◇002 父母との再会
「えっ!? ってことは、あの男は誘拐犯!?」
「そうです。この手で断罪できなかったことが悔やまれますね」
馬車の中でターニャさんから聞いた話によると、三年前、私を殴りつけたあの男は父親でもなんでもなく、それどころか私を誘拐した犯人だという。
三年前、私は父母に連れられて、母方の祖父の領地を訪れていたそうだ。
その時に私は誘拐された。祖父の家で雇っていたメイドの一人が誘拐犯の男の情婦で、犯行を手引きしたらしい。
メイドから男に引き渡された私は、目立たないようボロい服に着替えさせられ、あの貧民街に連れて行かれた。そこで殴られて私は前世の記憶を取り戻したわけだが。
「脅迫状が届き、身代金の受け渡し場所に我々は向かいました。しかし指定された時間を何時間過ぎても一向に犯人からの繋ぎはない。やがてメイドの犯行が明るみに出て、そこから誘拐犯の男を取り押さえに貧民街へと向かうと男はすでに路上で死んでいる。サクラリエル様の消息はそこでプツリと途切れてしまったのです」
確か……あのあと薬師のおばあさんに拾われた私は、すぐに国外へと連れてかれたんだよね。それから一年は流浪の旅であちこちに行っていたから……。
よその国にいたんだから見つからないのも頷ける。その後またこの国に戻ってきたのだけれど、住んだのは攫われた都ではなく、あの辺境の町だった。
まさかすでに国を出ているとは思わず、祖父の領都では徹底的に私の捜索がされたらしい。それも極秘で。
王家に連なる公爵家の令嬢が誘拐されたなんて、醜聞もいいところだ。政敵もいるだろうし、情報公開が私のさらなる危機を生み出す可能性もある。秘密裏にしたい気持ちもわかる。
大きな都なんかは入る時にはそれなりの取り調べがあるが、出ていくときは緩い。特別な命令がない限りは。
どうもタイミング悪く、私達は見つからずに出ていってしまっていたらしい。あの時、疲れ果てて幌馬車の中でずっと横になってたからな……。領都の門番さんたちもスルーしてしまったのかも。
……ちょっと待って。てことはなにか? あのとき、男が死んだあとあそこで待っていればすぐ迎えが来たのかしら? 逃げたせいで三年間貧民街暮らしをする羽目に……?
それ以前に男から逃げ出さなければ、普通に助けられて無事に帰れたかも……。
うわぁぁぁぁ、なにやってんのよ、私ぃ!
……いやいや。仮定の話をしていても仕方がない。大事なのはこれからどうするかということだ。
「えっと、その、私、貧民街にいたときより前の記憶が全くないのですけど……」
「そのようですね……。しかし、ご両親にお会いになれば思い出すかもしれません。お気を落とさずに」
馬車は一路王都へ向けて進んでいる。私が住んでいた辺境の町から馬車を飛ばして五日ほどかかるらしい。まさか王都に行くなんて思わなかったな。
先触れに騎士の一人が王都へ向けて馬で単騎走っていった。一刻も早く公爵夫妻に知らせるんだってさ。
うーむ、しかし私が公爵令嬢ねえ……。全く実感が湧かないな。前世も庶民だし、貧乏学生だったし。
そんな私の気持ちをよそに、王都へ入るまでの町で服やら髪やらをお付きの人たちにきちんと整えさせられた。
鏡を見てビックリ。まさか私が『これが私……?』をやる羽目になろうとは。はぁ~……着飾ると公爵令嬢に見えなくもない。馬子にも衣装とはこのことか。
しかしこの顔……どっかで見たような。や、鏡で見たとかそういうんじゃなく、前世のどこかで……。どこだったかなあ……。ま、いいや。
そして五日後、ついに馬車は王都へと入り、フィルハーモニー公爵邸へと向かっている。
王都は大きくて見るもの全てが珍しかったが、私の心情はそれどころじゃなかった。
「なんか緊張してきた……」
大丈夫かな? 両親の記憶が全くないんだけれども。三歳といえどそれなりに人格は形成されていたと思う。あまりにも性格が違いすぎて別人だと思われないかしら?
いや、三歳までの記憶が消えて、前世の記憶が甦っちゃったから、ほぼ別人のようなものなんだけれども。
「大丈夫です。貴女は間違いなくサクラリエル様なのですから。ほら、着きましたよ」
馬車が静かに停車する。ターニャさんに手を引かれて馬車を下りると、目の前には驚くほど大きなお屋敷が。
でっか……! さすがは公爵家というだけはあるね。庭園やら噴水まであるよ。向こうにバラ園みたいなものまである。これ敷地何坪ぐらいあるんだろ……。
そんな益体もないことを考えていると、正面玄関から誰かがこちらへと走ってくる。女の人だ。あっ、こけた。
私が転んだ女性に狼狽えていると、その人はすぐに立ち上がり、こちらへ全力で走ってきて、そのまま力強く私を抱きしめた。
「ああ、サクラリエル……! よくぞ生きて……!」
「あ……」
すぐにわかった。この人が私のお母さんだ。二十代前半とずいぶん若く見えるけど、私は六歳だし、ありえなくはないのか。
お母さんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、私の顔を両手で優しく包んだ。
「もっとよくお顔を見せて? ふふ、変わってないわね。覚えてる? お母さんよ?」
「あ、あの、ごめんなさい。私、三歳以前のこと、覚えてないんです……」
「聞いているわ。大変だったわね。でも貴女は間違いなく私の娘。サクラリエル・ラ・フィルハーモニーよ」
そう断言するとお母さんはまた涙を流しながら笑った。私と同じ薄桜色の髪。瞳の色は碧眼で違うけれど、確かに私はこの人の血を引いていると思われる。
「おいおい、アシュレイ。君だけじゃなくこの子は僕の娘でもあるのだよ? 独り占めはよくないな」
「わ!?」
不意に横から伸びた大きな手が私を抱き上げる。目の前にはお母さんと同じく、涙に濡れた男の人の姿があった。
「やあ、しばらく見ないうちに重くなったね! これは腕が辛くなりそうだ。ははは、少し鍛えないといけないな!」
長い金髪に私と同じ翡翠色の眼。こちらも二十代前半のイケメンが私を抱き上げていた。ひょっとしてこの人がお父さん? 若いなあ!
「あ、あの……」
「僕たちの娘が戻ってきた……! 創世の九女神よ、感謝します……!」
お父さんと思われる男の人に抱きしめられて、私は何も言えなくなる。
なぜか私まで涙が浮かんできた。それは子供を失ったという絶望の中でも、わずかな希望を捨てずに探し続けた、このご両親の切なる想いを感じたからだ。
申し訳ないが、客観的な涙である。感動的な映画やドラマを見て流す涙と同じ。
しかしこの二人が自分を大切に想っていてくれたということ、二度とこのような思いをさせてはならないということは理解できた。
私たち三人を見て、周りのメイドさんや執事のおじいさん、騎士団の面々他、使用人までもが同じように涙している。なんとなく恥ずかしくなって、私はお父さんの肩に顔を埋めた。
◇ ◇ ◇
「サクラリエルは?」
「寝ましたわ。ふふ、とっても可愛い寝顔よ。ずっと見ていたかったわ」
リビングへ戻ってきたアシュレイは幸せそうに微笑む。
夫であるフィルハーモニー公爵家当主、クラウド・リ・フィルハーモニーは、三年ぶりの妻の心からの笑顔をまぶしく見つめた。
そのまぶしさから逃れるように、クラウドの視線は横に控えるターニャとユアンに向けられる。
「それで、その薬師の婦人は丁重に葬ってきたんだね?」
「はっ。公爵家の名で神父に墓を管理するよう頼んで参りました。きっと安らかに天へと旅立たれることかと」
「うん。娘を今日まで守り、育ててくれた恩人だ。本来ならばその家族にも礼をしたいところだが、息子はどうしようもないクズのようだからね。そちらには一切の干渉をしないこと」
「はっ」
万が一、サクラリエルのことを知った薬師の息子が『自分の母は公爵令嬢の恩人だ。礼を寄越せ』などと言いに来ても取り合うな、ということである。
表向きにはサクラリエルは三年前より病気で領地にて療養中としてある。誘拐されたなどという事実はないことになっているのだ。
母親の遺体を放置する平民のクズ男が喚いても誰も信じまいが。
「それにしても三年より前の記憶がないとは……」
「サクラリエル様は誘拐されたあの男に頭を執拗に殴られたそうです。そのショックで記憶を……」
「……おのれ! この手で八つ裂きにしてやりたかった!」
クラウドが燻る怒りを吐き出す。しかし誘拐犯の男はすでに死んでいる。手引きしたメイドの女も極刑に処された。すでに怒りをぶつける相手はいないのだ。
クラウドの握り締めた拳に、妻であるアシュレイがそっと手を乗せた。
「あの子が無事に帰ってきたことを喜びましょう、あなた。三年分、いえ、それ以上に愛してあげなければ」
「……ああ、そうだね。そうだ、これから僕らがあの子を幸せにしてあげなければ」
妻に諭され、クラウドは冷静さを取り戻す。そうだ、これからなのだ。あの穏やかだった日々を取り戻すために、一層の努力をせねばならない。
「義父上には知らせたのかい?」
「ええ、早駆けの便で。数日のうちにこちらに来ると思いますわ」
サクラリエルの誘拐を誰よりも悔いていたのは、アシュレイの父であり、サクラリエルの祖父でもある、ザルバック・オン・アインザッツ辺境伯であった。
なにしろ自分のところへ遊びに来ていた時に、孫娘が誘拐されたのだ。それも自らが雇っていたメイドの手引きで。
アインザッツ辺境伯にフィルハーモニー公爵夫妻は何度謝られたかわからない。かつて『皇国の獅子』と呼ばれ、戦場で恐れられた男は心労のためか急激に老けこんでしまった。
しかし娘は無事に帰ってきた。これで彼の自責の念が消えればいいのだが。
「私も兄上と母上にこのことを知らせないといけないな。早速伝令を走らせなければ」
「きっとお二人とも喜んで下さりますわ」
フィルハーモニー公爵であるクラウドは皇弟である。兄であるウィンダム・リ・シンフォニアは、この国、シンフォニア皇国の皇王陛下であった。
サクラリエルが誘拐されてから、姪のためにと陰に日向に力となってくれた兄である。きっと喜んでくれるに違いない。
明日からやることが山ほどある。しばらくはサクラリエルの体調を様子見して、そのあとは『ギフト』を授かる『天啓の儀』を受けさせなければ。
普通なら三歳ごろに受ける『天啓の儀』だが、サクラリエルはそれを受けぬまま誘拐されてしまった。
貧民街にいたことを考えると、おそらくサクラリエルは『天啓の儀』を受けてはいまい。それだけで人より三年遅れている。
『天啓の儀』を受けられるのは七つまで。まだ十分に取り戻せる範囲だ。問題ない。クラウドは自分にそう言い聞かせる。
「良い『ギフト』を授かるといいのだが……」
クラウドは辛い思いをしてきたであろう娘のために、天に祈らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
「……っ、思い出したああぁぁぁ!」
ガバッと布団を跳ね除けて、私は夢の世界から帰還した。
月明かりが差し込むその部屋は、六畳一間のアパートでもなく、見慣れた掘っ建て小屋でもない、公爵家令嬢、サクラリエル・ラ・フィルハーモニーの部屋。
私は無駄に大きいベッドから飛び降り、薄暗い中、鏡台の前に立って自分の姿をじっくりと眺める。縦ロールじゃないけれど、はっきりと面影がある。間違いない。
「フィルハーモニー家、シンフォニア皇国、そしてサクラリエル……これって乙女ゲーム『スターライト・シンフォニー』の世界じゃない……!」
鏡の中にはその乙女ゲーム、『スターライト・シンフォニー』の悪役令嬢の一人、サクラリエル・ラ・フィルハーモニーによく似た子供が茫然と佇んでいた。




