第20話 悪夢の共有
眼前にヘルドラの炎が迫る。それはまさしく、地獄の光景。
しかし、実際は涼しいものだ。クレアの生み出した鎧は、外界から襲い来る悪意を拒絶する壁。雄輝の体まで、ヘルドラが放つ熱は届かない。
それ故に油断した。
あくまでも、蒼き鎧は外からの攻撃を防ぐ代物だ。自傷には効果が無い。
『ユウキさん、それはムチャです!』
心話の魔法で伝達される、クレアの叫び。それが届いた頃には、すでに雄輝の体は動いてしまっていた。ヘルドラは繰り出す巨大な爪を避けようと、前に傾いていた体勢を腹に入れた力で停止させた。
クレアの鎧を信頼して受け止めれば良かったのだが、さすがにそれは少し前までケンカすらしたことのない雄輝がするには酷な判断である。
「ぶはっ」
止めていた息が漏れた。雄輝の右脇腹に痛みが走る。
ここまでの登山道、そしてヘルドラの猛攻。それらを全て何とか対処してきた雄輝の体が悲鳴をあげた。筋繊維の何本かが、犠牲になったのを感じ取る。
(それでも何とか)
未経験の痛み。しかし、目の前の巨躯がその痛みすら忘れさせる。再度、振り下ろされた爪を今度は避けること無く雄輝は手にした剣を突き上げた。
周囲に響く、断末魔。雄輝の「未知なる天命」は、偶然にもヘルドラの分厚い鱗が唯一無かった指の間を貫いた。
(このまま、ぶった切る!)
雄輝は、全身全霊の力を剣に託して、そのまま振り下ろした。
その一撃が決定打となる。雄輝達は見事、三つ目の柱を打ち倒したのであった。
そんな激闘も、数時間前の出来事。すでに空は太陽が顔を隠し、夜の帳が落ちていた。
「うぅん」
本日の活躍を夢に見ながら雄輝は寝床でうなされている。異常に疲れているから、眠りが覚めることはないが、とにかく寝苦しい。無意識に、寝返りをうった。
「いったっ!」
雄輝は思わず叫んだ。寝返りの瞬間、体に痛みが走ったのだ。微睡んでいた意識がはっきりと覚醒した。
雄輝はゆっくりと起き上がって、脇腹をさすった。しかし、そこで雄輝は違和感に首を傾げる。
「……そんなに、痛くない?」
確かに、ちくちくと痛むがそれだけだ。どうも、過敏に反応してしまったようだ。雄輝は、羞恥に顔を紅くする。
(そりゃ、そうだ。クレアに治してもらったんだから)
その時のことを思い出すと、雄輝の顔はますます紅くなるのだった。
ヘルドラとの戦闘後、体力が尽きた雄輝は動けなくなってしまった。クレアの魔法は生命力を回復できても、いわゆるスタミナとかの単純な体力には作用しない。
雄輝の痛めた脇腹は改善したものの、疲労感は抜けなかった。クレア曰く、そんな疲れを何とかする魔法はあるそうなのだが、どうも「疲労を気にしなくなる」だけで根本的な解決にはならないそうだ。
「元気の前借りってことか。どこのドリンク剤だっての」
コンビニエンスストアに置いてある、忙しい現代人に向けた飲料を思い出したのは言うまでも無い。
視界には見知らぬ部屋の光景が広がっている。結局、そのまま家に帰ると怪しまれそうなので体力の回復に努めることにした雄輝は山の近くで宿を借りた。ヘルドラがいなくなったことを知った宿屋の主人が喜びを爆発させている姿を思い出して、さすがの雄輝も悦に入る。
ああいう風に感謝されるのは悪くない。ここまできて、雄輝は素直に好意を受け取れるようになった。
だからだろうか。これまで、あまり気にしてこなかった他者の感情の機微を気にするようになったのは。
「魔法、ってのも思ったより不便なんだろうな」
雄輝は誰にも向けていない呟きを残して、ベッドから降りた。
ふと、思い出すことがある。
「何か、あるよな。絶対」
それは時折見せる、クレアの表情だ。
まず、獣人の村で見せた鋭い視線。まだ、クレアがどんな人間か分かっていなかった雄輝は恐怖すら覚えた顔。クレアの瞳に宿ったのは、憎悪。あれが殺意というものだろう、雄輝は感じたことの無い寒気の原因をそう結論づけた。
(いや、それは神魔の連中がやってること知ったら当然だよな)
クライアスからも聞いた、各地で起こっている悲劇。クレアの責任感が強いことは、誰にだって分かる。当然、ここまで付き合えば雄輝だって尊敬を覚えるほどだ。
その後も、度々見せるクレアの鬼気迫る顔に、雄輝は恐れを覚えながらも、あまり気にしないようになった。初対面の時とは違う。クレアの心を、少しは知っていると雄輝は自負している。
戦鬼と呼べる表情、それと同時に雄輝の心を奪った美しき姿。それは、戦いの顔に隠したクレアの純な心が生み出していると、雄輝は心のどこかで感じ取っていた。もちろん、はっきりと言語化できない淡い想いではあるが。
しかし、今日の顔はどうであろう。
――そうですね。
あの冷たい声が、はっきりと脳内に再生される。どんな地雷を踏めば、クレアにあんな顔をさせてしまうのか。
「……止めとこう」
ここで考えていても、答えは出ない。深みにはまりそうな思考を止めて、雄輝は睡眠に戻ろうとした。
しかし。
『……やだ、どうして』
今度は、全く違う方向から雄輝の眠りに邪魔が入るのである。
「今の声」
もう一度、目を覚ました雄輝は眉根を寄せる。
『また、私は……』
間違いない。その声の主は、部屋を借りたときに雄輝と同部屋にすると言い放ち、断固拒否して隣の部屋へと連行した旅の同行者だ。
「クレア。あいつ、心話切り忘れてる」
ヘルドラとの戦闘時、サポートにまわったクレアが雄輝に声を届けるために繋いだ回線。それがまだ残っていた。
(でも、俺に対して話をしていないのにどうして?)
クレアは言っていた。心話の魔法は、対象の相手に言葉を届けようと意識することで繋がると。それがどうだ。
『また、間違えた。間違えた。間違えちゃ、いけなかったのに』
徐々に声がはっきりとしてくる。しかし、そこに雄輝に向けた言葉は無い。
『どうして! 私、頑張った……頑張ったのにっ』
その声に、ずきりと雄輝の胸が痛む。悲痛な声が棘となって突き刺さる。雄輝に向けた言葉ではないのに、心話の魔法が繋がっているせいか、クレアの声が直接心を打ちのめしてくるのだ。
この痛みから逃げ出したいという、雄輝の素直な感情。そして、同時に雄輝は悟った。
(これは、俺が聞いていい声じゃ無い)
ふぅ、と雄輝は大きく息を吐く。飛び込んでくるクレアの声に負けないよう、雄輝は己の思い出に刻まれる純白の羽を思い出す。それはクレアの強さの象徴、そして、雄輝がはっきりと彼女を認識できる姿。
(起きろ、バカ!)
強く、雄輝はクレアに心中で叫びをぶつける。同時に、壁の向こうで誰かが盛大にベッドから転げ落ちた音がした。
『あ、あれ。ユウキさんの声が聞こえる』
先程までとは違った、暢気な声が雄輝に届く。雄輝は、小さく安堵の息をもらした。
(おまえ、心話切ってないぞ)
『うわっ、本当ですね。ごめんなさい』
いつも通りのクレア。つまりは、やはり、先程までの声は「いつも通り」ではないのだ。
雄輝は、誰にも見られていないことを免罪符に、険しい表情をしたまま、己の内から湧き上がる感情を殺していた。クレアが隠すのであれば、雄輝も隠さなければいけない。
『もしかして、何か聞こえてました?』
その質問に、雄輝は舌打ちをした。クレアの質問は当然だ。クレアが何かを雄輝に伝えたからこそ、雄輝はクレアを起こしたのだ。
そして、そんなクレアの反応で雄輝は確信を持てた。
あの声は、やはり俺が聞いてはいけなかったのだ、と。
(何か、変な声が聞こえたから目が覚めちまってな。全く、しっかり休んでくださいとか言ってたくせに何してるんだよ)
嘘をつくのは得意だ。本心を語ってきたことの方が、少ない。皮肉なことに、雄輝の演技は真に迫っていた。
『本当にごめんなさい』
クレアから、意気消沈した感情が伝わってくる。雄輝の隠した感情は、彼女には伝わらなかったようだ。
(まぁ、いいや。俺、もう一度寝るからな。また明日)
『はい、また明日。頑張りましょうね!』
クレアの明るい声に、思わず微笑んだ雄輝はすぐに表情を暗くした。
(クレア?)
試しに話しかけてみる。クレアからの反応は無い。魔法は、効力を失ったようだ。
「変な夢、って」
自分が言った言葉を思い出して、雄輝は天井を見上げた。
「どんな夢、見てたんだよ。クレア」
その答えは、誰も教えてくれない。雄輝は、今日何度目か分からない大きな溜め息をつく。
そして、眠れぬ夜を過ごすのであった。




