第22話 破滅の一言
しくじった。
クレアは内心舌打ちする。
どうにかして、この拘束を解けないものかと奮闘するも、彼女にまとわりつく蛇はその腰を強く締め付ける。
「其は汚れなき氷刃」
魔術を使おうと集中する。しかし、クレアのイメージは途端に霧散した。どうやら、この蛇の皮が魔力を吸収しているようで、力を込めれば込めるほどに力が抜けるという奇妙な感覚を覚える。
(ああ、もう。少し前に時を戻したい)
いつも以上に張り切ってしまったのが裏目に出た。雄輝が帰ってきてくれた喜びが、クレアの判断を鈍らせた。
もしかしたら、雄輝はもう戻ってこないかもしれない。調子を崩した雄輝を彼の世界に送り返してから、クレアはそんな覚悟をしていた。
もし、戻ってこなかったとしたら、それは自分の落ち度だ。昔に戻るだけだ。諦めきれない自分を、クレアはそう言い聞かせた。
しかし、彼女の心とは裏腹に彼はシルヴァランドに帰ってきてくれたのだ。
クレアのしたいことをする。そんな、決意を込めた瞳を携えて。
こんなにうれしいことはない。しかし、雄輝の視線はどこか不安定だった。
思い返せば、そのときからずっと彼の様子はおかしかった。クレアが話しかけても生返事が多い。どこか上の空で、時折クレアの方を見ては、何か考え事をしていた。意を決してどうしたのか、と聞いてもたいした答えは返ってこない。
やはり、本調子ではないのかもしれない。そう思ったクレアは、いつもなら雄輝に前線を任せるてサポートにまわるところを積極的に攻勢に出た。
しかし、この神魔七柱が一、ハーピエスにその戦法は通用しなかったのだ。
背中に灰色の羽を携えた、一見優雅に見える美しい少女型の魔物。だが、美しさは相手を油断させるため。最初は衣服に隠されていた下半身は、幾匹かの蛇でできていた。怪しくうごめくそれは、一匹一匹が獲物を捕らえようと牙をむく。
その牙を掻い潜り、本体を狙ったクレア。だが、ハーピエスの蛇をすべて落とすことはできず、背後から襲いかかってきたそれに捕らえられてしまったのだ。
本来であれば、遠距離から蛇の数を減らすのが定石。クレアは焦りからか、その勝ち筋を見誤ってしまった。
一人であったら、これで終わってしまっただろう。しかし、今のクレアは一人ではなかった。
「先行しすぎだって。追いつく方の身にもなってみろ」
クレアの与えた蒼き鎧を身にまとい、虹色の剣を携えた雄輝がいつのまにかハーピエスの足下に迫っていた。切り伏せられた蛇が足下に転がっている。
「ユウキさ」
彼に呼びかけようとしたクレアだったが、強くなった拘束に息だけがもれた。ハーピエスはクレアを締め付けながら、視線を雄輝に向けていた。
「あら、勇者気取りのおぼっちゃん。おじょうさんに任せて後ろで震えているだけだと思ったのに。勇敢ね」
流ちょうな言葉を操るハーピエス。その言葉を間近で聞いたクレアは血の気が引いた。雄輝の、焦点の定まらない、輝きを失った目を思い出したからだ。
雄輝が調子を崩した原因、それはこうした意思疎通ができる相手が敵であるという事実であった。
今まで物言わぬ怪物だと思っていた魔物が会話を試みる。それは、命を絶つという経験が絶対的に浅い雄輝にとって、耐えがたいものであった。
クレアの措置で記憶が薄れたとはいえ、根幹に刻まれた恐怖。それを雄輝が思い出し、さいなまないか。クレアは拘束を解こうと、必死にもがく。
ただ、クレアの予想に反して、雄輝は落ち着いた様子で息を吐く。そして、「やれやれ」といった様子で肩をすくめた。
「別に勇敢ってわけじゃないぞ。クレア一人に任せて後ろにいるのが、もっと怖いってだけだ」
手にした『未知なる天命』を軽くふるって構え直した。
「なんせ『そいつを護っていれば俺は無敵』だからな」
かつてクレアに言われた台詞。雄輝を支えている行動理由を、ハーピエスに臆せず言い放つ。
「あら。じゃあ、おじょうさんが死んじゃうと困るってわけ?」
「そういうことだ。それに『覚悟』もしてきたからな」
話しながらも雄輝は背後から襲ってきた蛇を切り伏せつつ、さらに前に一歩踏み出した。ここからであれば、この虹色の剣の力を持ってすれば一息でクレアを解放できる。クレアを縛る蛇も、多少太いだけで他のそれと大差ない。
それをハーピエスもわかっているのだろう。かの魔物は雄輝の隙をどうにかして作ろうと考えていた。だからこそ、彼との会話を続けようとする。
ハーピエスはその行為こそが、その強みである。人間に擬態をしているからこそ、心理的な要因をつく。
ただの中学生と大差ない精神力の雄輝にとって、一番の強敵であった。そう、少し前までは。
「ねぇ、おぼっちゃん。あなたは何のために戦ってるの?」
声色が優しくなったハーピエスに雄輝は呆れた表情を向ける。
「どうした、急に」
返事をするものの、雄輝は攻撃の構えをとかない。油断はしない。雄輝の心は、それでは揺るがない。
「教えてほしいだけよ。このおじょうさんが欲しいの? そんなの無駄よ。だって……」
そんな雄輝に、ハーピエスは致命的な一言を口に出す。
「あなたが勝っても何も手に入らないじゃない?」
「えっ!?」
それまで必死にもがいて脱出しようとしていたクレアは目を見開いて止まってしまう。驚愕に口は開きっぱなしになる。
(そんな、なんで知ってるの……)
真っ白になる頭。しかし、すぐに再起動する。これはまずいことになると、クレアの脳が警笛を鳴らしている。これ以上、この魔物の口を開かせてはいけない。もし、この先を言わせてしまえばすべてが壊れてしまう。
ただクレアの願いもむなしく。彼女がこの状況を打破する技を構築するよりも、ハーピエスが言葉を発する方が早い。
「知らなかったら教えてあげる。あなたが神魔王様を倒してしまったら……」
「なぁ、あんた。もしかしたら」
雄輝はふぅ、と息を吐いてハーピエスの言葉を遮った。
「世界が終わる、とでもいいたいのか?」




