な予感がするんだよね……。私にとってあの二人って不吉の対象だからさぁ……。
いや、嫌っているわけじゃないんだよ? エリオットはいい子だし、ジーンも馬鹿だけどいい子だし。
ただ、何かのフラグを引き起こしそうで不安なのだ。
もうすでにあの二人の破滅フラグはへし折ったから杞憂だとは思うんだけれども、彼ら繋がりで他の攻略対象とも知り合いになりそうでさあ……。
『いわゆる貴女たちの言う『破滅ルート』。それはいろんな因果律と複雑に絡み合って、これからも貴女に襲いかかってくると思う』
創世の女神様に言われた言葉が脳裏をよぎる。破滅ルートはどこからやってくるかわからない。これが十年後のゲーム開始時ならまだわかりやすかったんだけれども……。
《小さき主よ、何があっても我が守るゆえ、心配は無用だ。安心するがよい》
「琥珀さん……」
創世の九女神に遣わされた、私の護衛獣で白虎である琥珀さんからそんなイケメンな念話が飛んでくる。
目の前でケーキにかぶりついていなきゃカッコいいセリフだったんだけどねぇ……。顔が生クリームまみれですぜ。
そんな私の気持ちを置いて、あちらでは本気でうちの領地に来る計画を立て始めている。
これはもう止めらんないな……。まさか皇王陛下まで来るなんてことはないと思うから、皇后様、お祖母様、エリオットにジーン、あとお付きの何人かだけだと思うけど……。
実は今回の帰郷にはエステルも誘っている。私が領地に戻れば、当然ながら側仕えのビアンカもついてくるわけで。『二人だけズルい!』とわけのわからん拗ね方をされたので、ご両親がOKならば、という前提で誘ったのだ。
なぜかエステルはエリオットを敵視しているからなあ。嫌いというわけじゃないと思うんだけど。なんだろう、ライバル、みたいな? なんのライバルなのかはわからないが。エリオットの方はまったく気がついてないっぽいけども。
エステルにビアンカ、エリオットにジーン、そして私。攻略対象二人に悪役令嬢二人。そして主人公と。
これだけ揃っていると、やっぱり不安だな……。たとえば、他の攻略対象にはエリオットやジーンの知り合いとか関係者もいる。その筋から変な破滅フラグが立たないか心配なのだ。
攻略対象やそのルートの悪役令嬢なんかと知り合うと、そのシナリオが加速する可能性がある。ビアンカのときなんかがまさにそれだ。
十年後に現れるはずの黒騎士が出現してしまった。ビアンカからジーン、そして魔剣ディスコードを持ったグロリアと繋がらなければ、あの事件は起こらなかったわけだし。
まあ、グロリアを放置していたら十年後にディスコードによる辻斬り事件が起きただろうから、その犠牲者を出さなかっただけ結果的にはよかったのかもしれないけど。
だからできるだけ攻略対象や他の悪役令嬢とはお知り合いになりたくない。
知り合いでなければ巻き込まれることもないからね。
だけど他の攻略対象たちが十年前にどこにいたなんてほとんどわからないしなあ……。
あーもう、考えるだけ無駄無駄。今は目の前の宿題を終わらせることだけを考えよう。そして終わった暁にはご褒美にケーキを食べるのだ。
私は新たな決意を胸に、再び課題の山と格闘を始めた。
◇ ◇ ◇
「ええー……皇太子殿下も来るんですかぁ……」
嫌そうに、ホント嫌そうにエステルがそう漏らした。
うん、主人公としてその顔はいろいろとNGだからやめようね?
昨日お母様たちが話し合って決まったことをエステルたちに話したら、こんな反応が返ってきた。
「ジーンも来るのか……。あいつがいるとうるさいから面倒ですね」
私の側仕えであるビアンカも眉根を寄せてため息をついている。
おっかしいなぁ。エステルもビアンカも攻略対象者たちに対して、なんか当たりがキツい。
この年ごろ特有の、『男子って子供っぽいよねー』という、あれかしら? 私も覚えがあるけども。
もともと生物学的には女子のほうが早く思春期を迎える。それでもだいたい九歳くらいからで、六歳っていうのは早すぎると思うんだが。
でもこの世界でその常識が通じるかわからないしなあ……。
なんせ十代前半で結婚とか普通にあるからね……。
この世界の成人はだいたい十五歳からだ。だいたい、というのはその家によってまちまちだからである。
貴族なんかだと社交界デビューがそれに当たる。デビューしていない子はまだ親の保護下にあって、デビューした子は一人前の貴族として扱われ、結婚もできる。まあ、貴族の場合は家同士の結びつきでもあるので、勝手に結婚はできなかったりするが。
もちろん、家を捨てる覚悟があるなら不可能ではないけれども。
「まあ、みんなで行ったほうが楽しいんじゃない?」
「そうですかぁ? 気心が知れた相手だけの方が楽しいと思いますけど……」
いやいや、エステル? ジーンはともかく皇太子殿下のことも気心が知れないって言ってる?
でも身分差とかを考えたら、エステルの言ってることはごく普通のことなのかな? 皇太子殿下と一緒に行動するなんて、なにか粗相をしたら……と、とても楽しめる気分にはならないかもしれない。
エステルがエリオットにそんな感情を持つかというと、ちょっと疑問なんだけれども。
「サクラリエル様、フィルハーモニー領というのはどういうところなんですか?」
「えーっと……ふ、風光明媚なところよ。貴族の別荘なんかもあってね、観光地として栄えているみた……栄えているの」
ビアンカからの質問に、昨日付け焼き刃で覚えた知識を語る。
私は今までずっと領地にいたという話になっているので、ボロが出ないようにしなくてはいけない。
「と、いっても、私は領地の外れの療養所にいたからそこまで詳しくはないの。だから領都に行けるのが楽しみで」
「そうだったんですか……」
ビアンカがなんと言ったらいいのかわからないような顔をしている。
うう、ごめんよう。私が領都のお屋敷にいたってことになると、いろいろ辻褄が合わなくなるってことで、新しく加わった設定なんだ。
私は領都のお屋敷とは別の、領地外れの療養所で暮らしていた。だから向こうの使用人たちも私のことは三歳以降は詳しくは知らない、ってこと。
お父様に代わって領地を治める代官であり、お屋敷の家令である人を含めた数人だけは、私の誘拐事件を知っているらしいけど。
なんでも私が攫われた時にもお父様たちと一緒にいたそうで。何かあればフォローはしてくれるはずだ。
「それなら領都をみんなで回ってみるのも楽しいかもしれませんね! 余計なおまけも付いてきますでしょうけど……」
「うむ、そうだな! 古都と呼ばれるハルモニアをサクラリエル様やエステルと巡るのは楽しそうだ。余計なおまけは付いてくるだろうが……」
エステルとビアンカがそんなふうに楽しそうに話し合っている。
いやあんたたち、『余計なおまけも』って、それ皇太子殿下とジーンのことだよね? 不敬罪になるよ?
まあ私も攻略対象が一緒なのは、めんどくさいとか、不吉だとか思ったけれども!
だけどそれを差し引いても、私も領地に行くのが楽しみだ。
いずれ私が継ぐかもしれない土地だ。今のうちに問題点とか改良すべき点とか、よく検分することにしよう。
古都ハルモニア。いったいどんな都なんだろう。
私は期待に胸躍らせながら、友達二人と向こうでの予定を立てていった。




