303 書類でつまずく
「でも、だったら何がまずいんだ……?」
「論より証拠だ。フランツもこれを見れば、その忌まわしさに魂も凍りつくだろう……」
そんなもの、黒魔法使いでも見せてほしくないんだけど。
アリエノールは大量の書類の束を出してきた。
「見よ、フランツ! これぞ、悪徳の限りを尽くして、精神を凌辱してくるおぞましき存在だ!」
「なんだ? 実家から黒魔法のヤバい資料でも出てきたのか?」
俺はゆっくりとてっぺんの書類を手にした。
『申請書類 別紙D ※ただし別紙Cの1~6を満たしている場合は省略可能です』
あれ……?
「これって補助金の申請書類じゃないのか……?」
「そのとおりだ! どうしていいか私にはわからん! 枚数が多いうえに専門用語だらけで手に負えん! 力を貸してくれ! むしろ、お前が代わりに全部書いてくれ!」
「それぐらい、こつこつやったら終わるだろ!」
わずかにでも心配して、損した。
事務作業の問題でしかないじゃないか。何の危機感もない。
「お前な! こんなものは黒魔法使いには荷が重いぞ。きっと我々を目の敵にしている白魔法使いが背後にいるとしか思えん!」
「なわけないだろ……。まあ、来ちゃったものはしょうがないし、ここで何枚か書いていけよ。お茶ぐらい出すし」
セルリアが早速、お茶の係をやろうとしたので、俺がそれに代わった。明確に俺宛ての客人だから、セルリアの仕事にさせるのは申し訳ない。
自分の部屋にいたメアリとグダマル博士までやってきた。アリエノールの話し相手になってくれるなら、ちょうどいい。
俺がお茶の準備をしていると、ダイニングのほうから「なんだ、論文よりずっと簡単ではないか」「ああ、ダルそうこれはやる気なくなるよね~」といった博士とメアリの声が聞こえてきた。やはり、グダマル博士は書類に慣れているようだ。
「う~! 名前の欄ぐらいならすぐに埋まるが、いくつも書類をつけて提出しろとか、ややこしい……」
かなり俺のライバルは苦しんでいるようだ。
俺としては複雑な気分だ。もっと重大なことで力になりたかった。あんまり重大でも困るのだが。
「お茶、持ってきたぞ。で、どんなものなんだ」
俺もテーブルの上の書類をいくつか見ていく。
「…………かなり多いな。営業実態の証拠だとかはわかるけど、お客さんの声まで書けってどういうことだよ……。こんなの書いてくれるお客さん、いるのか……?」
いくら地元で評価の高い店を応援する趣旨といっても、面倒にもほどがある。
「ああ、そっちのほうは近所の住人兼お客が引き受けてくれて、五人分はすでに集まっている」
「お前、客のウケはすごくいいんだな。そこは本当に評価する」
じゃあ、どうとでもなるだろう。あとはじっくり時間をかけて取り組めばどうにかなる。
――もっとも、そんな簡単にはいかなかった。
「フランツよ、この控えの書類にもサインはしないといけないのか? どこを読んでも判断ができないぞ」
「え~と……書いて書類不備にはならないはずだから、念のため書いておけばいいんじゃないか?」
「実家の私有資産なんてわからないぞ。貯金額はだいたい把握してるが、土地も資産に含めるとどうなるんだ……?」
「だいたいでいいだろ。多分、とてつもない金持ちってわけじゃないですってことがわかればそれでいいはずだ。まったくのウソでもなければ大丈夫だと思う」
「本当か? 逮捕されたりしないか?」
「別に騙し取るわけじゃないから大丈夫だろ……。飲食店をやってないのに申請書出してもらったら返還しろって言われるだろうけどさ……」
やけに気にしてるな。でも、金額の部分は、住所と違って、ぱぱぱっと記憶にあるものを書けばいいってものではない。
「ええと、金貨でおそらくこれぐらいか? あっ、フランツ、あっちを向いていてくれ。お前に見せるのは抵抗がある」
「それもそうか……。けど、そういうの気にしてたら手伝いづらいな……」
なかなか、書類作成は難航した。
「頑張ってね。わらわは寝てくるから。ふあ~あ」
「同じく、わたしも寝てくる。ああ、ナイトメアがごはんをほしがったら、台所からキャットフードをやってくれたまえ。夜に食べないと、早朝に起こしに来るからな」
「わたくしもお先に失礼させていただきますわ」
みんな、寝る時間になってしまった。
「アリエノール、残りはまた今度にしよう……」
「そうだな……。私も疲れた……」
「カラスガナクカラ、カエルー」
アリエノールはリムリクと一緒に帰っていった。
夜道だから大丈夫かなと思ったけど、「黒魔法使いが闇を恐れてどうする! 恐れられる側だ!」と言われてしまった。それもそうか……。最悪、リムリクが助けを求める役割を果たすので安心らしい。
自治体からお金をもらうのってこんなに大変だったのか。
●
その後も、アリエノールはちょくちょく俺の家に来て、書類作成をやった。
実家のことについて書くところは、実家から手紙をもらって、それを元にして記入した。アリエノールの実家は個人商店だから、そのあたりの知識はあるらしい。
たしかに一人暮らしで、何時間も黙々と書類に向き合うというのは心理的にもきついものがあるかもしれない。雑談をしながら作業をするぐらいでいい。集中しないとできないことでもないし。
もっとも、たまに――
「あ~、そろそろあったかいお風呂に入りたいのだ――あっ! 記入欄にお風呂と書いてしまった!」
「それ、しゃべりながらやると、よくやるミス!」
――こういう些細なトラブルはあったが。
でも、とにかく役所に持っていく書類はすべて揃った。
「最後に住所を書いてと……。よし、完成したぞ!」
「お疲れ様! 本当にお疲れ様!」
俺とアリエノールは書類の前でハイタッチをした。変な充実感はあった。
「よく頑張りましたわね! お祝いにお菓子を用意しておきましたわ!」
セルリアはクリームのついたシフォンケーキを持ってきてくれた。
「セルリア、お祝いはおおげさだろ――って言いたいところだけど、そうだな、それぐらいの難事業だよな」
甘いものもほしくなっていたし、ちょうどよかった。
口の中いっぱいに卵のやさしい味が広がる。
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