◇100 準備は進む
「ではこちらがご注文の『上級化粧水』二十本になります。一応使用説明書も付けておきました」
「はい、確かに。間に合ってよかったわー」
リオンが持ってきた重厚な箱を開けて、お母様が中身を確認する。
『上級化粧水』とは、例のトロイメライ子爵家に伝わる魔導具、『促成の鉢』によって作られたスーパーハルジオンを使ってできた特殊な化粧水である。
肌に潤いとハリを与え、見た目を何十歳も若返らせる効果を持つ。あくまでも『見た目』なので、実際に肌が若返るわけではないが(時間が経つと戻ってしまう)、それでも欲しいという貴族はごまんといるだろう。
「それってプレゼント用ですか?」
「ええ。特に仲良くしたい家の方に贈るつもりよ」
にこやかに答えてくれたお母様だが、大丈夫かね……? 血の雨が降らなけりゃいいが……。
私が不安を抱いていると、リオンが話しかけてきた。
「えーっと、サクラリエル様、また『梅干し』を譲っていただきたいのですが……」
「え、もう!? こないだ買ってったばかりじゃない」
「あ、あはは……。いろいろな魔法薬を作り過ぎてしまいまして……」
地球産の梅干しは魔法薬を作る際に必要となる基本薬の材料になるらしい。
精霊樹の葉ほどじゃないが、かなり上級のものができるのだとか。梅酢でも作ってるのかね……? そのできた魔法薬って酸っぱくない?
前にリオンは梅干しをごっそり買っていたはずだが、あれを全部使い切ったらしい。
きっとこの魔法薬オタクは寝る間も惜しんで、いろんな魔法薬を作りまくったに違いない。本来ならそれを止めるべき親であるトロイメライ子爵も同じく暴走してると見た。似たもの親子め。
「いろいろって、どんなのを作ったの?」
「普通よりも効果の高い回復薬や、解呪薬、解毒薬、消臭薬、耐火や耐麻痺の魔法薬などですね。付与の魔法薬なんてのもできました」
「付与の魔法薬?」
なにそれ、初耳。
「付与の魔法薬とは、魔法や『ギフト』の効果を蓄積できる魔法薬です。肉体への回復系や支援効果のある魔法なら飲めばその効果が、攻撃系の魔法なら瓶をぶつけて割ることでその効果が発動するのです。これにより、魔法をいざという時のためにストックできるようになりました。とはいえ、梅干しの他にかなり貴重な素材を使いますので、全然数は揃えられないのですけれども」
へえ。たとえば火炎魔法を付与したその魔法薬を敵にぶちまければ、同じ効果が出るってわけか。瓶に魔法や『ギフト』を封印できるってのはかなりすごいのではないだろうか。
ただ、リオンが言うには付与できるものとできないものがあるらしい。リオンの『ギフト』、【薬剤生成】は付与できなかったらしい。ちなみに私の【店舗召喚】も付与できないだろうとのこと。
ううむ、付与できればこう、地面にぶつけて割ると店が飛び出してくる的な、そんな使い方ができるかなと思ったんだが。
「あ、これら魔法薬のワンセットを持ってきましたので、どうかお納め下さい」
「……ありがと……」
にこやかな笑顔でリオンはいろいろな小瓶が詰まった箱を渡してきた。魔法薬セットの詰め合わせか。いや、ありがたいけどね?
こんなのもらってしまったらこっちも断るわけにもいかないじゃない。
私が【店舗召喚】でおにぎり専門店『むすびまる』を呼び出すと、さっそくリオンは嬉々として梅干しのおにぎりと、プラ容器に入った梅干しを買い占めていた。
またいっぱい作るんだろうなぁ……。ううん、魔法薬界の発展のためにはいいことなんだろうけど、この子の将来が不安だわ……。
ゲームのリオンより趣味に暴走してしまっている感じがする。オタク度数が濃くなってしまいそうだ。
まあ、彼の破滅ルートは潰したから、なっても問題はないんだけども。……ないよね?
梅干しとついでに沢庵を買い占め(沢庵も素材になるんだそうだ)、ヒャッホーイ! とリオンが公爵邸を去っていく。大丈夫か、ホントに……。
「さっそく上級化粧水を皇太后様のところへお届けしないとね」
「お祖母様に? え、もしかして……」
私の言葉にお母様は、うふふ、と人の悪い笑みを浮かべた。
ははあ、お祖母様を上級化粧水で若返らせてみせて、招待した貴婦人たちの度肝を抜くつもりだな……?
お祖母様を知っている人たち……特に御年配の方々は、その若返りの秘密を絶対に知りたがるはずだ。そうなればもう皇后様やお祖母様の狙い通り。あとは掌の上で転がされるのみだ。怖いねぇ……。
貴族である以上、こういった腹黒い考えもできないといけないのかもね……勉強になります。
ビアンカと律を連れて庭へと出ると、そこでは洋菓子店『ラヴィアンローズ』と、コンビニ『セブンスヘブン』が立ち並んでいた。
私の魔力も順調に増えて、今では三店舗くらいなら同時に出せるようになっている。
『ラヴィアンローズ』からはケーキ類、『セブンスヘブン』からはお菓子に化粧品など、女性が喜ぶようなものが買い取られ、お城の侍従やメイドたちが保存魔法のかけられたバッグやトランクに次々と入れていく。
明後日の秋涼会に向けて、ストックを蓄えているのだ。
なにげにどんどこ買っているけど、ぼったくり値段だからけっこうな金額なんじゃないかね……? ポテチ一個千五百円もするのよ?
ううん、でも百個(店内に百個もないけど)で十五万円とすると、皇家なら払えない金額でもないのか……? というか、全然余裕かも。いつまでもこの庶民感覚って抜けないなあ……。
「サクラリエル様!」
ぼーっと作業を見ていたら、『ラヴィアンローズ』からミューティリアさんとエルティリアちゃんのエルフ姉妹が出てきた。
護衛エルフの女性たちと、メイドのアリサさんも一緒に……って、琥珀さんまで……。なんかいないと思ったらちゃっかり御相伴にあずかっていたな……? 私のボディガードという役目はどうした? 九女神様にチクるぞ。
エルフの方々はずっと我が家に滞在しているが、なにぶん目立つため、外に出ることができない。
少しは気分転換になるだろうとアリサさんに屋敷の案内をしてもらったりしてたのだが、店に寄ってたのか。
『ラヴィアンローズ』はカフェのスペースと販売のスペースが分かれているので、作業の邪魔にはならなかったのだろう。
「とても綺麗なお菓子がたくさんで、どれも美味しかったです!」
「ええ、とても美味しくて……ついついたくさん食べてしまいました……」
無邪気に喜ぶエルティリアちゃんとは対照的に、ミューティリアさんは少し悩ましげな表情をしていた。
うん、エルフでも太るらしいからね……。
エルフの人たちがみんなスリムなのは、森の中での生活で、基本的にヘルシーなものしか食べないからだと思う。そもそもエルフの人たちって少食らしいし。
長く生きていると、食事に対しての興味が薄れてしまうんだそうだ。料理にもそれほどこだわっていない感じだったしね。
だからこうやってそのタガが一回外れてしまうと、暴走してしまうんじゃないだろうか。普段より多めなカロリーをドカンととれば、エルフでも太ると思う。
「ち、ちょっと走ってきます! お庭をお借りしますね!」
「あっ、お姉様!? 私も!」
ぴゅうっ、と風のようにミューティリアさんが駆け出すと、エルティリアちゃんがそれを追いかけ、護衛のエルフさんたちまで一緒になって駆けていってしまった。
おそらく護衛のエルフさんたちもケーキをバクバク食べたに違いない。
「……琥珀さんも太った?」
『ぬあっ!? な、なにを馬鹿なことを……! 我は神獣ぞ、ふっ、太ったなどと……!』
私の声に琥珀さんがあからさまに動揺する。
そうかなあ……? 初めて会った時と比べてちょいぽちゃってる気がするんだけど。
琥珀さんを持ち上げてみる。うん、やっぱり少し重くなった気がする。
「ちょっと食事制限しようか?」
『なっ、ぬっ!?』
ガーン! と言わんばかりの顔をして、琥珀さんが項垂れる。まあまあ、ちょっと運動と食事制限すればすぐに元に戻るよ。たぶん。
◇ ◇ ◇
「おらっ!」
「うわっ!?」
カン! と乾いた音がして、リオンの持っていた木剣がくるくると宙に舞う。
カランと落ちた木剣と同時にリオンの喉元にジーンの持つ木剣の切先がつけられた。
「俺の勝ちだ!」
「はいはい……。んもー……もういいでしょ、僕もいろいろとやることがあるんですよ!」
「どうせ部屋にこもって魔法薬作りだろ? 少しは運動しないと太るぞ」
魔法薬の詰め合わせをサクラリエルだけではなく、一応エリオットの下にも届けたリオンだったが、そこにいたジーンに捕まり、剣術の稽古相手にされていた。
「せっかくサクラリエル様から天神木の実の塩漬けをたくさん売ってもらったのに……」
「よくあんな酸っぱい実を食えるよなぁ。異界人ってのは舌がおかしいんじゃねぇか?」
「その理屈だと、ケーキやラーメンもおかしいって話になるけど。ジーンはこのおやつは食べないでいいんだね?」
城の中庭にある訓練場。そこにある四阿に用意されたケーキを先に食べながらエリオットがそんなことを口にした。
「おいっ! それは卑怯だぞ! 俺も食うからな!」
ジーンが慌てたように四阿へと駆け込んでくる。やっと解放されたリオンも身体の痛みに耐えながら、てくてくとやってきた。
用意されたケーキは、サクラリエルの店から買ったものを収納の魔導具で保存しておいたものだ。
ここ数ヶ月、皇王陛下をはじめ、皇族のおやつはこれらになっている。今日はモンブランが用意されていた。
「んめぇ! やっぱりケーキは最高だぜ!」
「こんな栗が食べられるとは……すごいですよねえ」
モンブランを食べながら、ジーンはやかましく、リオンはしみじみとそんなことを口にする。
それから三人はケーキを食べながら、たわいのない話を駄弁っていたが、やがて話の内容は明後日に開かれる秋涼会のことにシフトされていった。
「うちの姉ちゃんも母さんも、ドレスを何着も用意して、あれでもないこれでもないって毎日騒いでるぞ。どれ着たって大して変わらねえのによ」
「ジーン……それ本人たちの前では決して言わない方がいいですよ?」
自分の護衛&側仕えの、相変わらずのデリカシーの無い発言に、エリオットは本気で礼儀作法を叩き込んだ方がいいような気がしていた。
皇太子の護衛騎士ともなると、一定レベルの礼儀作法も必要になってくる。
今はまだ子供だからと許される発言も、成人してしまえばその言葉には責任が生じるのだ。
矯正するなら早い方がいい。彼の父親である騎士団総長と今度話し合ってみようとエリオットは心に決めた。
「でもよ、秋涼会ってどんなのかちょっと気になるよな。こっそり見にいかね?」
「え? ダメでしょう、それは。女性のための会なんですよ?」
「別に完全男子禁制ってわけじゃねえだろ? 会場周囲には護衛の男の騎士だっているんだし。庭園の陰に隠れていけば見つからねえって」
リオンの反論にジーンはそう答えた。
確かに秋涼会は特に規則として男子禁制とされているわけでもなく、単に招待状が男性に届かないというだけである。会場にふらりと男性が訪れても法律的な罰則があるわけではない。
が、会場の女性たちから非難の目で見られることは間違いなく、そして主催者である皇后陛下、皇太后陛下のご機嫌を確実に損なうことは言うまでもない。
そんなリスクを背負ってまで秋涼会に顔を出そうとする男性などいるわけがない。無鉄砲な子供を除けば。
「別に会場に紛れ込もうってんじゃねえよ。近くから見てみようってだけさ。ほら、サクラリエルからエリオットがもらった覗きメガネがあるだろ? あれ使ってさ」
「のぞ……あれは確かオペラグラスというのでは?」
確かにオペラグラスを使えば会場近くの木の上などから覗けるかもしれないが、リオンはそこまでして見たいとは思わなかった。それよりもとっとと帰って調薬の続きをしたい。
「……面白そうですね」
「え……?」
リオンが思わず目を見張る。あの慎重派のエリオットがこんなバカ話に乗るなんて。なんか悪いものでも食べたのか? とテーブルにあるモンブランをチラリと見てしまった。
「ちょっとエリオット殿下、なに言ってるのかわかってます? そんなことしたら皇后陛下や皇太后陛下にどんなお叱りを受けるか」
「なぁに、バレなきゃいいんだよ。会場に入るわけじゃねぇ。その近くの木の上から見物しようってだけなんだからさ」
「だけって……」
確かに子供が木の上から覗いていただけでは、刑罰はないだろう。だけども、見つかれば間違いなく親にはこっぴどく叱られる。それはもう、とんでもなく。
「わかりました。僕は聞かなかったことにしますので、お二人だけでどうぞお好きなように……」
何を言っても無駄だと悟ったリオンは、耳を塞いで四阿から出て行こうとする。しかしその両肩をがっしりとエリオットとジーンの手が掴んだ。
「おいおい、友達だろー?」
「楽しいことも苦しいことも分かち合うのが友人ですよ?」
「くっ、こんな時だけ……!」
リオンは理不尽な友人を持ったことを、深く後悔するのであった。