16話 答え
「―――――」
思考が止まった。
リラを、生贄に差し出す? 何の冗談だ?
でも。
そうすれば、俺は秋華に会いに行けるのか?
『一晩待つ。それまでに結論を出すがよい。』
ただの声なら聞こえていなかっただろう。
だが、不思議と耳に…いや、脳に残る声だった。だからタイムリミットを覚えていることが出来た。
一晩…その時間で、リラを差し出して秋華に会うか、それとも―――
「っ!?」
気が付くと、頬に衝撃が走って床に倒れていた。
口を切ってしまったようで、血の味がする。
「聞いてんのかアイン!
お前、今何考えてやがった!?」
殴られていた痛みも。
胸倉を掴まれて、持ち上げられる苦しさも。
心の葛藤の前では、気にならなかった。
「お前、今悩んだのか?
今、ちょっとでもその願いを叶えようとか思ったのか!?」
「………」
「何とか言えよ!」
左頬に衝撃。
「……」
「お前、そんなにそのお願いが大事なのかよ!?」
左頬。
「お前を好きなリラを…俺が好きなリラを、殺してでも前世の恋人とやらに会いたいのかよ!!」
「………」
「お前も、リラが好きなんじゃないのかよ…!」
左、左、左…
何度も何度も、頬に衝撃を受ける。
俺はそれを避けようとも、抜け出そうともしなかった。
こうなって当然だと言うのは分かっていたから。自分が最低だと言うことを知っていたから。
だから俺は何も言えない。何を言っても空虚、嘘、どうにもならない。
「止めてマッス! アインが…」
拳が止まったのは、ノイが抑えているからだった。
「うるせぇ!
俺は今コイツにムカついてんだよ…血も涙も無いコイツに!」
「もう止めて!」
「…!」
言葉を遮ったのは、リラだった。
「アインは、アインはずっと…この世界に生まれてからずっと願ってたんだよ…
それがもう少しで叶うなら…それは、悩んでも仕方ないよ。」
「でもな……
いや、そうだな。確かに、やりすぎた。でも謝る気は無いからな。」
激情に身を任せていたマッスも、リラにいさめられたら流石に止まらざるを得なかった。
「…リラ。その…」
「謝らないで。
何も言わないで…」
「………」
リラは振り返らず、扉へ歩き出した。
俺が、傷つけたんだ…リラを…ずっと、どっちつかずでいたから…
その後俺たちは宿に行き、夕食もとらずに部屋へ入った。
「………」
あんなことがあった後だ。眠れない。
それはきっと同室のマッスも同じだろう。いつもはやかましいくらいに聞こえてくる寝息は聞こえてこなかった。
俺はずっと悩んでいた。リラを犠牲にしてまで秋華に会いに行くのかと。
秋華に会わずとも、この世界でリラと生きていくという選択肢ももちろんある…でも、それじゃこの数年の苦労は水の泡だ。
もう一度彼女に会いたい。その気持ちは年月を経るごとに強くなっていくようだった。
「…アイン。ちょっと表に出てくれ。」
唐突だった。
ベッドで横になったままのマッスが俺に話しかけてきたのは。
「……なんでだ。」
「やっぱお前のこと、気に入らねぇ。殴らせろ。」
「そんなこと聞いて出て行けるわけないだろ。」
「部屋を汚さないようにしたいって配慮なんだぜ? 掃除はダルいし、染みでも残したらまずいからな。」
「………」
「なんなら殴り返しても良いぜ? 殴り返せたらだけどな。」
「殴り合いってことか…」
「ああ。俺達も男だ。散々殴り合えばスッキリするぜ? 多分。」
「………」
殴り合ったところで、と思わないわけではない。
でも、この気持ちが少しでも晴れるのなら。そう思わずにはいられなかった。
「…分かった。」
「決まりだな。
早く行こうぜ、でなきゃここで殴っちまう。」
ベッドから抜け出し、宿を静かに出る。
深夜なので物音一つしない。それは宿の外に出ても同じことだった。
「じゃ、まず一発だ!」
マッスは俺の後に続いて宿の外に出るなり、拳を振るった。
思わず避ける。
「おいおい、避けるってのは無粋じゃねえの!? 避けるいなすは無しで、殴り合おうじゃねえか!」
再度振るわれる拳。俺も拳を握って振るう。
「どうした!? オメーもっといいパンチ持ってただろ!?」
マッスに遅れて届いた拳は、自分でも分かる程弱かった。
精一杯固めた拳は、いつもよりも手ごたえが薄い。迷いがあるからだろうか。
「手加減してんじゃねーよ!」
もう一度拳を受ける。
「大体、お前はなんなんだよ!
リラはお前が好きだってのに、その気持ちを踏みにじってまで恋人に会いたいかぁ!? だったら俺に譲りやがれよ! 俺は昔からリラが好きだったんだ!!」
何度も何度も、拳を振り下ろす。
「テメー、ふざけんなよ! リラは俺のモンだってのに、いきなり出てきたテメーがかっさらいやがって! 返しやがれってんだよこの野郎!
しかもなんだぁ!? もう自分には恋人が居るだぁ!?
前世だか何だか知らねーが、テメーはリラのことも好きなんだろこの二股野郎! サイテーなんだよコラァ!!」
言いたい放題、理屈は途中から芯を失い、心のままに、感情をむき出しにして叫んでいる。
そんなマッスを見て、俺は…
「…お前に何が分かる!」
俺は、キレた。
「もう好きな奴が居るってのに、別のやつを好きになっちまった時の俺の気持ちが!
ずっと、長年会いたいって思ってたのに、その条件がリラを犠牲にしろって言われた時の気持ちが!
俺だってリラに答えてやりたい! でも秋華は裏切れない! また会いたい!
突然死んで、この世界に転生して! 秋華と離れ離れになって! ずっとずっと会いたいって、16年も思い続けて!
でも、でも…その間にリラも好きになっちまったんだよ! リラとも離れたくないって思ったんだよ! どっちも離れたくないって思っちまったんだよ!
秋華に会いたい、でもリラを死なせたくない! でもどっちか選ばなきゃいけない! たった一晩でだ!
それを突き付けられた時の気持ちなんか、お前に分かるかよ!!」
マッスが殴ってきた分以上に、殴り返す。
マッスは避けることも、防ぐこともせずにただただ俺の拳と言葉を受け続けていた。
「分かんねーよ! 俺は前世の恋人なんていねーし、リラにも好かれてねーんだからな!
でも…でも、お前、やっと本音を言ってくれたな。」
「……!」
「こんだけ言いたい放題言って、こんだけやり合えば本音を言ってくれるって思ってたぜ。
いや、本当にリラがどうでもよくて、マジでリラを犠牲にするつもりだったら殴り殺すじゃ済まなかったところだ。そうじゃなかったのは良かった。」
「…お前、それが目的で…」
「あ~あ、すっきりした…それで、いつまで聞いてんだ? リラ。」
「え…」
聞かれてたのか?
見られてたのか?今のが…
「……ゴメン、盗み聞きする気は無かったんだけど…」
宿屋のドアの隙間を広げ、出てきたのは、紛れも無くリラだった。
全く気が付かなかった。長旅でそのあたりも鍛えてたと思うんだけどな…
「でも、良かった。アイン、やっぱり私の事捨てる気じゃなかったんだ。」
「あ、当たり前だ! 確かにちょっと悩んだけど…いっ!?」
「そのちょっと悩んだっての、永遠に許さねーからな。断るって即答しやがれバカ。」
…返す言葉も無い。
確かにそうだ。俺は思いを言葉にできていなかった。
『リラを失いたくない』それを口にしたのは、マッスと殴り合った時だけだった。
前世の秘密を抱えすぎて、感情すら秘密にしてしまったらしい。良くない秘密をしてしまった。
「…ところで、なんでリラはそこに居たんだ?」
「え、えっと…アインとマッスの声が聞こえて…」
「俺たち小声で話してたはずだけど?」
「外まで聞こえる大きさじゃなかったはずだぜ?」
「……」
「で、正直なところは?」
「えっと…はい、なんでもないです…」
「「………」」
「私が生贄になるからアインの願いを叶えてって言おうとしてました…」
「リ、リラ!? 嘘だろ!?」
「アインテメェ!」
「なんでだよ!?」
「でも!
…でも、もう良いんだ。
だって私、決めたから。」
「決めた?」
「…私、絶対アインと一緒にその世界に行くって。
そのシューカ? っていう人と会って、アインは渡さないって言うって!」
「………」
修羅場になりそうだなぁ…なんか…俺、その時どっちの味方すればいいんだ?
『そうか。』
翌朝。俺たちは祭壇で最高神の試練を降りる旨を伝えた。
リラが生贄にならなくていい、と聞いたノイは深いため息をついて安心していた。その後マッス共々説教されてしまったが、それは今良いだろう。
『では、試練は失敗だ。願いは諦めるがよい。』
「いえ…諦めません。
いつか、自分たちの手で世界を渡る方法を見つけて…そして、自力で願いを叶えます。」
『……そうか。
ならば一つ助言をしてやろう。二柱の神の試練を超えた褒美だ、ありがたく受け取るがよい。』
助言?
『“果ての森にある光の柱へ行け”。
…以上だ。』
「ありがとう…ございます。」
果ての森…光の柱?
確か、昨日調べようとした本の中に……
「……調べてみるか。」
もう、神の声は聞こえなかった。




