◇016 黒い襲撃者
「おお、ティファーニア王女にルカリオラ王女。今日は楽しんでもらえているかな?」
皇王陛下は何人かの貴族たちに囲まれていた。中には先ほど挨拶をした宰相のテノール侯爵もいる。お父様は別の所に行ったのかいなかった。エリオットもここにはいない。周りは大人ばかりだ。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます。メヌエット女王国女王陛下に代わりまして厚く御礼を」
「プレリュード王国も同じにございます。我が父、カッシーニ・ゼ・プレリュード三世に代わりまして感謝を」
二人とも皇王陛下に対し、お礼の言葉を述べる。おお、二人とも普通に話せたんだねえ……。
「サクラリエルも楽しんでおるか? む? そちらのお嬢さんは確か……」
「ろろろ、ロバート・クレイン・ユーフォニアムが娘、エステル・クレイン・ユーフォニアム、です! こっ、こっ、皇王陛下にご挨拶をと……!」
エステルはガッチガチに緊張しまくっている。皇王陛下を始め、周りは貴族の重臣ばかりだからなあ。
「ああ、ユーフォニアム男爵の。はて? 何故にサクラリエルたちと?」
「お友達だからです。ティファーニア王女とルカリオラ王女とも仲良くさせていただきました。お二人とも私たちの遊びに付き合っていただきまして」
私はエステルと皇王陛下の会話に割り込んだ。本来ならば失礼な行為だが、私たちはまだ社交デビュー前だし、一応伯父と姪である。きちんとした公式な場ならまだしも、今日のパーティーのような砕けた場で目くじらを立てる者はいなかった。
「ほほう、仲良くか。それはけっこうなことだな。できればエリオットもその輪に入れてほしいものだが」
「あら皇王陛下。女の子同士でしか話せないこともありますのよ? とても恥ずかしくて皇太子殿下にはお聞かせできませんわ」
ここぞとばかりに息子を売り込んでくる皇王陛下に対し、にっこりと私は全力で拒否る。王女二人がエリオットをこき下ろしている会話など、とても本人にはお聞かせできない。
皇王陛下も分が悪いと判断したのか、苦笑するだけでそれ以上突っ込んではこなかった。
「皇王陛下、ラグタイム侯爵が」
「む……」
脇にいた貴族にそんな言葉を耳打ちされた皇王陛下の顔色が変わる。はっきりと警戒色が強く出ているな。対抗派閥の貴族かな?
『皇王派』という派閥がある以上、当然他の派閥も存在する。
皇王陛下の治世に不満を持っている貴族たちだ。古い貴族たちが多いと聞くが……。
やがて皇王陛下の前に一人の痩せぎすな貴族が現れた。カイゼル髭と目の周りの隈がやたらと目につく。
うーん、ゲーム内では見た記憶はないな。こんなインパクトのある顔、見たら忘れるはずがない。
「皇王陛下。このたびはおめでとうございます。ますますもってシンフォニアは盤石でございますな。これで隣国もおいそれとは手を出せないかと」
「ラグタイム侯爵。こちらのお二人はメヌエット女王国のティファーニア王女と、プレリュード王国のルカリオラ王女だ。そのお二人の前でその言葉はいささかどうかと思うがな」
ラグタイム侯爵とやらの言葉に、皇王陛下が片眉をぴくりと跳ね上げる。
「おお、これは失礼をば。自分は帝国とのことを言ったつもりでしたが……。誤解なきようお願い申し上げます」
「左様か」
皇国は隣国に『帝国』、『王国』、『女王国』がある。このうち、『帝国』だけはあまり仲良くはない。数十年前には戦争もしている。皇国の人間が警戒するのはわからなくもないのだが……。
しかしなんだろう。このラグタイム侯爵という貴族、芝居がかったような笑い方をするな。いちいち動きが大袈裟というか。舞台役者か。
じーっと見ていたらそのラグタイム侯爵に気付かれた。
「陛下。こちらのご令嬢は?」
「サクラリエルだ。フィルハーモニー公爵家の」
「ほう……。お噂のフィルハーモニー公爵のご令嬢でしたか」
皇王陛下の紹介に、私はラグタイム侯爵にカーテシーで挨拶をする。噂ってなによ? 病弱引きこもり?
「サクラリエル・ラ・フィルハーモニーでございます。よろしくお願い致します」
「バルボア・タム・ラグタイムです。よしなに」
ラグタイム侯爵も軽く頭を下げて挨拶を返してきたが、その目は私を値踏みするかのように見えた。はっきり言って少し不愉快だ。
「ふむ……フィルハーモニー家のご令嬢は病弱と聞いておりましたが、とてもお元気そうですな。公爵殿もご安心しておりましょう。……もしや皇太子殿下の婚約者候補のお一人で?」
ラグタイム侯爵の顔は笑っているが、目は笑っていない。私がエリオットの婚約者だと困るとでも言いたげな視線だ。
それに対して皇王陛下が苦笑気味に答える。
「いや、そんな話も出たのだがな。サクラリエルには断られてしまった。年上が好みだそうでな。エリオットは範疇にないらしい」
「ほほう! そうですか! いや、確かに皇室であろうとも相手の気持ちを無視するわけにもいきませんからな。それにしてもサクラリエル嬢は勇気がおありでいらっしゃる。私の娘なら皇室に頼まれて断ることなどできませんでしょう」
皇王陛下の言葉を聞いて、ラグタイム侯爵から私への圧が消える。なんだ、結局自分のとこの娘を皇后にしたいから、私が邪魔だったのか。それなら気にしないでもいいのに。
「お嬢様がいらっしゃるのですね?」
「ええ。ああほら、あそこで皇太子殿下と仲良く話をしておる」
ラグタイム侯爵の視線の先ではエリオットが一人の女の子にぐいぐいと迫られて、どう見ても辟易している姿があった。仲良く……?
あの子がラグタイム侯爵令嬢か。んん? 赤毛ロングウェーブにそばかす少女……あの子はゲームで見たことがあるぞ……あ!
思い出した! あれ、『スターライト・シンフォニー』での私の取り巻きの一人だ!
悪役令嬢サクラリエルの左右にいつも付き従ってた二人のうちの一人。取り巻きAだ。
完全にモブのため、名前さえも知らない。でもスチルには何枚か出てきているから間違いない。子供の姿だが、面影がある。ラグタイム侯爵の娘だったのか。
よく見たらあっちの方にもぽっちゃり系の取り巻きBの令嬢もいる。こっちはエリオットには絡んでいないけど、取り巻きAを睨みつけているな。よく見ると他の令嬢も取り巻きAを苦虫を噛み締めたような顔で見ている。
エリオットに図々しく絡んでくる取り巻きAが気に食わないんだろう。見るからに同性に嫌われるタイプだからね。
確かあの取り巻きAとBはサクラリエルが追い詰められたら、さっさと自分たちだけで逃げてしまうんだよ、国外に。貴族としては終わりだけど、サクラリエルを犠牲にしてしぶとく生き残る。あ、なんか腹立ってきた。
「きゃあああああっ!?」
私が理不尽なイラつきを感じていると、突然パーティー会場に悲鳴があがった。
振り向くとそこにはドーベルマンのような真っ黒い犬が唸り声をあげている。え!? こんな犬、いつの間に入ってきたの!?
『グルルルルル……ガアアァァァァッ!』
黒い犬は真っ直ぐにエリオットの方へと向かう。マズい! エリオットが襲われる!?
「【投擲必中】」
そう思った瞬間、ルカがテーブルの上にあったフォークを取り、思いっきり黒犬へ目掛けて投げつけた。
フォークは黒犬の右目にピンポイントで突き刺さり、片目を潰された黒犬がその場でもがき苦しむ。
今のはルカの『ギフト』【投擲必中】だ。【投擲必中】はその名の通り、射程内であればどのような投げ方をしても、必ず狙ったところに命中するというスナイパー顔負けの『ギフト』である。
ゲーム内ではこの『ギフト』を使って主人公にけっこうな嫌がらせをしていた。卵を投げたり、胡椒の入った袋を投げたり。まあ、そういった悪知恵を授けたのは追放された悪役令嬢だけど。
「やるな、ルカ。ではわらわも。【雷装電化】!」
バチッ! という音がしたかと思うと、今度はティファが一瞬にして黒犬へと接近していた。そのまま彼女が黒犬へと触れた瞬間、まばゆいばかりのスパークが起こる。
『ギャウッ!?』
黒犬はその場で倒れて動かなくなり、ピクピクと痙攣している。感電させたのだ。
ティファの『ギフト』は【雷装電化】。自らを雷と化し、短距離ならば瞬間的に移動、触れることで電撃を加えることができる強力な『ギフト』。
ゲーム中では一回しか見たことないけど、すごい『ギフト』だよねえ。
「大丈夫か、エリオット!」
「は、はい、父上。お二人のおかげで……」
エリオットに皇王陛下が駆け寄る。エリオットの【重力変化】は射程内に入らないと使えないし、まだレベルが低いのならあの犬を動けなくさせるだけの力はなかったのかもしれない。本当、この二人がいてよかったな。
「ティファ。それにルカも。エリオットを助けてくれてありがとう」
「なに、ここで恩を売っておくのもメヌエットとしては悪くないと思ったのでな」
「私は面倒なことになるのは嫌だったから」
ティファとルカがなんでもないことのように答えた。いや、なかなかできることじゃないと思うんだけどね。
やがてエリオットと皇王陛下がやってきて、しきりに二人に礼を述べていた。ジーンとその幼馴染みである悪役令嬢のビアンカまでやってきたので、私はエステルを連れて、ススス、とその場から離れる。
もうこれ以上新キャラと対面するのはゴメンだからね。
しかし……あの犬はどこからここへ入り込んだのだろう? こんなに人がいるパーティー会場に突然現れるなんて普通はありえない。不自然すぎる。
なんらかの『ギフト』が使われた可能性があるよね。
例えば透明化させる『ギフト』なんかがあればここまで犬を連れてくることは可能だし、縮小させる『ギフト』でこっそりポケットに入れてくるなんてのも可能だ。転移系でもできるね。
ああ、召喚系でもできるか。【獣魔召喚】のような『ギフト』なら……って、まさか、サクラリエルが本来授かるはずだった『ギフト』を、誰か別の人間が授かってたりしないよね……?
しかしいったいなんの目的で誰があんな犬を……? パーティーを台無しにしたかったとか? それとも初めから皇太子を狙って? 目的がわからないな。
だけどおかしいなあ。確かこの会場は『ギフト』を封じ込める結界が施されていたはずだけど。
そんな話をバルコニーに戻ってエステルとしていると、向こうから疲れた様子のルカとティファがやってきた。
「二人ともずるい。私たちだけ置き去りにして」
「そうじゃそうじゃ。おかげで皇王陛下に皇太子の話を散々聞かされたわ!」
あらら。ご愁傷様。皇王陛下も売り込みに必死だね。
「ねえ、二人とも。この会場で『ギフト』が使えるのはわかっていたの?」
「ううん。私はとっさに使ったから。使えなくても牽制になればと思って投げた」
「わらわはルカが『ギフト』を使ったのでな。ずいぶんと甘い警備だとは思ったがの」
そうなのだ。こういった場で『ギフト』が使えるということは、皇族の人たちを危険に晒すということ。護衛の人たちがいるといってもそんなことは普通ありえない。誰かが意図的に『ギフト』を封じ込める結界を壊したとしか……?
「そういえばさっきのなんたら侯爵の娘、こちらを憎々しげに睨んでいたのう」
なんたら侯爵の娘? ああ、取り巻きAか。
「皇太子殿下の関心を横から取られたと思ったんじゃないでしょうか? たぶんお二人をライバル視されたんじゃ……」
「面倒な。熨斗を付けてくれてやるものを」
エステルの見解を聞いたティファが鬱陶しそうに手を払った。というか、この世界に熨斗ってあるのね……。
ううん、うちの皇太子殿下の扱い酷くない? 悪い子じゃないよ?
「さあ、そんなことより『とらんぷ』の続きじゃ続きじゃ!」
「サクラリエル、別の遊び方ないの?」
「え? えーっと、『大富豪』ってのがあるけど……」
「だ、『大富豪』ですか……。すごい名前の遊びですね……」
『大貧民』とも呼ばれているけどね。イメージ悪いから『大富豪』で通そう。
みんなに『大富豪』のルールを説明し、とりあえずゲームを始めてみよう。
それから私たち四人はパーティーが終わるまで、バルコニーで『大富豪』を楽しんだ。このゲームではエステルがやたらと強かったな。
まさか、主人公補正ってやつじゃないよね?
気になることはいろいろあるけれど、なんとか乗り切ったんじゃないかな?
決定的な失敗はしてないと思うけど……。ゲーム本編(は、まだ始まってもいないが)とはかなり違う流れになってきている気もする。いや、ゲーム通りになったら私の場合困るのだけれど。
なら、これでいいのか。……いいのかな?
◇ ◇ ◇
パーティーも無事に終わり、私はみんなと別れてお父様、お母様、メイドのアリサさんと合流し、馬車へと乗り込んだ。
疲労が一気にきて、ぐったりと座席にもたれこむ。
「疲れたかい? ああ、返事をしなくてもわかるからいいよ」
お父様が私を見て苦笑いしている。肉体的にはそうでもないけど、精神的にね……。今日は何度驚かされたことか。気を張っていた反動なのか、ものすごく眠い……。
「エステルちゃんも来てたわね。誰か他にお友達はできた?」
「プレリュードとメヌエットのお姫様と友達になりました……」
「「え!?」」
驚いた様子の二人が何か言っているが、睡魔に襲われていた私の脳はそれを聞き取ることはできなかった。
起きたら説明するから今は寝かせて……。