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◇010 『藤の湯』





 『藤の湯』は小学校のクラスメイト、エミちゃんのおばあちゃんがやってた銭湯だ。

 エミちゃんとそのご両親はマンション暮らしだったため、おばあちゃんはお手伝いの人と二人でこの銭湯を切り盛りしていた。

 まあ、その『藤の湯』も時代の波とおばあちゃんが亡くなったことで廃業となり、数年後には駐車場となってしまったのだが。子供ながらにちょっと切ない気持ちになったのを覚えている。

 だけど私の家は普通にお風呂があったし、『藤の湯』に行ったことってあったっけ?

 ……一度だけあったな、そういえば。水道管が壊れてお風呂に入れないとき、『藤の湯』に行った記憶がある。あの時、お金を自分で払ったっけ。

 私はフィルハーモニー家の庭に現れた『藤の湯』の暖簾をくぐった。左右に古びた下駄箱。その足元にはこれまた古びたスノコ。正面には番台がある。ここにエミちゃんのおばあちゃんが座っていたっけ。

 そして右手に赤い暖簾、左手に青い暖簾と男女で入口が分かれていた。……そういえばこれってどうなっているんだろう。


「お父様、お金を」

「あっ、ああ。わかった」


 お父様が番台の上に金貨を一枚載せる。それを確認してから私はわざと『男湯』の方へと入ろうとした。

 しかし暖簾の先に行くことはできず、駄菓子屋の奥の部屋の時のように、空気の壁のような弾力のあるものに押し返された。やっぱり性別が違うと入れないのか。

 ……や、違うよ!? 男湯に入りたかったんじゃなくて、確認のためだからね!?


「どうしたんだい?」

「えっと、こちらの青い暖簾は男性、赤い暖簾は女性用のお風呂なんです。だから私はこちらには入れないみたいで」


 ちなみにお父様は普通に青い暖簾をくぐれた。番台の上の金貨が、駄菓子屋の時と同じようにジャラッと崩れる。

 あ、番台の横で石鹸にタオル、バスタオル、シャンプーにリンスが売ってる。歯ブラシに歯磨き粉、プラスチックのコップに髭剃りもあるな。

 番台の中には入れた。客が入っちゃダメなところは入れないのかと思ったらそうでもないみたい。ここらへんどうなってるんだろうか。ああ、でも駄菓子屋もレジ前のカウンター内に立てたな……。わからないなあ。

 『店舗』の一部であると認識されていると入れるのかな。駄菓子屋の奥は完全に自宅だしな。

 女湯の方をくぐって入ると、脱衣室があった。何段もある棚の上にたくさんの柳行李やなぎごうりが置いてあり、ここで服を脱ぐのだ。

 柳行李やなぎごうりはひとつひとつガラス窓のついたロッカーのようなものに入っていて、鍵がかけられるようになっている。

 脱衣室にカレンダーがあったが、やはり私がここに来た時の年のものだった。なんだかタイムスリップした気分だ。

 脱衣室にはレトロチックなマッサージチェアもあった。扇風機やドライヤーもある。これはありがたい。だけど商品じゃないから外には持ち出せないんだろうなあ。まあ持ち出せても電気がないから無駄か。

 ドリンクを購入する冷蔵庫もある。風呂上がりの一杯は外せないよね。

 私は靴下を脱いで行李の中へ入れ、裸足のまま浴室へと入った。

 一番気になっている水道の確認のためである。

 近くにあったプラスチックの桶を手に取って、蛇口の下に置き、押しボタン式のカランの青いボタンを押すとたぱたぱと水が出た。


「まあ、魔導具みたいね」

「赤い方を押すとお湯が出ますよ」


 背後でお母様が驚いている。よかった、ちゃんとお湯も出る。大きな浴槽には並々とお湯が入っているけど、ここで身体を洗える方がいい。シャワーもついているしね。

 浴室は奥に大きな湯船があって、その壁にはハゲちょろけたペンキ絵が描かれている。富士山だな。

 入れないが窓から覗けるボイラー室では薪がガンガン燃えていた。これなら問題ないだろう。

 うん、つまり入れる。


「えっと、どうします? 入りますか?」


 私は番台のところまで戻り、お父様とお母様に話しかけた。お母様はまだいいが、お父様の方についていくことはできない。男湯の方で一人でやってもらうしかないのだけれども。


「危険はないんだろう? せっかくだから入ろうかと思うけれど、僕だけだと不安だから……君らも入ろう」

「え、自分たちもですか?」

 

 お父様は銭湯の外で待機していた騎士のユアンとその同僚の騎士、執事のセバスチャンにも声をかけていた。

 それならば、とお母様もメイドのアリサさんに私の護衛のターニャさんを含めた女性陣に声をかけている。

 一応、お父様に髭剃りや歯ブラシに歯磨き粉、シャンプー、リンスなんかの使い方を教える。石鹸なんかはこちらの世界にもあるから大丈夫だった。

 あとは中でのカランやシャワーの使い方なんかもね。

 金貨一枚で全員分の入浴料は充分だ。それでも地球なら万単位なんだが。一人で五千円近い入浴料ってぼったくりもいいところだ。

 私たちは男女に分かれてそれぞれの暖簾をくぐる。


「ここで服を脱ぐのですね?」

「ハンガーがないと奥様のドレスがシワになってしまいますが……」

「あ、ハンガーならここにありますよ?」


 わいわいと女性陣が脱衣室で動き回る。まずは私とお母様が服をメイドさんたちに脱がされていくのだが、何回やってもこれが慣れない。

 公爵家にもお風呂はある。ここよりも大きいやつが。うちにはお湯の出る魔導具があるため、だいぶ楽にお風呂に入れるのだが、あれは魔力の充填に時間がかかる。だからお風呂は一日一回。日本人だと当たり前だと思ってしまうかもしれないけど、毎日お風呂に入るなんて贅沢は上級貴族でもあまりできないらしい。

 貧民街スラムにいた時と比べれば天国だ。あそこじゃ、お湯で絞った布で身体を拭くのがせいぜいだったからなあ。

 服を脱ぎ終わったお母様がモデル顔負けのプロポーションを惜しげもなく晒している。我が母ながら、とんでもないボディの持ち主だ。胸も思ったより大きい。

 六歳でまだまだなのはわかっちゃいるが、それでも無意識に自分の胸をペタペタと触ってしまう。私にもあの血が流れているのなら、希望はあるよ、ね……?

 前世のような悲しい結果にならないことを、切に、切に願う。


「じゃあ入りましょうか、サクラちゃん」

「ハイ、オカアサマ」


 悲しい未来は考えないことにして、私たちはタオルを持って浴室へと入る。


「まずは身体を洗いましょう。湯船が汚れてしまいますから」

「ではお嬢様、わたくしが」


 ずいっとメイドのアリサさんが石鹸とタオルを持ってやってきた。あ、やっぱりこっちでも洗われるのね……。

 アリサさんに石鹸で泡立てられたタオルでごしごしと身体を洗われる。これも慣れないよなあ……。


「とてもいい香りのする石鹸ですね。それにすごく泡立ちます。こんな石鹸今まで見たこともありません」

「売れるかなぁ?」

「間違いなく。貴族がこぞって買いにきますね」


 番台に石鹸は二十個くらいあった。あまり数は出せないけど、けっこうな額で売れるんじゃないかな。

 身体を洗った後は髪を洗う。お母様が同じく石鹸で洗おうとしたのでストップをかけた。それは髪を痛める! せっかく綺麗な色の髪なのにもったいない! って、私も同じ色の髪だけど。自画自賛か。

 シャンプー&リンスで髪を洗うように勧め、私もそれで洗った。


「こんなに通りが良くなるものなのね……!」


 お母様は手櫛で髪の状態を確認して驚いていた。乾くともっと驚くと思うよ。

 洗った髪をタオルでまとめてから湯船に入る。ちょうどいい温度に足を伸ばして肩まで浸かると、ため息とともに思わず声が出た。


「はふぅ……」

「あらあら、気持ちよさそうな声ねぇ」


 そりゃねぇ。髪も身体もさっぱりとしていい気持ちだし。

 隣の男湯からも同じような声が聞こえてくる。向こうもまったりとしているらしい。

 充分にお風呂を堪能して、のぼせる前に上がり、火照った身体に冷蔵庫から取り出した冷たいフルーツ牛乳を流し込む。くはぁ、至福の時ィ!

 私と同じようにフルーツ牛乳を飲んだお母様が目を輝かせている。


「美味しい! これはいろんな味があるの?」

「飲み過ぎるとお腹を壊しますので、一本だけですよ?」


 小さな冷蔵庫の中には普通の牛乳とフルーツ牛乳、コーヒー牛乳にいちご牛乳が入っていた。どれも三本ずつしかないのが残念だが。残りを巡ってメイドさんたちで争いになっていた。仲良くしてね。

 バスタオルで身体と髪をしっかりと拭いて、ドライヤーでお母様の髪を乾かす。


「音がすごいけど、気持ちいいわ。これは便利ね!」


 お母様もやってみたいというので私の髪を乾かしてもらう。もうドライヤー最高。

 乾いた髪を櫛で整えて、元の服に着替えて外に出る。外の風が冷たくて気持ちよかった。

 すでにお父様たちは上がって木陰で涼んでいた。


「男湯の方はどうでした?」

「いや、あの石鹸はいいね。香りもいいし、良く汚れが落ちる。あと髭剃り! 初めは怖かったけど、慣れると綺麗に剃れるんだ。これはみんな欲しがるよ」


 お父様はT字剃刀が気に入ったようだ。便利だからね。一回で使い捨てる必要はないから何度も使えるし。


「サクラちゃん、このお風呂屋さんを出したまま駄菓子屋さんは出せる?」


 お母様に言われ、試してみたがダメだった。今の私の魔力量では二店舗同時に呼ぶことはできないらしい。毎日使っていれば成長とともに魔力量は増えるらしいので今後に期待だ。


「とりあえず一日置きに交互に召喚してみます」

「そうね、その方がいいわ」


 さらにこちらの『藤の湯』の方は、私の魔力しか使っていないので、使用人さんたちにも解放することになった。入浴料はお父様持ちだ。よっ、太っ腹!

 シャンプーなどは初めのうちはみんなに行き渡らないから、共同で使ってもらおう。

 あまりお金儲けには使えないけれど、衛生面では充分に役に立つ。

 銭湯を召喚できるってことは、どこに行ってもお風呂に入れるってことだ。まあ旅に出る予定はないけれども。

 しかし銭湯かー。エリオットの誕生日プレゼントにシャンプーとリンスはないよな……。

 やっぱりプラモデルが無難かな。まだT字剃刀は必要ないだろうし。

 ふと、エリオットがものすごく喜ぶようなプレゼントを送れば一気に好感度が上がって、また私の『ギフト』がレベルアップするのだろうか、と考える。

 いやいや、違う違う。好感度を上げてどうする!

 攻略対象とは距離を取らないと危険なんだからさ!

 うん。誕生日プレゼントはカプセルトイの動物フィギュアでいいや。好感度が上がるわけでもなく、さりとて嫌われるほど下がらない絶妙なチョイスじゃない?

 ちなみに私の呼び出した駄菓子屋のカプセルトイは、銅貨一枚で回すことができた。ちょうど大きさが百円と同じサイズなんだよね。一回千円のガチャである。高いなあ!

 それでも毎日銅貨を入れて全部買ってるけどね。こちらの世界でも出来はいいものだし。どこにもないものだから、公爵家の贈り物としてもそう悪くないはずだ。

 ただね、パンダとかシマウマとか、こちらにはいない動物も混じってるし、ちょっとデフォルメされているので、動物というより魔獣や召喚獣のフィギュアに思われてるっぽい。

 まあ、なんにしろエリオットの誕生日プレゼントはこれでよしとしとこう。

 皇太子エリオットの誕生日パーティーまで、貴族令嬢としての礼儀作法とか覚えることが山ほどあるんだよね……。ああ、憂鬱。行かないで済む方法があれば行きたくないけど、そうもいかないのが貴族なんだよね。

 はあ、面倒くさい。

 








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