◇057 創世の女神
「あ、目が覚めた」
「はえ?」
目覚めると知らない女の人がこちらを覗き込んでいた。
お母様のような……つまりは私と同じような薄桜色の長い髪をした女の人だ。
あまり感情が読めない表情のその女の人は、小さくため息をついて私から離れていく。
むく、と起き上がるとそこはとても綺麗な庭園であった。
公爵家の庭園も綺麗だけど、ここの庭園は格が違う。様々な花が百花繚乱に咲き乱れ、光り輝いているのだ。
立ち上がると空はどこまでも突き抜けるような青空で、心地よい風が吹いている。
……のに、庭園のその先は真っ白な雲のようなものが広がっていて、まるで雲の上に浮かんでいるように見える。
あれ? 私、ひょっとして死んだ……? ここって天国とか……。
「いえいえ、死んでませんよ。ちょっと意識だけこちらにお呼びしただけですから」
不意に耳に届けられた声に振り向くと、白い大きなガーデンテーブルを囲んで、お茶会をしている女の人が二人いた。
一人は先ほど私を覗き込んでいた私と同じ髪色の女の人。もう一人は銀髪でショートボブにヘアバンドを付けた優しそうな女の人だ。
「まあとにかく席について下さいな。いまお茶を淹れますから」
「は、はあ……」
ショートボブの女性に言われるがまま、私はガーデンテーブルの空いている席に着いた。
するとどこからともなくポットとティーセットが現れ、ふよふよと宙に浮かんだまま、まるで透明人間が淹れましたと言わんばかりにカップの中にお茶が注がれていく。魔法? それともなにかの『ギフト』かな?
「いえ、魔法でも『ギフト』でもありませんよ」
「……あの、さっきからひょっとして私の心の中を読んでます?」
「あ、いけない。ついうっかり。地上の人と話すのはしばらくぶりなので……」
そう言ってショートボブの女性が照れ笑いを浮かべる。ん? 地上の人?
「ここは貴女のいた世界より上の世界、『天界』と呼ばれるところ。そこにある私たちのプライベートな空間である『庭園』です」
「天界……って、やっぱり天国!?」
「んー……。まあ、間違いではないかも。あ、でも貴女は死んでませんからね? ちょっとお話できないかな、と思って、精神だけこっちに呼んだのです」
精神だけ呼んだって……! 天国にいてそんなことができる存在って、まさか……神様!?
「えーっと、まあ、そうです。成り立ての新神ですけども。私の名前はリンゼ……いえ、そちらの世界ではリンゼヴェール、でしたか。で、こっちの子は桜……えっとサクラクレリア、です」
「ん。よろしく。桜って呼んでいーよ?」
リンゼヴェール様にサクラクレリア様!? そ、創世の女神のお二人じゃない! な、なんでそんな女神様たちが私を!?
「何から話したらいいのか……。えっとね、サクラちゃん?」
「なに?」
私じゃなくサクラクレリア様がリンゼヴェール様に振り向いた。
「違う違う、桜ちゃんじゃなくて、こっちの小さいサクラちゃん」
「むう」
すみません。まぎらわしくて……! なにせ貴女の名前から取られたものですから!
苦笑しながらリンゼヴェール様が私に向けて尋ねてくる。
「サクラちゃん、前世の記憶があるでしょう? もとは地球の女の子よね?」
「はっ、はい! そうです! ひょっとして私がこの世界に転生したのって、お二人が……!」
「いいえ、違うわ。事故で亡くなった貴女の魂がこの世界に紛れ込んでしまったのはまったくの偶然なの。いえ、その可能性を考えていなかった私たちのミスとも言えるんだけど……」
少し困ったような表情を浮かべるリンゼヴェール様に対し、サクラクレリア様は表情をあまり変えることなく、ケーキスタンドからぱくぱくとお菓子を摘んでいた。なんというか子供っぽい人だなぁ……。
そんなことを考えてたら、サクラクレリア様にじろりと睨まれた。
「子供っぽくない。こう見えて旦那様も子供もいる」
「あ、すみません……」
また心を読まれた……。あまり余計なことを考えないようにしとこう。
それよりも私がもともと地球の人間だって知ってるのなら聞きたいことがある。
「あの、私たちの住んでる世界って、ゲームの……『スターライト・シンフォニー』の世界なんですか?」
「やっぱりそこが気になるよねえ。結論から言うと、そうでもあり、そうでもない……としか答えられないかなあ」
「そうでもあり、そうでもない……?」
「『ゲームの中』ではないの。間違いなくいま貴女の生きている世界は、かつて貴女の住んでいた地球とは違う、一つの異世界。地球で発売された『スターライト・シンフォニー』というゲームはこの異世界をもとに作られたゲームなのよ」
「だけど、この世界を私たちは地球もひとつの参考にして作った。そこがややこしい」
この世界をもとに『スターライト・シンフォニー』が作られた……? え? どういうこと?
それに地球を参考に作ったって……?
「私たちの仲間にユミナ……ユミナリアって子がいるんだけどね」
「あ、はい、知ってます。授業で習いました」
未来を見通すという審判の女神、ユミナリア様。九女神のリーダーとも言われている女神様だ。
「私たち九人でこの世界を作ったときに、どんな未来になるのかなって、ちょっと彼女の力で未来を覗き見てみたの。そこで見たのが『学院』で繰り広げられるロマンスあり冒険ありの面白い群像劇で……」
「え……それって『スターライト・シンフォニー』の……?」
「そう。貴女たちのいう『エリオットルート』だったわ」
リンゼヴェール様の話を要約するとこうである。
未来を見て『エリオットルート』を堪能した女神様たちは、これ、分岐次第でいろんな展開になるんじゃない? そっちも見てみたいよね! とリンゼヴェール様の力で運命の分岐をシミュレーションし、『ジーンルート』やその他の攻略対象のルートを未来視で楽しんだ。
未来はあくまでも不確定らしいので、このうちどれが本当の未来になるのか女神様たちにもわからなかったという。
でも他のルートも素晴らしく、この物語が無くなってしまうのはもったいないと感じた女神様たちは、地球にいる知り合いにそのお話をしたんだそうだ。
「ち、地球に知り合いがいるんですか?」
「うん、知り合いっていうか……義理のいもう……まあ、それはいいんだけど、その人がゲーム会社で働いていたから、私たちから聞いた話を会社に持ちかけてね。そしてできあがったのが……」
「『スターライト・シンフォニー』……」
なんてことだ。あのゲームはこの世界の、これから起こる予言書みたいなものだったのか。
「基本的に私たち神族は地上に大きく影響を及ぼす直接的な行為を禁じられているの。だからこの世界であのお話がどういうルートを辿るか、ただ静かに見守るつもりだったんだけど……」
「そこに予定外の因子が割り込んだ」
ぴっ、とケーキフォークでサクラクレリア様が私を指す。うっ、やっぱりバグ扱い? 消される……?
「大丈夫、消すなんてしないから安心して。転生者だとしても貴女もあの世界に生きる一人の人間なんだから」
「でも私、エリオットルートとか潰してますし……」
「それは仕方ないわ。歴史はその世界の人間が作っていくものなのだから。神々の予想が外れたってだけで、貴女にはなんの責任もありません」
リンゼヴェール様のお言葉に私は心底ホッとした。自由にしていいってお墨付きを女神様からもらったぞ! これで無罪放免! やったー!
「喜ぶのはまだ早い」
「え……?」
喜ぶ私にサクラクレリア様がケーキをパクつきながら不穏な言葉を放つ。
「小さいサクラちゃんはゲーム……未来視の世界では悪役令嬢だったでしょう? それも筆頭格の。つまりものすごい不運に見舞われる可能性がかなり高いの。いわゆる貴女たちの言う『破滅ルート』。それはいろんな因果律と複雑に絡み合って、これからも貴女に襲いかかってくると思う」
「やっぱり────っ!?」
サクラリエルの破滅ルートはいくつもある。シリーズを通して細かい差異も合わせれば、おそらく三十以上……! 軽いものなら国外追放や平民落ち、修道院送り。当然最悪は死だ。
その死に方だって、処刑や獄死、暗殺に毒殺、と多岐に渡る。『3』でなんて、その作品に登場してないのに墓場に墓碑銘が刻まれてたりするからね! スタッフの悪意を感じる。
いや、スタッフのせいじゃなくて、あれはこれから起こる未来の一つなのか。
……未来なんだよね? 本当にスタッフの悪ノリだったりしない? というかゲームに女神様が見た未来と、スタッフの悪ノリで作ったものがどっちも入ってたら、有り得ない未来に私が勝手にビビっている可能性もある?
ゲーム制作陣め! 余計なことをすんな!
「貴女は運命を切り拓いた。少なくともエリオットとジーンの二人が絡む破滅ルートはもうないわ。細かいトラブルはあるかもだけど。これからも頑張って運命を乗り越えてほしいの。それが私たちの願い」
それってどんどん破滅ルートを潰していけってことですよね……? 何気にキツいこと言ってますよ? 『スターライト・シンフォニー』って、本編外伝全部含めてシリーズいくつあるか知ってます?
だけどなんでそんなに応援してくれるんだろう。私がこの世界に紛れ込んでしまったのは偶然だって言ってたし、贖罪ってわけじゃないんだろうけど。
「そうね、贖罪というわけじゃないんだけれど、私たち何度も何度もそれぞれのルートを見たから……」
「あまりにもサクラリエルが酷い目に遭うものだから、ちょっと同情?」
ああ……。なんとなくわかる。私もほぼ全ルート見たからね……。ゲーム内ではサクラリエルは悪人だけど、ああも酷い扱いされるとちょっと可哀想になるよね……。
「でも貴女がサクラリエルとして転生したおかげでだいぶ未来が変わったの。この時間軸ではサクラリエルは悪役令嬢じゃない。なら、彼女が報われる未来があってもいいんじゃないかって」
「報われ……ますかね?」
「私たちは報われてほしいと思ってるわ」
ううむ、私だってバッドエンドは嫌だ。なんとかそれは回避したい。
結局破滅ルートを地道に潰していくしかないのか。女神様のご期待に添えるかどうかわからないが、やるしかない。平穏な生活のために。
というか、なにか助言とかサポートアイテムとか、もらえないもんですかね?
「私たちは直接手を貸すことができないけれど、少しだけ貴女の『ギフト』に合わせた加護……特殊な追加能力を与えてあげるわ。役に立つかわからないけど、ないよりはマシだから」
「あと一応護衛もつけとく。細かいことはその子に聞いて」
「加護? それに護衛って……」
不意に私を微睡むような感覚が襲い、逆らい難い睡魔によって意識が薄れていく。あれ? ひょっとして時間切れ……?
「頑張ってね、小さなサクラちゃん」
「またね」
女神様たちの声を聞きながら私はそのまま意識を手放した。