306 役所内での暗闘
「さてと、私たちも行きましょうか。といっても、私だけで問題ないでしょうけどね。そのためのお代もいただいているわけだし」
「だとは思いますけど、俺が行かないのも無責任なんで向かいます」
くすくすとヴァニタザールは妖艶に笑った。
「ふふふ。あなた、すっかり彼女にぞっこんなのね。もう、結婚直前ってところかしら」
「そういう予定は、まだないです……」
今はお互いに仕事のほうを専念するべきだと思っている。
だからこそ、アリエノールの仕事の手助けをしたい。
「じゃあ、庁舎に入る前に相手に気づかれづらくなる魔法程度はかけておきましょうか」
ヴァニタザールは淡々と高度な紫魔法を使用する。
この案件の助っ人としてはこれ以上、頼りになる存在はいない。
「あなたの言った話が正しいなら、犯人はおおかた私の同業者ね」
「そうなんでしょうね」
「もっとも、同業者と言っても、夜のアイテムを作る会社の人間って意味じゃないわよ?」
「わかってます!」
そんなレアな同業者がかぶったら、もはや運命だ。無茶苦茶しょうもない運命だが。
アリエノールが自分の番を呼ばれるのを待っている間に、俺とヴァニタザールは前に使った小会議室のあたりを歩いた。庁舎内は開庁時間なら職員の事務用の空間などを除けば立入自由だ。食堂だって誰が使ってもいい。
「今の時点では何も仕掛けられてないわね。まあ、そのへんで来庁者のふりでもしておきましょう」
「ところで、何のために来たってことにします? 怪しまれないように、設定は作ってるほうがいいです」
「じゃあ、本業のほうを利用するわ。結婚申請に来た人に夜のおもちゃをプレゼントしませんかと役所に提案しにきたことにするわね」
「悪目立ちするし、いくらなんでも許可は出ませんよ!」
実力は申し分ないのだけど、この人はトリックスターなところがあるので、ちゃんと動いてくれるのか不安なところがある。
やがて、アリエノールがまた小会議室に行くようにと指示された。
「よし、フランツ君、トイレに来て」
「一応聞きますけど……なんでですか?」
場所が場所なので確認する。たんに冒涜的なことをするんだったら断る。
「姿を完全に消す魔法をかけるから。ここだと視界に入ってた人が消えたって言いだす人がいるかもしれない。こういうのは個室でやるべきよ」
俺たちは普通の人間には見られない状態になったうえで、小会議室の廊下にそっと待機した。
見えなくなっていても声は聞こえるので、じっと黙って犯人が来るのを待つ。
小会議室からはアリエノールと担当者の談笑が聞こえてくる。
声からしてミスギーナさんとは違う担当者だろう。やっぱり地域推進課の人とのコミュニケーションは良好なようだ。
なのに、アリエノールが苦労してるとしたら、それ以外の勢力のせいだ。
アリエノールが小会議室に入ってから十分ほど後。
俺たちのすぐ横を職員風の男が歩いていった。
もっとも、ただの職員だとは思わなかった。
その男は魔法使い用とおぼしき杖を持っていたからだ。
「フランツ君、ここからは君ができるでしょ。あの魔法使いを衰弱させて、話を聞き出すぐらいの実力はあなたにはあるわ」
「わかりました。でも、今、攻撃したらこっちが犯罪者になりかねませんから、まだ動きませんよ」
「わかってるわ。あいつが紫魔法を使ってると私が言ったら、すぐに仕掛けて」
結果論だけど、アリエノールが俺についてきてくれと言って大正解だったな。
すべて一人でやろうとしていたら、おそらく補助金を受け取るのを諦めていただろう。
おそらく、過去も諦めた商店主がたくさんいたはずだ。
その杖を持っている男は小会議室の前で立ち止まり――
何か魔法陣を描きはじめた。
「さあ、フランツ君、やりなさい!」
俺はすぐに黒魔法の魔法陣を描く。
といっても、たいして複雑なものじゃない。大仰な魔法で逃げられたら意味がないし、うかつに逃げられてしまうと、こっちが犯罪者扱いをされかねない。
「肉体弱体化の中度!」
黒煙が魔法陣の中心から伸びて、相手に襲いかかる。
これで動きを止めて、とっ捕まえてしまえばいい。
俺の魔法はその不審人物に直撃した。俺たちのことに気づいてないとしたら、防御もできてないだろう。
しかし、ちょっと俺の予定はズレた。
魔法を受けた紫魔法使いらしき男がその場に倒れて、手をふるわせている。
何か、声にならない声で助けを求めているような有様だった。捕まえる以前に、助けないとまずいような効き方だ……。
「あれ……? 中度にしては効き目がよすぎるぞ……。もしかして、最初から弱ってたとか……?」
「違うわよ。あなたのほうの問題よ」
ヴァニタザールがあきれた声を出した。
「あなた、知らないうちにずいぶん強くなってるわね。今のは(中度)じゃなくて(強度)の次元だわ。自分の魔法の威力はちゃんと確認しておきなさいよ」
もっとも、ヴァニタザールなら黒魔法のたしなみもあるはずだから、これぐらいの魔法はあっさり使えるのだろうけど。
「俺、こういう基本的な魔法は最近、特訓したこともないんですが……」
「魔法使いとして行使できる魔力の量が増えてるってことでしょ。黒魔法使いとしてというより、魔法使いとして強くなってるの」
そういえば、灰色魔法も習得したし、そういった影響もあるのかもしれない。
「でも、ちょうどよいわね。小会議室の中には何も聞こえてないようだし」
たしかに小会議室から、アリエノールの笑い声が響いてきた。異常に気づいてそんな笑い方はできないだろう。
「よし、衰弱してる魔法使いを引っ張っていって、空いてる部屋で事情を聞きましょう」
「空いてる部屋に連れ込むわけね」
表現が微妙に卑猥だな……。
「正直に白状しないと社会的に死ぬような目に遭わせるわ。よほどの覚悟がなければすべてしゃべってくれるはずよ」
ヴァニタザールを連れてきて、本当に正解だったかもしれない。
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