◇042 試練の魔剣
「……というわけで、魔剣『ディスコード』に勝つための魔剣が欲しいんです」
魔剣だけに負けんやつを。心の中で思いついた下らないダジャレは封印しておく。
グラスに注がれたウイスキーを飲みながら、気分良く話を聞いていたバレイさんだったが、ディスコードの名が出てきた途端に面白くなさそうなしかめっ面になった。
「……ディスコードか。ちっ、あの剣絡みなら打つしかねぇか」
バレイさんの声に、私の隣で固唾を呑んで見守っていたビアンカが、この町に来て初めて喜びの表情を見せた。
先ほどの言葉の意味がわからないお祖父様がバレイさんに尋ねる。
「失礼ですが、バレイ殿とディスコードという魔剣になにか因縁でも?」
「因縁ってほどじゃねぇよ。あの剣はな、儂の馬鹿弟子が打った剣なんだ」
そう。魔剣ディスコードはバレイさんのかつての弟子が打った剣なのだ。
その弟子は若くから優秀な鍛冶師だったが、強い魔剣を作りたいという気持ちが先走り、師匠であるバレイさんに隠れて、『呪い』の儀式を含んだやり方で魔剣を作り上げてしまった。
結果、その『呪い』は作った本人である弟子の命をも奪ってしまう。
弟子の死後、使い手の命を奪って強くなる魔剣『ディスコード』は、危険とされて工房の蔵に死蔵された、はずだった。
「そいつが盗まれたと気がついたのはもう十年も前のことだ。ディスコードは少しずつ使い手の命を削って強くなっていく。やがて精神も削られ、持ち主は斬ることしか考えられなくなっていくだろう。そうなりゃタチの悪い殺人鬼の出来上がりだ。放ってはおけん」
その状態が十年後の辻斬り騎士だな。もはや精神がジキルとハイドのような二面性を生み出していて、高潔な騎士の性格と、悪魔のように残虐な人斬りの性格に分かれてしまっていた。
放っておけばグロリアもああなってしまうのかもしれない。それはなんとしても防がないと。
「嬢ちゃんの話からするに、まだ精神への侵食は始まっておらんようだな」
「どうかな……。ビアンカを攻撃しているとき、ものすごく楽しそうな顔をしていたけど」
「いや、あいつは普段からあんな感じだぞ。弱い相手を追い詰めるのが三度の飯より好きなんだと」
口を挟んできたジーンの言葉に、うんうんと同意するビアンカ。それはそれで怖いわ!
「まあいい。それでそっちの銀髪の嬢ちゃんの魔剣を作れってんだな?」
「はっ、はい! よろしくお願いします!」
ビアンカがビシッと直立不動になり、深々と頭を下げる。
「まだ喜ぶのは早いぞ。魔剣を使いこなせるかどうか儂の方でもお前さんを試す。それに合格できなければ嬢ちゃんの魔剣は無しだ」
「ちょっと待てよ! さっき魔剣を打ってくれるって言ったじゃねぇか!」
バレイさんの言葉にジーンが噛みつく。なんだか怪しい流れになってきたな……。ゲームだとこんな展開はなかったんだけど……。
「約束は約束だ。魔剣は打つさ。だが、魔剣を打つと言っただけで、誰か専用の魔剣を打つと言ったわけじゃねえ。そっちの『皇国の獅子』殿に打ってもいいわけだろ? あんたなら儂の魔剣を使いこなせるだろうからな」
お祖父様が一瞬笑顔になったが、ビアンカの視線を感じると咳払いをひとつして真顔に戻った。伝説の魔剣鍛冶師の作が手に入るかもしれないって喜ぶ気持ちはわかるけどね。
というか、バレイさんうちのお祖父様を知ってたんだな。
「『皇国の獅子』を知らん鍛冶師はこの町にはいねえよ。聞いたぞ? 儂の打った斧をオークションで競り落としたんだってな? 言ってくれりゃ、その十分の一で作ってやったのによ」
「は、はは……」
あ、お祖父様の顔が引きつってる。三億近く出したらしいからなあ……。まあ今さらどうしようもないけども。
「んで、お祖父様ってことはそっちの嬢ちゃんが『聖剣の姫君』か」
バレイさんがウイスキーの入ったグラスで私を指してくる。まあね、不本意ながらね……。
しかし皇都だけじゃなくこんなところまで広まっているのか。誰だよ、広めてるの。
「すまんがひと目その【聖剣】とやらを拝ませちゃくれねぇか? 神の手による剣ってのを見てみたい」
「別に構わないけど……。他の人は触れないよ?」
「構わん。見るだけでいい」
【聖剣】は契約者以外は触れることができない。元々呼び出したエステルでさえも触れられないのだ。
まあ見るだけなら構わないか。私は手の中に【聖剣】を召喚する。
「っ……!? な、なんちゅう魔力……! いや、神力か、これは……!」
呼び出した光り輝く【聖剣】を目にしたバレイさんが唸る。確かに呼び出した【聖剣】からはバレイさんの言うところの神力とやらが漏れ出しているのが私にもわかる。
あれだ、ドライアイスから漏れる冷気のような感じ。
「えーっと、驚いてるとこ悪いんだけど、これ通常状態で……。この上にさらに『聖剣モード』があるんだけど……」
「なにぃ!?」
『聖剣モード』になると神力がドライアイスというより、閃光弾みたいになるけど。ついでに言うならたぶんこの家が吹っ飛ぶ。
「じょ、冗談じゃねえ。もういい、わかった。引っ込めてくんな」
焦るバレイさんのいう通りに、私は【聖剣】を送還した。『聖剣モード』にならず、ただ呼び出すだけなら私もそれほど疲れない。また連日の筋肉痛で寝込むのはごめんだ。
バレイさんは大きく溜息を吐いて、グラスに残っていたウイスキーをグイッと煽った。
「やっぱり比べ物にならねえな。儂の作った魔剣でも【聖剣】にはとても敵わん」
だから比べるのがおかしいんだって。人の手で生み出された剣と、神の生み出した剣を比べても意味ないじゃん。
「だが、指標にはなった。おかげで次に作る魔剣の形が漠然とだが掴めたぜ」
バレイさんがニヤッと笑う。
ううむ。ジーンルートに進むと、当然ながらエリオットルートには行かなくなる。だからジーンルートにしか出てこないバレイさんが【聖剣】を見るなんて機会はない。
これが作ってもらう魔剣にどういった影響を及ぼすのかわからないな……。まあ、悪くなるってことはないと思うけど。
「嬢ちゃんの【聖剣】には及ばねえが、魔剣は使い手に合わせて作ることで、本来の能力以上のものを引き出すことができる。だが当然ながら、誰にでも作ってやるわけじゃねえ。あんたにその資格があるか試練で見極めさせてもらう。どうだい、やるかい?」
「……やります。ここまでお力添えをしてくれたサクラリエル様のためにも、必ず魔剣を打ってもらいます!」
ビアンカがバレイさんの目を真っ直ぐに見て力強く答えた。
気持ちは嬉しいが、大丈夫だろうか。ゲームだと確か、根負けしたジーンから魔剣ディスコードのことを知ったバレイさんは、わりとすぐに魔剣フォルテッシモを打ってくれたんだが。
十年後のジーンはすでに魔剣を使いこなす実力を持っていたってことなのかな?
ビアンカはそれのレベルに至ってないから試されている? いくらなんでも十年後のジーンレベルの実力なんて今のビアンカにはないと思うけど……。
「よし。じゃあこっちにきな」
バレイさんは家の裏にある空き地に私たちを連れて行った。ここでなにをするのだろうか。
『ちょっと待ってろ』と言うと、バレイさんが物置か倉庫のようなところから、一振りの剥き出しの剣を持ってきた。
長さ五十センチほどの短い剣だ。切っ先が無く、途中で折れたような形状をしている。刀身には何やら刻印のようなものがびっしりと彫られている。
バレイさんがその剣をビアンカにポンと渡した。
「それを百回振れたらお前さんに魔剣を作ってやる。できなかったら悪いが魔剣はやれねえ」
「え? そんなのでいいのか? なんだよ、楽勝じゃんか」
ジーンが肩透かしを食らったように安堵の息を吐いた。やるのはあんたじゃなくてビアンカなんだけど。
「……これって魔剣ですよね? なにか特殊な効果が?」
ビアンカに渡された剣を覗き込んでいたエステルがそんなことを口にする。え? マジで?
これもバレイさんが作った魔剣なんだろうか。というか、魔剣を物置に入れておくな。
「嬢ちゃん、鋭いな。いかにもこいつは魔剣だ。『試練の魔剣』って言ってな、心の中で幻の敵と戦うことができる。そいつに勝てない奴が魔剣を持っても宝の持ち腐れ。さっさと諦めろってことだ」
心の中の敵? グロリアと心の中で戦えってことなのかしら。イメージトレーニングみたいな。
ビアンカは少しだけ逡巡する様子を見せたが、裏庭の真ん中に歩いていき、魔剣を正眼に構えた。
「百回ですね?」
「ああ、百回だ。数は儂が数えてやるから、お前さんはひたすら無心に剣を振れ」
ビアンカは剣を後ろに振り被り、鋭く前に振り下ろした。ビュッ、という風切り音が聞こえそうな素振りだ。
「いーち」
バレイさんがカウントを始める。そのまま何事もなく、二、三、四、五、とカウントが続いたが、二十を越えたあたりから、ビアンカの素振りがだんだんと遅くなってきた。
初めは疲れたのかな? と思ったのだが、どうも様子がおかしい。
彼女の動きがまるでスローモーションにしたかのようなゆっくりとした動きなのだ。振りかぶる時も振り下ろす時も。
ビアンカの目から光が失われ、時折り苦悩するような表情を浮かべるようになった。
「始まったな」
「ちょっと、これ大丈夫なんでしょうね? ビアンカに危険が及ぶなら今すぐやめさせるわよ?」
「安心しな、怪我はしねえよ。精神的にはどうかわからんがな」
精神的にはわからない!? 全然安心できないじゃない! どういうことよ! 説明を要求する!
「この嬢ちゃんは今、心の中で自分の影と戦っているんじゃ。その影に負ければこの素振りは止まる。まだゆっくりでも動いているってことは、戦い続けているんじゃ。心の中でな」
「自分の影……」
ビアンカが苦しそうな表情でゆっくりと剣を振り下ろす。それはまるで彼女が自分の殻を打ち破ろうとしているように私には思えた。