第23話 世界の終わり
「世界が終わる、とでもいいたいのか?」
意気揚々と語っていたハーピエス、そしてようやく脱出のめどが立ったクレアはともに固まった。雄輝が、その言葉を口にするのは予想できていない。
「なんだ、ほんとにそうなのか」
雄輝は左手で頭をかきながら、大きく息を吐いた。
「推測だったんだけどな」
外れて欲しかった、と言いたげな表情で彼は天を仰いだ。
ここ、シルヴァランドから離れている間。
雄輝の頭には、その頃の映像が勢いよく流れていた。
雄輝はどんどん薄れていくクレアとの思い出に、だんだんと恐怖を感じ始めていた。
心の傷は癒えたのはいい。もう、あのときに感じた気持ち悪さはすでに思い出せない。しかし、同時にすべてがなかったことになっていく虚無感は恐ろしかった。
ふと、思い立ってインターネットブラウザの検索窓にクレアルージュの名を書いたのは、どうしてだっただろうか。動機は思い出せないが、彼女の名すら忘れそうで、どこかに刻みつけたかったかもしれない。同名の外国人だったり、キャラクターだったり出てくれば記憶の引っかかりになりそうだ。
そんな曖昧な気持ちで画面を見た雄輝は凍り付いた。
(……何かの冗談じゃないかと思ったんだよな)
そこには『シルヴァランド物語 開発資料』という見知った固有名詞を名に持つファイルが存在した。冷たい光を放つ画面に、はっきりと意味のある言葉が並んでいる。指先は震え、マウスを握る手に汗を感じた。
心臓が痛い。これを開いてしまえば、全部が壊れてしまう予感があった。しかし、雄輝の好奇心、そして、答えを求める探究心がその恐れを乗り越えていく。
そして、読み込んで知った。自分の知っているシルヴァランドは、自分の世界では『物語』として存在していたということ。
(いや、違うな。存在できなかったんだ)
未完のゲームシナリオ、それが雄輝の世界では日の目を見ずに破棄された『シルヴァランド物語』の真実であった。
『シルヴァランド物語』は、かつて企画されたゲームソフトの題名だった。シルヴァランドを襲う魔王とその配下、神魔七柱。一面のボスがオデュポーン。その名を見た瞬間に、あの黒光りした異形を雄輝は思い出した。
そして、その魔物の断末魔も同時に思い出す。
――イヤダ、オワリタクナイ。
(そこはまだよくわからない。何で、俺が勝つことで『終わる』のか。だから)
この資料とクレア達は関係ない。そう、思い込もうとした。しかし、できなかったのだ。資料の最後にあった、【主人公】クレアルージュ・シアンフィールドのイラストを見つけてしまったから。
桃色の髪、蒼色の鎧、そして、初めて会ったときに見惚れた純白の翼。それはまごう事なきクレアの姿であった。
さらに、雄輝の心をざわつかせたのは、そのイラストに書かれていた小さな注釈。
『昨今のヒロインブームにより提案されたが、市場の変化を顧みて主人公の変更を検討』
そして、そのまま、未完成のまま企画が破棄された。だから、存在しなかった物語なのだ。
覚悟はしてきた。いや、したつもりではあった。
おそらく、このゲームソフトとクレアは何かしらの関係があって、自分が関わるとこの物語は「終わって」しまうのだ、と。そして、自分が終わらせることをクレアは願っているのだと。
その思いに、雄輝のちっぽけな未練は太刀打ちできない。だから。
「俺はクレアのしたいことをする」
雄輝は、クレアに言った一言を自分に向けて呟いた。決心が、揺らがないように。
(まぁ、それでも、分かんないことばかりなんだけど)
雄輝はハーピエスに向き直る。会心の一言を雄輝にとられた格好であったハーピエスの動きは鈍い。
(あとは、直接聞くしかないか)
ちらり、と雄輝はクレアを見る。クレアはクレアで固まってしまっていて、もうハーピエスは彼女を縛る力は緩めているというのに、逃げ出そうとすらしていない。
驚くのは無理もないが、その間の抜けた表情に場違いな笑みがこぼれる。
「クレア」
「ふぁいっ!」
俺が呼びかけた瞬間、彼女は間抜けな返事をする。しかし、すぐに彼の意図に気づいて拘束に向かって意識を集中させる。
雄輝に集中した分、自分を拘束するハーピエスの力が弱まっていた。今なら、魔法を使える。
「其は紅の小刀。悪しき戒めを絶て!」
指先に魔力を集中させ、自分の体を縛っている腕を切り裂いた。ハーピエスの叫びが響く。クレアはそのままその腕を蹴り飛ばし、勢いをつけて飛び上がった。
ふわり、と雄輝の側に着地する。一瞬の静寂。それが雄輝にはとてつもなく長く思えた。
気まずいのはお互い様だ。雄輝は大きく息を吐いて、クレアの背中に話しかける。そこには確かに、あの時心を奪われた純白の翼があった。
彼女との記憶が消えかけていた、そのときにすらはっきりと雄輝の心に刻み込まれた、その翼が。
「なぁ、クレア。これが終わったら、ちゃんと教えてくれ」
「……分かりました」
クレアはこちらを見ずに頷いた。
「あなたはそれでいいの。結局、すべてがなくなるのよ。あなたがしてきたことを誰も知らない。あなたの想いも、戦いも、誰の記憶にも残らない。まるで、最初から存在しなかったみたいにね。本当にそれでいいの?」
「いいんだよ」
むすっとした顔で雄輝はせまりくる蛇を切り落とす。ハーピエスは会話を止めない。先ほどから雄輝の痛いところをついてくる。こちらの心を読んでいるのか。
激しい戦闘中でもハーピエスの声は耳に届く。なるほど、『囁きの蛇姫』は言い得て妙だ。雄輝は開発資料に書かれた情報を思い出していた。
「あなたがこのおじょうさんを好きだったとしても、それもなくなるの。いいのかしら」
ちらりとハーピエスの背後に回っているクレアの顔を見る。彼女も蛇と格闘していた。表情に揺らぎはない。
自分にだけささやいている。そう判断して、雄輝は安堵を覚えた。
この想いを口に出すつもりはない。クレアの気高き覚悟への重荷になってはいけない。
「いいんだよ。俺はクレアのやりたいことをするって決めたんだから」
彼にあるのは覚悟だけだ。
宝箱を閉じる、と彼女は言った。そうなると、もう二度とクレアとは出会えない。雄輝は覚悟を決めた日から、ずっとあの神社の大木に通い続けた。推測が確かなら、クレアは我慢できずにもう一度世界をつなぐ。
予想は大当たり。ある日、宝箱が見えた瞬間に駆け寄った。そこには、こちらを見て驚くクレアがいた。戻ろうとする彼女の腕を必死で引っ張って雄輝はクレアに叫んだ。
――俺が必要なら連れて行け!
そう豪語して、戻ってきた。こんなところで後れをとるわけにはいかない。
クレアが全ての蛇の頭にくさびを打ち込んだ瞬間、雄輝は走った。ハーピエスの本体は、あの薄笑いを浮かべている少女ではない。
一際大きな蛇。雄輝からもクレアからも逃げ回っていた、その頭。それが、今はくさびをうちこまれてもがいている。
「はぁっ!」
雄輝は全身を使った一撃をそこへたたき込んだ。




