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【長編14】缶詰の中で生まれ育った僕たちは、およそ愛というものを知らない

一欠片、世界の記憶は愛を架け橋にして

作者: 奈良ひさぎ

「ここは……?」


 気がつくと、すでにぼくは別世界へと飛んでいた。そして襲うのは、ぞわっとするほどの大雪。ぼくはそもそも地球外からやってきた存在だから、寒さなんてどうということはない。が、一緒にやってきた凛紗はそうではないだろう。と思い辺りを見渡す。


「着いたようだな」

「大丈夫なのかい?」

「大丈夫というのは寒さのことか? それなら問題ない、言っただろう、私は人間じゃないんだ」

「それを言うなら、ぼくの方こそ宇宙人だけども」

「まあ、普通の人間がこうやって並行世界を旅するのであれば、極寒の地へと飛ばされる可能性も考慮しなければならないということだな。教訓を得た」

「そもそも、並行世界にわざわざ行こうとする物好きが、ぼくら以外にいるかどうかという話だけどね」


 ぼくが身につけていた腕時計は狂っていた。凛紗いわく、電波の使い方など、技術が似通っていても世界線ごとに微妙に定義が異なるらしい。例えばその世界で正確な時間が知りたければ、その都度その世界で時計を買わなければならない。逆に言えば、時計の針があちこち指していることが、並行世界への移動に成功したことの証になる。


「一番簡単な指標になるのは分かるけれど、腕時計はあまり慣れないな。弓依が普段から身につけなかったのを反映しているのかもしれない」

「イユの場合はかぶれるというだけだろう。……ああ、ほら。真皮がむき出しだ」

「すまないね。ぼくはあまり擬態が得意じゃないんだ」


 ぼくはちょうど腕時計の金属部分でかぶれ、人間としての皮膚が剥がれていたのを左手で覆い隠す。不用意に他の人間にそんなところを見られるわけにはいかない。と、思ったのだが。


「……凛紗」

「……ああ」


 その『他の人の気配』が、どうにも感じられないことに気づいた。地面につけた足跡がみるみる消えてゆくほどに降りしきる雪のせいかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。そもそも、ここに人がいるのか。それさえ疑問に感じてしまうほどの静けさだった。


「どうやらここがこの世界での東京ということは、間違いないらしいな」

「本当だ」

「この世界は私たちのそれと、そう大差ない道を選んだようだ。もっとも、全く違う道を選んでいながら、偶然近づくこともないわけではないが」


 凛紗の見上げる先には、煌々と赤くライトアップされた東京タワーがあった。例えば日本が高度経済成長をせずにいたならば、こんなに高い電波塔を建てることはなかっただろう、とぼくは思う。高いところが苦手なぼくからすれば、どうしてあんな悪趣味なものを喜んで作るんだ、と考えてしまうが、それは地球外の者ならではの感覚なのだろう。


「けれど、まるで人の気配が感じられないのもおかしな話だよ」

「ああ。幸いこの気候でも平気なことだし、少し辺りを探そう」


 ぼくは嫌な予感がしていた。これはぼくが最初に地球にたどり着いた時、ぼくの元仲間が人類滅亡のために動き出す『Xデー』が近づく中感じていた雰囲気に近い。雪が降って寒いのとはまた別な感じ。おそらく普通の人間には、微妙な違いすぎて分からない。人間とは違った器官が発達しているからかもしれない。


「……あまり、予想は当たってほしくないけれども」

「……イユ。あっちだ」


 急に凛紗の声が一段低くなる。ぼくもいろいろと察して、黙ってその後をついていく。凛紗の歩くその先には、すでに降りしきる雪で消えかかっていた足跡が見えた。この雪の降り方ならば、ついさっきつけられた足跡の可能性もあった。


『……』

『……』


 凛紗が足跡を見つけてから、そう距離は離れていなかった。二人の女の子が、目の前に倒れていた。片方の緑の髪をした子は、すでに事切れていた。そしてもう片方の銀髪の子も、ほとんど命の炎が消えかかっていた。


『ありがとう』


 その銀髪の子が、声にならない声でそうつぶやいた気がした。わずかに灯っていた命が、すう、と消えてゆく。


「おい……!」

「……」


 それはこの地球で最後の人間の命だった。世界を見回ったわけでもないのに、ぼくにはそう言い切ることができた。その瞬間に、この世界から人類という存在が消えた。


「嘘だ……」

「……行こう。私たちにできることは、もうない」

「……そんな言い方があるか」


 くるりと後ろを向いて立ち去ろうとした凛紗の手を、ぼくはつかむ。ぼくは怒っていた。どうしてそんなに淡々としていられるのか。


「この世界が、確かに人類のいた世界だって証拠が目の前にあるのに。どうしてそんなに平気でいられるんだ」

「……それが、この世界の運命だからだ」


 なおもその場を離れようと足を動かす凛紗に向かって、ぼくは呼び止めるように叫ぶ。それでも、凛紗は冷酷な受け答えをすることをやめなかった。


「凛紗はぼくと違う。凛紗は……自分のいた世界を、救えたじゃないか。どうしてそんなにあっけらかんとしていられるんだ」

「世界を救ったからこそ(・・)、だ」


 あの世界線の地球から逃げてきたばかりの頃は、考えもしなかった。けれど凛紗のいるこの平和な地球にやってきて、ぼくはだんだん、自分がしたことの意味を至極冷静に考えるようになっていた。あの地球での文明を必ず再現して、後世に引き継ぐんだという思い。あれはもっともらしく言っているようで、実は単に、逃げてきただけなのだと。ぼくの元仲間はXデーの時点であれだけ数を増やしていたのだから、ぼくには、なす術がなかった。あの地球を見捨てて、ぼく一人が生き残っている。


「……私たちは、あらゆる世界の救世主ではないんだ」

「……数々の並行世界を渡り歩けるようになった、ぼくたちがか?」

「渡り歩けるようになれば、世界が救えるのか? そんな大層なことができるのか?」


 凛紗の問いに答えるのは簡単だ。できるわけがない。そんなの聞かれなくとも分かっている。いや、ぼくだって、世界を救うなんて、そんな大層なことがしたくてやっているわけではない。もっと小さな規模の話だ。目の前にいる人が少しでも幸せになってくれればいい。この身一つでできることなんてごくごく限られているのだから、それで十分なはずなのに。


「……その沈黙が、何よりの証拠じゃないか」

「……分かってるさ。こんな宇宙人の成れの果てのぼくにできることなんて、ちっぽけだ。この世界だって、きっともう少し早くぼくたちが訪れていたって、結末は変わらなかった。けれど。けれど……世界の終わりを垣間見て、それで終わりなんて、あまりにもむごい話じゃないか」


 ぼくの中では、いろんな感情が渦巻いて消化不良を起こしていた。目の前で人類がいなくなるところを目撃することになるなんて、考えもしなかった。それがすごく、悲しかった。きっとぼくが逃げた後の地球もこうなっていたんだろうと考えると、ぼくの選択は正しかったのだろうかと思ってしまう。


「……私は、ヨドと一緒に世界を完全に救えたわけじゃない」

「……」

「何か巨大なものと戦う時には往々にして、何かを失ってしまう。私にとってそれは、瓜二つの双子の姉だ」

「……!」

「虚構世界で生まれた私たちだから、もしも現実世界に戻ったとしてもどちらか一人しか生きられない。たとえあの時、亜紗が総理に殺されていなくとも、どちらが生き残るか選ぶ必要があった。そして亜紗なら、感情を学習していた私に生き残るように言っただろう。それも、喜んで自分の死を受け入れたはずだ」

「……君のお姉さんは、君のことをすごく愛していたんだね」

「それは違う、亜紗には感情が……」

「そういう意味じゃないよ。誰か大切な人を愛するっていうのは、感情の一つじゃない。もちろん、後から学ぶものでもない。人間だろうと動物だろうと、生まれつき持ってる『思い』……ぼくは、ぼくの世界でそう学んだ」


 この人たちだってそうだ。自分たちが人類最後の存在なのだと、分かっているように感じられた。そしてそれでもなお、幸せそうな顔をして深い、深い眠りについていた。きっと二人の間には、ぼくたちの知りえない愛があったのだ。そして凛紗もお姉さんとの間に、愛があったのだと確かに感じる。


「だから……この世界が誰にも知られないまま、歴史の一ページにも残らないなんて、ぼくはすごく嫌だ。だって……そういう、これまでなら誰も見向きさえしなかったような話を後世に残してゆくのが、ぼくたちの仕事のはずだ。そうだろ?」

「……ふう」


 ぼくの演説を一通り聞き終わった凛紗は、ため息をつく。そしてふふっ、と笑った。


「完敗だ。全くもって、イユの言う通りだな。やはり生まれてまだ十年ほどしか経っていないような若造に、この仕事をやるのは早かったのかもしれないな」

「そんなことはないよ。凛紗の聡さは、折り紙つきだ」

「たとえ頭の出来が良かろうと、万能ではないということだ。私一人だったなら、さっさと帰っていたに違いない」


 凛紗は再び踵を返し、ぼくを抜かして雪に埋もれ始めていた二人の少女の前に立つ。そのまま首を垂れ、黙とうを始める。ぼくもその小さな背中を見ながら、来たばかりのこの世界のことを想う。どれくらい、そうしていただろうか。口を開くタイミングをうかがっていたぼくより先に、凛紗が口にした。


「……この世界の時計を買おう。私たちが、確かにこの世界を訪れたという証拠に」

「人類がいないなら、『買う』ことはできないけどね」

「屁理屈が好きだな。金銭のやり取りをしなくとも、置いていけばいいんだ。もっとも、私の持っている通貨がこの世界のそれと似通っているかどうかは分からないが」


 これからぼくたちは、数々の世界を巡ってゆく。今は技術的に近い選択肢を選んだ、あるいは近い運命をたどっている世界にしか行けないが、いずれそうではない場所にも行けると信じている。そして近い運命の世界でさえこうなのだから、もっと辛い世界だってあるに違いない。世界中で戦争が絶えないとか、不治の病が蔓延しているとか、考えうる『災厄』はいくらでもある。もちろん、ぼくたちが何か力を貸せることがあるのなら、それに越したことはない。けれど、きっと大抵はこのちっぽけな手を伸ばした程度ではどうにもならない。だからせめて、こういう世界もあるのだと、知識や知恵、技術を少しでも後世に伝える。誰に向けて伝えるんだということは、今は考えない。人間たちはそういう、誰が思いついたかも分からない知恵をいくつも使って、繁栄しているのだから。


「どうした、イユ。何だか、晴れやかな顔をしているな」

「気分は晴れやかではないよ。やっぱり、もう少し来るのが早ければ何かできたんじゃないかと思ってしまうから」

「……そうだな」

「でも、いちいち落ち込んでいたらこの仕事は務まらないということも、また凛紗に言われて理解したつもりだよ。できれば時計を買うのは、今回限りにしてほしいけれど」


 気をつけなければ足を取られ、転びそうになるほど深い雪。ぼくは凛紗と手をつなぎ、一歩一歩明るい方へと進んでゆく。改めて、あの二人が幸せに旅立っていったことを祈りながら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「外伝」とありましたので他の物語を思い返しながら読まさせて頂きました。 奈良さまの持ち味を発揮され「滅びの世界」を表現しておられます。 どーでもいいわ! と気味悪がられそうですが、香坂的に…
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