◇053 乾坤一擲
■良いお年を。
「ビアンカ!」
私は黒い鞭で吹き飛ばされたビアンカを見て、思わず立ち上がり叫んでしまった。
隣のエステルも青ざめた顔で口を覆っている。
吹き飛ばされたビアンカは、ギリギリ試合場の端で止まり、場外負けにはならないで済んだようだが、倒れたまま動かない。
審判の騎士が駆け寄ろうとしたとき、ビアンカがよろめきながらも立ち上がり、剣を構えた。どうやら大丈夫のようだ。私はホッと胸を撫で下ろす。
「今の攻撃はなに!? あれもディスコードの力なの!?」
私は横にいた、おそらくこの中で一番あの剣に詳しいバレイさんに声を荒らげて問いただす。あんな形態はゲームじゃ出てこなかった。
「アレがディスコードの本当の姿だ。奪い取った他人の力を使い、その持ち主に一番相応しい武器へと姿を変える。魔剣にして魔剣に非ず。それが馬鹿弟子がこの世に残した呪いの邪剣よ」
バレイさんが吐き捨てるようにつぶやいてウイスキーのグラスを呷る。
その持ち主に相応しい形に? ゲーム内での辻斬り騎士は、それがたまたま剣の形だったってこと?
私はその横で試合を眺める総長さんにも意見を求めた。
「あれってルール違反にはならないんですか?」
「あれも魔剣の力だというのなら、問題はありません。もちろん命に関わるようなものなら試合を止めますが、ビアンカの様子を見る限り、きちんと結界の効果は出ている。おそらく試合続行でしょうな」
その総長さんの言葉を裏付けるように、審判の騎士が試合続行を宣言した。
結界は確かに身体のダメージをある程度軽減してくれるかもしれないが、それ以上のダメージや衝撃までは止められない。
切り傷や擦り傷ができなくたって、打ちどころが悪ければ骨折や、下手すれば死ぬ可能性だってあるかもしれないじゃないか。
それに次にまた同じような攻撃を食らったら、今度こそビアンカは場外負けになってしまう。
遠距離から何メートルも伸びてくる鞭の攻撃に、ビアンカは逃げるのが精一杯のようだった。接近しようとすると、近寄らせるかとばかりに鞭が飛んでくる。
ビアンカの攻撃は届かず、グロリアは攻撃し放題。ビアンカが圧倒的に不利な、一方的な試合だ。
ビアンカが【二重奏】を使い、二手に分かれて接近しようとするが、長い鞭は攻撃範囲が広く、どちらも阻まれてしまった。
まるで鞭の結界だ。何人も近寄らせず、敵を打ち据える。遠距離から攻撃する術を持たないビアンカには最悪の武器とも言える。
「あの鞭を斬ることはできないのでしょうか?」
「難しいな。あんな形をしているが、あれは魔剣の変化した姿だ。おいそれと斬れる物じゃねぇよ」
エステルの呟きにバレイさんが答える。普通の革でできた鞭なら斬ることもできたかもしれないが、あんな形でも魔剣らしい。
事実、襲いくる鞭をビアンカが打ち払うたびに試合場には金属音が響いていた。
「これじゃあ、ビアンカは手も足も出ないじゃない……!」
「さて、それはどうかな……」
そんな私の悲痛な声にバレイさんがぼそりと呟いた。
◇ ◇ ◇
速い。
黒い鞭があらゆる方向から飛んでくる。その速さは『剣閃』と呼ばれたユリア先生に匹敵するほどの速さに思えた。
先ほど私を吹き飛ばした攻撃とは違う、軽いが速い剣だ。
重さはないから、注意していればなんとか剣で凌ぐことはできる。だけどこのままでは私の体力がもたない。
「なんとか近づかないと……!」
鞭を掻い潜りグロリアに接近しようとしても、引き戻した鞭が再び襲ってくる。どうしても接近できない。
唯一の救いはあの状態では【透過無色】が使えないらしいということだ。おそらく魔力のほとんどを鞭に使っているのだろう。
ひょっとしてずっと逃げまくっていればグロリアの魔力が尽きて、チャンスが巡ってくるかも……いや、それはどう考えても私の方が不利だ。向こうは攻撃を切り替えて、重い一撃を一発当てるだけで私は場外へと吹き飛んでしまうのだから。
あちらの魔力の尽きる前に私の体力が無くなり、避けることができなくなるだろう。
「そらそらそら! 逃げるだけで精一杯のようですわね! それがいつまで続くか見ものですわ!」
くっ、見抜かれている。
グロリアは悦に浸るような笑みを浮かべ、私に鞭を振るい続ける。
私の体力が尽きるまでいたぶるつもりなのだ。手も足も出ないこの状況を続け、私の心を折ろうとしている。
あの『試練の魔剣』を受ける前ならとっくに折れていたかもしれない。
だけど私には負けられない理由がある。どんなに苦しくても、もう限界だと思っても、最後の最後まで絶対に諦めないと心に決めた。
倒れるその瞬間まで勝つために足掻き続けてやる。
私はグロリアの動きを読み、鞭の来る方向を察知してそれを躱し続けた。
すでに足は悲鳴を上げている。だけど歯を食いしばり、それでも鞭を避け続けていると、グロリアの顔から余裕が消えていった。向こうもだんだんと限界に近づいているのだろう。まだ勝負はわからない……!
「その目……気に入りませんわ……! さっさと諦めればよろしいのに……!」
「負けるわけにはいかない……! 特訓してくれたユリア先生、励ましてくれたエステル、頑張れと送り出してくれた公爵家の方々のために……! そして私を信じ、この魔剣を授けてくれたサクラリエル様のためにも……! 私は……あの方の騎士になる!」
「ごちゃごちゃとうるさいですわ! いい加減に吹っ飛びなさい!」
グロリアの黒鞭が今までにない速さで飛んできた。さっき私を吹き飛ばした重い一撃。これは躱せない……! そう思ったのだが、途中から鞭の動きがだんだんと遅くなり、まるで水の中にいるかのようなゆっくりとした動きになった。
その現象に驚きつつも、これなら躱せる、と思い、身体を動かして鞭を避けようとしたのだが、私の身体もゆっくりとしか動かすことができなかった。
全ての動きがゆっくりと流れる中で、私の思考だけが普通に働いている。
いや、これは逆なのか。私の思考がいつもより速いせいで、全ての動きが遅く感じるのか?
私は襲い来る鞭を後ろへと移動することでギリギリ躱すことに成功した。鞭の先が目の前数ミリのところを通過していく。
その瞬間、全ての時の流れが元に戻った。ドッと全身に疲労感が襲ってきて、魔力がごっそりと奪われているのに気がつく。
目の前には驚いた顔をしたグロリアがいる。彼女から見ても今のは躱せないと思ったのだろう。
私は手の中にあるアンサンブルを見た。
今の力はアンサンブルの能力の一つだという確信があったからだ。
バルクブレイ様はアンサンブルを時空属性の魔剣だと言った。
時空……つまり時と空間。
さっきの現象は私の思考をアンサンブルが『加速』させたのではないだろうか。
しかしながら、これは【二重奏】よりも魔力と体力を消耗する。今の私にはできてあと一回が限度だろう。
この力を使い、鞭を避けたところでグロリアに勝てるわけではない。あの鞭をどうにかしなければ私の負けなのだ。
ならいっそのこと……!
「くっ! おかしな動きを……!」
再び鞭が振るわれる。今度は意図的に思考を加速させた。
前回と同じく鞭がゆっくりと迫るのが見える。ここだ! ここで────。
「【二重奏】!」
アンサンブルの力で二人になった私、そのうちの一人がゆっくりと迫る鞭に真正面から向かっていく。
向かっていった方の私の脇腹に黒い鞭が迫る。鞭が身体に届くよりも先に、そのもう一人の私はアンサンブルを手放し、脇腹に迫る鞭をタイミングよく両手でしっかりと掴んだ。
次の瞬間、脇腹に激痛が走り、鞭を押さえた私が床に叩きつけられた。
ゴロゴロと床石の上を転がった私と痛みが共有される。
転がりながらも鞭を受けた私は掴んだその手を離さない。
残った私にも全身に軋むような痛みが走った。スキンバリアのお陰で怪我はしていないが、衝撃の痛みは共有して伝わっている。本当ならば手が切り裂け、内臓も破裂していたかもしれない。
「くっ! 放しなさい!」
「死んでも……放すか……!」
グロリアが鞭を引き戻そうとするが、抱え込むようにしたもう一人の私がそれを逃さない。
歯を食いしばり、伝わってくる痛みに耐えた私は全力でグロリアへ向けて駆け出した。
鞭を封じられているグロリアには何もできない。
もう次はない。魔力も体力も限界の私は、文字通り身を犠牲にして鞭を止めた。
分体が消える前に、私の全力の一撃を叩き込む!
「やああぁぁぁぁッ!」
「ひっ!?」
乾坤一擲の一撃がグロリアの胴を薙ぐ。
と、同時に私の足が限界を超え、膝からガクンと落ちる。足がもつれ、そのままの勢いで前のめりに倒れた。
ゴロゴロと床石の上を転がり、全身に痛みが走る。
脇腹が痛み、鞭を掴んだろう手も本来ならばズタズタなのだろう。全身で痛みのないところなどなかった。
足はガクガクだし、手は震えている。目はぼやけて前がよく見えない。
それでも立たねば。立って戦わねば。サクラリエル様の騎士として、最後まで立たねば!
動け! 私の足! 限界の一つや二つ、笑って超えてみせろ!
痺れるような感覚を足に残したまま、アンサンブルを杖のようにしてどうにか立ち上がる。
ぼんやりと目が霞む中、振り向くとそこにグロリアの姿はなかった。
「……え?」
視線を下げると倒れたまま動かないグロリアがいる。白目を剥き、完全に気絶しているのがわかった。
『勝者、ビアンカ・ラチア・セレナーデ!』
審判の騎士が高々と手を挙げて私の名を告げる。
「え?」
意味がわからず、あたりを見回すと、観客席から歓声と拍手の雨が降ってきた。
勝っ、た……?
勝ったのか、私は? グロリアに?
「やった! 勝ったわ! おめでとう、ビアンカ! おめでとう!」
「おめ、おめでどう、ビアンガざん~!」
満身創痍の私が呆然としていると、特等席からサクラリエル様とエステルの声が聞こえてきて、その時になって初めてグロリアに勝ったのだという実感が湧いてきた。
勝ったのだ。魔剣を使い、対等な戦いで勝った。サクラリエル様の言葉が正しかったと証明できた。それが何よりも嬉しく、誇らしい。
全身に痛みはあったが、私はアンサンブルを高々と掲げ、観客席から送られる万雷の拍手に応えた。