第28話 「終わり」の先へ
目が覚めた時、雄輝の視界には木漏れ日がきらめいていた。風で枝が揺れる。さらさらと、葉がこすれる音がする。
雄輝は木の下で倒れたまま、どこか、ぼんやりとした気分でそれを眺めていた。現実感がない。全て、どこかへ置いていってしまったみたいだ。
――良かった、ようやく、出会えました。
どこかから、彼女の声が聞こえた気がした。目を閉じれば、あの時、風に揺れていた桃色の髪がはっきりと思い出せる。
そして、背中の純白の羽も。天使を思わせる容貌に心を奪われたのも、もう遠い記憶のようだ。
「よっ、と」
いつまでも寝転んでいてはいられない。雄輝は勢いよく、立ち上がった。
木の根元を見た。ここ最近、ずっと放課後の雄輝を待っていた宝箱はそこにはない。
手のひらを、じっと見た。あれだけ剣を振るった日々を送ったはずなのに、きれいなものだ。雄輝は一つ、大きく息を吐いた。
握りしめる。この手にあった、あの温もりも感じられない。
その冷たさは、雄輝にぽっかりと空いた心の穴にしみこんでくる。指先まで冷え切って、胸の穴がどんどんと大きく広がっていくようだった。
ああ、あの日々は夢だったのだろうか。
そんな恐ろしい想像をしてしまう。それほど、雄輝を覆い尽くす喪失感はとてつもなかった。
「ん?」
ふと、風が鼻をなでていった。その香りに、ふわっと記憶が蘇ってくる。
――ユウキさん、私、貴方のことが大好きです。
雄輝は目を見開く。今、はっきりと聞こえた。
クレアルージュ・シアンフィールド。シルヴァランドを共に駆け抜けた、大切な人の声が確かな熱を持って再生される。
香りをたどる。
雄輝は自分のポケットに手を入れた。
「ああ、これは」
涙が出そうになった。雄輝の手のひらには白い花びらがひとかけら。あの、神魔王の領域だった場所に咲き乱れていた、『終わり』の白い花。
それは確かにここにある。その存在が、その白が、クレアの白い羽を思い出させる。
よかった。クレアはここにいた。
雄輝は空いている左手で胸を押さえた。鼓動を感じる。生きている限り、この想いは心に残っている。
雄輝がそれを確かめている間に、花びらは静かに砕けた。灰となって、風に散る。まるで、役目を終えたかのように静かに消え去った。
その一瞬、雄輝の目に白い羽が映る。胸が締め付けられた。
クレアが言っていた。シルヴァランドのものは、こちらの世界では拒否される、と。
(だから、言わなかったんだよな。こっちで一緒に暮らさないかって)
未練は、当然ある。
格好をつけたい相手も、ここにはいない。ずっと、隠していた弱音を吐いたっていいだろう。
――本当は、貴方の物語の続きを見てみたかった。
目の前に、幻影が見える。少しだけ、憂いを秘めたクレアの笑み。それは一瞬だけで、一息の間に雄輝の前から消え去った。
そんな幻影に向けて、雄輝は笑う。
「クレア、できることなら俺だって見たかったよ」
隣にクレアがいる未来。想像しなかったと言えば嘘になる。
「でも、クレアのやりたいことはやりきれたんだよな?」
この物語を進んだら、おそらく、世界が『終わり』を迎える。そんな衝撃的な気づきを得てしまった日から、胸に刻んだ誓い。
『俺はクレアのやりたいことをする』。
それだけは、完遂できたと胸を張ることにしよう。
「さて、こっからは俺の物語だな」
雄輝は無理矢理にでも体を動かそうと気合いを入れる。少しでも気を抜くと、この場にいつまでも止まってしまいそうだった。
また、あの宝箱が現れないか。天使の誘いが、自分のもとにやってこないだろうか。
そんな、ありえない希望にすがってしまいそうになる。
後ろ髪を引かれながら、神社をあとにする。きっと、思い出すようにここにはやってくることにはなるだろう。
しかし、毎日のように通っていた日々は、もう帰ってこない。だからこそ、歩いて行くのは未来だ。
「とは言ったものの、何をどうすればいいんだろうな」
あの誓いを立ててから、同時に考えていたことがある。雄輝には、どうしても我慢できないことがあった。
――私、頑張ったんですよ。聞いてもらえますか?
あれだけ積み重ねた、クレアの物語。それを知っているのが、雄輝しかいないという事実。
もちろん、クレアとの約束がなかったとしても、雄輝はクレアのことを忘れたりしない。いや、忘れることはできない。
なにせ、魂に刻まれてしまっている。
ただ、自分一人だけの物語にするには、クレアルージュという存在は大きすぎるのだ。
「ゲーム化は俺一人じゃなぁ。小説? あの経験を文にできるのか、俺。いっそ、今からでも絵を勉強して、漫画家になるって手も……」
雄輝は思っている。クレアの物語は、皆に知ってもらうべきなのだと。形はどうであれ、クレアルージュという少女が確かに生きていたことを伝えなければならない。
あの世界で、雄輝は剣を握った。クレアという少女の願いを叶えるために。
そして、この世界で雄輝はペンを握るのだ。クレアという少女が、確かにいたという証しを刻み込むために。
剣を振る日々は終わりを告げ、これからはペンを振るってクレアを活かす。それが、雄輝の見つけた新たな道だった。
本気になれない少年、観月雄輝が無垢なる翼を持つ少女クレアルージュに出会ったことで始まった物語はここで終わり。
しかし、彼の歩みはここでは終わらない。クレアのいない明日へと、クレアとの思い出を背負って未来へと進んでいく。
風が吹く度に、白い花の香りが蘇る。その香りが雄輝を導いてくれる。心に残る純白の羽が、彼を運んでくれる。
雄輝がいる限り、クレアの物語は終わらない。風が吹く度に、雄輝は無垢なる翼を思い出す。クレアが隣で笑っている気がする。
だから、彼は自分の胸を押さえて語り継ぐのだ。クレアは、ここにいるのだと。




