第26話 白き一閃
「こいっ、『未知なる天命』!」
雄輝が叫ぶ力強い意思。『未知なる天命』は、光を持って応える。空中で一旦停止した後、何も無い空間で跳ね返る。闇に染まった神魔王の居城に、虹の軌跡を描いて戻ってくる。
剣はいつも通り、いや、いつも以上の輝きを従えて雄輝の手を目指す。
その道中、ネメシオンの左腕をその虹は突き抜けた。
「くっ」
その突然の衝撃に、膝を落とすネメシオンの前に雄輝は跳ぶ。
空中で雄輝は『未知なる天命』を握りしめた。不安定でもしっくりとくる握り手。長い戦いを共に駆け抜けた戦友は、主の元へ帰還した喜びに輝きを増す。
(いいぞ、よく返ってきた)
雄輝はにやり、と笑い前を見据える。
「はぁっ!」
一閃。
雄輝の渾身の一撃は、確かにネメシオンへと振り下ろされた。神々しい輝きを放って、『未知なる天命』は闇を切り裂く。
しかし。
(浅い!)
手応えが薄い。ネメシオンは、とっさに後ろに避けている。それなら、と雄輝はさらに踏み込もうと前に進む。
今度こそ、終わらせようとする意志を持って。
だが。
「あっ」
声が漏れる。雄輝はそれが悪手だと、即座に悟った。雄輝はネメシオンにとどめを刺そうと剣を振るっている。それは、雄輝自身が分析したネメシオンの強みをよみがえらせた。
攻撃の意思をくみ取って、反射的にネメシオンは己の右腕を雄輝に振り下ろしている。肥大化したそれは、巨大な柱のようだ。こんなもので頭を叩かれたら、いくらクレアの授けた鎧でも気絶は免れないだろう。
ゆっくりと、スローモーションのようにネメシオンの腕が近づいてくるのが見える。すでに相手に斬りかかろうとしている雄輝の体は止まらない。
衝突の未来。それが見えた瞬間。雄輝の目に映ったのは、純白の羽。
初めてクレアと会ったときに、視界いっぱいに広がった無垢なる翼だった。
(ここで俺が倒れたら、どうなる?)
きっと、自分は死にはしないだろう。ここまでの経験から、クレアの鎧を心から信頼している。だが、同時にその経験はこの鎧が絶対ではないことを伝えてくる。
何度か体に痛みが残ったし、気を失ったこともある。このネメシオンの攻めはそれ以上だ。きっと、意識が飛ぶ。
(クレアが死んだら、どうなる?)
今、クレアは雄輝のために足止めをしてくれている。急がなければ、いくら彼女でも持たないだろう。いや、ネメシオンがそちらに向かったら挟み撃ちだ。
そうなると、クレアはまたやり直すことになるのだろうか。
(俺は、どうなる?)
クレア以外の人間、クライアスはおそらく繰り返しのことを知らない。クレアが駆け抜けた地獄は、シルヴァランドでは無かったことになっている
それなら、自分も全て忘れてしまうのだろうか。クレアと出会う前の、あの退屈な日々に戻るのだろうか。
(クレアを、忘れる?)
それは嫌だ。剣を取ると雄輝が決めた時、見せてくれた心からの笑顔。今から思えば、過酷な運命に潰れそうになって、雄輝にだけ見せた泣き顔。ときに雄輝が無茶をして、悲しみを抱えながら怒ってくれた顔。
その全てを忘れて、全て元通り。そんなのは、許せない。
何より。
――どうか、私を助けてください。
あの時の、真剣な目に応えなければいけない。
「俺は、クレアのやりたいことをするんだ!」
眼前まで迫ったネメシオンの右腕の圧に負けぬよう、雄輝は己に課した誓いを叫ぶ。そして、そのまま剣を力一杯振るう。
「……なに?」
瞬間、ネメシオンの視界は白に包まれる。『未知なる天命』は雄輝の覚悟に共鳴した。
今までの虹色では無く、はっきりとした純白。剣は、光をまとって迫り来る右腕ごとネメシオンを断ち切った。
その輝きは、あの運命の日、クレアが携えた『無垢なる翼』によく似ていた。
「ふふっ」
その光に飲まれる直前。ネメシオンは、静かに笑みを浮かべていた。ようやく自分の役割を果たせた。そんな安堵の笑みだった。
おとずれた静寂。
「はぁ、はぁ、はぁ」
雄輝の荒い息だけが、広い空間に響いていた。
「……これで、ようやく、『終わり』を」
足下から声が聞こえる。雄輝は輝きを失った剣を消して、ネメシオンに近づいた。彼の体は、他の魔物のように灰になって消えそうになっていた。
その顔が、満足げに見えたのは、雄輝の気のせいでは無いだろう。
「そういや、あんた、クレアには『おまえではダメだ』とか言ったんだよな」
視界がかすむ。汗が止まらない。手の震えが治まらない。今更、恐怖が襲ってきた。しかし、同時に、とてつもない達成感に包まれる。
「俺なら、だいじょぶだったか?」
その声に、すでに事切れたネメシオンは答えず。吹き込んできた風が、ネメシオンだった灰をどこかへ運んでいった。
瞬間、視界が揺れた。
「うわっ」
地震、いや、ネメシオンの居城事態が揺れていた。その時、雄輝の頭に昔プレイしたゲームが思い出された。
ようやく終わった。そんな安堵を吹き飛ばす、最後のイベント。
「脱出ミッションかよ!」
崩れ落ちてきた瓦礫を避ける。耳をつんざく轟音に足がすくみ、熱風が焦りを生む。
雄輝は出口へと急いだ。せっかくここまで来たのに、やり直しなんて冗談では無い。視界の端が黒く染まっている。足は鉛のように重い。
雄輝は息も絶え絶えになりながら、痛みにしびれる足を一回叩いて、走り出した。クレアが待つであろう、出口へと向かって。
しかし。
(あいつ、いねーし!)
ネメシオンの玉座へ続く扉の前。もぬけの殻となった広場にクレアの姿は無かった。おそらくクレアが死闘を繰り広げた場所だろうが、そこには崩れ落ちた柱や壁しかなかった。
先に脱出したのか。
(まぁ、あいつが死ぬとやり直しなんだもんな)
雄輝はそのまま、クレアと進んだ道を戻ろうと前を向いた。しかし、その瞬間。
「むっ」
雄輝をまぶしい閃光が包み込んだ。思わず、目を閉じた。まずい、失敗か。そんな最悪な事態を雄輝は想像する。
だが、その後、何も起きる様子は無い。
「何だ……」
雄輝は恐る恐る目を開けた。
「あっ」
息を飲んだ。
さきほどまでの暗い場内では無い。雄輝がいたのは、明るい太陽の下。そして目の前は、視界一面を覆う真っ白な花で。柔らかな風が吹き抜けた。白い花弁は波のように揺れ、海のように遠くまで広がっていく。白が光を反射して、本当に波のようだった。
天国とはこういうところだろうか。雄輝がそんな想像するくらい、絶景であった。
ネメシオンとの決戦で鈍っていた五感が戻ってきた。花の、豊かな香りが鼻腔をくすぐる。
――それはそれは、色だけでなく花の香りでも埋め尽くされていたそうで。
香りが記憶を呼び覚ます。
「ああ、これが」
神魔の領域ができる前の光景か。雄輝は思わず、笑みをこぼした。




