◇110 心の扉
聞こえ続ける陰口にイラつきながらも、私たちは西館の中へと入った。
ここにも茨の壁がびっしりとあったが、【聖剣】を翳すと先ほどと同じように引いていった。
「さっきより引くのに時間かかったね」
《ここより先は小娘にとって本当に立ち入られたくない記憶なのだろう。【聖剣】にも多少の抵抗をしていると見える》
琥珀さんからの念話に、なるほど、と私は納得した。
西館の中はかなり広いのだが、全体的に古い感じがする。なんとなく調度品も少なく殺風景な気がするなあ。
廊下に絵画や花瓶にいけた花の一つでもあればまた違ってくるのに。
私がそんなことを思っていると、廊下の先から大きな声が聞こえてきた。
今までのボソボソと陰口を叩くような感じじゃなく、なにか怒鳴り声といった感じだ。
「この声は……!」
レティシア皇女が小走りに廊下の先の曲がり角へと向かう。
そこにはまるで切り絵のキャラクターのように、まるで影としか言いようのない少年と少女の姿があった。
『いいかげんにしろ! もっとちゃんと話せないのか!』
影の少年の方が肩を怒らせ、蹲る少女へと罵声を浴びせかけていた。
……ちょっと待って、あの蹲ってる女の子ってリーシャ皇女に似てない? ひょっとしてあの少年って……!
「……あの影はディアスです。あの声、あの態度、あの輪郭……弟の第八皇子、ディアスに違いありません」
レティシア皇女が断言する。やっぱり! 俺様皇子だ!
『声が小さくて何を言ってるかわからんぞ! 皇族たるもの、もっと堂々と話せ! みっともない!』
『す、すみま……』
『いちいち泣くな! 泣き虫め! イライラする!』
こいつ……! 子供の頃からこんな横柄な奴だったのか! やっぱり私、こいつ嫌い!
『兄上の言う通り、使えないやつだな、お前は! やっぱり「出来損ない」だ!』
「ディアス!」
あまりの暴言に堪らなくなったのか、レティシア皇女が影のディアスにつかつかと歩み寄る。その瞬間、リーシャ皇女の影は消え、代わりに騎士のような影が二つ、レティシア皇女の行手を阻んだ。
「レティシア殿下! 気をつけて!」
まるで魔剣ディスコードが生み出した時のような影騎士が、レティシア皇女に向けて剣を振るう。
「【氷獄界】!」
突然レティシア皇女の足元から氷の槍が飛び出して、影騎士二人を容赦なく貫いた。
これがレティシア皇女の『ギフト』……?
『痛い……!』
「リーシャ!?」
氷の槍で貫かれた影騎士が消えると同時に、どこからかリーシャ皇女の苦しそうな声が聞こえてきた。
《その影も小娘の心の一部だ。貫かれたという夢の中の出来事をそのまま痛みとして感じているのだろう》
琥珀さんからの念話が届く。あの影騎士を傷つけると、リーシャ皇女に苦しみを与えてしまうってこと?
私が琥珀さんの言葉に狼狽えていると、いつの間にかさらに数体の影騎士が現れた。
『侵入者だ! 全員ぶちのめせ!』
ディアスの影が影騎士の後ろで喚く。私たちは仕方ないけど、レティシア皇女も侵入者として見ている?
いや、あのディアスの影もリーシャ皇女の心の一部だとすれば、全員が侵入者か。
「く……!」
影を倒すとリーシャ皇女を苦しめると知ったレティシア皇女が攻撃を躊躇う。
「エリオット!」
「【重力変化】!」
エリオットが右手を横に振り抜くと、前にいた三人の影騎士がその場に倒されて動けなくなる。
エリオットの『ギフト』【重力変化】は、射程距離内であれば、望んだものの重力を自由に変化させることができる『ギフト』だ。
あっという間に影騎士を倒されたディアスの影が、たじろぐように後ずさる。
『な、なんだ、お前は!? 皇子であるこの俺様に逆らうのか!?』
「僕も皇子なのでね。それに君の行為はどうにも腹に据えかねる」
『ぐえ!?』
エリオットが右手を翳すと、ディアスがカエルのような声を漏らしてその場に押さえ込まれた。いいぞ、エリオット!
エリオットが珍しく怒った顔でディアスを見下ろしている。まあ、あんな場面を見せられちゃうとね。
これ、エリオットのディアスに対する印象最悪だな……。一応『学院』に入ったら一年上の先輩なんだけれども。
ディアスの方も、あれはあくまでもリーシャ皇女の作り出した印象上の影で、本来とは違うかもしれないのに嫌われるわけだからなあ。……まあ、そこまで違いはないと思うけどさ。
こういうのは受け取り方次第だからね。ディアスはそこまで強めに言ってないのに、リーシャ皇女が怯えていたから、とても威圧的に聞こえた、という可能性も……ちょっとはあるかも? しれない。
「ディアスはダルケル兄上と母親を同じくする弟ですから、リーシャを疎ましく思っているのは知っていましたが……。まさかこれほどとは……」
「弟さん、あまり出来が良くないみたいですね。優秀な兄姉に対する劣等感を、自分よりできない妹を蔑むことで埋めていたんじゃないの?」
ちょっとキツいかもしれないが、私は思ったことを口にする。
確かネットで見たディアスの攻略ストーリーだと、子供の頃からチヤホヤされて自分は優秀だと思い込んでいたというけど、上にレティシア皇女とか第一皇子とか、それ以上に優秀な兄姉がいるわけで。コンプレックスを持たない方がどうかしてる。
だけど、それを解消するのに妹に当たるってのはいただけない。兄としても、人としても。
「誰かと比べてしまうのは仕方ないと思います。だけど僕は彼のやりようは許せない。いったい彼女が何をしたって言うんですか」
「……恥じ入るばかりです」
エリオットの言葉にレティシア皇女が目を伏せる。いやあ、俺様皇子がアホなのは、レティシア皇女だけのせいじゃないと思うけどね。
不意にエリオットが押さえつけていたディアスの影や影騎士が霧のように雲散霧消した。
「行きましょう。早くこの悪夢からリーシャ殿下を解放してあげなくては」
「ええ、そうですわね。あの子とちゃんと話さなくては」
レティシア皇女が館の中の階段を登り始める。この先があの塔に繋がっているのかな?
階段の途中、また無数の茨が道を塞いでいたが、私が【聖剣】を翳すとさっきと同じようにウゾウゾと左右に割れていく。
『……ないで……』
「え?」
なにか聞こえた。また誰かの陰口だろうか?
「今の声は……リーシャ?」
階段の途中で立ち止まり、レティシア皇女が耳に手を当てる。え? リーシャ皇女の声? 確かに女の子のような声だった気も……。
『……来ないで……』
聞こえた。確かにリーシャ皇女の声だ。来ないで、って言ってるけど、これって私たちに言ってるの?
『もう放っておいて……! みんな私を虐める……もう誰とも会いたくない……!』
目の前にある階段がさらに茨で閉ざされていく。これはリーシャ皇女がさらに心を閉ざそうとしているんだ。私たちを拒絶しようとしている。
『私は生きていたって意味がないんだ……。私は死んだ方がみんなの役に立つんだ……』
「そんなことないわ! リーシャ! 貴女が、貴女が死んだら……私はどうしたらいいか……! そんなこと言わないで!」
レティシア皇女が叫ぶが、リーシャ皇女からの返事はない。こちらの声は聞こえていない……? いや、届いていないといった方が正しいか?
《小さき主よ、急げ。小娘が自分自身を否定し、その心を自ら圧し潰そうとしている。そうなってしまったら、二度とこの娘が目覚めることはない》
琥珀さんから念話が届く。心を自ら圧し潰す……? 心が死んでしまうってこと? そんな……! この子はなにも悪くないじゃない!
「二人とも急ぐよ! 少し手荒になるけど、間に合わなくなる!」
私は【聖剣】を振りかぶり、階段を占拠する茨をズバッと斬り裂いた。茨はキラキラとした光の粒になって霧のように消えていく。
『っ、痛い……!』
「ごめんね……! 後でいくらでも謝るから!」
痛みを訴えるリーシャ皇女に謝りながら、私たちは階段を駆け上がっていく。
突然、階段の踊り場にあった花瓶の影からまたも数体の影騎士が躍り出て、私たちに剣を向けてきた。
「【重力変化】!」
エリオットが影騎士に手を翳すとその場に押さえつけられる。そのまま私たちは影騎士たちを無視してひたすら階段を上っていった。
上がるにつれて茨が多くなっていく。どうやらかなり心の奥底にまで来ているようだ。
琥珀さんの言う通り、【聖剣】がなければ到達は不可能だったね。
エリオットの【重力変化】には射程距離があり、だいたい十メートルも離れてしまうと効果はなくなる。よって、解放された影騎士が後ろから追いかけてくるのだが……。
「【氷獄界】!」
レティシア皇女の『ギフト』により階段の一部が凍りつく。それに足を取られた先頭の影騎士が転ぶと、そのまま後続を巻き込んで団子状になって落ちていった。
レティシア皇女の『ギフト』は、おそらく射程範囲内に自由な形の氷を生み出す『ギフト』なんだと思う。
氷魔法と変わらないように思えるが、その自由度は遥かに上だろう。
後ろからの脅威が去ったところで、さらに私たちは階段を駆け上り、とうとう最上階へと辿り着いた。
大きな観音開きの扉にびっしりと茨が蔓延っている。それどころか、廊下から窓から全て茨だらけで、常に増殖しているようだ。
【聖剣】の効果か、私の周りには近寄れないようなので、安心して扉の前に立つ。この奥の部屋がリーシャ皇女の私室なのだろう。
『やめて……! こないで……! もう放っておいて……!』
聞こえてくる悲壮なその声に、一瞬、これは正しいことなのかと私の脳裏に疑問が過る。
嫌がる彼女の心の奥に踏み込んで、自分たちの都合で現実の世界へと連れ戻す。それは今まで彼女を虐げてきた奴らとなんら変わらないのではないかと。
だけど、このままじゃ彼女は死んでしまう。心も、肉体も。
私たちはリーシャに生きていてほしい。そして貴女には味方がいると、大切に思う人がいると、わかってほしい。
こっちの気持ちを押し付けることに変わりはないけど、
「絶対に死なせないから」
私は【聖剣】を上段に構え、扉目掛けて一気に振り下ろした。




