影は舞い戻る
「素敵よ、ミレーネ!」
公爵夫人が、感嘆のため息をつく。
まだあどけなさが残る少女らしい身体つきのミレーネは、ドレスの裾を翻してエントランスに降り立った。
「あのアバズレとは大違いだな。」
カルロスも、相槌をうった。
「今夜の対面式には大陸中の王族や高位貴族が集まるが、誰もお前の美しさにはかなわんだろう。」
「あら、お兄様がたも素敵よ。流石、王国の次期宰相様とウルキア王国1の騎士様だわ。」
カルロスとエルセイドは、嬉しそうにほほえみを浮かべた。
眉目秀麗な公爵家の長男は、この国の次期宰相として国王からも重宝されているし、次男のエルセイドは若くしてウルキア王国1の騎士として名を馳せている。
そして、長女のシアンナは、次期国王である第一王子の婚約者だ。
いまやヴィルカドル公爵家は、王国で最も栄華を極めた一族となった。
だからこそ、ミレーネ、いや、メイヴィスの存在は、公爵家にとっては痛い部分だったのだ。
「だった」と過去形なのは、いまやそのメイヴィスはおらず、本物のミレーネが戻って来たからだ。
「ミレーネはまさに我々公爵家に真の名声と地位をもたらす、勝利の女神だな。」
公爵の一言に、ミレーネは頬を赤らめる。
「嫌ですわ、お父様。」
コロコロと鈴を転がすような、柔らかな声音。
恥じらうその清純な容姿に、公爵家の人間は、皆すっかり骨抜きにされていた。
「いや、女神というよりかは、天使でしょう。」
エルセイドが、笑いながら、腕を差し出しミレーネをエスコートする。
「さあ、行こうか。今夜の主役はミレーネ、お前だよ。」
エントランスを後にする公爵は、今宵の対面式がヴィルカドルの栄華を象徴するワンシーンになることを信じて疑わなかった。
ウルキア王国の宮殿の豪奢な大広間には、大陸中の権力者が集まり、エルギア帝国第4皇子の登場を今か今かと待っていた。
「エルギア帝国、第4皇子アレクシオン殿下のおなーりー!」
声と同時に、大広間に入ってきた人物を見て、皆呼吸を忘れた。
短く刈り上げられた青みがかった銀髪と、妖しい光を宿すアメジストの眼。
それを縁取るまつげは、驚くほど長く、陶磁器のようななめらかな肌に影を落としていた。
黒衣に包まれた肉体は、無駄なく鍛え上げられ、その背の高さも相まって大型の肉食獣を彷彿とさせる。
冷たい印象をうける、整いすぎた顔立ちは「美」そのもので、触れたら凍らされそうだ。
「あれが、エルギア帝国の第4皇子、アレクシオン・ルスオラード・エルギア。」
「素敵・・・」
「なんて麗しいのかしら。」
称賛の声が大広間を満たす。
アレクシオンは、堂々とベルベットの絨毯を歩き国王夫妻の前にたった。
「ご機嫌麗しゅう。アレクシオン殿下。はるばるこのウルキア王国へようこそ、歓迎いたします。」
「歓迎いたみいる。それでは早速はじめようか。」
この対面式は、帝国とウルキア王国の婚約者の顔合わせに、大陸中の権威者が居合わせることで、両国の結びつきを国外に知らしめることを意図して開催されている。
「ヴィルカドル公爵令嬢はここへ。」
「はい。」
ミレーネが楚々と前に歩み寄る。
「なんて麗しいお嬢様なの。お似合いだわ。」
「確か、行方不明になってらしたのよね。」
「その間、偽物が我が物顔で公爵令嬢としてのさばっていたとか。」
「たしか、偽物はあまりにもそっくりだったから、お嬢様が失踪されたことにショックを受けた公爵様は、本物だと思いこんでしまったらしいわ。」
「あら、可哀想。」
「社交界で偽物を何度も見かけたけど、あれは間違えても仕方がないわ。本当に貴族としては完璧な立ちふるまいだったもの。」
「でもいくら幼少期が似てても所詮は偽物。本物のミレーネ様とは違い、娼婦のような身体つきだったから。」
貴族たちのヒソヒソとかわされる会話を盗み聞き、ヴィルカドル公爵は内心ほくそ笑んだ。
彼らが話している内容は、ヴィルカドル公爵家の手のものが流したもの。
(うまく信じ込ませられたようだ。)
ミレーネの方に目をやる。
目の前の美丈夫にうっとりと見惚れている彼女は、恋する乙女のような純粋さをまとい、まるで妖精のようだ。
(美しいミレーネを皇子殿下も気にいるだろう。)
皆、皇子がミレーネにかけるであろう甘い言葉に期待を膨らませる。
しかし、皇子の口から転がりでたのは、意外な言葉だった。
「・・・誰だお前は?私の婚約者は、こんなつまらん女ではないはずだが。」
そして、国王夫妻をくるりと振り返る。
「どういうことだ?」
それはこちらが聞きたい、と国王は冷や汗を浮かべた。
婚約者が顔を合わせるのは今日が初である。
そして、ヴィルカドル公爵家の偽公女騒動は、アレクシオンの耳に一応入れてあるはずなのに。
それなのに、彼はまるで婚約者はミレーネでなく、メイヴィスであるかのように語るのだ。
と、不意に大広間の外が騒がしくなった。
「何事だ!」
国王の問に、ボロボロになった近衛兵が駆け込み、頭を垂れた。
「それが・・・・」
「あら、国王陛下、ごきげんよう。」
ざわめく広間を黙らせる、氷のような声。
その主に一番驚いたのは、ヴィルカドル公爵だった。
「貴様は!何故・・・」
剣を片手に、雨にふられてぐっしょりと濡れた上に返り血にまみれて美しく笑うその女は。
公爵家に捨てられ、毒殺されたはずのメイヴィスだった。
「毒で死んだのでは・・・」
カルロスが信じられないようなものを見る目で、メイヴィスを見つめた。
「ええ、毒を飲まされました。苦しかったですわ。」
でも、とメイヴィスは艶やかに笑う。
「あの程度の毒では、死にませんの。」
コツコツと国王やアレクシオンへと歩を進める。
「そこから先には進ませんぞ!近衛兵、剣を!」
受け取った剣を構えたエルセイドは、嘲りの表情でメイヴィスに対峙した。
「女に何が出来る?」
「宮殿の近衛兵を片っ端から倒す程度のことはできますわ。お兄様。」
「貴様に兄と呼ばれる筋合いはないわ!」
そう言いながらも、エルセイドは妙な不安感に襲われた。
(こんな女だったか?)
記憶の中の彼女は、いつもビクビクと肩を縮こまらせ、公爵家の人間の顔色を伺っていた。
間違っても今目の前で浮かべている、肉食獣のような自信に溢れた表情はしていなかった。
「あれが、偽物の公女よ。」
「でも、王国一の騎士であるエルセイド様がいればもう安心ね。」
「女が敵うはずないもの。」
その声に、エルセイドは背中を押される。
「公女の名を騙る罪人が!私の剣で死ねること、ありがたく思え。」
剣を振りかぶる。
「遅い。」
傍観していたアレクシオンがボソリとつぶやいた。
一閃。
それで決着はついた。
「嘘だ・・・」
エルセイドが何が起こったか分からないと、呆然とする。
喉元にまっすぐ突きつけられた剣。
それを握るのは、優雅に微笑むメイヴィスだった。
「おそすぎますわ、蝿が止まるんじゃないかと思うくらい。」
にこやかに、そして辛辣に吐かれた毒。
それが緩やかにエルセイドを蝕む。
「近衛兵!この女を取り押さえろ!」
カルロスの言葉に、近衛兵たちは怖じ気づきながらメイヴィスに剣先を向けた。
張り詰める緊張。
異様な雰囲気に包まれた広間に、場違いなほど甘やかな声音が響いた。
「こっちへおいで。自分の力で私のもとへ来るんだ。」
アレクシオンが、蠱惑的な笑みをうかべ、両手を広げる。
躍りかかる近衛兵をなぎ倒し、切り捨てながらメイヴィスはゆっくりとアレクシオンのもとへ進んだ。
「殿下に近づけさせるな!」
カルロスの命も虚しく、近衛兵たちは次々と倒されていく。
そうして、アレクシオンのもとへたどり着いたメイヴィスは、帝国式の最上級の礼をした。
「お目汚しを、申し訳ございません。」
「いや、いい。面白い余興だった。」
ひざまずいたメイヴィスを立ち上がらせると、アレクシオンはまるで愛しいものを見る目で彼女を抱き寄せた。
「流石、我が婚約者であり、我が影だ。」
メイヴィスは目をすっと細めた。
そのエメラルドの双眸に、鋭い光が灯る。
「ありがたきお言葉です。我が主。」