◇034 稽古開始
ビアンカが側仕えになった次の日。
『おはようございます!』と朝も早よからそのビアンカが公爵邸へとやってきた。
まだ成人してないビアンカを親元から離すのは忍びないというお父様の計らいで、彼女はセレナーデ子爵家から通いということになった。
十五歳となり、成人した暁には彼女は正式にフィルハーモニー公爵家の騎士となる。すでに就職先が決まっているような感じなのかな?
子爵家四女が公爵家の騎士になるというのはかなり好条件の就職先らしい。それ以外だと冒険者か傭兵にでもならないと剣でお金は稼げないからね。
ビアンカはなんとしても騎士になりたかったらしいから、この話に一も二もなく飛びついたようだ。
十年経ったゲームの中でのビアンカは、まだ騎士団に入っていなかった。『学院』を卒業したら入団試験を受けて皇国騎士団に入る予定ではあったけど。
それはそれとして、彼女のやる気はわかるんだけど、来るの早すぎない……? まだユリアさんも来てないんだけど。
確か剣の稽古は九時からのはずだった。いま七時なんですけど……。
「お気遣いなく! 稽古の前に身体を温めておきたくて、早く来ただけですので!」
「ああ。そお……」
朝からテンション高いなぁ……。
起きたばかりの私はうちの訓練場で素振りを始めるビアンカを置いて、朝食を家族でいただく。
朝食はスープにサラダ、ベーコンと目玉焼き。塩胡椒で焼いた鳥肉にいくつかの果物、野菜ジュース、そしてパン。
パンといってもここに来た時に食べた固いパンじゃない。柔らかくふっくらとしたパンだ。
キッチンカーのパンを食べたうちのコック長が、自信をなくし落ち込んでいたので、うろ覚えの知識を教えてあげたのだ。
リンゴなどの果物を水の入った瓶の中に入れて、天然酵母を作るやり方である。私も先輩に聞いただけなので作ったことはなかったのだけれど、うちのコック長はそれだけの情報で、試行錯誤の末これだけのパンを作り上げた。
キッチンカーのパンに比べるとまだまだだけれども、これはこれで充分に美味しい。
だけど私は朝食はご飯派なので、やはりどうしてもお米を食べたい。なんとしても次の店舗はコンビニを……!
朝食を済ませて日課となっている店舗を召喚する。
召喚場は訓練場と離れているからビアンカには気付かれないだろう。
今日はキッチンカー二台と酒屋を呼び出す。もちろんお父様のリクエストである。
呼び出した酒屋に使用人さんたちが入っていき、次々と商品を運び出していく。毎度のことながらお疲れ様です。
全ての商品を買い占めた後は酒屋を送還する。邪魔だからね。
キッチンカーの方は置きっぱなしだ。これは何かあった場合使えるようにという理由もあるが、使用人さんたちの昼食用でもある。これがまた評判が良く、キッチンカーが呼び出されない日はみんな落ち込むほどだ。コック長だけは複雑な顔をしていたが。
日課を終えて、動きやすい服へと着替える。まさかドレス姿で剣術を習うわけにもいかないしね。
ビアンカと同じような服とズボンに着替え、メイドのアリサさんに髪を纏めてもらっていると、ユリアさんが到着したとの連絡が入った。
初日から遅れるわけにはいかない。私は護衛の騎士であるターニャさんを連れて訓練場へと向かった。
訓練場ではすでにユリアさんは用意を済ませていて、ビアンカとなにか話している。って、あれ?
「エステル?」
「おはようございます、サクラリエル様」
そこにはユリアさんとビアンカの他に、私たちと同じように動きやすい服に着替えたエステルの姿があった。
「領地に帰ったんじゃなかったの?」
「お母さんがフィルハーモニー公爵家で剣を教えることになったので、一緒に残ったんです。私も剣術を習いたくて」
え!? エステルも一緒に稽古するの!?
驚く私にユリアさんが説明してくれた。
「公爵様に許可はいただいています。講義やダンスなどもサクラリエル様と一緒に勉強すればいいとおっしゃってくれて……」
だからお父様……サプライズが過ぎるってばさ。朝食の時に言いなさいよ。
いや、私としたら一人で習うよりか何倍も嬉しいけどもさ。
私がお父様に対してなんとも難しい表情をしていたので、不安になったのかエステルがおずおずと尋ねてきた。
「あの、ご迷惑でしたでしょうか……?」
「え? ううん、エステルと一緒に習えるなんて嬉しいわ。お互い頑張りましょうね」
「はい!」
エステルがたちまち明るい笑顔になる。かわいいなあ。朝からいいものを見た。
「ビアンカ様もこれからよろしくお願い致します」
「こちらこそ。一緒に頑張りましょう」
ビアンカとエステルが握手を交わす。ゲームと違い、ジーンとのことがないからか、二人の間にわだかまりはないようだった。このまま仲良くなってくれるといいな。
「では、訓練を始めましょう。私はエステル以外のお二人の実力を知りません。まずは一度お手合わせをして、個人個人の訓練メニューを決めたいと思います」
なるほど。まずは実力を見る、ということですね?
どちらからでもいい、と言われたので私からいくことにした。
実力的にはビアンカの方が上だし、その後でやるのってなんかヘボさが目立ちそうでさ……。
木剣を手にユリアさん……いや、ユリア先生と対峙する。
「いきます!」
剣なんてほとんど振ったことのない私は、ただガムシャラにユリア先生に向けて剣を叩きつける。
ユリア先生はそれを軽く右に左に打ち払い、時々左右にステップして躱したりして、私の木剣は先生にかすることもできなかった。
「はい、けっこうです。わかりました」
ユリア先生がにこやかに終了を告げたとき、私はだいぶへばっていた。木剣ってけっこう重いね……。
私はエステルたちの待つところへ戻って、力なく座り込む。
「だ、大丈夫ですか、サクラリエル様?」
「あー、大丈夫大丈夫。ちょっと疲れただけだから」
心配そうに覗き込んでくるエステルに笑って答えるが、実際は両腕が悲鳴を上げていた。けっこうくるなぁ……。
次にビアンカがユリア先生の前に出る。わくわくした顔で木剣を構えているな。そんなにか。
「お願いします!」
深々と頭を下げたあと、ビアンカが剣を構えた。おお……へっぴり腰だった私と違って様になっている。さすが子供の頃(今も子供だが)から訓練していただけのことはあるのかな。
「やあっ!」
ビアンカが鋭い一撃を放つ。しかしユリアさんは慌てることなく私の時と同じように、右に左に受け流し、軽く捌いていく。
当たり前だがビアンカは私よりも攻撃のバリエーションが多い。払い、突き、押し、そして斬る。時々フェイントらしきものも入れていたようだ。
だけどその全てをユリアさんは軽くいなしていた。『剣閃』の名は伊達じゃないらしい。
「……はい。ここまで」
ユリアさんがビアンカを止める。
私ほどじゃないけど、ビアンカも肩で息をしていた。それだけ全力で挑んだのだろう。
ユリアさんが少しだけ訝しげに首を傾げる。なにかあったのだろうか。
「……ビアンカさん、ひょっとしてなにか『ギフト』を使いましたか?」
「っ! す、すみません! 使う気はなかったのですけど、無意識に……!」
慌ててビアンカが頭を下げる。んん? なにか『ギフト』を使ったの? そういえばビアンカの『ギフト』って確か……。
「私の『ギフト』は変化の神・チェンジ様の【伸縮自在】です。触れた物の長さを変えられる『ギフト』なんです。こんなふうに」
ビアンカの手にしていた木剣がわずかに五センチほど伸びた。と、思ったら今度は短くなった。同じく五センチほど。【伸縮自在】というわりには伸びたり縮んだりの範囲が狭い。レベルがまだ低いからだろうな。
「なるほど、それで……。避ける間合いがズレたので、不思議に思ったのです。うまく使えば剣術の役に立つ『ギフト』ですね」
「はい。でもまだ布とか木くらいしか伸ばせなくて。せめて金属とかも伸ばせるようになると嬉しいんですけれど……」
大丈夫。十年後のあなたは金属の剣も伸ばせるようになってましたよ。伸ばせる長さは今の倍くらいだったかな? ゲーム内で一回しか使ってないから、よくわからないけど。
「お二人の現在の実力はわかりました。ビアンカさんは騎士見習いの実力は充分にあるようです。しかしながら、騎士団の剣と私の教える冒険者の剣はいささか違います。その点は大丈夫ですか?」
「問題ありません。強くなれるのでしたら」
ユリアさんの言葉にビアンカはきっぱりと答えた。そうか、本来ならビアンカはずっと騎士団の剣を習うはずだったんだよね。たぶん第一騎士団長のお父さんから。
これでビアンカの実力がゲームのビアンカと比べてどう変わるのか……。騎士団長のお父さんだって毎日直接教えることはできなかったろうから、こっちの方が実力が上になる可能性もなくは……。
「サクラリエル様は……まず体力作りからですね。そこから始めないといけません」
あ、やっぱり? 一応スラム育ちだから、逃げ足だけは自信があったんだけど、いかんせん、スタミナがないことは自覚している。筋力もね。
まあここらへんは公爵家に来るまでろくなものを食べてなかったからさ……。背も低いし、胸……はまだこれからだと思うが。うん、これから。体力も背も胸も。
ゲームのサクラリエルは悪役令嬢の代表格なだけあって、なかなかスタイルがよかった。将来ああなると思いたいが、努力を惜しんではいけないよね。今から鍛えてナイスバディを手に入れるのだ!
「おそらくですが、体力と筋力が付けば、【聖剣】を使っても反動が少なくて済むと思います」
うん、私もそう思う。ある程度体力と筋力がついたら、【聖剣】を使いこなせるように訓練をしようと思っている。
なぜかというと、サクラリエルの破滅フラグにはいわゆる巻き込まれ型というやつもあって、武力があればなんとかなるシーンもあるからだ。
ジーンルートのビアンカに逮捕される幕引きも、実力があれば返り打ちにできたわけだし。
まあ、そのルートはもう無くなったと思いたいけど……。ビアンカが私に愛想が尽きて側仕えをやめるって可能性もなくはないしな……。見放されないように頑張ろう。まずは……。
「なにこれ!? 美味しいですっ! 美味し過ぎます!」
「エステルから聞いてましたけど、ホントに美味しいですね……! この赤いソースと黄色いソースがヴルストの味を引き立ててます」
お昼はビアンカとユリアさんにキッチンカーでホットドッグをご馳走してあげた。もちろんエステルにも。
まずは胃袋を掴む! 友情と忠誠心をゲットだぜ! なんてね。さすがにそこまで考えてはいないが。
せめて敵対しないでもらえるようにしなくちゃね。仲良くなれるならそれにこしたことはないけどさ。