幸せの大きな贈り物
〇〇文学賞応募作。第1次選考通過。
夕方から降り始めた雪は、あたりをうっすら白くしはじめた。正男は明日の朝までに一体どれくらい雪が積もるのだろうかと考えはじめるとじっとしていられなくなった。外が暗くなると玄関まで何度も行ってはドアを開けて雪がどれくらい積もっているかの確認を繰り返した。なぜなら玄関のドアを開けると、すぐそこに自動車が一台とめてあり、その先の巾が三メートルほどの狭い道路の手前に外灯が立っている。その外灯の明かりに照らされしんしんと降り積もる雪と暗闇の中で白く覆わていく自動車を見ていると、どんどんと気持ちが高まるからだった。
この冬になってからはじめての本格的な雪だった。何度か降ったことはあったが、うっすらと白くなっただけですぐに跡形もなく融けることが続いていた。初めて雪が降った日は十二月の半ばくらいのことだった。その時の雪の降る様子を見ながら地元富山の人たちはちょっと心配そうにこんなことを口にしていた。
「今年は雪が多いかもしれんちゃ」
雪は多い年もあるが、少ない年もある。そして数年に一度大雪になることがある。今年の雪は、ドカ雪が続いて大雪になるのではないだろうか、というのだ。地元の人は雪が降る様子から何となく勘が働くらしい。今までもそんな地元の人の勘が意外に良く当たっていたことを思い出した正男の父は、その話を聞いた日から天気予報を絶えず気にしていた。
正男の父は仕事から帰ってくるとテレビを見ながらちょっと心配そうに言った。
「明日はちょっと早起きしたほうがええかもしれへんなあ」
画面の中でアナウンサーは今晩から数日はまとまった雪が降るでしょう、といつになく確信に満ちた口調で言ったからだった。正男の父が雪にはあまり縁のない神戸から富山へ引越ししてきたのは十年ほど前のこと。あまり体験したことのない一面が真っ白になったりしんしんと降る雪に最初は美しさを感じたが、すぐにその気持ちはなくなった。一気に降り積もる雪や融けずに山になっていく雪にどんなに苦しめられたことか。雪かきに費やす時間と労力は大きい。雪に埋もれたり押しつぶされたり、事故が起きると死にも至らす怖い側面もある。しかし毎年の経験でまったくわからない相手ではないと徐々に思えるようになってきていた。すっかり今では雪国生活にも慣れて、いつ雪が降っても仕事に行けるようにと十二月には雪道タイヤに交換していたし、チェーンもいつでも付けれるように準備してあった。除雪用にスコップはもちろん、ママさんダンプも玄関に常備していた。ただドカ雪になると自動車を道路まで出すのに除雪する必要があり早起きしなければならなかったのだ。
「どれくらい積もるかなあ」
正男は父の心配に気も留めず嬉しそうに言ったが父は明日の朝のことで頭がいっぱいだったのか、それには何も答えなかった。
翌朝、正男はいつもより少し早く起きた。急いでカーテンが閉まったままになった窓に近づくと、かすかに明かりが漏れた真ん中あたりをすこしめくりあげて外を見た。正男の部屋の窓からは木の一本生えていない幅が五十メートルほどの「グリーンベルト」といわれる緑地帯が広がり、家との境界線のフェンスが目の前を左右に伸びていた。そのフェンスの上に積もる雪から想定すると昨晩から積もった雪は十センチくらいだろうか。フェンスの上には真っ直ぐ長くきれいな出来立てふわふわの白い雪の壁がのっていた。起きたばかりでまだしっかりと開かない目でしばらく眺めていると、正男が昨晩に期待していたほどではないことが分かってきて、すこしがっかりした。
父はホッとしたように、車の上に積もった雪をさっと落とし、やかんのお湯をフロントガラスとかけるといつもとさして変わらず車で仕事に出かけたのだった。
しかし雪はそれから四日間降ったり止んだりを繰り返した。空はいつ雪が降り始めても不思議ではない雪国らしいどんよりとした雲が広く覆い、風はほとんど吹かずキンと冷えた空気が止まったかのような静かな日が続いた。あの日テレビで見た天気予報のアナウンサーの言葉が現実となり、毎日少しずつ積もり続けた雪は、あっという間に子供の背丈くらいまでになった。雪が止むと、玄関周辺を雪かきするがあっという間に新しい雪が積もるし、あちこちの家や車庫の屋根は白いふかふかの帽子を被ったようになっていた。
幹線道路は除雪車が走り何とか黒いアスファルトが見えているところもあったが、路肩や歩道は除雪車によって集めらた雪の山になった。正男の家の前のような狭い道路は除雪が追いつかず、車がやっと一台通れる幅の轍ができていて、人もそこを歩くので、人や車がすれ違うことはいつも大変だった。道路わきは各々の住人が雪かきをした雪の山になっていた。
正男の通う小学校は歩いて二〇分くらいのところにあった。いつも三軒となりの宏樹と一緒に通っていた。宏樹とは同じ小学三年生だった。クラスこそ違ったが幼馴染で小さい頃から一緒に遊ぶことが多かった。そんな二人にとって冬の通学路はまさに道草の宝庫。朝はさすがに余裕がないのでまっすぐ学校へ向かうことになるが、帰りは遊びたいことが山のようにあった。
この日の帰り道も小学校の玄関で待ち合わせると一緒に校門を出た。見慣れた雪景色ではあったが、なにか面白いものがないか、面白いことができないかとキョロキョロと見渡しながら歩く。すこし歩いてから最初に言い出したのは宏樹の方だった。
「ここの車道を歩くのは危険だ。ここに道を作ろんまいけ」
二人は意気投合した。他の友達も数人加わるとランドセルを背負ったままでの「道路工事」が始まった。いつも歩いていた歩道は降り積もった雪と除雪車によって集められた雪の山で歩ける状態ではない。そうなると車道の隅を車を気にしながら歩くことになるのだが、実は危なっかしい。だから雪の山になった歩道に道を作ろうと言うのだった。その山の上へわざわざ登ったり降りたりという道を雪を踏み固めながら進んでいく大工事だ。先頭の者が道を決めながら軽く踏み進める。その後ろを順番に歩きながら、道幅を少し広げたりもっとしっかり踏み固めながら仕上げて進んでいくのだ。その時だった。先頭を歩く正男の足が雪ふかく沈み、体勢がくずれた。除雪車によって集められた雪は思った以上に硬いが降り積もったままの雪はやわらかい。硬い雪から急にやわらかい雪に踏み入れてしまったらしい。突然の出来事に足をとられたまま動けなくなった。雪にはまったまま手をばたつかせながらもがく正男の姿を見るとちょっと後ろから踏み固めていた宏樹はケラケラと笑った。笑いながらも、仕方ないなあと言う表情をすると正男に手を差し伸べて引っ張ってやった。
「つめてー」
正男の長靴の中に雪が入り込んだらしく叫び声をあげた。宏樹に引っ張ってもらいながらようやく雪の深みから脱出すると踏み固められた雪の上に座り込んで長靴を脱いた。逆さにしてパンパンとたたくと長靴に入っていた雪がパラパラと落ちた。
その時だ。無防備になった正男をめがけて友達の一人が雪の玉を投げ当てた。
「なにすんがけー」
正男は大急ぎで長靴を履くと、戦闘態勢にはいった。身を少し低くしながら容赦なく相手から飛んでくる雪の玉をよけながら、足元の雪で玉を作った。隙を見てはその雪の玉を投げる。気がつくと、二つのチームに分かれている。敵味方に別れて、戦いあっていた。
「足元ねらえー」
「おい、宏樹をみんなで攻撃だー」
当てるとこぶしを上げてウオーと雄たけびをあげ、当てられると大げさに雪の中に倒れこんだ。
はーはーと息を切らし始めると、誰からともなく戦いは終わりを迎えた。
「おまえ、ずるいがー」
無防備な状態で襲撃された正男はズボンについた雪を手で払い落としながら思い出したようにいうと、みんなはケラケラと笑った。
「今度やったら、ゆるさんからな」
文句を言うとき正男はいつも口を尖がらせる癖があった。それからちょっと妙な関西訛りの富山弁だったこともあり、真顔になって口を尖らせてでる方言が可笑しくて、何を言ってもみんなはケラケラと笑った。
さっきまでの「道路工事」は何となく終わりになった。正男も宏樹もみんなも心地いい疲れと雪で遊んだ満足感とで満たされていた。それぞれが服についた雪を落とし終えると、誰ともなく家のある方向へ歩き出した。
通学路を住宅地の中をを右へ左へと曲がりながら歩いた。ちょうど雪の止んだ時間だったせいか、雪かきをしている人が多かった。赤やピンクの派手な上着を着た女の人がおおく自分の家の玄関から道路までの雪をとりあえず高く積み上げる作業を繰り返していた。
少し歩くと正男が言った。
「あそこのでっかいつらら、取ろまいけ」
指差す方向の軒先には大きなつららが下がっていた。つららは何日もかけてできたと思われるほどの大きさで、陽は射していなくてもきらきらと光っていた。屋根から落ちてきた雪でできた山がちょうどつららの近くまで連なっていてうまく登ると取りにいけそうだ。屋根から落ちてきた雪は、家の敷地に収まりきらず塀を越えて道路までなだれ込んできていたのだった。取りに行ったのは宏樹だった。するすると動物園のサルがサル山を駆け上るように両手足を使って、器用にまっすぐ一気に登っていくとあっという間につららに手が届き、勢いよく根元からひねるとポキッと折れた。
「これ、でっかいのがとれたがやちゃ」
どうだと言わんばかりに高く持ち上げて見せると、折れないように大事に両手で抱え腰を低くして足元を気にしながらゆっくりと山を下りてきた。
「みんな、たべるけ」
そう言うと力を加えてつららを折るとパキッと鈍い音がした。みんなアイスキャンディのように舐めながら歩いた。
家に帰るとそのまま台所へ向かった。正男の母はテーブルにすわり忙しそうに書き物をしたままで、正男のただいまという声に反射的に無表情におかえりとだけ言った。台所は石油ストーブがついていて暖かかった。この暖かい空気を逃がさないために閉め切っていたらしく夕食の下ごしらえをしたと思われる何か茹でたにおいがプンと広がっていた。ようやく区切りがついたのか手を止めると頭を上げ正男を見て、あららという表情をしながら濡れた服はぬいでストーブで乾かしなさい、と言った。そして、時計をちらっと見るとまた、あららという顔をして、
「随分と寄り道してたんじゃないの・・・?」
正男の顔を覗き込みながら話しかけたかと思うと、ふと思い出したように急に話をかえた。
「そういえばねえ、京都からおばあちゃんが遊びに来るって」
「へーいつなの」
正男は間髪あけずに聞いたが、詳しいことはまだ分からないらしい。母方のおばあちゃんのことで、生粋の京都の人だった。正男は小さい頃は京都へよく遊びに行ったし、おばあちゃんが遊びに来ることが多かったが、小学生になるとなかなか時間が合わず会う機会が減っていた。
「おばあちゃんはねえ、雪が楽しみだなあって言ってたわよ」
冬の富山に来るのは初めてのことで、テレビでよく見る雪国ってどんなところかなあ、と電話で言っていたと続けて言った。正男にはちょっと意外だった。今まで子供はみんな雪が大好きだけど、大人は雪が降ると困る、心配だ、早くやんで欲しい、と言うのでみんな雪が嫌いだと思っていたからだ。おばあちゃんは雪が楽しみならば、何か面白いことをして遊べたらいいな、と思った。
正男は雪で濡れた服を脱ぐとストーブの近くのイスにかけた。服の隙間に残っていたらしい雪の欠片が、ストーブの上に落ちるとジュジュッと音がしてあっという間に融けて跡形もなくなった。
翌朝、宏樹と学校へ向かう途中に昨日のおばあちゃんが来る話をした。
「おばあちゃんは大人なんだけど、雪が楽しみなんだって。だからさ、なにか一緒に遊べたらと思うがやけど」
宏樹は、そうなんだあ、と言う表情をして頷くように顔を少しだけ動かした。正男は授業中も上の空で、何が良いかなあ、とあれこれと考えてばかりいた。
数日間降り続いた雪は、ようやく一段落するとそれからは晴れたり曇ったりを繰り返した。積もった雪は日中に陽が射すといくらか融けるが朝夜の冷え込みで一気にカチコチに凍りつく。すると朝方に、アスファルトの路面は雪解け水でツルツルになり、雪の残った狭い路地はタイヤの跡がそのままの形でバリバリに凍りついていた。
そんな朝は正男たちは、雪の上を縦横無尽に歩きながら学校へ向かった。誰も踏み入れていない雪が降り積もったままの所も雪の表面がしっかり凍りついていたので、その上を歩くことができたのだった。わざわざ踏み入れていないきれいな雪を探しながらちょっとひやひやしながら歩くのは楽しかった。
天気予報は再び雪の予報を伝え始めた。
「今週末からまたしばらく雪の予報やなあ。その前に屋根の雪を少し落としておいた方がええかもしれへんなあ」
正男の父は仕事から帰ってくるとテレビを見ながら口にした。
正男の家は屋根に積もった雪が落ちてこないように雪止めをつけていた。そのため雪が積もり続けると重くなってくるので時々雪下ろしが必要になるのだった。
翌日ずいぶんと早めに仕事から帰ってきた正男の父は、今日しかないからな、と余裕のない表情で何度も言った。そんな父が身支度をするのを見ながら母は、気をつけてね、と心配そうに声をかけていた。父は手際よく準備をすると梯子をかけて屋根にのぼり雪下ろしを始めた。
「近くにきたらあかん」
気になって下から眺めていた正男は何度も言われた。分かっている、離れてみているだけだ、と大声で言っても何度も言われた。父は庭をめがけてスコップで繰り返し雪の塊を投げ落とした。その度ドスンという不気味な地響きのような音がした。
次の日から正男はまっすぐに家に帰った。ちいさな庭に山積みになった雪でいろいろなことをして遊ぼうと思ったからだ。雪が降り続いた時の雪置き場になっていたし、屋根から落とした雪で山のようになっていた。
正男はまずスキーを滑れるようにしようと思った。正男の通う小学校のグランドには「築山」と言われる小高い人工の山が作られていた。高さは十メートルほどあり緩やかなスロープになっていた。夏のあいだは緑のかわいい山だったが、冬になり雪が積もると各々スキーやそりを持ってきて楽しむことができる。自分の家の庭でも楽しめたら良いなと思った正男は、まず庭の端に山を作るためにスコップで雪を積んでいった。何日もかけて自分の背丈よりもぐんと高く積み上げていった。てっぺんは踏み固めて平らにしようと思い、恐る恐る登るとそこに立ってくるりと一周して見渡してみた。思わず、おおっと声を上げた。今までに見たことがない景色が広がっているではないか。隣の家の庭や今まで見えなかった家の屋根見える。興奮しながらしばらく景色を楽しんだ。
次にその山のてっぺんから庭の端っこまで緩やかなスロープのゲレンデつくった。雪の上に道を作るのは宏樹たちとの雪遊びで慣れていたので、てっぺんから滑り降りながらちょっと平らになったり上ったり曲がったり、雪の形状をそのまま利用した。何となく形ができると早く試運転してみたくなりワクワクしながらスキーを装着した。スキーと言っても「ミニスキー」と呼ばれるプラスチックでできた長さが四十センチほどのスキーで、長靴をはいたままでも装着できる手軽な子供用のものだ。
山のてっぺんに立つと、大きく深呼吸をひとつした。そして目の前に続いているゲレンデを目で追った。まっすぐ下ると少しのぼり左へカーブしてすぐに右へカーブして下って終点…。一体どんなすべりが待っているのだろう、そう思うと居てもたってもいられなくなり勢いよく滑り始めた。まっすぐ下るとスピードは出たが、上りでスピードは落ち穏やかにゴールへ。
あっという間だった。それでも、おおっと小さく唸ると後ろを振りかえり滑ってきたゲレンデを満足げに眺めた。
「おばあちゃんはねえ、来週の木曜日から遊びに来ることになったのよ」
正男は遊び疲れて家に戻ると、帰ってくるのを待っていたのよ、と慌しく夕食の準備をしていた正男の母は手を止めてそう言って話をはじめた。正男が楽しみにしているのを知っていたので早く伝えたかったらしく、次々と話し続けた。
「週末から大雪になるかもしれないでしょ?だからもう少し日をずらしても良かったんだけど。でもちょうど雪も収まる頃じゃないかなあとも思うしね…その日にしたのよ」
ちょっと心配そうにそう言うと、前にも言ったと思うけどおばあちゃんは雪が楽しみねえ、早く見たいねえと繰り返し言っていたことを付け足した。
「あっ、そうだ!」
正男はその言葉を聞くと何かが閃いたように思わず口から言葉が出た。正男の母は、どうしたのよ急に、と言ってびっくりした顔で正男を見たが、大急ぎでそのまままた外へ出ていった。
「そうだ、かまくらを作ろう。おばあちゃんにも入ってもらえるくらい大きいかまくらを作ろう」
正男はそう思うと、何か分からない不思議な力が沸いてきて胸がドキドキしてきた。遊び疲れていたこともすっかり忘れたかようにスキーの山を勢いよく上るとてっぺんに立った。腕を胸で組んで、ぐるりと庭を見渡しながらどこにかまくらを作るのが良いのか早速作戦を練った。とにかく大きいかまくらがいい。大人が四人くらい入れるくらいゆったりした広さで、机やいすを置いて何かを食べたりくつろいだりできたらいいな。そこでトランプをしたりゲームもしてみたいな。ベッドで昼寝もしてみたい。山のてっぺんに立って眺めながらいろいろなことを想像しているとワクワクしてきて、どんどんイメージが膨らんでいった。
かまくらを作る場所はゲレンデのコースからは外れた比較的雪が山のようになった場所を選んだ。ここなら、大きいかまくらが作れそうだ。そう思うと、早く作りたくて作りたくて仕方がなくなってきた正男は早速作業に取り掛かった。スコップを手にして雪を積み上げはじめたとき、ちょうど正男の父が車で帰ってきた。
「まさおっ、何してるんだよ?もうすぐ暗くなるぞ」
「秘密の大仕事だからさあ。ぜったい見に来ちゃだめやちゃ」
正男は作業を続けたままちらりと父の方へ顔を向けると生意気な言葉を返した。完成するまでは秘密にしておきたかった。みんなをびっくりさせたかったからだ。しかし正男の父は秘密の大仕事の意味が分からなかったからか聞こえなかったからかそれには何も答えなかった。暗くなると雪は危ないからもうやめなさい、とだけ改めて言った。その言葉に正男はハッと我に返るとあたりを見回した。夢中になり周りが全く見えていなかったががかなり薄暗くなっていた。そしてどこか遠くで誰かが雪かきをしているらしいスコップの音が聞こえた。
それから正男は毎日毎日かまくら作りに明け暮れた。学校から帰ると玄関にランドセルを置きスコップを手にして庭に出た。雪を山のように積む作業も、穴を掘る作業も想像以上に大変だった。時々幼馴染の宏樹にも手伝ってもらったがなかなか作業ははかどらなかった。
週末には天気予報通り雪が降り始めた。再び雪国らしい日々となり、空はどんより黒い雲が一面を覆い、気がつくとどこもかしこも真っ白な雪の帽子を被ったようになった。雪はしんしんと降り積もった。除雪のための車が行き交い、各々家の前では雪かきをする人の姿が多く見受けられた。
学校の帰り道はいつものように雪合戦、道路工事、つらら取り…など楽しいことはたくさんあったが、正男はおばあちゃんが来る日を指で数えながら、何とか間に合わせなくてはいけないなあと考えると少しでも早く帰る日が続いた。
雪が降り続く日でも、一生懸命スコップを手にしてかまくら作り続けた。少し掘り進めると、今度は掘った雪を穴の中から外に出す作業が大変だった。そりを持ってきて掘った雪を入れ、たまると外に捨てに出す作業を繰り返すことになるのだが思うようには進まない。新たに積もる雪も拍車をかけた。学校から帰ると入り口のところが半分くらい埋まっていることもあった。
それでも正男の頭の中は、幸せそうなかまくらでいっぱいだった。かまくらの中でおばあちゃんとゆっくり過ごすそんな風景を思いながら…時間のたつのも忘れて作り続けた。
「今日は何時の電車で来るの?」
「昼の二時だから、学校に行ってる時だわ。バスで迎えに行ってくるから。」
おばあちゃんが来る日の朝、パンをかじりながら正男は聞くと、慌しく朝の支度をしていた正男の母は、ちょっとぶっきらぼうに答えながら、そういえば部屋はちゃんと片付けたの?とか、プレゼントは完成したの?とかあれこれ聞いてきた。正男は片付けもプレゼントも大丈夫だよと、気持ちのいい返事を繰り返した。準備万端。突貫工事ではあったが、何とか間に合った。そしていつになく余裕たっぷりの気持ちで家を出た。みんなびっくりするだろうなあ、と想像するだけで胸が高鳴った。早く帰る時間にならないかな、とそればかり考えてた。
授業中、ふと教室の黒板の近くにかけてある時計を見ると針は午後一時四十分を指していた。ああ、今頃電車に乗っているんだろう、降りる準備をしているのだろうかと思った。と同時にふと心配になったことがあった。バスで家にくるなり、雪が楽しみなおばあちゃんが、庭に入ってかまくらを先に見つけてしまうのではないか…と。正男は考えれば考えるほど落ち着かなくなってきた。学校が終わると大急ぎで走って帰った。
おばあちゃんは家の中だった。こんにちは、と挨拶すると、あら大きくなったねえ、といつもと同じ事を言った。それから学校のこと、雪のこと、いろいろ話をした。雪はきれいだねえ、たくさん積もっているねえ、と嬉しそうに話した。かまくらのことが話しに出て来るのではないかと気になって仕方がなく、話は半分くらいうわの空だった。
「おばあちゃん、プレゼントがあるよ」
正男は話が落ち着いた頃を見計らって、おばあちゃんにそう言うと僕について来て欲しいと言った。おばあちゃんはうれしそうな顔をしながら、正男の後についていった。
「あらー。外にあるの?」
玄関まで来たときおばあちゃんはびっくりした様子になってそう言うと、正男は嬉しそうに反応した。
「でっかいちゃーびっくりするくらい」
長靴に履き替えると颯爽と外へ飛び出した。
滑らないように気をつけてね、と言ってゆっくり雪の山になった庭へ入って行くとおばあちゃんは足元を気にしながらゆっくりとついてきた。時々ふと立ち止まり顔を上げると、物珍しそうに屋根の雪を見上げたりスキーの山を眺めたり、そのたび、あらら、とか、へえー、と口にしながらゆっくり歩いてきた。
「じゃーん」
正男は、かまくらの前で両手をいっぱいに広げた。おばあちゃんは、さっきよりもさらに大きな声で、あららら、と言った。
「まさおちゃん、が作ったの?へえー」
びっくりした顔をして、中へ入れるの?と聞くと正男は大きく頷いて先にかまくらの中へ入った。
おばあちゃんは腰をかがめてゆっくりと入った。正男はすぐに雪で作った小さな椅子に座ると、どうぞ、と言ってもうひとつの同じような雪の椅子に座るように促した。おばあちゃんはその椅子をしばらく眺めると、ポンポンと手のひらでたたいた。それからゆっくりと座ると天井や壁も手で叩いたり触れたりしながらぐるりと見回した。
かまくらは、子供でもちょっと腰をかがめなくてはいけないくらいの天井の高さで、子供が四人はいるといっぱいくらいの広さだった。中には、雪で作った小さな無骨な石のような椅子が二つあって、その間に同じく雪で作った無骨なテーブルに見立てた台があった。さすがにスキーの山のてっぺんで考えていたかまくらの大きさではなかったが、それでも包み込んでくれているような、やさしい安心感があった。そして空気が止まったような静けさと雪とは思えない暖かさが感じられた。
「かまくらに入るのははじめてよ」
「意外とあたたかいのね」
「どれくらい時間がかかったの」
おばあちゃんはたくさん聞いてきた。正男は身振り手振りで説明した。おばあちゃんはニコニコしながら正男の話を聞くと時々声を出して笑った。かまくらの中いっぱいに正男が描いていた幸せそうな笑い声が響きわたった。ふと、かまくらの入り口から誰かが向かって来る音がした。耳を澄ませ入り口を見つめた。音の主は正男の母だった。
「ああ、これを作ってたのねえ」
ひとり言のように口にした。ここ数日はずっと外に出てて何をしてるのかと思ってたわ、と半分あきれたような口調で言うと、おばあちゃんと一緒に声を出して笑った。
それからおばあちゃんとは、かまくらでくつろいだりスキーを滑ったり、雪の道を散歩に出たりした。どこへ行っても、おばあちゃんは立ち止まりあちこち眺めると、あらら、とか、へえー、を繰り返した。大きなつららを見つけていつものように取ってあげると、さらに大きい声を出して喜んでくれた。
「いろいろありがとうね。かまくらはびっくりしたわ。雪はとっても楽しかったわ」
おばあちゃんは出発の朝にそう言った。正男はかまくらを作ってよかったなあ、とつくづく思いながら、今度はもっと大きいかまくらつくるからまた来てね、と約束した。
その日学校から帰ると、ランドセルを玄関に置いたかと思うとすぐにかまくらへ向かった。もっと大きいかまくらを作るにはどうしたら良いのか、かまくらの前で腕を胸で組みながら考えた。
ふと、かまくらの中のテーブルの台に何か置いてあるのが見えた。あらら、とおばあちゃんが言っていたような口調を真似をして言ってみた。腰をかがめて中へ入って赤い小さなビニール袋を手にすると、そっと袋の口を広げて覗き込んだ。中には小さく折り畳まれた手紙といつもおばあちゃんがくれる京都のお菓子がいくつか入ってた。
「まさおちゃんへ。とってもすてきなかまくらのプレゼントをありがとう。ほんとうにうれしかったよ。それからつららもびっくりした。もっと大きいかまくらをみにまたあそびにいきます」
手紙をゆっくり読んだ。嬉しかったが何だかちょっと恥ずかしくなり、おばあちゃんの口真似で、へえー、と何度か言った。
正男は目の前の椅子に座った。おばあちゃんと過ごした日々を思い出しながら、ふーっと深呼吸をひとつした。それから袋の中からお菓子をひとつ取り出して包み紙をひねった。ざらめのついた少し大きめの飴玉が出てきた。何だか雪の玉みたいだなあ、と思いながら手のひらにのせてしばらく眺めた。それから飴玉をそっと口に入れた。やっぱり雪の玉ではなかった。甘い香りが口の中いっぱいに広がったのだから。