魔法?
今度こそ撃破されたキメラ。一度は復活して雷を落としまくるとかいう暴挙をしでかした光景を目の当たりにしたこともあって、それを討伐したショウへの視線は色好いものばかりである。
全身に搭載されているナノマシンで手足に付着したキメラの血や涎を綺麗さっぱり消し去り、未だにへたり込んでいる少女の元へ向かうショウは全く視線に気がついていないが。
「大丈夫だった? 大きなケガはない?」
目線を合わせるかのように屈み込み、優しさの籠もった瞳で見られた少女は高鳴る胸に困惑しながらもコクリと頷く。
周囲への被害をあまり気にかけずに戦っていたことをそれなりに気にしていたショウだったのだが、少女を含めて大ケガを負ったものはいないと知って胸をなで下ろす。軍事兵器を使用したのは初のことであり、周りへの被害がどんなものか分かっていなかったので心配していたのだ。
幸いなことにケガ人は現れず、今回の経験を活かしてこれからに活かせそうなのでショウは一安心した。
「ん、あれ。立てない……」
「ああ、腰が抜けちゃったのかな。それなら……よいしょっと」
立てなくなった少女を持ち上げて肩車するショウ。目をパチクリさせる少女だったが、すぐに普段とは違う景色が見えたので目を大きく見開いた。
「ほわぁ……! すっごい高い!」
「家まで送ってあげるよ。道案内を頼めるかな?」
「はーい!」
滲み出る心の優しさというものを感じ取ったのか、少女はあっという間にショウに懐いた。それを見た他の子供たちもワーッとショウに駆け寄る。そして口々に「肩車して!」とおねだりした。
子供の純粋さに自然と笑みが溢れたショウ。荒み汚れた心がゆっくりと洗い流されるのを感じながら、子供たちを引き連れて少女の案内で彼女の家へ向かう。
木造建築の立派な建物が森の中に点々と建っていることに気がつき、ここは一体どこなんだと疑問に思うショウであったが、文字通り上から被せられた質問に意識が向いたので、答えを出すのは一旦保留となった。
「ねえねえ、お兄ちゃんのお名前は?」
「ん、僕? 僕はショウだよ。鶴見ショウ」
「ショウお兄ちゃん!」
「そう言う君の名前は?」
「ラン!」
ランに頭をペチペチ叩かれたショウは苦笑する。子供の無邪気な行動は時にはむず痒く感じるものである。ショウも例に漏れなかった。
ショウがお兄ちゃん呼びされるのは久しぶりのことだ。迷子になった子供を家まで送り届けた時以来である。
ランが「お兄ちゃん」と呼称したのを皮切りに、ショウの周りに集まっていた少年少女は口々にお兄ちゃん、お兄ちゃんと呼ぶ。一人ずつ頭を撫でていくショウだったが、心中とにかくむず痒くて仕方がない。
むず痒さに耐えること十分少々。子供たちは少しずつ散り散りになって親の元へ帰って行き、ふと気がつけば残っているのはショウとランだけである。
「あ、そこの曲がり角を左に! そしたらもう家だよ!」
「はいはい。もう歩けるかい?」
「大丈夫だと思う!」
それなら、とランを地面に降ろす。すると一目散に駆けだし、家のあるという場所まで全力疾走をランは始めた。
「お母さああああん!」と叫んでいるのが聞こえたショウはまた苦笑いした。随分と元気な子供である。
ショウが角を曲がると、家の外に飛び出したのであろうネコミミの生えた母親らしき人とと抱き合っているランの姿があった。
このまま立ち去ることもショウにはできたのだが、一応挨拶ぐらいはしておこうと考えて抱き合う親子の元へ向かう。ショウの姿を確認したのか、ランの母親は深々と頭を下げる。
「娘を助けていただきありがとうございました。私、この娘の母親であるレミと申します。お礼と言っては何ですが、お茶をお出ししたいのでどうか家へ上がってください」
「え、あ……はい」
「お兄ちゃんとまだいっしょにいられるのうれしいな! ねえねえ、私と遊んでくれる?」
「ああ、うん。構わないよ」
めちゃくちゃ丁寧にレミと名乗るランの母親から挨拶をされたこと。ランが目をキラキラと輝かせていること。この二つの要因が重なり、どうも断りにくい雰囲気になってしまった。
元は挨拶だけしてさっさと立ち去る予定だったのだが、ランに手を引かれてしまってはもう「否」とは言えない。仕方なくショウは家にお邪魔することにした。
扉の先にある廊下を通ればあっという間にリビングと台所が一緒になった部屋へたどり着く、そこまで広くない家である。一人暮らしするには丁度いいぐらいの広さだ。遊び盛りの子供がいても、少々窮屈に感じる程度なので父母との三人暮らしも可能であろう。
「どうぞ、椅子にかけて待っていてください。すぐにお茶とお菓子を作りますので」
返事を聞くまでもなくレミは台所へ引っ込んでしまった。何とも言えない気分になったショウ。家の中をキョロキョロと見渡して気を紛らわせる。
すると、寝室へ繋がっているらしい扉の近くに置いてある棚の上に写真立てがあることにショウは気がついた。そこには赤ん坊であるランを抱いたレミに加え、ネコミミを生やしていない普通の男が写っている。
「ねえ、ランちゃん。お父さんは仕事中なの? 挨拶ぐらいはしてから帰りたいんだけど……」
「んにゅ、お父さん? お父さんは天国にいるよ?」
「……えっ?」
特に深くは考えず、父親はどこにいるのかを聞き出そうとしたら思わぬところで地雷を踏み抜いた。いとも簡単に「天国へいる」と告げらたので、ショウがショック状態から立ち直るののたっぷり一分を要することになった。
「ショウさん、お茶とお菓子が完成しましたよ……って、どうしたんですか?」
「え、ああ。その、無遠慮にランちゃんのお父さんのことを聞いてしまって」
「そんなにお気になさらなくても良いのですよ。貴方は知らなかったのですから」
そう言われてもショウは納得いかない。人には触れられたくない話題という物が必ず存在しているので、本来ならもっと相手のことを考えてから言葉を口にするべきである。しかしそれを怠ってしまったと猛省し、何とか謝罪をしたいと思うショウ。それをレミが許してくれるのかはまた別のお話である。
ランは全く気にしていないし、レミも特に気を病んでいる訳でもない。ショウが勝手に深く悩んでいるだけである。その誠実さが時には自身を傷つけることを彼はまだ知らないが故の愚行であった。
「ほら、クッキー冷めちゃいますよ。出来立てが一番美味しいんです」
「しかし……」
「んもう。そんなに気を病んでいてはお菓子も不味くなってしまいます。今は何も考えず、一口召し上がってください」
母は、と言うより大人は強し。有無を言わせない言動でショウを黙らせてしまった。
渋々と出された魚型のクッキーを手にして一口パクリ。すると、ショウの表情が面白いぐらいに変わっていく。
「美味しい……」
「ふふ、ありがとうございます」
「お母さんのクッキーおいしいでしょ!」
味はスタンダードなバターであったが、素材の旨味を良く引き出しているので見た目以上に濃厚な味わいがすると感じたショウは、次々とクッキーを手に取っては口に運んでいく。喉が渇けば一緒に出されたお茶をゴクリ。紅茶のような味が口いっぱいに広がり、これまた美味だ。
サイボーグになってからは食べる必要がなくなったので、食に対する関心が随分と彼は薄れていた。久しぶりに味わって食事をしたことも相まって、レミの作ったクッキーは何よりも美味しく感じている。
だが、同時に疑問点も生まれた。このクッキーは美味しい。とても美味しい。だが、出来立てとして出てくるには早すぎるのだ。
あらかじめクッキーを作っており、偶然ショウが良いタイミングでランを連れてきたので出来立てを召し上がれたという考え方もできる。しかし、レミの様子からそれはなさそうだった。
ショウとランが席についてから三分ほどでクッキーと茶が出てきたのが彼は不思議でならない。同時に、ニコニコと笑って自身を見つめるレミを少し怖く思う。
「あの、レミさん。すごい美味しいんですけど……このクッキーってどうやって作ったんですか?」
「クッキーですか? 普通に行程を踏んで焼いただけですよ」
「そうですか。それにしては随分と早い完成でしたね。五分も使わないでここまで美味しいクッキーが作れるんですか? それこそ“魔法”でも使わないと難しいと思うんですが」
“魔法”という単語にレミはピクリとネコミミを揺らして反応した。それを見逃すショウではない。ほんの少しだけ笑顔が崩れたのを確認したショウは、レミが何らかの魔法を扱えるのではないかと仮説を立てる。
ケモミミの生えた人間たち。摩訶不思議な攻撃を繰り出してきたキメラの存在。そしてレミ。ほぼ確信に近い形で、彼は自分が異世界にやって来たことを察している。あとは誰かの口から決定的な証拠を示してもらえたら。レミの目を真っ直ぐ見て答えを待つショウ。
「……どこまで知っているのですか?」
「いや、予測の範囲を出ませんし僕は何も知りません。ただ不思議だなと思っただけですよ」
「そうですか」
真実を言うべきか否か。それを迷っているのか、レミは目を伏せて暫しの間考え込む。
意を決して目を開き、もう一度言葉を紡ぐために口を開くまでおよそ三分。長いようで短い時間押し黙った後に、レミは語り出した。
「貴方にはお話しましょう。私の全てを」