321 コミュニケーションの難しさ
そのあと、レダ先輩が事情を説明してくれた。
「言いたいことをすべてぶちまけてみろと言った。怒りも悩みもすべて話してもらった。二時間ぐらい、ひたすら話を聞いた。そのうえで今後、どう生きるべきか話し合った」
「そんなシンプルなことでどうにかなるものなんですか?」
まだ俺は半信半疑だ。むしろ、八割は疑っていると言ってもよかった。
「結論から言えば、どうにかなってしまった。なにせ、おそらく最低でも四半世紀は、そんなぶちまけるような話をベンドロー殿は誰ともしたことがなかったのだからな。自分でも心の整理などできていなかったのだろう」
四半世紀、つまり二十五年。
俺の全人生よりも長いぞ……。
「こんな山の中の工房で、人付き合いもほとんどない。偏屈になるのも当然の話だ。集落に出ても変な目で見られる。これは、ベンドロー殿にも問題はあるが、集落側だって心が広かったとは言えんな。まあ、閉鎖的な場所だとどうしても排除するべき対象を人は作るものだ」
レダ先輩の口ぶりからすると、ベンドローさん側もなにかしらイヤガラセを受けていたようだ。
考えてみれば、狭いコミュニティに所属している限りなく部外者に近い独り身の男なんて、奇異の目で見られるに決まっているか。
で、まさか頭を下げて友達になってくれと言うわけにもいかないだろうし、頑固職人を貫き通すしかなかったのかもしれない。
俺は天才に天才をぶつけてみようと思った。
ベンドローさんは偏屈には偏屈をという精神で対抗しようとしたのではないか。
「彼のノドからこんな言葉も出たぞ。『角細工を継いでくれる人が出てほしい』」
ファーフィスターニャ先輩も予想外だったのか、やけに瞬きをしていた。
「そんな様子はどこにも見えなかった」
「ファーフィスターニャ殿が言うのも当然なり。見えていなかったのだ。コミュニケーションも技術の一つ。孤独に山にこもっていればその能力は赤子同然まで下がる。言葉が通じるからコミュニケーションができると思うのは誤りなり」
レダ先輩は平然としゃべっているし、特別なことを言っているつもりもないんだろうけど、俺は衝撃を受けていた。
コミュニケーション能力が低い――言われてみればそうだ。
で、おそらくこれまでこの工房を訪ねた人はベンドローさんのコミュニケーション能力が低すぎてこれは無理だと思って逃げ出したか、ベンドローさんのほうが追い出したのだ。
たしかにコミュニケーションってお互いにコミュニケーションをしようという意識がないと成立するわけがない。
それで、状況はずっと改善しなかったのだが、レダ先輩は相手の壁を強引に破壊してコミュニケーションできる状況にまで持ってきた。
こんな裏技もあるんだな……。もし、地道に頭を下げて教えを乞うスタイルだと永久に解決しなかったかもしれない。
「ああ、先に言っておくが、同じ方法を誰にでも試していいことではないぞ。話が合わんからといって、いきなり暴力を振るえばただの悪漢なり。今回は先に相手から攻撃してきたので、身を守るために武芸を使ったまで」
「はい、どっちみち先輩と同じことはできませんし……」
そういや、不良をやたら強い教師が殴って更生させる小説を読んだことがあるけど、それだっていきなり不良を殴ったら犯罪だしな。
ただ、そういう強い教師が必要な場面も存在することもたしかなのだ。
そこが難しいところだ。話し合いだけで心を開かせることが無理な場合だってあるはずだ。
レダ先輩を連れてこなかったら、この計画、失敗していたな……。
そのあと、ベンドローさんは丁寧に教えようと努力はしていた。
奥歯に物がはさまったような言い方だが、なにせベンドローさんはまともに人に指導したことなどないのだ。教え方が上手いはずがない。
「その彫刻刀の入れ方をもう一度見せていただきたい」
ただ、不明な点があれば即座にレダ先輩が聞いていた。レダ先輩は質問をしながら高速でメモをとっていく。さすがはライターだ。
一方で、ファーフィスターニャ先輩はというと――
独学でシカの角から、フクロウの人形を彫ってしまっていた。
「こんな感じでいい?」
「先輩、手先が器用にもほどがありますよ!」
確実に商品にできる次元のものになっている。ベンドローさんも呆然としているので、間違いない。
「フクロウのイメージが頭にある。それを角を使って作る。それだけ。技術とかいらない」
「いやいやいや! 普通はそれができないんです! 一万人いても多分先輩にしかできないことです!」
「天才だ……。もう、この子にすべて教わればいい……。ワシよりセンスもある……」
「いえ、そこはベテランの知恵をお借りしたいんですが……」
天才の影響力が強すぎた。
「このまま、後進を教えていってもらえますか? 弟子といってもメシ代を師匠が出すような必要はありませんから。それは伝統工芸復興予算というものから出ます。指導用の書類はこちらで用意しますから、プログラム作成にご協力ください」
「わかった。わからんことだらけだが、八十を前にして新しいことができるのも幸せじゃわい」
ベンドローさんが了承してくれたので、俺の計画の第一段階はもう解決したも同然だった。
角細工が今後、継承されて、一定数の職人が生活できるようにすること――これが俺の大角黒ジカ対策の第一段階だ。
職人がいなくなって、シカの数が増えすぎたのであれば、また職人がいる時代に戻す。
もちろん、突然、シカを狩りまくってまた絶滅しそうになるなんてことは起こらないようにする。
シカの数が増えすぎていることは行政も把握しているし、一定数を狩猟することの許可はちゃんと得られる手はずになっている。
少なくとも、俺が角細工の職人になる必要はこれっぽっちもないのだ。本気で見習おうとしていたわけではない。
もっとも、ファーフィスターニャ先輩は角細工職人としてもやっていけそうな気がするけど……。
その日のうちに、先輩はドラゴンの角細工とケルケル社長の角細工を完成させていた。
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