◇032 店舗召喚5
皇都に暗黒竜現る。
その噂は瞬く間にシンフォニア全土を駆け巡った。それと同時にその竜を光の聖剣で討ち滅ぼした少女の名も響き渡る。
齢、僅かに六つ。皇王陛下の姪にして、凛々しく清楚可憐な公爵家令嬢。
国家転覆を企む悪辣な侯爵の謀を見抜き、プレリュード王国、メヌエット女王国の王女らとも親しい間柄。
今まで社交界に一切顔を見せなかったのは、皇国を救う聖剣を得るために、魔獣の森にて血の滲むような修行を重ねていたとも言われる。
魔を滅する『聖剣の姫君』、それがサクラリエル・ラ・フィルハーモニー公爵令嬢である────。
◇ ◇ ◇
「という噂で皇都は持ちきりです」
「誰それ!?」
メイドのアリサさんが告げた内容に、私は噂って怖いな! と思った。
凛々しく清楚可憐な、って誰よ!? ずいぶんと誇張されてない!?
それに魔獣の森で修行なんてしとらんわ! どっから付いた、そのエピソード!
「まあ、噂というものは大なり小なり尾鰭が付くものですから」
「うあー……めんどくさいぃぃぃぃ……」
暗黒竜を倒したのも、聖剣を使えるのも本当なだけにいろいろめんどくさい。
私はあまり目立たず、周りに波風を立てないようにしたいのに。じゃないと、破滅フラグがスキップしてやってくるからさあ……。
幸い、その一つである皇太子ルートは消えた……と思う。
あとは他の攻略対象のルートに入ってしまわないよう、うまく立ち回らねば……! 今のところ大丈夫だと思うんだけど。
それはそうと、今日はレベル5になった私の『ギフト』【店舗召喚】を試す日だ。
暗黒竜を倒したときの聖剣モード。その反動による筋肉痛でろくに動けなかったのだが、やっと調子が戻ってきたので、そろそろ呼び出そうと思うのだ。
「次はなんの店かなー♪」
新しい店に期待が膨らむ。ここは第一希望のコンビニ……いや、ファミレスってのも悪くないかも。あ、前世で友達と行った和食レストランがいいかな!? ご飯! ご飯が食べたい!
時間が取れたお父様とお母様、それにメイドのアリサさんや護衛のターニャさんらと一緒に、公爵家の庭に設置された結界の張られた召喚場へとやってきた。
「また祝福を得たのか……。これはサクラリエルが暗黒竜を倒したことに関係あるのかな?」
「竜を倒したサクラちゃんへ、召喚の女神・サモニア様からのご褒美じゃないかしら?」
お父様とお母様がそんな話をしているが、あながち外れでもない。
私は暗黒竜の撃破というより、エステルの聖剣召喚を成し遂げたからじゃないかと思っている。
つまりエステルのイベントを進めたからじゃないかと。
これに関してはちょっと検証する必要がある。幸いちょうどいいイベントも残っているし。ま、それはあとあと。
とりあえず今は新しい店舗だ!
私は召喚場へ向けて魔力を集中し、召喚の女神・サモニア様に祈りを捧げる。
「【店舗召喚】!」
まばゆい光とともに私の中から魔力が抜ける感覚。きたきた、きましたよ!
光の奔流がおさまったあと、目の前に現れた見覚えのある店を見て、私は思わずその場にくずおれた。
ちくせう……そうきたか……。
「ど、どうしたんだ、サクラリエル!?」
「いえ、その……期待外れというか……。私にはあまり必要のないお店だったので……」
心配して声をかけてくれたお父様にそう返すのが精一杯だった。
あらためて目の前の店を見る。
お洒落な煉瓦造りの店構えと店の横に並ぶ二台の自販機。大きなウィンドウ越しには、様々な色の瓶が並んでいるのが見える。
そして上に取り付けられた看板には『LIQUOR SHOP TAKEDA』の文字。
これって先輩のアパート近くにあった酒屋さんだわ……。小さいけれども品揃えがいいって評判の。
お決まりのものからレアな地酒まで、様々なお酒があるようで、なかなか繁盛していたお店だ。この店は藤の湯や質屋と違って潰れておらず、まだ健在のはずである。
でもねー……。六歳児の私には本当に必要ない店で……。表の自販機でジュースを買うくらいしかさ……。ああ、お酒のおつまみも売っているんだっけか。
ウィンドウから見える店内を見て、なにかに気付いたお父様が期待に満ちた目でこちらを見てくる。
「サクラリエル……ひょっとしてこの店は……!」
「アア、ハイ……。お酒のお店です……」
お父様が天に向けて拳を突き上げ、やったとばかりにガッツポーズを取る。そんなにか。
「お酒のお店なのね。それじゃあサクラちゃんは飲めないわねえ」
こっちの世界は飲酒年齢が低いと言ってもさすがに六歳児に飲ませることはない。まあ私自身、あまりお酒は好きではないし、飲む気もないが。
だけど専門学校に入って知り合った、変わり者の私の先輩(女性)は、大のお酒好きだった。
この風変わりな先輩はやたらと雑学に詳しく、私に蘊蓄をたれるのが大好きな人だった。そんな先輩のおかげで偏った酒知識が私にはある。
「ユアン、兄上に連絡してきてくれ。珍しい酒が手に入ったとね!」
「はっ!」
ウチの騎士であるユアンがお父様に言われてお城へと走っていく。え、王様に伝えるほどのこと?
「兄上や宰相殿はお酒好きだから喜ぶと思うよ」
そういえば皇王陛下はおつまみ系の駄菓子が好きだったな。宰相さんもお酒好きなのか。大丈夫か、この国。呑兵衛ばっかりじゃないだろうな?
少しこの国の将来に不安を抱いたが、気を取り直して酒屋へと入る。
エアコンがきいて涼しいお洒落な店内には、所狭しといろんなお酒が置いてある。奥には冷蔵庫があって、缶ビールやチューハイなどが並んでいた。ジュースもあるな。あ、冷凍庫の方に氷が入った袋も置いてある。
「いろんな種類があるみたいねえ」
お母様は綺麗なガラスの瓶を眺めていた。フルーツの絵が描いてあるけど、リキュールかな?
お父様の方はカウンターに金貨を置いてすでに酒瓶を何本かカゴの中へ入れていた。行動速っ。
お父様たちは地球の文字は読めないが、数字だけはこちらの世界も同じなので、お酒の金額については値札がついているのでわかるはずだ。一応、十倍ぼったくってることは伝えてある。
二千円のウイスキーが二万円か……。やっぱり高く感じてしまうなあ。でもこの世界では滅多に(というか絶対に?)手に入らないお酒と考えるとそれほどでもないのかな……?
「サクラちゃん、これってワインかしら?」
「え? えーっと、ああそうですね」
ラベルに葡萄の絵が描いてあるのでお母様でもわかったみたいだ。甲州ワインだな。私は飲んだことはないけど。先輩は美味しいって言ってたけど、異世界の人たちの口にも合うのかな。
「ってあれ? お父様は?」
店内を見渡すがお父様の姿がない。変に思って外に出てみると、召喚場の庭の横に設置された四阿で、すでにグラスに氷を入れて、お酒を飲もうとしていた。
いや、あれってスピリタスじゃないの!? アルコール度数95度を超えるという、世界最強のお酒って先輩が言ってたやつ!
「お父様、待って、待って、待って!」
「え?」
私が慌てて酒屋から飛び出すと、グラスに口をつけようとしていたお父様がギリギリ踏みとどまってくれた。
あっぶなかった! あんなのストレートで飲んだら絶対ひっくり返る!
「お父様、そのお酒は火がつくほど危険なお酒です。そのまま飲んだら喉を焼きます!」
「え!?」
まさかそんな危険なものとは思わなかったのか、お父様は引きつった顔でグラスをゆっくりとテーブルに戻した。
お父様にラベルを見せて、アルコール度数のところを見せる。火気厳禁とも。引火性が非常に高いから、タバコなんか吸いながらは絶対にダメだと伝える。
どうしても飲みたいのならば、フルーツジュースやソフトドリンクで割ったやつから飲んだ方がいいと教えた。これも先輩の話の受け売りだけど。
スピリタスを横に置き、お父様はアルコール度数が40度ほどの別のお酒を手に取った。それならまあ……。だけどもいきなりストレートよりもまずは水割りの方を勧める。
お父様は氷を入れたグラスにウイスキーを注ぎ、少し水で割って口に含む。あれくらいなら大丈夫だと思うけど……。
「お! これはいける! 美味い!」
お父様の賛辞を聞いてホッと胸を撫で下ろす。どうやらお父様は地球のウイスキーを気に入ったようだ。
お父様はちびちびと味わうように飲んでいるから、そんなに悪酔いはしないんじゃないかな。
というか真っ昼間から酒なんか飲んでもいいんだろうか。大丈夫か、公爵家。
『これは「ギフト」の検証』なんてお父様は言っているが、間違いなく建前だよね?
そんな益体もないことを考えていたら、屋敷の門前に豪華な馬車が勢いよく横付けされた。え、あれって皇王家の……!
「おお! これが呼び出した酒の店か!」
馬車から飛び出した皇王陛下がこちらへと猛然とダッシュしてくる。
その後ろにいたテノール宰相も足早にこちらへと向かってきていた。目がなんか怖いんですけども。
「やあ、兄上に宰相殿。先にやってますよ」
「クラウド! もう少しくらい待たんか! そ、それが異界の酒か?」
お父様がグラスを掲げる四阿に、皇王陛下と宰相さんが真っ直ぐに向かった。
挨拶もそこそこにグラスに注がれたウイスキーを一口飲んで、二人は蕩然とした表情を浮かべる。
「おお……! なんともこれは繊細な……!」
「この芳醇で華やかな香り……口に含んだときのほのかな甘味がなんとも……!」
なんかちょっとヤバ気なくらい浸ってますけど。まあ、気に入ってくれたようでよかったけども。
皇王陛下とテノール宰相がこちらへ向けてグラスを掲げる。
「サクラリエル、でかした! さすが我が姪! これほど嬉しいことはないぞ!」
「まさにまさに。サクラリエル嬢は我が国の至宝でございますなあ!」
あんたら暗黒竜倒した時よりも喜んでない? もう酔ってんの?
そんなお父様たちが酒盛りをしている間にも、屋敷の使用人たちが次から次へと酒屋の中から酒を運び出していた。
常温でも保管できるものと、冷蔵庫に入っていたものとを分けて、冷やされていた方を四阿に、それ以外を屋敷に運んでいる。なに? 冷えているやつは片っ端から飲む気なの?
買っているうちにちょっとした発見があったのだけれど、ここのお酒、私は買えなかった。
どうも未成年は買えないらしい。まあ地球じゃ当たり前なんだけど。
なのに、成人の儀式を済ませた十五歳の使用人の子は買えた。売り買いの法律は地球なのに、成人基準はこちらの世界になってる? わけがわからないよ。
私も社交界デビューをして一人前になったら買えるんだろうか……。
ちなみに店のバックヤードには入れなかった。おそらくなんだが、奥にあるお酒は店内の中のお酒が無くなると補充されるのだろう。そのバックヤードの分も買ってしまうと売り切れというわけだ。
やがて全ての酒を運び出すと、お父様に店舗を送還するように言われた。
まあ中身を全部運び出してしまったら、単なる家でしかないし、酒屋自体に私も興味はないから言われる通りに酒屋を公爵家の召喚場から消した。
四阿の前には冷えたお酒の瓶や缶が山ほど置いてあるけど、まさかこれ全部飲む気じゃないよね……?
と、私がお父様たちの正気を疑っていたら、門の前に貴族を乗せた馬車が次から次へと到着した。
馬車から降りた貴族はうちの執事のセバスチャンに案内されるがままに四阿へとやってくる。
「えっと、お母様……あれは?」
「『皇王派』の貴族たちね。皇王陛下が呼び出したんでしょう。珍しいお酒を振る舞って、結束を高めよう、ってとこかしら」
はー……ちゃっかりしてるなあ。さすが皇王陛下、抜け目がない。
皇王陛下率いる『皇王派』の対抗勢力だった『伝統派』のリーダー、ラグタイム侯爵が失脚しても、『伝統派』自体は潰れたわけじゃない。
その他にも『保守派』とか『中立派』とか、いくつかの派閥があるらしく、結束を固めた方がいいというのはわかるんだけれども。
「単に酒盛りしたかっただけじゃないかな……」
四阿の一角がもう完全に宴会場のようになっている。酔っ払いの相手はごめんなので、私とお母様は屋敷へと戻った。
というか、仕事してよ、おじさんたち……。
五つ目の店舗はハズレだったなぁ。いや、おつまみの柿ピーとかは美味しいし、公爵家としては当たりだったのかもしれないが。
まあ、レベルアップに関してはもう一つ心当たりがあるので、そっちに期待しよう。うまくいけばまた一店舗増やせるかもしれない。今度こそコンビニだといいなあ。
◇ ◇ ◇
「これは美味い……!」
「いや、こんな酒が世の中にあったとは……!」
シンフォニア皇国騎士団総長、アルベルト・ルドラ・スタッカートと、第一騎士団団長、カイン・ラチア・セレナーデは振る舞われた酒に文字通り陶酔していた。
「そうだろう、そうだろう! うちのサクラリエルはすごいだろう!」
すでに酔いが回っているのか、娘自慢が止まらない皇弟クラウドに二人とも苦笑を浮かべている。
まあ、それも無理からぬことかと二人は思う。なにしろ『聖剣の姫君』だ。あの暗黒竜を打ち倒した現場に二人とも居合わせている。あれだけのことをやってのけた娘を、父親が自慢するのも仕方のないことだと思う。いささかしつこいが。
同じ話を繰り返す弟を押しやって、酒に強く、それほど酔ってはいない皇王が二人に向けて口を開く。
「そのサクラリエルなのだがな、そろそろ『側仕え』を決めねばならん。それをお前たちに選んでもらえないかと思ってな」
「側仕えですか」
アルベルトがなるほど、と頷く。『側仕え』とは上級貴族の護衛であり、また、身の回りの世話をする同年代の者のことである。
かくいうアルベルトも幼少期は皇王であるウィンダムの側仕えであった。そして次世代の皇王となる皇太子エリオットには、息子であるジーンがついている。
親子二代で王家の側仕えになれたことはアルベルトの密かな誇りであった。
「しかし『聖剣の姫君』に側仕えが必要でしょうか? 護衛対象が側仕えよりも強いというのは、いささかやりにくい気も……」
皇王の言葉にカインが腕を組んで、むむむ、と首を捻る。
「いや、あの力はあくまでも邪を祓い魔を討つ力だ。対人戦ではそこまでの力は期待できぬ。やはり守る者は必要だろうよ」
それにサクラリエルには、まだ聖剣の力を使うにはリスクがある。その幼さゆえか、身体が耐えられないのだ。今回は筋肉痛だけで済んだが、無理をすればそれ以上の反動があるかもしれない。
おいそれと軽々しく使うわけにはいかない力だ。
「やはり側仕えは同性の方がいいですよね?」
「当たり前だろう! 同年代の男なんかを朝から晩まで付きっきりにできるか!」
カインが念のために聞くと、皇王陛下ではなく、クラウドがいきり立ってテーブルにグラスを、ドン! と叩きつけた。
「ま、そういうことだ。騎士の家系で同年代ならば家格は問わぬ。実力さえあればな」
苦笑気味の皇王陛下の言葉に、ふむ、とアルベルトはしばし考え込み、
「それならば適任が」
と、意味ありげな笑みを浮かべた。
この時、サクラリエルがこの場にいれば、嫌な予感をビンビンと感じたに違いない。
されど物語は回る。悪役令嬢の望む望まぬに関係なく。