325 狩る者の責任
「うむ、犯人が捕まってよかったわい。よくやってくれた!」
夕方、犯人が逮捕された後に報告も兼ねて工房を訪れたが、ベンドローさんは無茶苦茶喜んでいた。
工房に新たに入った見習いの人も同席している。というか、見習いという立場上、コップの用意などはしていた。召使い的に働かせるのはしないことになってるはずだけど、それぐらいはいいか。
「さあ、乾杯しよう、乾杯!」
「人が捕まってますし、内容的に祝杯まであげていいことかわかりませんけど、悪い奴が捕まりはしたわけだし……まあ、軽く」
俺はベンドローさんや見習いの人のコップにこつんとやさしく自分のコップをぶつけた。
見習いの人は足に包帯を巻いているしな。この人にとったら、犯人がいなくなったことで純粋にほっとしていると思う。
また、いきなり襲撃されたらと考えたら怖くてたまらないだろう。しかも犯人の動機もわかっていなかったわけだし。
レダ先輩はこういうことで喜ぶべきではないと思っているのか、乾杯には加わらなかった。
というよりも、何か考えているようだ。
「何をもって正しいとするべきかというのは難しいところであるな」
それから、口を洗うみたいに少しだけお酒を口に入れた。
「悪い奴が捕まった。正しいのは絶対にこっちじゃろう。法的な基準でもそうじゃ。仮に向こうの考えに道理があってもいきなり攻撃してよいわけがない」
ベンドローさんにとったら弟子がいきなり襲撃されたのだから許せないだろう。その言葉も変だとは思わない。
「そのあたりは拙者も理解している。ただ、大角黒ジカの数を減らす方便として角細工を復活させようとしている部分があるのも事実なのでな。そういった数のコントロールをエゴイズムと言われると、そういう面もあるかもしれん」
俺は何も言えなかった。
自分の計画は究極的にシカを殺すものだからな。
もちろん、このままシカが増え続ければ、人間だけでなく森の生態系もひどいことになる。かといって、やっぱり気持ちのいいものではないか。
ベンドローさんの顔から笑みが消えた。それからぐびぐび酒を飲みほした。
「ずっと昔はのう、角のためだけではなく、シカ肉も食材として広く食べていたのじゃがな。人口が減ってくると、全部消費する余裕もなくなってきおった。猟師も割に合わんから減っていって、角細工の職人が角のためだけにシカを狙う時代がやってきたんじゃ」
「そっか、昔はシカを全部いただいていたんですね」
「また、シカ肉のことも考えていかんとなあ。大角黒ジカを多く狩るようにするということは、そういうことじゃ」
ベンドローさんの瞳はとても真剣なものだった。
「ワシは人間にはひどいこともたくさんしてきたが、作ったものに関しては手を抜くことは一度もしたことはないぞ。でなければ命をくれたシカに申し訳が立たんからのう」
ベテラン職人の心意気を見た気がした。
材料の背後には必ず命がある、そのことを当然ベンドローさんは自覚していた。
生半可な気持ちでは角細工はできない。ベンドローさんはベンドローさんでシカの問題と向き合ってきていたわけか。
ベンドローさんが見習いの青年に目をやった。俺と大差ないぐらいの歳だ。
「お前も気合いを込めて彫るんじゃぞ。見て覚えろとか無理難題は言わんし、わかるまで教えてやる! ただし、手を抜くことだけは許さんからな! 下手でもいいが、シカに顔向けできんものだけは作るな!」
見習いの青年も、偉大な職人になると大きな声で答えていた。
この様子なら、角細工は復興できそうだ。
●
一時間ほどで退席して、俺とレダ先輩は男爵の居館になっているファントランドの元公民館へと帰った。あんまりゆっくりしていると、完全に真っ暗になるしな。
日がすっかり沈む頃にはどうにかファントランドの公民館に戻ってこれた。夕食はベンドローさんの工房で食べた分で済ますから、あとは風呂に入って寝るぐらいだ。
ただ、俺は少し村長宅に出かけた。報告と今後の商品展開について話をしたかった。
公民館に戻ると、レダ先輩がドアの真ん前で待っていた。
「おかえり。今日はフランツ殿の活躍に水を差すようなことを言って悪かった」
すぐにレダ先輩は頭を下げる。
「あの……もしかして、シカの数をコントロールする云々ってことですか?」
「うむ……それだ。フランツ殿は間違ったことをしているわけではないのにな」
「実はそれのことで村長宅に行っていたんです」
俺は胸を張って笑えていたと思う。
「ドブロンだけでなく、シカ肉も氷系統の魔法で冷凍して遠方に発送できないか、検討したいなと。凍らせる魔法が使える魔法使いを雇うことが必須条件になりますが」
シカ肉の収穫量は角細工職人が増えることで大幅に増える。
なら、それを効率よく消費する方法も考えなきゃいけない。
「どうせなら肉もおいしく食べられて、まして、この地方のブランドになったらいいなと思いまして。まだまだ具体化にはいくつかも壁があるんですけど」
我ながら、自分が黒魔法使いなのかどうかわからない活動範囲になってきた。
食物連鎖というのは、自然界のどこにでもある。
でも、目的が角のためだけというのは、単純にもったいない。
じゃあ、せめて肉もおいしくいただけるシステムを追加していこうじゃないか。
「フランツ殿、君は利発な人間だな」
やさしい笑みを浮かべると、レダ先輩はぽんと俺の胸に手を置いた。先輩との距離はほとんどゼロに等しい。
「心配するまでもなかった。フランツ殿は新しい時代の英雄なり」
「それはひいきしすぎですよ……」
でも、それだけじゃなかった。
レダ先輩がぽんと力を入れると、俺の体が傾いて倒れた。何か義賊が戦闘で用いるような特殊な技術を使われたらしい……。
さらに、 なぜか先輩が倒れた俺の上に乗っているのだ。
「フランツ殿、一つ提案があるのだ。フランツ殿をああやって待っていたのはそれもある」
「な、何でしょうか……?」
レダ先輩は言いづらいのか、顔を少し背けた。
「…………久しぶりに義賊として戦いに身を置いたせいで体がほてっている……。ほてりを鎮める手助けをしてほしい……」
それは、つまり、そういうことだよな……。
「わかりました……。後輩の俺ができることであれば……」
「うむ……。恥ずかしいのだが……お願いしたい……」
そのあと、先輩の手伝いをすることになりました。あくまでも手伝いだ。
かといって、これはさすがに時間外勤務には入れられないな……。
シカ増加問題と伝統工芸編はこれでおしまいです。次回から新展開です!




