◇025 対策と懸念
「相変わらずサクラリエルの『ギフト』はとんでもないな……。これほど小さな時計など見たことがない」
皇王は弟から献上された腕時計を眺めながら感嘆のため息をついた。
この世界でも一日は二十四時間であり、午前と午後の概念もあった。ついでに言うと一年も十二ヶ月であり、閏年もある。
「これは貴族たちへの褒賞に使えるな」
「ええ。ここまで小さく精密な時計など、価値は計り知れません。貴族たちの中で名誉の証となるでしょう」
クラウドから預かった時計を眺めながらテノール宰相が眼鏡の位置を直す。正直に言えば彼もこの時計を欲しいと思った。この世界にある最小の時計でも地球でいう柱時計ほどの大きさがある。とても持ち歩ける大きさではない。
人は時計塔の鐘の音で時間を知り、大まかなスケジュールを立てる。どうしても『あと何分』ということがわからないので、予定がズレ込むことが多い。
几帳面なテノール宰相はそれが許せなかった。この時計があればかなり予定が立てやすくなるだろう。
「皇弟殿下、よろしければこの時計を……」
「ああ、わかってる。それは君に譲ろう。僕は明日になればまた買えるから」
クラウドの言葉を聞き、笑顔になった宰相は深々と頭を下げた。
「貴族への褒賞として使うなら、なるべく王家の方で買い取りたいが……できるか?」
「それはまあ。手数料さえいただければ」
「ちゃっかりしてるな……。まあ、サクラリエルの『ギフト』がそういうものである以上、金は必要だろうからな」
サクラリエルはいずれとんでもない商品を買える店を呼び出すことができるかもしれない。しかしその時に金がなくては話にならない。娘のために今のうちに自由になる金を稼いでおきたい公爵殿下であった。
もともと娘の『ギフト』で得た金なのだから、それは娘のために使うべきだと彼は思っている。今まで得た金も彼女のためにちゃんと取っておいてあるし、それらは彼女が呼び出した店の商品購入に使うつもりだった。
「で、例の襲撃者についてはなにかわかりましたか?」
「さっぱりだな。しかしあの日、エリオットが祭りに出かけることを相手がなぜ知っていたかが気になる。本来ならエリオットが出かける予定はなかった。二王女をエスコートしてこいと命じたのは余だからな。その情報をどこから掴んだのか。これはやはり……」
「内通者がいる?」
こくりと皇王陛下が頷く。
エリオットが城下に出かけることを知り、襲撃者にその機会を教えた者がいる。人の口に戸は立てられない。城内に勤める者なら誰にでも知り得た情報ではあるが、それがあの短時間で流れたとすると、確実にそれを教えた誰かがいたと考えていいだろう。
「やはりラグタイム侯爵でしょうか?」
「可能性は高いが……なにが狙いだ? まさかエリオットになり代わり、自分の息子を王位に就けるつもりか?」
「さすがにそれはないでしょう。ラグタイム家に皇族の血が流れていると言っても、その血はかなり薄い。基本的に皇位継承権は三親等までです。それら全てを根絶やしにでもしない限りは……。やはり傭兵団を認可させるための脅しなのでは」
「その傭兵団ですが。すでにラグタイム侯爵は何人かの傭兵を雇っているようです。表向きは領地に出没する盗賊団を殲滅するため、と申しておりますが」
シンフォニア皇国において『騎士』とは騎士爵を持つ者である。
騎士爵は世襲されない準貴族であり、どこかの貴族、または国に仕えることで給金を貰っている。
通常、貴族に仕える騎士の場合、その貴族の爵位によって数が決まっており、貴族はそれ以上の騎士を召し抱えることはできない。
ただし正当な理由があり、国に届けを出せば一時的に民兵や傭兵などを集めることも可能であった。
これは主に魔獣による集団暴走、あるいは隣国からの突然の侵略などが起きたときに適用されたりする。
ラグタイム侯爵が提案しているのはこの一時的に金で雇う傭兵などを、国に許可をもらわなくても貴族の裁量で自由に雇い入れてもよいことにしよう、というものであった。
わかりやすくいうなら、正社員だけじゃなく、忙しい時は社長にいちいち判断を仰がないでも、各地の店長の好きにバイトを雇えるようにしようぜー、といったところだろうか。
確かに突発的に不測の事態が起きた場合、いちいち許可を取ることなく兵を集められる迅速さは必要なのかもしれない。
しかしラグタイム侯爵が提案しているのは『古い貴族に限り』、という前置きがつく。
侯爵曰く、おかしな貴族がいたずらに兵力を持てば反乱の芽になりかねない。だから古くから皇国に仕える限られた貴族のみにその権利は与えるべきだと言っている。
「どの口が言うか。皇都に近い領地で兵を集めてなにをする気だ? 余には国を乗っ取ろうとしてるように見えるぞ」
ラグタイム侯爵の領地は皇都シンフォニックからほど近い場所にある。
通常、万が一の反乱に備えて、皇都に近い領地は皇族所縁の貴族が固めているものだ。皇王陛下の弟であるクラウドの領地も皇都の近くにある。
しかしすでに建国から数百年も過ぎ、皇都周辺を治める貴族は現在の皇族よりもそういった古い貴族が多くなってしまっていた。
それはつまりラグタイム侯爵が率いる『伝統派』が多いということで……。
もちろん古い貴族の中にも皇王派の者はいるが、古い貴族の中で割合としては六割が伝統派だ。
古い貴族は貴族全体の三割ほどだが、もしも伝統派が金に飽かせて領地に傭兵を集めれば、皇都を陥落させるに足る軍隊を手に入れることもできるだろう。
もちろん皇都には皇国騎士団がいるし、そう簡単に皇都が落ちるとは思えないが、なにか隠し球を持っている可能性もある。油断はならなかった。
「なんにしろそんな法案は認可できん。人手が足りないというのなら皇国騎士団から派遣すればいい。こちらは手を貸すのを渋っているわけではないのだからな」
「そもそもエリオット皇太子を狙ったのは本当に伝統派なんでしょうかね? 皇国の混乱を狙った帝国の犯行、という線は?」
「可能性はゼロではないですが……。いささか手ぬるいかと。帝国の犯行ならもっと確実な方法を取ると思いますね」
召喚獣に襲わせる。悪くない手ではあるが、どちらも人が多いところで襲われている。暗殺者なら邪魔される可能性の少ない、人のいない場所を狙うはずだ。
もしくは見られても確実に仕留められる状況でやるはず。
報告によると、建国祭で現れた召喚獣は統率がまったくとれていなかったという。暗殺者にしてはどこかちぐはぐな印象を受けるのだ。
「また狙われると思うか?」
「二度あることは……と申します。エリオット皇太子にはしばらく外出を控えていただいてはと」
皇王陛下の問いに宰相が答える。相手の狙いが皇太子だとわかった以上、より警備を厳しくする必要がある。
「ううむ、この祭りの間にエリオットにはプレリュードとメヌエットの両王女と誼みを結んでもらいたかったのだが……」
「そちらの方はうちのサクラリエルが上手いことやっておりますので」
「むう……。それもどうなのか……」
満面の笑みで答える弟に渋面を見せる兄。女子同士が仲良くなるのはわかるのだが、どうにもエリオットが爪弾きされているように感じて、皇王陛下としては複雑な思いであった。
「建国祭の最終日に親善パーティーがあります。その時にまた親交を深められるのでは?」
「うむ……。まあダメならダメで、婚約者はまたあらためて探せばいいか。数年経てばサクラリエルも心変わりするやもしれぬし」
「それはどうですかね……」
数ヶ月一緒に暮らしてみて、クラウドも娘の性格がようやくわかってきた。
少女にありがちな恋に恋する気持ちとか、夢に憧れる気持ちなどが極端に薄い。現実主義というか、ひどく冷めているというか。
貧民街で育ったためか、どこかそういった面が見受けられる。まるで子供らしくないのだ。だからといって情が薄いとか酷薄であるということはない。使用人たちにも優しく接しているし、こちらの事情も慮る。
父親としてはもう少しわがままを言ってほしい気持ちもあるのだが。
故に一度エリオットとの婚約を拒否した以上、よほどのことがなければそれを翻すことはないだろう。
王弟としての立場からすれば、サクラリエルとエリオットが婚約するのは望ましいが、父親の立場からすると、まだ嫁ぎ先を決めるには早すぎると思ってしまう。
兄には悪いがサクラリエルが何か言ってこぬうちは、このことに対して積極的に動く気はクラウドにはさらさらなかった。
「一応親善パーティーの警備は強化しなくてはな。エリオットもそうだが、二王女に何かあればシンフォニアの名は地に落ちる」
「ただいま防御系の『ギフト』持ちを中心に警備体制を見直しております。結界だけでは不安がありますからな」
宰相の言葉に皇王陛下は深く頷く。『ギフト』を使用不可にする結界にも限度があり、サクラリエルの言うところの『レベル』が充分に育っていれば、破ることも可能なのだ。さらに『結界を無効化するギフト』というものがないとも限らない。念には念を、ということである。
数日後の親善パーティーにおいて、抜かりがないように再び三人は警備体制を見直し始めた。