◇030 聖剣ファルネーゼ
お父様へと振り下ろされる凶悪な暗黒竜の尻尾。このままでは確実にお父様は潰されてしまう。そう思った私はとっさに『それ』を口にしていた。
「【店舗召喚】!」
光とともにお父様の前に現れる『藤の湯』。
高い煙突を備えたその建物は暗黒竜の一撃を受けてもびくともしなかった。
「お父様、早く中へ!」
私の声にお父様が暗黒竜に背を向けた藤の湯の中へと転がるように入る。
暗黒竜が『藤の湯』へ向けてもう一度尻尾をぶつけるが、建物を潰すどころか瓦一枚も割ることができなかった。
『ゴガァァァァァァァ!』
ムキになったのか、暗黒竜はさらに前足の爪で藤の湯を何度も何度も攻撃する。だがやはり建物には傷一つつけることができない。
やっぱりだ。ゴブリンを轢いたというキッチンカーの件でもしやと思っていたけれど、私の召喚した『店舗』はとてつもなく頑丈なのだ。いや、ひょっとして破壊ができないのかもしれない。
厳密に言えば外壁だけなのかもしれないけれど。中にあるカレンダーとかは破けたし。
「サクラリエル、これはどういうことだ!?」
「えっと、私の『店舗』はすごく頑丈なんです!」
皇王陛下が尋ねてきたが、そうとしか答えようがない。ただ頑丈なだけで倒すことはできないけれども。
暗黒竜が藤の湯に気を取られている間に、エステルが先ほど吹っ飛ばされた騎士のところへ向かい、回復魔法をかけていた。
エステルの『ギフト』の真価がバレてしまうかもしれないが、今はそれどころじゃない。
どうすればいい? 暗黒竜を倒す方法はなくても、せめて封印とかできれば……!
封印……そうか! 『封印の宝玉』だ! エリオットルートでエリオットの好感度が低く、光の聖剣を呼び出せないと、暗黒竜は『封印の宝玉』に封印されてグッドエンドになるんだった。
エリオットとエステルが結ばれるトゥルーエンドは無理でもグッドエンドならいけるかもしれない!
「陛下! 『封印の宝玉』を使いましょう!」
「『封印の宝玉』? なんだそれは?」
私の言葉にポカンとしている皇王陛下。ちょっ、なんで知らんのよ!? うちの国のお宝でしょうが!
って、あー、そうか! あの宝玉ってエリオットのイベントで、お城の中をエステルと探索してたら隠し部屋を見つけて発見するんだっけ! まだ見つかってないんだから王様が知らないの当たり前だ!
どうする!? 今から探しに行ってる暇なんてないし……!
『グルガァァァァァァァッ!』
暗黒竜が藤の湯の裏手へ向けて炎のブレスを吐き始めた。マズい! 建物は焼けたりしないかもしれないけれど、熱までは防げないかもしれない! お父様を逃さないと!
「【店舗召喚】!」
藤の湯の前にキッチンカーを召喚する。すぐに察したお父様はキッチンカーへと乗り込み、炎を浴びる藤の湯から一目散に走り出した。ああ、よかった。
「サクラリエル様、ここは危険です! 私たちは下がりましょう!」
「え、ええ、そうね……」
騎士たちを癒したエステルに腕を引かれるが、私はなんとかしてあの暗黒竜を止める方法はないか一生懸命考えていた。
ゲーム知識の中にはいくつかの方法はあったのだが、どれもこれも時間がかかる。
やはりここは一旦退いて、隠し部屋から『封印の宝玉』を手に入れるしかないか……。
そう考えていたとき、暗黒竜の乱発した火炎弾がこっちへも飛んできた。ちょっ!? あ、マズい。このままじゃエステルまで……!
私はとっさにエステルを横にあった池へと突き落とした。
「サクラリエル様っ!?」
エステルの声と、ボチャンという落ちた水音がしたかと思ったら、耳をつんざくような轟音がして、私の身体は宙へと投げ出されていた。そのまま勢いよく地面に叩きつけられてボロ雑巾のようにゴロゴロと転がる。
全身が軋み、手足が変な方向に曲がっているのがなんとなくわかった。
痛ったぁ……。でもこの感覚どっかで……ああ、前世で死ぬ時に車に轢かれた感じと同じだわ。
身体が冷たくなっていく感覚と意識が薄れていく感覚。まさかこれをもう一回体験するとは。
このまままた死んじゃうのかな? やだなぁ……。きっとお父様とお母様は大泣きしちゃうんだろうな……。まだなんの恩返しもしてないのに。あの二人の娘に生まれて本当に良かった。
エステル、ルカ、ティファ……せっかくこっちでも友達ができたのになぁ。結局、ゲームの運命には逆らえないってことなのかな……。
死にたく、ない、なぁ……。死にたくない……。
あー、なんかあったかくなってきた……。
……ん? あったかく?
「……サクラリエル様! サクラリエル様!」
「んあ?」
目を開けると、両目からぼろぼろと涙を零す、全身ずぶ濡れのエステルの姿があった。
「お?」
起き上がる。どこも痛くない。確か吹き飛ばされてズタボロにされたはずだけど。
確かに服はボロボロなのだけれど、身体には傷ひとつなかった。そこらじゅうに血は飛び散っているけれども。
「よかった……! サクラリエル様が死んでしまったらって、私……!」
エステルが泣きながら抱きついてくる。
ああ、エステルの『ギフト』、【聖なる奇跡】か。すごいわね……。あんな死にかけの状態からも復活するんだ。『奇跡』の名は伊達じゃない。
「ありがとう、エステル。助かったわ」
「はい……! 本当に、よがっだ……!」
まだ泣きじゃくるエステルの手を握り、感謝の言葉を伝える。
ふと、エステルの右手が光っているのに気付いた。見ると、聖なる女神・ホーリィ様の紋章が輝いている。これってもしかして……!
レベルアップだ! エステルの『ギフト』がレベル3に上がったんだ!
でもなんで? エリオットとのイベントなんて起こってないのに……!
ゲームではエリオットがピンチになって、死ぬってときに覚醒するのだけれども…………あ、れ?
……ひょっとして、私が死にかけたことでイベントを消化しちゃった、とか?
「エステル……。ひょっとして新しい力が使える?」
「新しい力? えっと……あ、はい。できるみたいです。なんとなくわかります。えっと、こうかな……」
エステルが手を翳す。周囲に小さな光の粒が生み出され、それが集まって一つの形を成していく。
刀身と柄頭は銀色。柄は青く、刀身の根本には桜のような先の割れた五角形の彫刻が刻まれている。
聖なる光を帯びて、その一本の剣は宙に浮いていた。
光の聖剣だ。暗黒竜を滅ぼすことができる唯一の武器。
聖剣ファルネーゼ。
乙女ゲーム『スターライト・シンフォニー』の最強武器が私たちの前にある。
『我はファルネーゼ。聖女の祈りにより生まれし聖なる刃。邪を払い、魔を滅す、その力とならん。契約者よ、我をその手におさめよ』
うわ、ゲームと同じセリフだ! これって聖剣の精霊が話しているから、契約者候補であるエリオットにしか呼びかけが聞こえないんだよね。
…………えっ?
ちょ、待って。ひょっとして、私が契約者候補になってる!?
「えっ、えええ、エステル!? これ呼び出す時なんか条件とかなかった……?」
『契約者よ、我をその手におさめよ』
「条件、ですか? 『力になりたい者のため祈れ』と言われたので、サクラリエル様のことを……」
うわあああああああ! 間違いじゃなかったああ! 私が聖剣の契約者候補になってるう!?
『契約者よ、我をその手におさめよ』
ど、どうしよう? 一回引っ込めてもらって、もう一度エリオットのために祈ってもらおうか? いや、でもそんな暇は……!
『契約者よ、我をその手におさめよ』
これって一度契約したら解約できないんだっけ? クーリングオフって無し? エステルは聖剣の精霊を呼び出すだけで、契約自体は聖剣の精霊と契約者が結ぶから、
『契約者よ、我を、』
「うるっさいなあ! ちょっと黙ってなさいよ!」
人が一生懸命考えている時に、横からごちゃごちゃとうるさい馬鹿剣を、私は胸ぐらを掴むように引き寄せて怒鳴りつけた。
「あ」
『契約は成された。我は其の敵を討ち払う刃となろう』
やってもうたああああ! 待って待って、今のなしぃぃぃぃ!
私の手に握られた聖剣は、パァン! と眩しい光を弾けさせて、地上に顕現した。
嘘でしょ……! エリオット、ごめん。あなたのルート乗っ取っちゃった……。
「サクラリエル様、そのお姿は……?」
「え?」
エステルに言われて気がついたが、私は全身にプラチナ色の光を纏い、髪の毛が真っ白に変化していた。うわ!? これってエリオットの聖剣モードじゃない!?
聖剣持ったら変身って、ゲーム的にはわからないでもないけど、また派手な……!
『ゴガァァァァァァァッ!』
聖剣の発する光に触発されたのか、暗黒竜が藤の湯越しに連続で火炎弾を吐いてきた。
燃え盛り迫るそれらを、私は聖剣を軽く振り回して全て真っ二つに斬り裂いていく。その刹那、火炎弾は霧のように雲散霧消した。
ファルネーゼは魔を討ち、邪を滅する聖剣。魔に属する暗黒竜の攻撃など、全てこの剣の前には意味をなさない。
「すごい……! すごいです、サクラリエル様!」
「いや、すごいのはこの剣なんだけどね……」
つまりこれを呼び出したエステルが一番すごいってことなんだけども。本人はただキラキラした目をこちらへと向けている。
私が苦笑していると、目の前にドリフトしながらお父様の乗ったキッチンカーが滑り込んできた。
「さ、サクラリエル! 無事かい!? け、怪我はないかい!?」
「あ、大丈夫です、お父様。それよりもう面倒なんでアレ、倒しちゃいましょう。手伝って下さい」
「え? 倒す? 倒すって……わ!?」
軽く跳躍してキッチンカーの屋根に、バン! と飛び乗る。さすが聖剣モード。身体能力が馬鹿みたいに跳ね上がっている。これならいけるな。
お父様も私の身体能力の上昇に驚いている。
「あの竜に向けて一直線に走って下さい」
「なっ!? 危険だ! もしも攻撃されたら……!」
「大丈夫です。さっきの見たでしょう? あいつの攻撃は全て無効化できます。神様が授けてくれたこの剣があれば。信じて下さい、お父様」
窓から身を乗り出し、心配そうに私を見上げていたお父様が、意を決したように運転席に引っ込んだ。
「よし! 飛ばすぞ! しっかりと掴まっていてくれ!」
私はキッチンカーの屋根にあったルーフレールに掴まり、姿勢を低くした。
キッチンカーが勢いよく走り出す。正面の藤の湯が邪魔になるので『ギフト』の能力で消しておく。
『グガァァァァァァァッ!』
暗黒竜が火炎弾を再び連続でキッチンカーへ向けて吐き続ける。しかしそれらは私が振るう聖剣の前に全て塵となって消えた。
ホント、チート武器だよね……。まあ、最終武器なんだから当たり前か。これが乙女ゲームじゃなく、RPGやシミュレーションRPGとかならここまでの強さはいらなかっただろうけどね。残念ながら乙女ゲームに戦闘システムはないんだよ。
キッチンカーは暗黒竜へ向けて爆走する。その勢いのままに身体強化された私はキッチンカーの屋根から前へと跳躍し、暗黒竜へ向けて光り輝く聖剣を振り下ろした。
伸びた光の刃が星の煌めきのように暗黒竜を両断する。
「じゃあね」
『グ、ゴ、ギュアアアァァァァァァァァァ!?』
左右真っ二つにされた暗黒竜は、爆発するように塵となって、断末魔の叫びとともに光の中へと消えていった。花火が弾け飛ぶように光のシャワーが周囲に降り注ぐ。
一撃って。とんでもない剣だなあ。
私が聖剣の威力に呆れていると、やがて周囲から爆発するような歓声が湧き上がった。
「やった! やったぞ! 竜を倒した!」
「聖剣の姫君が邪竜を倒したぞ!」
「奇跡だ! 聖剣の姫君の奇跡だ!」
ちょっ、なにその呼び名!? 恥ずかしいからやめて!
いつの間にか晴れ渡った空の下、湧き上がる歓声の中で、あまりの恥ずかしさに私はただ引きつった笑いを浮かべることしかできなかった。
拙作『桜色ストレンジガール』ですが、ありがたいことに連載開始直後から、九つもの出版社からお声をかけていただきました。ですが、やはり古巣のHJノベルスさんで書籍化していただこうということになり、その旨ご報告させていただきます。
イセスマに多少なりとも関連する世界ということで、イセスマ同様、また長くお付き合いいただけたら幸いです。そして同時にコミカライズも進行中です。
まだ発売時期など詳しいことは決まっておりませんが、たぶん、イセスマ31巻の後になるかと。
気長にお待ち下さいませ。