◇001 公爵家の使い
■新作です。よろしくお願い致します。とりあえず三話ほど更新します。
私の名前はサクラ。桜じゃないよ。フルネームはサクラリエル。たぶん、だけど。
名前と同じ白に近い薄桜色の髪と、翡翠色の眼を持つ女の子です。現在六歳。これもたぶん、だけど。
不思議なことに私には前世の記憶がある。前世での私はこことは違う世界で、デザイン科に通う専門学校生だった。
親元から離れての一人暮らし。周りの友人はちょっと……いや、かなり濃い連中ばかりだったけれど、楽しく毎日を過ごしていた。
そんなある日、徹夜で卒業制作を仕上げ、学校へと急いでいた私は、突如交通事故に巻き込まれてあっさりと死んでしまったらしい。
そんな記憶を思い出したのは三歳の頃である。貧民街の裏路地で、酔っていた父親らしき者にしこたま頭を殴られた時に。
突然殴られた恐怖に私はわけもわからずその場から逃げ出した。しかしこちらは当時三歳児、どれだけ逃げても男はなにかを叫びながら執拗に追いかけてくる。恐怖でしかなかった。
夜も更けていて、さらに知らない町。行き止まりの道に追い込まれ、再び殴られると思った瞬間、男はそこにあった空の酒瓶を踏みつけてよろけて転び、間抜けにも石の階段に後頭部をぶつけてあっさりとそのまま死んでしまった。
こっちは記憶が蘇り、パニック状態。しかも父親らしき人物は目の前で死んでるときた。その場から逃げ出した私を誰が責められようか。
父親を見捨てた? 生憎とまったく記憶にないからなんの感情もないし、子供を執拗に殴る人物を父親だとは思いたくなかったからね。たとえあいつが生きていたとしてもいずれ私は逃げたと思う。
さて、現場から逃げたはいいが、困ったことに私は三歳までの記憶がほとんどなく、前世以外は自分の名前しか覚えていなかった。あまりにも殴られすぎたからだろうか。
初めは誰かの身体に乗り移ったのかとも思ったけれど、間違いなくこの身体は自分のものだという確信がある。やはり殴られたことでそれまでの記憶が無くなり、代わりに前世の記憶がよみがえったんだと思う。良かったのか悪かったのか……。
しかしこの自分の名前、前世のどこかで聞いたことのある名前なんだけれど、いまだに思い出せない。どうも記憶の混濁があるようだ。
前世の自分のこともどこか他人事のように感じられるし。事故で死んでしまったことを悲しいとか悔しいとか思う気持ちより、ただただこれからどうしようという不安さの方が勝った。
なにしろ右も左もわからないどころか、ここは地球ですらない。夜空に浮かぶ二つの月を見て、その事実に私の心は打ちのめされた。
とにかく私は三歳にして一人で生きていくことを余儀なくされたのである。
通りかかった薬師のおばあさんが私を拾ってくれなかったら、間違いなく死んでいただろう。
知らない人についていくなんて普通ならあり得ないのだが、それほど私は切羽詰まっていたのだ。
貧民街の孤児が一人でなんて生きていけるわけがない。保護者がいなければ待っているのは死あるのみだ。
結果、今になってこの判断は正しかったと思う。
おばあさんは流浪の民で、町の貧民街から貧民街へと渡り歩き、薬を売り歩いているらしかった。
あまり喋らない無口な人だったけれど、腕は確かだったようで、訪れた町の貧民街のみんなはおばあさんの薬をよく買い求めていた。
この世界には魔法があって、おばあさんはそれを使って薬を調合する、いわゆる魔法薬の薬師だったのだ。
とても一流とは言えないけれど、それなりに薬師としての腕前はあったと思う。貴族や商人にうまく取り入ればもっと稼ぐことができたのではないかと思うのだけれど、おばあさんは人目を避けるように生活していた。私にはわからないが、なにか理由があるのだろう。
私も小さいながらに採取や調合の手伝いをしたりして、すくすくと育っていった。……すくすくは嘘か。場所が場所だけに栄養はギリギリといったところだった。痩せてるし、背は小さいし。
それでも食べさせてもらえるだけマシである。質の低い魔法薬でもそれなりにお金になるから、うちはまだ生活できている方だった。いくつかの町の貧民街では、子供たちが多く死んだりもしていた。私は運が良かった。
「と、思っていたんだけどなあ……」
私はガランとした掘っ立て小屋で一人立ち尽くしていた。
つい先日、その薬師のおばあさんが亡くなったのだ。
朝、いくら待っても起きてこないので寝床を見にいったらすでに冷たくなっていた。苦しんだ様子もなく、安らかな死に顔だった。
ほとんど会話という会話もなかったけれど、私を放り出したりせず、三年間育ててくれた恩人の死に涙が出た。恩返しの一つもしてあげたかった……。
しかし悲しんでいる私をよそに、おばあさんの息子と名乗る男が不躾にドカドカとやってきて、家の中にあった金目になりそうなものを一切合切持っていきやがったのだ。
作り置きしてあった薬や、触媒となる素材、調合器具に至るまで全てだ。
この家はおばあさんが私と暮らすために新しく建てた家だ。家というかどう見ても掘っ建て小屋に過ぎないけれども。その家を荒らす息子に腹が立った。
しかし私はおばあさんの娘でもなければ養子でもない。いわば同居人、居候である。正当な権利を振りかざすがめつい息子を止めることはできなかった。周りの住人も顔をしかめていたが、親の物を子供が受け継ぐのは犯罪ではないので黙って見ているだけだった。
さすがに掘っ建て小屋のようなこの家まで奪う気はなかったようで、その息子は粗末な荷車に戦利品を山ほど積んで私の前から消えた。棺桶に入ったおばあさんの遺体を引き取ることなく。よくも息子だなんて名乗れたものだ。
おばあさんからも息子の話なんて聞いたことがない。たぶん疎遠な仲だったんだろう。あの息子じゃわかる気がするけど。
この町はおばあさんの生まれ故郷で、様子を見にきたおばあさんの知人の一人が、あの息子がいかにろくでなしだったかを私に教えてくれた。やっぱり一発くらい殴っておくんだった。
あの男が持っていった魔法薬は品質管理が難しいやつだ。知識のないあの男では二日と持たないと思う。腐り濁った魔法薬など二束三文にしかなるまい。ふん、ざまーみろ。
「これからどうしようかな……」
私は夕日が差し込む床の一部をひっぺがし、そこに隠しておいた小袋を取り出した。隠し金である。三年の間、自分で作った薬をおばあさんの横で売り、コツコツと貯めたお金だ。あまり多くはないが、これだけあれば数日は食いつなげる。
だけどそれからどうしよう。貧民街の人たちは自分たちだけが生きていくのが精一杯で、とても私を養うことなんてできないだろう。親しい知り合いもいないしな……。
となれば自分で稼ぐしかない。おばあさんは認めてくれたけれど、なんの伝手もない私の薬は売れるだろうか。
あ! っていうか、素材も調合器具も持っていかれたじゃん! これじゃまともな薬ができない! え、詰んだ?
あとはスリとかかっぱらいに身を落とすしか……さすがにそれは……と、棺桶一つのガランとした部屋で一人考えていたところ、なにやら表が騒がしいことに気がついた。なんだろ? あの馬鹿息子が戻ってきたのかな?
私が首を傾げていると、突然、ドバンッ! と勢いよく扉を開けて、赤い髪をした騎士らしき人が飛び込んできた。
なになに!? いきなり入ってきてなんなのこの人!?
「失礼する! ここにサクラという少女がいると聞いてやってきたのだが! おおっ!?」
「……さ、サクラは私ですけど、なにか……?」
私を見て目を輝かせ、なぜか喜びの表情を浮かべている騎士様だが、こちらはドン引きだ。いきなりなんなの!? まだスリもかっぱらいもしてないよ!?
「失礼します!」
「ひゃあっ!?」
ズカズカと部屋に入ってきた二十歳ほどの赤髪の騎士は、おもむろに私の右腕を取って、ボロボロの服の袖を一気にまくり上げた。
私の二の腕には桜の花のようなアザがある。私はこれが理由でサクラリエルという名前になったんじゃないかと思っているんだけど。
こっちの世界でも桜は『サクラ』って言うらしいし、リエルって『花』って意味らしいから、日本だと『桜花』って名前なのかな、と。
「おお……! 間違いない……! ついに見つけましたよ、サクラリエル様!」
「はい?」
サクラリエル『様』? え、待って、どゆこと?
狼狽する私の手を掴んで離さない赤毛の騎士は、そのまま腕を引いて歩き出した。
「さあ、早く公爵様のところへ参りましょう! さあさあさあ!」
「えっ、ちょっ、待っ……!」
「大丈夫です! これからは我らがお側に、ぐふっ!?」
ぐいぐいと私の腕を引っ張る赤毛騎士の脳天に、鞘に入ったままの剣がガツンと振り下ろされた。いつの間にか現れた別の女性騎士が背後から喰らわせたのだ。
「この馬鹿! サクラリエル様が怯えてるでしょうが! 少し落ち着きなさいよ!」
頭を押さえて悶絶しながら転がり回る赤毛騎士。いい音したなあ。ちょっとスカッとしたけど。
女性騎士が私の前にしゃがみ込む。長い栗色の髪をポニーテールにした碧眼の女性だ。赤毛騎士と同じ鎧を身に纏っているからたぶん同じ騎士団なのだろう。
「初めまして、サクラリエル様。私はターニャ・チェレスタ。フィルハーモニー公爵家に仕える騎士です。そこで転がっている馬鹿はユアン・ポルカ。同じくフィルハーモニーの騎士です」
公爵家!? それって確か王族に連なる家系の貴族だよね!? な、なんでまたそんなすごいところの騎士様がこんな貧民街に!?
「我々はずっと貴女を探していました。今より三年前、ご両親の下から連れ去られたフィルハーモニー公爵家の御令嬢である貴女様を」
「…………………………はい?」
コウシャクケノゴレイジョウ? あれ、耳がおかしくなったのかな? いまこの人、変なことを口走ったような。
「ご理解されないのも無理はありません。しかしその髪にその瞳、そしてそのアザ……間違いなく御身はフィルハーモニー公爵家の御令嬢、サクラリエル・ラ・フィルハーモニー様であらせられます。三年の間、よくぞ生きていて下さいました……。きっと公爵様と奥様もお喜びに……」
ターニャと名乗ったお姉さんの目から一雫の涙が流れ落ちる。
えっと、泣かれても困るんだけれど。
公爵令嬢? 私が? 三歳以前の記憶がないので本当なのかどうかわからない。
「詳しいことは馬車の中で説明いたします。ご同行願えますか?」
一瞬、脳裏にひょっとしてこの人たちは人攫いでは? という考えがよぎったが、人攫いが身よりもない子供を攫うのにこんなまどろっこしい真似はしないだろう。
この人たちの話が本当かどうかはまだわからないが、とりあえずついて行ってもいいんじゃないかな。これ以上状況が悪くなることもあるまい。
ここは貧民街でも外れの方にあるので、ほとんど人はやってこない。個人的な知り合いもいないし、私がいなくなっても誰も気にしないだろう。
ただひとつ、まだ私にはやらなければならないことが残っている。
「あの、おばあさんをちゃんと埋葬してあげたいのですけれど……」
「話はあたりの住人から聞きました。サクラリエル様を今まで育てて下さった恩人です。公爵家の名において、丁重に弔わせていただきます」
そこからはターニャさんの部下と思われる何名かの男の人が静かにやってきて、おばあさんの棺桶を町の教会にある墓地まで運んでくれた。
その時にターニャさんは教会の神父に多額の寄付を与え、おばあさんの墓の管理を頼んでいた。
これでもう思い残すことはない。私はもう一度、おばあさんにお別れを告げると、公爵家の馬車にしては地味な馬車へとターニャさんとともに乗り込んだ。
ちなみにあの赤毛騎士ことユアンは、私が怯えるということで別の馬車に乗らされた。まあ、怯えるというよりはドン引きしたんだけどね。
「では出発します」
これからどうなるんだろう、という不安と私を乗せて、公爵家の馬車は宵闇の中を走り始めた。