◇043 内なる影
気がつくと私は暗い闇の中にいた。手には先ほどまで振っていた魔剣ではなく、グロリアに折られてしまった愛用のショートソードが握られている。元通りに直っているな。そうか、ここが心の中か。
このショートソードは誕生日に父上に買ってもらったものだ。女の子に剣なんて、と母上はあまり良い顔をしなかったけれども、私はとても嬉しかった。
それから暇さえあればこの剣を振っていた。自分の手足のように操れるように。
騎士になりたいと思ったのはいつからだったろう。父上や兄上の姿を見て、かっこいいと憧れたのが始まりだったと思う。
絶対に父上と同じような騎士になってみせると心に誓い、訓練に訓練を重ね、なんとか従卒になることができた。
嬉しかったな。私の夢がひとつ叶ったような気がした。
しかし実際にはまだ階段の一段目を登ったに過ぎなかった。
同じ従卒でも私より強い者は何人もいた。ジーンにその姉であるセシル、そしてグロリア……いや、グロリアは私より強いとは思っていない。あいつは魔剣のおかげで勝てたのだ。実力なら負けてはいない……はずだ。
ジーンやセシルたちは天才だ。才能の塊。覚えが早く、生まれつきの感性だけで剣を振るっていても強い。そこに努力も加わるのだから勝てるわけがない。
私には努力しかない。ひたすら強くなるために愚直に剣を振るしかないのだ。
そんな私の前にあの人が現れた。
天から授けられた【聖剣】を持つ、皇王陛下の姪にして公爵令嬢、サクラリエル・ラ・フィルハーモニー様。
皇国の騎士たちが敵わなかった暗黒竜を一太刀で斬り伏せた『聖剣の姫君』。
私はその姿に魅せられた。その剣の強さにではない。お世辞にもサクラリエル様の剣の腕はあまり褒められたものではない。
私が惹かれたのはその勇気にだ。
恥ずかしい話だが、暗黒竜が現れたとき、私は足がすくんで動けなかった。民を守る騎士を目指す私が誰も助けられなかったのだ。
それは仕方がない。私だって子供なのだ。隣にいたセシルだって何もできず震えていた。
だけどサクラリエル様は違った。側にいたエステルを暗黒竜から身を挺して守ったのだ。その身が砕けるのも構わずに。
その献身的覚悟が【聖剣】を呼んだのだと私は思う。
単なる憧れではなく、私もあの人のように誰かを守れるような勇気ある人間になりたいと本気で思った。
そんな時、私にサクラリエル様の側仕えの話が舞い込んできた。
もちろん一も二もなく飛びついた。あの人を守る騎士になる。それはなんて素晴らしい未来だろう。
側仕えになった私にサクラリエル様は優しかった。パーティーなんかで会う上級貴族の御令嬢と言えば、鼻持ちならない者が多いのに。そんな心の持ち主だからこそ【聖剣】が与えられたのだろうが。
エステルという友だちも増えて、毎日が充実していた。エステルの母上であるユリア先生に剣を習い、少しずつ強くなっていることが実感できた。
だけどグロリアに負けた時、私の中で今まで積み重ねてきたものが全て崩されたような気がした。
努力しても努力しても、無駄なのではないかと。天才や優れた武器の前には自分の力など無意味なのではないのかと。
私自身に価値なんてないのではないかと……。
「だから魔剣が欲しい?」
「っ!? 誰だ!?」
突然の声に私が誰何すると、闇の中からぬるっと私が出てきた。
鏡に映したようにそっくりな姿形。しかしその口元は目の前の私を小馬鹿にするように歪んでいた。
「強い魔剣さえあれば、実力がなくても強い騎士のふりができるものね」
「違う! そんな理由で魔剣が欲しいんじゃない!」
「別に恥ずかしいことじゃないだろう? サクラリエル様だって【聖剣】を持ってる。本音はあの【聖剣】があれば自分だって『聖剣の姫君』になれる、と思ってるでしょ?」
「それは……!」
自分の影が放った言葉。それは紛れもなく事実だった。
【聖剣】さえあれば自分でも暗黒竜を倒せた。自分だって『聖剣の姫君』に。そうすれば誰にも負けない騎士に。ジーンにだって、セシルにだって、グロリアにだって。
そんな気持ちが確かに私の中にあった。
強い武器さえあれば。私は強くないから。実力がないから。弱いから。
「弱いあんたが魔剣を持って強くなる? それってあのグロリアとどう違うの?」
すらりと私の影が剣を抜く。抜いたその剣は鈍色に光る父上からもらった剣ではなく、グロリアの魔剣だった。
影が斬りかかってくる。その動きは私のものではなく、以前戦ったグロリアの動きそのものであった。
私は抜き放った小剣でその攻撃をなんとか受け止める。影の攻撃は右に左に絶え間なく降りかかり、受け止めるその度に腕に衝撃が走って、私は剣を落としそうになる。
ふと、落としてしまえばもう楽になれるのではないか、という考えが頭によぎる。
「いくら努力したって無駄よ。ジーンやセシルのような天才には敵わない。所詮、お前は凡人なのだから。無駄な努力をして一生を食い潰す気?」
「う……」
追い討ちをかけるような影からの声。
もういいのではないか。才能のない自分が剣にしがみついて、これ以上どうするというのか。
ここでこの剣を手放してしまえば、もう二度と私は剣を持てなくなるだろうという確信が芽生える。
だけど、別に死ぬわけじゃない。騎士だけが人生の全てではないだろう。生きていくだけなら他に道はいくらでもある。
どうせ自分なんてこんなものなのだ。もうこれ以上、惨めに傷つきたくはない。私なんて……。
「終わりね」
影の剣を受け止め切れず、私の剣が現実と同じようにポッキリと折れた。
私の心も同じように折れて……。
「……! ……!」
……? どこからか声がする。影の声じゃない。いったい誰の声だろう……。
朦朧とした薄れゆく意識の中で、私は闇に向けて耳を澄ます。
『負けるな、ビアンカ!』
サクラリエル様!? その声を聞いたとき、モヤがかかっていたような私の頭が一瞬で晴れていくのを感じた。
サクラリエル様の声援が私の心の中に届く。
『諦めないで! もう少しよ、頑張って!』
『ビアンカさん、頑張れ────っ!』
サクラリエル様だけじゃない。エステルの声も聞こえる。私の心の中で消えそうになっていた火が、再び燃え上がるのを感じた。
折れた剣を握り締める。なにを私は弱気になっていたのか。私は一人じゃない。こうして心配して応援してくれる主人がいる。友がいる。
そうだ。私にはまだ頑張れる理由がある。信じてくれる人がいる。諦められない夢がある!
足に力を入れる。大丈夫、まだやれる。まだ立てる! まだ進める!
弱くたっていい。それがなんだ。少しずつ、小さな一歩でも私は前に進む。たとえ倒れようとも前のめりに倒れてやる。そして何度だって立ち上がってやるんだ!
凡人? けっこう! 才能がない? それがどうした!
絶対に、絶対に自分には負けない!
「やあぁぁぁっ!」
振りかぶった私の折れた剣が眩いばかりに光を放ち、暗闇の中を照らす。
その剣はまるで【聖剣】のように私の影を斬り裂いた。
◇ ◇ ◇
ビアンカが剣を振り下ろしたまま、まったく動かない。
目は焦点があっておらず、手は小刻みに震えている。顔には苦悩の表情が浮かび、額にはびっしりと汗をかいている。
回数は九十九回。あと一回なんだ。振りかぶって振り下ろす。たったそれだけが、なんとももどかしい。
「さて……ここで折れるか、立ち上がるか……見ものだな」
裏庭にあるテーブル付きの椅子に腰掛けてウイスキーを呷るバレイさん。その正面にはちゃっかりとお相伴にあずかっているお祖父様が。
ビアンカが苦しんでいるってのに、この大人どもは。ジト目で二人を軽く睨み付ける。
「そんな目をするな、サクラリエル。こればっかりは本人が打ち破らねばならぬ。他人がどうこうできるものではない。お前も信じて待つことだな」
そりゃあ、信じてるけどさ。ビアンカが何と戦っているかわからないからアドバイスしようも無いし。
私にできることは友達を応援してあげることだけだ。
「ビアンカ、頑張れ! 負けるなーっ!」
私はあの子が頑張り屋なのを知っている。努力家なのを知っている。不器用だけど、真っ直ぐでひたむきなかっこいい女の子だって知っているんだ。
だから必ず彼女ならやれる。そう信じている。
「負けるな、ビアンカ! 諦めないで! もう少しよ、頑張って!」
この声が彼女に届いているかわからない。だけど叫ばずにはいられない。
「ビアンカさん、頑張れ────っ!」
私と一緒に隣のエステルもビアンカへ向けて一生懸命に叫ぶ。
やがて私たちの声が届いたかのように、ビアンカがゆっくりと剣を振り上げていく。目の輝きも元に戻ってきているみたいだ。
剣を頭上まで振り上げたビアンカは、裂帛の気合いと共にそれを振り下ろした。
「はあっ!」
魔剣を振り下ろしたビアンカは、そのままそこに跪き、手から魔剣を放した。
「うっ、ぐっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」
額から大量の汗を流しながら、ビアンカは荒い呼吸を繰り返す。
思わず私はビアンカへ向けて駆け出していた。
「やったわね、ビアンカ!」
「サ、クラ……リエル、様……」
声を出すのもしんどそうなので、私はそのまま座っているように言った。
なにしろ剣を振り始めてから五時間も経っているのだ。疲れるのは当たり前だと思う。
何度も途中で止まりそうになるたびに、こっちはハラハラして気が気じゃなかったけどね。
「五、時間……! そんなに、振ってたん、ですか……!
振ってたというか、動かなかったのがほとんどだけどね。ビアンカの体感時間ではそんなに長くは感じてなかったそうだ。
なんにしろ、これで試練とやらはクリアだ。約束通りバレイさんにはビアンカの魔剣を打ってもらおう。
「おう。儂もドワーフの誇りにかけてビアンカの嬢ちゃんに相応しい剣を打たせてもらうぜ。期待してな」
「あっ、ありがとうございます!」
ビアンカがバレイさんに膝をついたまま、土下座のように頭を下げる。よしよし、これなら試合もなんとかなるな。
「あの、それで、ですね……。この私の横にいるジーンはいったい……?」
ビアンカが不可解といった顔で尋ねてくる。あ、気になる? やっぱし?
実はビアンカが試練の魔剣を振り始めたあと、ジーンが『俺も魔剣が欲しい!』とバレイさんに直談判を始めたのだ。
幸い? 試練の魔剣がもう一本あったので、ビアンカの横に並び、ジーンも同じく振り始めた、というわけ。
ジーンは今六十回を越えたくらい? そっちはお祖父様が数えているようなのでよくは知らない。
ものすごくしんどそうな顔をして剣を振り上げている。これはあと二時間はかかるな。
しかしねえ、ジーン君。バレイさんは魔剣を持つのに君が相応しいかを試しているだけで、魔剣を君に打ってくれると約束したわけじゃないんだが。
君は異世界の酒を百五十本以上か、それに見合ったお金を払えるのかな?
ビアンカの魔剣は私の勝手でこうなったのだから私が払うけど、ジーンのまでは払わないよ?
これは作ってもらっても出世払いか、ローンになるかな。
まあ、もともとゲームでも魔剣を作るために借金を背負うことになるのは変わらないしね。
ゲームでは『出世払いにしとく』としかバレイさんは言ってないが、それは『タダにする』という意味ではあるまい。
頑張れ、借金騎士。