途中で帰っちゃ駄目だよ
お読み頂き有難う御座います。ホラーの習作に書いてみました。
ねえ、かくれんぼしようよ。
鬼さんは、公園の一番大きい木で100まで数えてね。
そう、一番奥の、大きい木。
あそこで100数え終わるまで、探しに来ちゃダメだよ。
…………。
…………99、100…………。
何処へ隠れたのかなあ。
絶対、全員、見つけるぞ……!
プシュー、と空気の漏れる音がして、古びた電車のドアが開く。
久々に降り立った、蒸し暑い空気が滞留する駅。
相変わらず何もない……と思ったら、プラットホームから、今はもう無い公園の跡地が見える。
其処は……駐車場になっていた。
前は、手入れの行き届かない木々が鬱蒼と繁っていたのに……今となっては、皹割れたコンクリートの隙間からからセイタカアワダチソウが何本も生えている。
都会では聞いたことの無い企業のロゴの付いたコインパーキングの看板は色褪せ、端にはサビが目立つ。
ガランとした駐車場に、車は1台も停まっていない。
駅前なのに、都会では考えられないことだ。
私は、自動改札機ですらないアナログな改札を抜ける。
生気の無い駅員の視線を振り切り、掃除の行き届かない湿った階段を降りる。
長時間座りっぱなしで、腰と足が痺れていた。
幼い頃に友達と学校帰りに寄った駄菓子屋さんも、運動靴を買って貰った靴屋さんも……シャッターが下りてしまった商店街。
此処を抜けて、あの公園まで走り回って、走って……ゼエゼエ転げ回って笑って……。
「鬼ごっこ飽きたね」
「花いちもんめは?」
「……ちゃんが、お家に帰ってこないの」
誰も居ない商店街。
キイキイ、と風が抜ける度に古い看板が鳴る音。
自分以外誰も居ない、誰かの声がする。
「ねえ、ハルちゃんは?」
「いないね」
「帰ったんじゃないの?」
鬼がイヤなのかな。あのこ、暗いもんね。
忘れきっていた嘗ての会話が、耳に甦るかのように。
クスクスと忍び笑う子供の声が、ジトジト、ジトジトと……湿気のように湧いてくる。
「ナッちゃんは?」
「いないね」
「逃げちゃったんじゃないの?」
あのこ、ワガママだし、すぐ怒る。
自分以外目立つのがイヤだから。そう悪口を言ったのは誰、だったかな?
「あっちゃんは?」
「あれ?さっきまでここにいたよ?」
「ねー、もう飽きたから帰ろうよ」
かくれんぼをしていたの。
かくれんぼをする度、誰かが減るの。
探しにこないから、帰っちゃおうよ。
明日になったら謝ればいーじゃん。
「ふーちゃんは、どこ?」
もうかくれんぼは終わったよ?
え、どうなったの?
ふーちゃんだけはダメだよ。いなくなっちゃダメ。
ふーちゃんとだけ仲良くしたかったのに、さ。
他の子は邪魔だけど、ふーちゃんが『みんな』とでなきゃって言うから。
あの頃のモヤモヤが浮かんできた。心臓がイヤな音を立てて、不安と共に額や背中に汗が滲んでくる。
押し込めて忘れていた筈の、昔の事が、まざまざと脳裏に甦ってきて……。
そもそも、どうして私は此処へ戻ってきたんだろう。
あれから引っ越して、もう20年経つのに。
あれ?何の目的で。此処に来てしまった?
……フラフラと……商店街を抜けて、今はシャッターが降りたお豆腐屋さんの角を曲がってしまった。
行きたくない。行きたくないのに、勝手に足が動くのは、何故?
あっちには、元々公園が有った所を潰した、駐車場しかない。
さっき見たじゃない。
なのに。
あれは、誰?大勢の大人が……いや、あの公園は、何!?雑草しか生えない駐車場なのに、どうして不気味で暗い木が沢山生えている?
「おーい、……ちゃーん」
「何処に居るの!?もう帰ってらっしゃい!!」
大人が達が大声で誰かを呼んで、叫んでいる声が聞こえる。
周りには、誰も居ないのに。
ワンワンと蝉の声よりも、大人の声が響き渡る。
嘘だ。
あのポロシャツの背中は、あっちゃんのお父さん。
緑のエプロンは、ハルちゃんのママ。
甚平を着た坊主頭は……なっちゃんのおじいちゃん。
自転車を蹴飛ばしてるのは、年の離れたふーちゃんのお兄ちゃん……。
……あの時のままで。
何で?
「ニーコちゃんは、何で行方を知らないの?」
「しっ……」
でも、あの時とは違う。大人は私を責めなかった。
でも、今は何故か……何対もの、赤い目がこっちを……見てる。いや、赤い目?そんなものは、この雑草だらけの駐車場には居ない、のに。
「其処は遊ぶ所じゃねえ」
偉そうな、無愛想な声が掛かる。
我に返って振り返ると……頭にタオルを巻いた中年の男が、私をまるで不審者のように此方を見てきた。
汗が目に入りながらも必死に瞬きする。…………鬱蒼とした森なんかじゃない。公園でもない。
そう、此処は駐車場だ。ドッと力が抜けてきた。
気にしすぎだ。
「いえ、あの」
「早くどっか行け」
目の離れた中年男は、此方を不審者のように見てきた。
何て失礼な。
何時もなら噛みついて反論するものの、今は反論する気力すらない。
平時なら、反論するのに、口を歪めるだけは出来た。睨む事すら無理だ、それだけだ。
私はよろけながらも立ち上がった。
足が、動く。
……もう帰ろう。
何でこんな所に来たんだろう。
何もないのに。
何をしに来てしまったのか。こんな、もう何にも無い此処まで……。
「帰っちゃダメだよ」
「え?」
後ろから、甲高い子供の声が聞こえる。
ザワ、ザワザワ、ゾゾゾゾ……と、葉擦れの音と一緒に……聞こえてくる。
「まだ、見付けてないもんね」
「……!?」
ザザザザ、ズリザザザ。
葉擦れの起こるような大きい木なんて、この辺に無かった。
もう、無かった、のに。
「かくれんぼ、終わってないよ」
子供の声が……居なくなった、ハルちゃんの声がする。
「見つけてないの、誰かなあ」
震える足元を、なっちゃんが駆けていく。
「ふーちゃんは鬼でしょ、あっちゃんも鬼」
あっちゃんの声が背後から聞こえる。
嫌だ。
イヤダイヤダイヤダ。
私は悪くない。
皆が見付からなかったのは、私のせいじゃない。
もう帰る!!
此処に居るから、暑さにやられたんだ!タクシーでもいいから、こんな……。
「ニーコちゃん」
ぽん、と肩を叩かれた。
小さな小さな、男の子の手。大人の私の肩に届く筈の無い……小さな手。
「あれ?ちょっとおおきいね」
この手を繋いで、何度も遊んだ……日によく焼けた子供の手。
私の肩を、痛いくらいに掴んで……私の頭を、肩を、足を、腰を掴む。
痛いのに、逃れたいのに……声が、声が出ない!!
さっきの中年男は!?何処へ行ってしまった!?
「が……」
「まあ、いっか。みんな待ってるからさ」
「そうだよ」
クスクス笑うなっちゃんの声と一緒のタイミングで、肩の骨がボキリと折れる音が、遠くに聞こえた。
「散々逃げてた、ニーコちゃんが鬼ね」
ぼき、がき……ぐき。
「ニーコちゃんで、最期。
全員ちゃーんと、みつけてよ」
「あが……」
私の体は、自分の物でないように、凍りついたみたいに、動かない。
手が、触ってくる手が……びくともしない!!
駄目だ振り向くな。そっちを見たくないんだ!!
ああああああ痛い痛い痛い!!子供の小さな手とは信じられない位物凄い力で、頭を捕まれる。
首が千切れそうな位引っ張られて、振り返った後ろには。
後ろには、暗がりから伸びる枝に……大きな大きな……木が……。
公園の一番奥、大きい大きいかくれんぼの木……。
「ねえ、ちょっと奥さん。聞いた?」
「聞いた聞いた。藤見さんちに法事に来た親戚が行方不明で……」
「えっ、佐部さんちじゃなくて?」
「多野さんちもよ……!?」
「怖いわねえ。あら、油揚げ終わりなの。夕方に来るわ」
買い物客も少し減った、商店街の夏の昼下がり。
唸るような古い冷蔵庫の音が響く豆腐屋の前を、高齢の主婦達が日傘と荷物を抱えながら、通り過ぎて行った。
店主は用意しとくよ、と愛想良く見送る
…………ザッ、ザッ、ペタリ。
頭にタオルを巻いた中年の男が箒を抱えて、豆腐屋の角から現れる。
「掃除かい?」
「ああ、いや……駐車場で子供が悪さしてな。追い払ってやった」
「悪ガキがいたもんだ。どっかの親戚かねえ。そういや、もうすぐ月命日だね。油揚げ、持ってくか?夕方に揚がるよ」
店主が問いかけると、男はゴキリと肩を鳴らした。
月命日ではない。
今日が正真正銘、男の弟の命日だ。
だが、気に掛けてくれた豆腐屋の主人に邪険に訂正はしない。
彼も曾て、弟を探してくれたひとりだから。
「ありがとよ。フウタも喜ぶよ」
やっと最後のオトモダチを、かくれんぼに戻せたからな。
皆で遊んでいても、無断で飽きて帰る子いたなあと思い出しました。