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「せつない」

 この日のため、私は身体を整えてきた。

 髪が艶めくようトリートメントに気を遣い、全身のムダ毛を丁寧に剃り落として、ニキビの一つもできないように規則正しい生活を送った。

 下の毛もきっちり刈り込んだ。無毛にしてもよかったけれど、ここに関しては毛の一本一本まで描いて欲しかった。


 優太の記憶に、そして画帳の中に、しっかりと私の肉体を刻みつけて欲しい。

 ひたすらためらう優太に向かって、私は強い口調で説得をした。


「これは『ただの絵の練習』だと思ってくれればいいの。『ただの貴重な機会』だって、『無料でヌードが描けるなんてラッキー』だって思ってくれたらいいよ。石膏をデッサンするばかりじゃ物足りないでしょ」

「はい……」


 優太はおずおずと頷いた。頬を朱に染めながらも椅子を持ってきて、私の前で描画姿勢をとった。クロッキー帳を抱えるようにして、猫背になるのが彼のスタイル。


「じゃあ、描きますね……」

「うん、遠慮しないで」


 私ははっきりとした口調で言った。優太にほんのわずかたりとも罪悪感を抱いて欲しくなかった。むしろ、罪悪感を覚えなくてはいけないのは私の方だろう。こんな形で欲望を晴らそうとしているんだから。

 でも、もうとめられない。私の願望(ゆめ)を叶えてくれる子に出会ってしまったんだから。


 画帳を開き、鉛筆を握る優太。おどおどと彷徨(さまよ)っていたその視線が、きりりと引き締まって私を貫く。

 ああ、この目だ。いつもは名前の通りに優しい優太は、絵を描くときだけまるで熟練の戦士のようになる。


 優太の手が素早く大きく動く。これは、下書きをしているのかな。

 すぐに手の動きが緩やかになった。今どの部分を描いているのか突き止めるために、私は優太の目線を追う。

 今は頭だろうか。あの鉛筆の動きは、髪だろうか。

 彼は対象物の顔を最後に描くから、次は首やデコルテの辺りかな。


 やがて目線が下の方へ降りてきた――ああ、今、優太は私の胸を見ている。

 Bカップのまま成長が止まってしまった私の胸、乳輪にあるぶつぶつも、空気にさらされてすっかり硬くなっている先っぽも、すべてをありのままに描写してくれているに違いない。

 鉛筆の芯がなぞっているのは紙なのに、まるで私自身の乳房を触られているような錯覚を覚えた。胸の奥からむず痒さが広がっていき、痺れるような疼きを生んだ。


「……ぅ」


 つい声が漏れた。


「その姿勢、辛いですか? 休憩しますか?」


 峻険(しゅんけん)だった優太の眼差しが柔らかくなり、私を労わった。

 休憩なんてとんでもない。一度姿勢を崩したら、緊張感も高揚感もなにもかも消失してしまうような気がする。優太も、もうやめようって言うかもしれない。最後までノンストップで描いて欲しい。


「ううん……大丈夫だよ。気にせず描いて」

「わかりました」


 再度、優太が『戦闘モード』に入った。

 ああ、なんて素敵。カッコいい。心臓の鼓動が早まり、身体が火照る。脇の下が冷たいのは、汗が染み出しているせいだろうな。


 優太がこんなに真剣になれるのは、絵を描くのは高校生までと決めているからだと言っていた。美大を目指しているわけじゃなく、ただ趣味で描いているだけだからだって。クロッキー帳に我流で好きなものを描き散らかしているだけだからって。

 もったいないよ、って諭しても、寂しそうに首を横に振るだけだった。

 どうやら、彼のお父さんが絵を描くことに反対しているらしい。

 画家になんてなれるわけがない、なれたとしても絵で食っていけるのは一握りだけ。だから、絵を描くなんて生産性がなくて無駄なこと、って言われたらしい。大学は経営学部に行って、卒業後はお父さんの会社に勤めることがすでに決まっているんだって。


 可哀相な優太。

 それはまるで映画の中のローズのような境遇。ジャックと同じ絵描きなのにね。

 でもだからこそ、短い命を燃やすように絵に打ち込んでいるんだろう。


 優太の持つ鉛筆の先が小刻みに動いている。きっと、私の肉体の本当に細かいところまでを描写しているんだ。どこを描いているのかな。優太は今、どこを凝視しているのかな。


 戦士の瞳に、わずかな動揺が走ったのを見逃さなかった。

 彼は今、私の股間を凝視しているに違いない。

 絶対に有耶無耶に描いたりなんかしない。誤魔化さず、ありのままを描写している。

 私の運命のひとが、私の秘めた部位を視線で撫でている。

 手に握った鉛筆で、毛の一本一本を丁寧に描き出している。


 ああ、すごく恥ずかしい。

 でも、私は目を伏せたりしない。優太の視線の動きをしっかりと追い、視線の愛撫を甘受する。

 喉の奥から甘い悲鳴がこみ上げて今にも口からあふれそうだけれど、我慢しないと優太の集中が途切れる。

 はぁ、と熱い息だけが漏れた。


「苦しいですか?」


 優太は私の顔を見ずに聞いてきた。()()()を描き始めたときの動揺の色はすでになく、完全に集中し切っている。


「ううん……」


 私は喉から引き絞るような声を出した。


「なんだか、とってもね…………せつない」

「……そうですか」


 優太は表情を変えず、ただそれだけ答えた。

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