◇006 皇室の人々
突然やってきた祖父のアインザッツ辺境伯は、私を見るなりその場で土下座をし、謝罪を始めた。
三年前、私が誘拐された直接の原因は、お祖父様のところで雇っていたメイドの犯行だ。
メイドは昼寝をしていて一人だった私を起こし、お母様が呼んでいると庭へ行くように仕向けた。そして情夫である男を手引きして庭へと侵入させ、私を攫ったのである。
私がいなくなったことで屋敷の中はパニックになったらしい。やがて逃げ出そうとしていたメイドの不審な行動が他の使用人から明らかになり、問い詰められて、全てを吐いた。
そこからは以前ターニャさんから聞いた通りである。犯人の男はすでに死んでおり、私の消息はプツリと途切れた。
名前と髪の色(この世界では私のような髪の色はそこそこいるらしい)、そして腕のアザだけを手がかりにお祖父様は領内を探し回ったが見つからなかった。
まあ、その時はすでに外国にいたからねぇ……。
「辛かったろう、苦しかったろう……! 恨むならワシを恨んでくれ。ずっと助けに行けず、本当にすまない……!」
「あの、幸か不幸か三歳前の記憶がなかったので、さほど辛くも苦しくもなかったです。申し訳ありませんが、お祖父様のこともまったく覚えてないので、恨みようがないというか……」
半分は嘘だ。
お祖父様のことはまったく記憶にないし、悪いのはメイドであるから恨むのは筋違いである。これは本当。
でも辛くも苦しくもなかったというのは嘘で、現代日本の記憶が甦った私にとって、貧民街での環境はかなりキツかった。一年もしたらそれなりに慣れてしまったけれども。
「とにかく悪いと思うのなら立って下さい。お祖父様にそのようなことをされると、逆に私は悲しくなります」
「む……。そ、そうか……」
やっとお祖父様は顔を上げ、立ち上がった。
白髪に同じく白い口髭と顎髭。年齢は五十代前半ほどか。どっちかというと強面の方だ。
歳の割には筋肉がついた体付きをしている。身長も高い。お父様より高いな。いかにも『武人』といった雰囲気を醸し出しているが、涙と鼻水でグチャグチャの顔がそれをぶち壊していた。
「お父様、これを」
「ああ、すまん」
お母様がお祖父様にタオルを差し出す。お祖父様はそれで顔を拭ったが、目だけは真っ赤になったままだった。
「私はお祖父様を恨みに思ってはいませんし、謝罪をされても困ります。なのでこれ以上、このことに関しては受け付けませんので」
「むう……。そう言われてしまうと……」
「義父上。サクラリエルもこう言っております。もう自分を責めることはおやめ下さい」
まだ渋るお祖父様にお父様が諭すように声をかける。
ずいぶんと私に負い目を感じているようだが、お父様の言う通り、自分を責めるようなことはやめてほしい。こっちが疲れる。
「そ、そうか……そうだな。あっ、陛下にはもちろんサクラリエルのことは伝えてあるのでしょうな?」
「もちろんです。あちらもこちらも忙しくてまだ登城してませんが、明日にでも娘を連れてご挨拶に伺ってこようと思います」
げっ!? 王様に会いに行くの!?
私はお父様の言葉に内心パニックになりかけていた。
王様に会うのはかまわない。問題はその息子の方だ。
『スターライト・シンフォニー』の攻略対象で、私たちが住むこの国、シンフォニア皇国の皇太子である、エリオット・リ・シンフォニア。
ゲーム内では私の婚約者であった。エリオットは私に関心などなく、決められた婚約者だからと惰性で受け入れていた。そこにヒロインが現れ、交流を深めていき、いつしか真の愛に目覚め……てな感じが大体のストーリーの流れ。
性格は悪くない。男女構わず優しいし、学校の成績も文武両道でトップクラスだった。だが、皇太子という立場に息苦しさも感じている。もっと自分らしくしたいと思いつつも皇太子の立場を第一に考えてしまう苦労人だ。たぶん、サクラリエルとの婚約をなかなか解消しなかったのはそのためだと思われる。
普通にプレイしていれば、だいたいはエリオットルートへと進む。そこからトゥルーやグッドやバッドと、エンディングはいろいろあるのだが、どれもこれもサクラリエルが破滅するエンドになるんだよね……。一番マシなのは国外追放か?
どちらにしろ、ヒロインがエリオットルートに入っても、私が婚約者でなければヒロインとの対立は起きない……はず。
一度婚約者になってしまうと、臣下の公爵家から婚約破棄は難しくなってしまう。相手の恥になるからだ。それなら初めから断れ、という話になる。向こうだってあからさまに権力で婚約者になれ、というのは外聞が悪いからね。
だから婚約者になることだけはなんとしても避けなければ。
「陛下の息子であるエリオット皇太子様とサクラちゃんは同い年だからきっと仲良くなれるわね」
「あー……お母様? 私はあまり同い年には興味はありませんの。男性はやはり頼れる年上の方が魅力的だと思いませんか?」
「あら。なかなか厳しいご意見ね。でも会ってみたらわからないわよ?」
それがわかるんだよ、お母様。皇太子は私のタイプじゃない。年上の方が好みってのは本当だからさ。
まったくダメってわけじゃないけど、破滅フラグがある以上はお近づきにはなりたくない。
「ふむ。実はワシも明日登城するのだ。男爵に叙爵される者を陛下に謁見させねばならなくてな」
「ああ、例の汚職でポストが空いた領地の……」
お祖父様とお父様が難しい話を始めたので、私はお母様と駄菓子でおやつにすることにした。
最近はすっかりお母様も【店舗召喚】の商品に慣れて、好みとそうじゃないものがはっきりしていた。
アイスやチョコ、カステラ系などはかなり好きなようだ。反対に、ガムや酢イカ、おつまみ系はあまり好きではないらしい。
「そういえば、陛下にも持っていった方がいいんでしょうか? 駄菓子……」
「そうね、陛下はともかく、皇后様と皇太后様には喜ばれると思うわ。お茶会にも使えるし。皇太后様にはあなたが持っていくんですよ? あなたのお祖母様なのですから」
忘れてた。そうか、そうなるのか。お父様が皇王様の弟なら、皇太后様は私のお祖母様になる。
アナスタシア・ラ・シンフォニア皇太后。私とエリオット皇太子の祖母になる。
ゲームでは未登場のキャラだけど、気さくで優しい方らしい。私の誘拐事件の時も、酷く心配されたとか。なんか申し訳ないな……。
あの時、誘拐犯のところから私が逃げ出さなければ、あっさりと犯人は捕まり、一日二日でサクラリエルは救助されてたかもしれないのに。
そういえばゲームでのサクラリエルは平民を見下す選民思想寄りのキャラだった。あの誘拐事件がきっかけで性格がねじ曲がったとか?
まさかとは思うが、この両親を見てるとなんであんな意地悪な悪役令嬢に育ったのか謎なんだよねえ。ベタベタに甘やかして我儘になってしまった、という説もなくはないが。誘拐事件のことがあって、娘に強く出られなくなってしまったのかな?
益体もないことを考えながら駄菓子をつまんでいると、お父様がお祖父様にサイダーを勧めていた。あ、お祖父様が一口飲んですごく驚いてる。お父様ってちょっといたずら好きなところがあるよね。
炭酸飲料も持っていった方がいいかなあ。サイダーならともかく、コーラは黒いから忌避されるかもしれないな。
私はお城へ持っていくお土産を考えながら、コップに注がれたコーラを飲んだ。
◇ ◇ ◇
デカい。遠くから見ても大きいと思ったが、近くで見るとよりデカい。
お城の城門を馬車でくぐり、馬車から降りた私は馬鹿みたいに大きな白亜のお城を見上げていた。
いや、超高層マンションとかに比べたら低いけどさ。それでもやっぱり迫力があるよね。
馬車から降りた私はお父様とお母様に連れられて、ふっかふかの赤絨毯の上を進む。
私たちと一緒に護衛として、ターニャさんとユアンの騎士コンビが同行する。お城に護衛が必要か? と思ったが、一応念のためだとか。まあ私、お祖父様のお屋敷から誘拐された前歴があるからね……。
しかし、そこかしこに高そうな壺とか絵とかが飾ってあるなあ。触って壊さないようにしよ……。
「陛下たちは庭園でお待ちになられております。どうぞこちらへ」
案内にやってきた身なりのいいお爺さんの後に私たちはついていく。てっきり『謁見の間』みたいなところで会うのかと思った。
ぼそっとそんなことを口にすると、お父様が笑いながら答えてくれた。
「今回は公式なものではないからね。身内の集まりってとこさ。だから固くならなくてもいいからね」
身内。なるほど身内か。確かに。
廊下から中庭のような場所に出て、緑豊かな中を進むと、すぐに開けた場所に出た。
様々な花々が咲き誇る庭園の中心には大きなガゼボ(四阿)があり、そこには三人の男女と一人の少年が椅子に腰かけてお茶をしていた。
見覚えがあるのは二人。シンフォニア皇国皇王である、ウィンダム・リ・シンフォニア、そして子供の姿ではあるが、その息子、皇太子であるエリオット・リ・シンフォニアである。
攻略対象であるエリオットはもちろん、この王様もちらっとだがルートによってはゲーム内で顔を出す。婚約破棄のシーンでここぞとばかりに出てきて、私に国外追放を命じるのだ。仮にも姪になんてことすんのよ。いや、姪だったからこそ許せなかったのかもしれないが。
残る二人はおそらく皇太后様と皇后様だろう。皇太后様は私のお祖母様だが、それでも四十手前に見える。実際の年齢はわからないけれど、ずいぶんと若く見えるなあ。
「お久しぶりです、兄上。義姉上、母上もお変わりなく。エリオット皇太子もお元気そうでなにより」
「おお、待っていたぞ。その子が……サクラリエルか。大きくなったな」
お父様への挨拶もそこそこに、皇王陛下は私へとすぐに視線を向ける。お父様と同じ金髪で翡翠色の目をしている。
歳は三十超えたくらい? もっと若いかな? 口髭を生やしているので少し老けて見えるのかもしれない。
エリオット皇太子を除き、陛下たちには事情は知らせてある。表向き、私は病気療養から戻ってきたということになっているのだ。私も習ったばかりのカーテシーで陛下へと一礼を返す。
「ご無沙汰(まったく記憶にないが)しております、陛下。サクラリエル・ラ・フィルハーモニー、この度また王都へと戻って参りました。どうぞよろしくお願い致します」
「ああ、いい、いい。堅苦しいことは無しだ。もっと砕けて構わんよ」
皇王陛下は微笑みながら手を振った。ずいぶんとフレンドリーな王様のようだ。ゲームじゃ性格まではよくわからなかったからなあ。
顔を上げると、おもむろに立ち上がった皇太后様……お祖母様が、私の元へと近寄り、そのままぎゅっと抱き締められた。おおう?
「よくぞ戻ってきましたね、サクラリエル……。ああ、神々に感謝を……」
お祖母様は少し震えていた。泣いてる? 誘拐されて行方不明だった孫娘が戻ってくればこうもなるか。
私は、なんでもないですよ、と平気な顔をしてお祖母様に笑顔を向ける。
「お祖母様。私、お土産を持って参りましたの。一緒に食べましょう?」
「ええ、ええ。楽しみだわ」
お祖母様は涙に濡れた目で同じように微笑んでくれた。