◇038 騎士団本部へ
「ううむ、どうしてこうなった……」
リビングに入った私は思わずそんな声を漏らした。
原因はリビングで寛ぐ両親である。
ワイシャツにスラックス姿のお父様と、ボーダーシャツにウエストリボンのフレアスカート姿のお母様。
なんだろう、異世界ファンタジーの世界から、日本の日常的な風景になってしまっている。いや、モデルのような二人だから、どこか非日常感はあるのだけれども。
お二人は誰にも会うことなく、家で寛ぐときはもっぱら地球の服でいることが多くなった。やっぱりそっちの方が楽らしい。
外に出るときや人と会うときはいつもの貴族然とした服だけれども、下着だけはもはや戻せないと言っていた。気持ちはわかる。私もだし。
女性下着はこっちの方がかわいいのが多いしね。ドロワーズとかよりよっぽど。口には出さないがお父様も喜んでいるに違いない……。
さて、今日も今日とて立派な貴族令嬢になるためのお勉強の時間である。
のんべんだらりとぐーたらしてたら、破滅する運命が待っている私には怠けている暇などないのだ。
礼儀作法に刺繍、乗馬に語学、皇国の歴史に隣国の歴史、剣術に計算にダンスと、一通りなんとか無難にこなしている。
幸い、エステルやビアンカと一緒なのでそれほど苦には感じない。友達がいるっていいね。
エステルのお母さんであるユリアさんにもキッチンカーの運転を覚えてもらった。毎日エステルとビアンカが歩いてうちに来るのって大変だからね。
どちらも第二区に屋敷があるので、夕方に呼び出して一緒に乗って帰ってもらい、朝にまた乗って来てもらう。
レベルが上がってキッチンカーなら五台呼び出せるようになったから、一台くらいレンタルしても問題ない。
ビアンカはジーンルートに入りかねないキーパーソンなので、付き合いは慎重にしているのだが、今のところ問題はなさそうだ。普通に友達のような関係……だと思う。向こうはどう思っているかはわからないが。
そんな私たちのところにふらりと破滅への元凶になりかねないジーンがやってきた。
庭の四阿で三人楽しくお茶を飲んでいたのに、こんにゃろう。
「なにしにきた……」
「ご挨拶だな。お前ってよりはビアンカに用があって来たんだよ」
警戒する私を無視してビアンカの方へ歩み寄るジーン。ビアンカに用?
「お前、来月の試合どうするんだ? 所属を騎士団預かりからフィルハーモニー公爵家に変えて参加するのか?」
「あっ、いけない! 忘れてた……」
ジーンに尋ねられたビアンカはしまったとばかりに大きく口を開けた。試合? なにそれ?
「騎士団主催でやっている、半年に一度の従卒合同試合だよ。年齢ごとに分かれて戦うんだ。騎士団長の目に留まれば推薦入団もあり得るんだぜ。ま、滅多にないけどな」
従卒……騎士見習いたちの試合か。
なるほど、そこで実力を示せば騎士団に入団するのに有利になるってことか。
今までのビアンカは、父親が団長である第一騎士団預かりの従卒として所属し、試合に参加していたらしい。
だけど私の側仕えになったことで、フィルハーモニー公爵家の従卒として参加しなくてはならないらしかった。ビアンカはその手続きを忘れていたらしい。
確かゲーム内ではビアンカは騎士団への入団内定は決まっておらず、ジーンは入団予定だったはず。この合同試合で認められたのかな。
「手続きするなら今日中にってよ。まあ別に今まで通り騎士団預かりでも問題ないと思うけど……」
「いや、サクラリエル様の側仕えになった以上、見習いでも私はフィルハーモニー公爵家の騎士だ。当然、公爵家の従卒として参加するべきだろう」
きっ、とジーンに向けてそう断言するビアンカ。相変わらず真面目な子だなあ。ゲーム内でもこんな感じだったな。真面目なのはいいけど、そのぶん頑固というか、融通がきかないっていう面もあるのだけれど。
「すみません、サクラリエル様。少し騎士団本部へ行ってきてもよろしいでしょうか?」
「構わないけど……」
と、言いかけたとき、私も今日のこの後の予定はもうないことに気がついた。
それならば私も騎士団本部へ行ってみたい。ゲーム中そこに訪れたのはジーンルートでの数回だったし、そこにはおそらくジーンやビアンカのお父様たちもいるはず。一回ちゃんとご挨拶しておかないとね。
騎士団の力を借りないと凌げない破滅フラグもあるんだよね……。ジーンルートではないけども。
「別に見学するだけなら問題ないんじゃね? 訓練の邪魔さえしなきゃ」
「で、でしたら私も!」
およ? エステルも? よし、んじゃみんなで騎士団本部へ見学に行こうか。
一応外に出るということで、護衛はターニャさんがついてくることになった。ビアンカだけではなにかあった場合、対処しきれないからね。
ビアンカは側仕えだが、騎士見習いでもある。私の正式な護衛担当はターニャさんだ。
『学園』に行くまでに、ビアンカにはターニャさんからその任務を引き継げるようになってもらわないとね。
それまでにジーン絡みの破滅フラグをヘシ折れればいいんだけど……。
◇ ◇ ◇
皇都は皇城を中心として、東西南北に大通りが走り、同心円状に第一区から第四区までに分かれている。
シンフォニア皇国の騎士団本部はその皇都の第二区にあった。私たちは公爵家の馬車で第二区へと入り、一路騎士団本部へと向かう。
やがて見えてきた騎士団本部はちょっとした古城のような建物だった。
城といっても絢爛豪華な城というわけではなくて、質実剛健な城、まるで砦のような城である。堀まであるよ?
これって万が一皇都でなにかがあった場合、籠城できるようになっているのかしら。
公爵家の紋章があるためか、うちの馬車は城門にいた門番さんたちを素通りして、そのまま騎士団本部内へと入っていく。
本部入口前に着くと、ジーンが元気よく飛び出し、ドヤ顔で私たちを迎える。
「どうだ、ここが騎士団本部だぜ!」
「いや、別にあんたんちじゃないでしょうが」
まあ、ジーンの父親は全ての騎士団を統べる騎士団総長であるから気持ちはわからんでもないけども。
馬車から降りてきた私たちを、ちらほらと遠巻きにいた若い騎士たちが見ていた。
騎士団員には上級貴族の三男四男などもいるが、そのほとんどは下級貴族の三男四男以降で占められている。下級貴族の嫡男や平民出の騎士もそれなりにいるが、どっちかというと少数だ。
ジーンなんか伯爵家の嫡男なんだけど、騎士団入りを目指している。代々騎士の家系だと嫡男だからこそ騎士に、という風潮もあるようだ。
まあ、騎士団総長の息子が騎士団総長になれるかというとそこは実力次第なのだが、ジーンはかなり期待されているようだ。
公爵家の紋章がある馬車から降りてきた私たちは完全に注目されてしまっているな。ううむ、どうしたもんか……。
私がそんなことを考えていると、横にいたビアンカが話しかけてきた。
「私は受付登録を済ませてきますけど、サクラリエル様はどうなさいますか?」
「うーん、じゃあちょっと見学していこうかな。ジーン、案内頼める?」
「いいぜ。っていっても訓練場とか厩舎くらいしか見せてやれねえけどさ」
やっぱり武器庫とかはダメかあ。本物の突撃槍とか大型弩砲とか見たかったんだけれども。さすがにそれは上の許可がいるっぽい。ま、いいや。
ビアンカが本部内へ走って行ったあと、私たちはジーンに案内されるがままにまずは厩舎に向かった。
ずらっと並ぶ厩舎の中には、鹿毛に黒鹿毛、青毛に栗毛に葦毛と、様々な色をした馬たちが思い思いに寛いでいた。
「大きいですねえ。うちの馬車を引く馬とは違う感じがします」
「そりゃ違うさ。一応こいつらは軍馬だからよ。日頃から鍛えられているからな」
エステルの感想にまたしてもドヤ顔のジーンが答える。いや、だからあんたの馬じゃないでしょうに。
ちなみに私も馬に乗れるよう訓練をしている。貴族令嬢たるもの、というか、貴族なら馬くらい乗れないと話にならないのだ。
この世界の貴族にとって、馬は自転車並みに身近な乗り物である。日頃から乗り回すものではないが、それでも貴族の嗜みとして乗馬は外せない。何かあったとき一人で馬に乗れないのでは困ることも多いしね。
まあ私の場合、キッチンカーがあるから馬に乗れなくても困らないのだけれども。今はダメだけど、大人になったら運転できるはずだからさ。
厩舎を抜けて、騎士団本部の横道を抜けていくと、途端に開けた場所に出た。
学校のグラウンドくらい広い場所で何人もの騎士団員たちが訓練をしている。
木剣と木盾を持って打ち合いをしている者、実剣で素振りをしている者、ひたすら腕立て伏せをしている者、そしてその周りをランニングしている者と、皆訓練に励んでいるようだ。
中にはまだ中学生くらいの子や、私たちと同じくらいの子も何人か訓練に参加している。おそらく彼らも従卒なのだろう。
「従卒ってけっこういるのね」
「騎士団入りを狙うなら早いうちから従卒になっていた方が有利だからな。実力もつくし、騎士たちとも繋がりもできるし。まあそれでも入団できるのは入団試験に合格できた一部のやつらだけだけど」
ビアンカやジーンのように誰かの側仕えになっていれば別だが、従卒はあくまで騎士見習いであって、必ず騎士になれるとは限らない。
入団試験に落ちれば当然ながら騎士にはなれない。落ちたら単なる一兵卒になるか、市井に下り冒険者となるか……。試験は一度だけではないけれども、それだって限度がある。
この国の騎士とは騎士爵を持つ一代限りの貴族を指す。貴族といっても騎士は準貴族で、さほど特権があるわけではない。多少実入りはいいだろうが。
そして騎士の数には限りがある。細かいところはわからないが、皇国騎士団で何人、各爵位を持つ貴族ごとで何人と上限数が決まっているのだ。
貴族それぞれが抱える騎士はその家の隆盛次第だろうが、皇国騎士団の場合、国家予算とかいろいろ関係してくるのかもしれない。
うちは公爵家だから他の貴族に比べると多くの騎士を抱えている。王都の屋敷にいる者だけではなく、領地にも多くいるのだ。
騎士の数が決まっているということは、誰かが辞めないとその席が空かないということでもある。決して簡単になれるものではないのだ。
まあ、実質職務を辞しても爵位は返上しなくてもいいので、その人は死ぬまで『騎士』と呼ばれる。なので騎士自体は多くなっていくのだが。
ここにいる従卒の子らも、何人かは後々『学院』に行くことになるんだろうなあ。
攻略対象で騎士関連はジーン以外いないから変なフラグが立つことはないと思うけど、取り巻きAみたいにスチルで映っていたモブとか、誰かの側仕えはいるかもしれない。
「なんだジーン。来ていたのか」
「あ、親父」
ジーンの声に反応して振り向くと、そこには壮年の偉丈夫が立っていた。
歳は三十半ばをいくつか越えたところか。赤毛の口髭と顎髭があるため、いささか老けて見えるのかもしれない。
その身には皇国騎士団の鎧を着込み、赤い外套の下には幅広の剣を下げていた。
ジーンのお父さんということは、この人が『皇国の虎』と呼ばれる、皇国騎士団総長、アルベルト・ルドラ・スタッカート伯爵か。
この人、一度だけ遠目で見たことがあるな。建国祭のときにエリオットの元に駆けつけた騎士だ。やはりジーンのお父さんだったのか。
「親父、こいつがサクラリエル。見学したいっていうから────いっづ!?」
ジーンが言葉の途中で悲鳴を上げる。総長さんが拳骨をジーンの頭上に落としたのだ。
「馬鹿者! 皇弟殿下の御令嬢に対してこいつとは、なんたる口の利き方だ! 騎士は剣の腕だけが強ければいいというものではないぞ! もっと礼節を学べ!」
まあね。お父さんの言うことが正しいんだけどね。人前で公爵令嬢をさすがにこいつ呼ばわりはいかんよ。
まあ、私も気安く話していいと言った手前、ジーンをフォローせねばなるまい。
「構いませんわ。ジーンとは一応友人ですし、堅苦しいことは苦手なので」
「そらみろ! 本人がいいって言ってるんだから、いいんだ、いっづ!?」
調子に乗ってまくし立てるジーンの頭上に再び拳骨が落ちた。
「だとしても、公衆の面前で礼節を欠く行為であることの言い訳にはならん! ちょっとは反省しろ!」
正論である。