第25話 神魔王の玉座
その部屋に入った瞬間、全身を冷気が包み込んだ。クレアからもらった鎧のおかげで、急激な温度変化には耐えられるはずなのに。
(いや、違うな)
雄輝は首を振った。冷たさは、外界より内面から襲ってきている。
おそらく、眼前の玉座に座る男の影響だ。まだ、遠くて視認しにくいというのに、その影だけでこちらを威圧してくる
(要はビビってんだな)
ここまで来て、何だって言うのだろう。雄輝は大きく息を吐くと、強いまなざしで前へと進んだ。
「よくぞ、ここまでたどり着いた」
第一印象と同じ、冷たい声。窓から月明かりが差し込んだ。照らされたその顔は、死人のように冷たい。
今まで、この手に握る『未知なる天命』の声に従って倒してきた異形達に比べ、幾分すっきりとした印象を受ける。角を隠して、化粧をして肌色をごまかせば、テレビのアイドルも怯むくらいの美しさだ。
しかし、そんなもので隠すことができないほどの異質を感じる。まっすぐに見ようとしても、視線を外したくなる。彼のまとう空気が歪んでいる。全ての色を、無色で塗りつぶそうとする。
これが、神魔王。雄輝は息を飲んだ。
「我が名はネメシオン。我が子である七つの柱を乗り越え、我が前に立つ勇者よ。我が居城への鍵を持つ、キマリオンとケルベリクスをも退けるとはな」
こいつが誇るほど、その二体はあまり苦労しなかったな。そう、雄輝は思う。
片方が残っていると、数時間後にもう片方が復活する。だから、急いで攻略する必要があったのだが、クレアと雄輝が別々に行動することで対処できた。
立ち上がるネメシオン。背丈もそれほど雄輝と変わらないというのに、山のように大きく感じた。
「おまえ《《も》》『終わり』を望むか」
「も?」
ネメシオンに威圧されていた雄輝は、その言葉に正気を取り戻す。同時に思い出した。神魔王討伐に成功したクレアが、ネメシオンに言われたという言葉を。
――おまえではダメだ。
「まさか、あんたも、繰り返しているのか」
雄輝の言葉に、それまで能面のように動かなかったネメシオンの眉がぴくりと動いた。その瞳の奥、一瞬だけ動揺が揺れる。それはわずかではあったが、十分なほど語っていた。
「そういうことか」
雄輝はその反応で確信した。構えた剣を下ろして、一歩踏み出す。ネメシオンの圧力も弱まった気がした。
ネメシオンは微かに笑った。
「その通りだ。まさか、娘からそこまで聞いているとはな。おまえはよほど信頼されたようだ」
命を奪い合う相手だというのに、ネメシオンの口調は穏やかだった。まるで、親しき友のことを話すかのようにクレアを語る。
「あんたは、望んでるのか。『終わり』ってのを」
ネメシオンは答えない。その代わりに、今まで引いていた威圧感をよみがえらせる。戦闘態勢をとった。雄輝は、『未知なる天命』を構える。
その剣先に揺らぎは無い。自分がすべきことは決まっている。
「我は歓迎しよう。異界の勇者よ。あの娘ではできなかったことを、おまえなら成し遂げれると証明して見せよ」
ネメシオンは、おそらく直接口に出すことができない。だから、クレアに彼女では足りないことを告げ、雄輝を探し出すように促した。
「我はおまえを退ける。『終わり』の前に立ち塞がる壁となる。さぁ、勇者ユウキよ。我を超えて見せよ。その先に、おまえが望むものがある!」
そう、彼が持つ役割は。
(さぁ、こい。ラスボス!)
ネメシオンの手から無数の光弾が放たれる。雄輝がすることはいつも通り、『未知なる天命』の声に従い、クレアの鎧を信じることだ。
恐怖を飲み込んで、踏み込む。剣を届かせる、そのために意志を強く持つ。そうすれば、『未知なる天命』は教えてくれる。
(見えたっ)
眼下で白くのびる道。クレアの羽のような純白は、一直線にネメシオンへの活路を示す。
一歩、二歩、三歩。ここからなら、一気に距離を詰められる。雄輝が剣を強く握りしめた、そのとき。
「なっ」
いきなり、上空から光弾が急直下してきた。それは、雄輝の右手ただ一点にぶつかってくる。その衝撃に、剣を手放してしまった。
瞬間、せっかく見えていた道が消滅する。雄輝は後ろへと跳ねた。ネメシオンに近づいたことで密集した光弾が壁となって彼の進路を塞いでいた。
雄輝の眼の前で、床を砕いて光が爆ぜる。ここは、クレアの鎧を信じて下がる。被弾した衝撃でひっくり返りそうになるが、踏みとどまる。
「こいっ」
雄輝は『未知なる天命』を呼んだ。床に落ちたそれは、一直線に雄輝のもとへ戻ってくる。
道は、見えない。さきほどの攻防で雄輝の心に揺らぎができている。必ずネメシオンを倒す、その決意にほころびが見えているから『未知なる天命』は応えてくれない。
(まったく、なんで一回で心折れてんだ、俺は)
クレアは何度も繰り返した。何度も、何度も。痛みに心を削りながら。
そうだ、クレアはどれだけ死を乗り越えたと思っているのだと、雄輝は自身に活を入れる。ネメシオンの攻撃を避けながら、息を整えた。
しかし、気持ちを取り戻しても、ネメシオンには近づくことができなかった。何度繰り返しても、決まって武器を落とされる。雄輝の要である召喚装具、『未知なる天命』を的確に狙ってくる。
それだけ試行してみると、雄輝は一つの結論にたどり着く。乾いた笑いで、ネメシオンをにらみつけた。
「『シルヴァランド物語』ってアクションゲームだろ。おまえだけ、格ゲーのラスボスじゃねーか」
笑い飛ばさなければ心が折れそうだ。雄輝は必死で笑顔を作る。
雄輝は思い出していた。一昔前に流行った格闘ゲームのことを。
せっかくたどり着いた最後の対戦相手。それは、もう一度挑戦しようという気持ちを完全に削いでくる鬼畜であった。こちらがボタンを押した瞬間、必殺技で潰してくるのだ。
ネメシオンの嫌らしい攻めは、まさにそれだ。人間にはできない、コンピューターだからこその超反応。これがゲームだったら、机を叩いている。
ただ、雄輝が戦っているのは現実だ。たとえ、この世界が作り物だとしても。
(俺は、クレアのやりたいことをするんだ)
少なくとも、クレアへの想いは本物だ。
何かないか。雄輝は思考を止めない。避けるだけなら、『未知なる天命』が導いてくれる。きっと、ネメシオンに近づくことだけならできる。しかし、問題はこちらが攻めようとした瞬間だ。
雄輝が攻める気持ちを『未知なる天命』に伝えると、ネメシオンは剣を打ち落としてくる。それは、ほぼ反射だ。対処しようがない。
「いや、まてよ」
攻めようとする思い。ネメシオンがそれに対して超反応をしているとすれば。
(意志を持たないものには反応できない)
雄輝は駆けながら息を吐く。
「だいじょぶ。やってやるっ」
雄輝は再び前進の気持ちを込め、剣を強く握りしめた。剣が、『未知なる天命』が、ネメシオンへの最短ルートを示してくれる。そこをがむしゃらに走った。
ネメシオンの放つ攻撃の物量に、空間そのものがゆがんで見える。多少の被弾は歯を食いしばって耐えよう。あと、一歩。ネメシオンの眉が微かに動く。
「ここだっ!」
雄輝は手にした剣を、ネメシオンの頭上高くを狙って放り投げた。
七色に輝く『未知なる天命』は、虹の放物線を描く。刹那、世界が止まったかのように静まりかえる。雄輝の耳には自分の鼓動だけが重く響く。ネメシオンの頭上を越えていく虹が、ゆっくりに見えた。
「……?」
思った通り、彼は剣に反応しない。
雄輝はその間も走り続ける。何度か被弾する。一度、頭にあたって首がもげそうになった。
それでも、ネメシオンまで肉薄し叫んだ。
「こいっ、『未知なる天命』!」




