閑話 フェリシス公爵視点 私の兄上 前編
パウリーナたちが帰り始める頃のフェリシス公爵領の公爵の執務室での話です。
「フェリシス公爵、この事業の予算を増やしたいと思っているのですが如何でしょうか?」
領主の執務室に予算案を持ってきた下級貴族出身の文官が言った。確か、名前はガレン男爵だったか。
ガレン男爵から受け取った資料に軽く目を通して、隣の席で資料を捌いているセブリアン伯爵に渡した。
セブリアン伯爵は私の兄上のことだ。
「治水事業の最終責任者はセブリアン伯爵が担当している。この話は以後伯爵に相談するがいい。それにしてもこの堤防の築き方をよく思い付いたな。予算は多少嵩むようだが長い目で考えれば悪くない」
「ありがとうございます」
ガレン男爵は褒められたことで恐縮したように頭を下げた。傲るつもりはないが一介の男爵が公爵から直々に褒められたのだ。当然のことだろう。
「良い案だと思うが堤防に使う素材の品質を低くしているのはなぜだ?」
兄上は早々に資料を読み終えると、堤防の素材の品質を、当初の予定よりも低くしていることを指摘した。
いつものことだが兄上はどうしてここまでの早さで読んでおきながら、細部まで見落としがない等という所業を出来るのだろう。
おそらく、文官仕事の優秀さだけならば三国の中でも10本の指に入るだろう。
「それは······堤防に使う素材が予想以上に増えたために少しでも費用を抑えようとしました」
「馬鹿者!長く使えるようにするための建築方法をとっておきながら素材を弱くしてどうするのだ。これでは一度大きな洪水が起きてしまえば耐えきれずに決壊しよう。其の方が考えた長期性という利点が崩されてしまう。素材は予定通りの品質を、そしてこの部分にはそれよりも強固な素材を使うように」
兄上の言う通りだ。いくら、設計が上手くても素材が弱ければ結局一緒だ。
そして、兄上は設計図の中の新たにガレン男爵が追加改正している部分を指差して素材の品質を更に上げるように言った。
「おそれながら、申し上げます。どうして、その部分の品質を上げるのですか?」
「私も気になる。教えてくれ」
私も質問をしたことでガレン男爵があからさまにホッとした表情になる。
兄上は普段は温厚なのだが仕事に集中しているときは辛辣な言葉遣いをすることがたまにある。
それが形式的には上司である(実質的な関係性は同格、もしくは兄上の方が上だが)私にとっては頼もしいが、部下、特に若手の文官には恐れられている。
良くある言葉としては「そんなことも分からないのか」とか「これぐらい出来て当然だ」といった冷静に言われると余計に傷つく言葉で、普段の兄上の姿からすると、同一人物か疑ってしまうほどのものだ。
だが、一応とはいえ上司である私が質問をした以上は言動にはある程度の気配りをしないといけない。
つまり、辛辣な言葉を出すことは出来ない。
兄上が辛辣な言葉を浴びせる気満々だったのか、苦々しい表情をしているが我慢してほしい。
これ以上、兄上を恐れる人が増える必要はないのだ。
それに、ガレン男爵は若さのわりには中々に優秀だ。
出来ることなら次世代の幹部候補として育てたい。
「分かった。説明しよう。この部分を補強すべき理由はその用途にある。ガレン男爵、この部分の用途は川の水の威力の低減で間違いはないな」
「はい。っ!そういうことですか」
改めて用途を見つめ直したことで気づいたらしい。
「その通りだ。水の威力を低減するということは、ここはその他のどこよりも強くを衝撃を受ける。すなわち、消耗が他の部分に比べると大きい。そうなれば一ヶ所だけが削られることになり、後からの一部分のみの補強が用意ではないこの造りでは他の部分は寿命が大きく残る状態で再建設になる。はっきり言って無駄でしかない」
「それよりは最初から大きくお金をかけておいた方が後々のためには良いと」
「そうだ。其の方は年の割には多角的に物を見れて、応用力もあるようだが長い目で見る力が欠如している。そして、もう一つは大金を扱った経験だ」
大金を扱った経験か。
領主主導の事業のように大金貨をいとも容易く消費していく経験は下級貴族どころか上級貴族にさえ難しいだろうな。一歩譲って大金貨を一度に一枚使うことも下級貴族には厳しいに違いない。
「おそらく、其の方は最初の計画書を見た時点で金額の大きさに身じろぎしたのではないか?」
「お恥ずかしながら、その通りでございます」
やはりそうか。
となれば、品質を下げてでも金額を切り詰めようと動くのは当然かもしれない。横領の危険性など全くない、清廉潔白で心からの善意の行動だろう。
「其の方はよかれと思ってしたのかもしれぬ。だがな、誰も気づかずにこの案が採用されていれば、むしろ逆効果のものになっていた」
悔しいのだろう。認められたと思ったら、自分の至らなさを指摘された。
それよりも、自分の行動が一歩間違えば領地に安寧をもたらすどころか危険に晒すところだったことに対する自責の念だろうか。
「覚えておくが良い。其の方の思っている以上に領地の、国の予算は多い。数年前の予算案の最終確定資料を渡すから一度、知っておくことだな」
これは珍しい。兄上がここまで優しく諭して、数年前とは言えども領地の重要資料で簡単には見せられない予算案の最終決定資料を渡すとは。
「よほど期待しているのだな、伯爵」
「そうだな。まだまだ精進すべき点はたくさん有るようだがその若さと境遇にしては優秀だ。それに、アイデアの秀逸さは少なくともフェリシス領内では群を抜いている」
私が褒めたとき以上にガレン男爵は感嘆している。
少しだけ悔しいが兄上は恐れられていると共に若手の間では雲の上の存在として尊敬されているところもあるから、まあ、仕方ないだろう。
「どうだ。其の方、この治水事業を主導してみないか?もちろん、我々も手を貸すし、指南役としてドルートス伯爵をつける」
「兄上っ!?」
ドルートス伯爵はこの治水事業の最高責任者としてことに当たっていたはずだ。
「ガレン男爵、一旦自分の仕事に戻るのだ。そして、明後日、同じ時間帯に指摘された部分を直した資料をもってもう一度来なさい。いいか、無駄金と横領はいけないが民のためになる出費ならば金に糸目を付ける必要はない。くれぐれも後任の件は内密にな」
「分かりました。では、フェリシス公爵、セブリアン伯爵、失礼させていただきます」
兄上はガレン男爵を退室させると、私の前に立った。
「落ち着いてください、公爵。実はドルートス伯爵からは年齢的なことを考えてもそろそろ引退したいと内々に相談されているのです。治水事業までは務めて貰いたかったのですが、治水事業は時間が掛かるということで固辞されているのです。『後見は務めても良いから若手もしくは中堅の文官で将来性がある文官を選んでくれ』と言われましたが、皆が知っているように治水とは成果が出るのが何年もかかる」
「結果が欲しい若手は難解で時間もかかる治水の担当には難色を示し、結果を求める必要のない中堅の文官はすでに別の仕事をしている······か」
実績があって安心して事業を任せられる中堅の文官は基本的には農業関係や商業関係の専門性が高い分野に専念している。
他の文官も彼らは先年起こった魔獣の大量発生による土地の被害の集計と復興に当たっている。
「それに一から途中まで進んでいる事業を担当するのは至難の技。それは公爵が一番良く知っている筈」
「そうだな」
私も若く公爵位を継ぐ前に担当していた文官が急死してその穴埋めとして途中から事業の指揮を執ったことがあるが、あの時の辛さは思い出したくもない。
周りからは微妙に気を遣われて、毎日が夜中まで事業の予定表や資料を読み漁る生活だった。
追い付くまでは簡単には口を出せず、かといってなにもしないわけにもいかず、どうしようもない日々で何度心が折れそうになったことか。
「だがな、治水には現場指揮が出来る人間は多いが全体を主導出来る人員は少ないのでな後任選びには中々苦労していた」
「だから、ガレン男爵に?」
「そうだ。治水事業を成功させれば、その功績をもってガレン男爵を領主の執務室勤務に異動させて、幹部候補として鍛えようと思っている。プルデンシア様を支えるのは側近だけでは心許ない」
確かにそうだ。今、領主の執務室で勤務しているのは私や兄上と同じく、40代の者が大半だ。
おそらく、爵位の移譲が行われる頃には引退している者が多く、残っている者も後見することになる我々を含めて世代間での考え方の違いが生まれるだろう。
一番若いのはバルベルデ侯爵嫡子のエレウテリオとマリアーノ伯爵嫡女のロジーナだが、二人はもちろん上級貴族だ。
そして、私の娘、プルデンシアの側近も上級貴族がほとんどで護衛の騎士以外には平民どころか下級貴族すらいない。
プルデンシアは聡明で気配りの出来る娘という贔屓目を除いても悪い領主にはならないと思うが、頂点とする体制となったときに平民の事情を詳しく知る者が一人もいないのはまずい。
そして、何よりの問題点は側近に男性がいないことだ。側近を同姓で固めるのは良くあることではあるが、女性は結婚すれば出産、子育てとどうしても仕事が出来ない期間が生まれる。
その時のために男性の執務室勤務者はせめて三人以上は欲しい。
これらの条件を加味した際に、一番条件として合うのはガレン男爵だ。
彼なら、優秀で金銭感覚さえ統治者の基準を身に付けてくれれば、一介の文官が公爵とその兄に直訴するくらいの度胸を持っていて、身分差で理不尽を受け入れることもないだろう。
それに、下級貴族の良い窓口にもなる。
「兄上の言う通り、優秀さでも適任度合いでもガレン男爵以上の逸材はフェリシスには居ないな。彼こそまさにこれからのフェリシスに必要とされる条件をすべて満たしていて、これ以上ない」
「では、治水事業の後任はガレン男爵で良いな?」
「ああ」
ちょうどその時、兄上が首に掛けていた二対一組で連絡用を取ることの出来る魔術具が光った。
今回の要約:セブリアン伯爵は仕事は優秀だけど人間関係は結構不器用です!
全く話が本編と繋がらないですが、次の後編まで合わせればもう少し繋がると思います。
後編は今のところ今日中に投稿する予定です。




