156 レダ先輩の激動の人生
「さて、フランツ、そろそろ始発の馬車の時間が近づいてきたよ」
メアリがメモしていた紙を確認していた。
「夜が過ぎるのって、けっこう早いもんだな」
それだけレダ先輩の話が面白かったというのもあるが。まさか、義賊だなんてものが実在するとは思っていなかった。そして、そんな存在を雇ってしまう社長はやっぱり無茶苦茶だとも思った……。
「先輩、最後に一つ、聞いていいですか?」
この人に会えるチャンスはそうそうない。気になることはどんどん聞いておきたい。
「年齢は絶対に秘密だぞ」
「いや、それではないです」
そんなに言いたくないのか。
「住所ならまだ言ってもいいが」
いや、義賊なんだからそっちを教えるほうがダメだろ。
「先輩はどうして義賊だなんて、言ってみれば危険な仕事をしてたんですか?」
強盗団から物を盗むというのは、まさしく命懸けの仕事だ。よほどのことがなければ、そんなことをやろうとはしないだろう。
少し、レダ先輩は遠い目をした。どことなく、寂しげな顔にも見えた。
「拙者は親の顔を知らぬのだ。施設で育てられた。いや、勝手に育ったと言ったほうが正しいだろうかな」
そこからの話は、想像以上に壮絶で俺は軽々しく聞いてしまったことを後悔したぐらいだった。
その施設は決して先輩を救ってくれるような慈悲深い場所ではなかった。
施設は親のいない子供を預かることで、国から補助金をもらって、それで運営していた。補助金のために、十分な衣食住の環境が整っていなくても、子供をどんどん受け入れた。
先輩はほかの子供六人とともに小さな部屋に押し込まれた。食事の奪い合いさえ珍しくなかった。
施設の管理者からの虐待は日常茶飯事だったし、それで命を落とした子供までいたという。いわば、施設全体が大きな密室だから、事件が明るみに出ることもなかったのだ。
「虐待されないようにするには、強くなるしかなかった。拙者は生きるために強くなった。そのうち、管理者も拙者ににらまれると逃げるようになった」
「ったく、反吐が出そうな話だよ」
メアリも静かに憤っていた。
俺たちの知らないところで、社会悪はごろごろ転がっている。
「そして、一人で稼げる年になったら、とっとと施設を出た。そのあと、道場に通って、剣の腕を磨いた。なにせ、教育も中途半端にしか受けておらんから、いい収入の仕事にもありつけん。そこで、剣の道で食べていけるようになろうとしたのだ」
そんな折、先輩は泥棒を発見し、これを追い詰めて、逮捕するのに協力した。
被害者は先輩に気持ちとして金貨一枚をくれた。
「悪人を倒すことを仕事にできなくもないなと、その時に考えたのだ」
レダ先輩の語り口は、終始淡々としていた。それは武勇伝として誇れそうにも思える内容だったのに、先輩はそういう表情を見せはしなかった。
「無論、そんなに盗人と出会うことばかりではないし、危険も何度もあった。この顔の十字傷も拙者の油断から生じたものだ。今まで生きているのは運がよかったからというのもあろう。それでもある頃から、十字傷のレダという名前は広まるようになった」
この会社、壮絶な人生経験の人が多すぎる。
「ところで、黒魔法はどこで習ったんですか? 義賊として活動してる時に?」
「いや、社長と出会ってから、習った。それまでは魔法など一切使えなかった」
それも、さらっと先輩は言った。
「いやあ、大人になって魔法使いになるというのは難しいらしいな。拙者も苦労したが、ひとまず三年で自分独自の魔法が使える程度にはなった」
「いやいやいやいや! どんな才能なんですか、それ!」
社長の支えもあったんだろうけど、それにしても大人になってから学んだという次元のものじゃないぞ……。
「いや、フランツ殿、拙者には才能などたいしてない。社長も同じことを言っていた。別段、魔法の素質など拙者は持っておらぬ」
「じゃあ、どうして、そんなことが……」
そこで先輩は寂しい笑みを浮かべた。
「子供の頃に経験した地獄の日々と比べれば、魔法の習得などどうということはない。失敗したところで命を奪われるわけでもあるまい」
ああ、この人は壮絶な幼年期を過ごしてきたから、少しの苦労なんて苦労の内にも入らないのだ。
「なるほどね。悲惨な環境でも生き残る奴は生き残るってことだね。君は運良く、それだけ生命力が高かった。だから、こうやって生きていけてるってわけだ」
メアリも先輩に合わせるように、平板な口調で言った。
「けど、悲しいことに、みんながみんな、君みたいに強くはないんだよね。大半は君と同じ生き方をしたら、途中で死んでるよ」
「それはわかっている。拙者はいわば、突然変異だ」
先輩は自分の手のひらを見つめ、それから、ぎゅっと握り締めた。
「だからこそ、弱い者を苦しめる悪を許すことができぬのだ。拙者のように極端に恵まれていて、運が良くない者でも生きていける環境を作る。それが拙者の責務よ」
もし、先輩が普通の家庭で生まれていたら、こんなふうに強くなることもなかっただろう。
ひどい世界で育ったからこそ、先輩は強くなった。だからといって、それは評価できることじゃない。そんなひどい世界はないほうが、よほどいいのだ。
だから、先輩は社会悪と戦う道を選んだんだろう。
「ちなみに、先輩が育った施設はどうなったんですか?」
「ライターとして、公金の不正受給をすっぱ抜いてやった。虐待の事例もセットでな。今の管理者はもうちょっとまともな人物だし、チェック体制も整えられた」
もしかしたら、先輩は自分がいた施設の子たちを救う方法を人生の中でずっと考えていたのかもしれない。
「じゃあ、俺たち、そろそろ馬車の時間があるんで行きます」
「そうか。どこまで行くんだ?」
「ライトストーンっていう港町です」
その地名を聞いた先輩の目が見開かれた。
「奇遇だな。実は、ライター仕事のほうで、ライトストーンでも追いかけてるネタが一つある。せっかくだし、同行してもよいか?」
「ええ、それはもちろんいいですけど、ネタって何ですか……?」
地元でいったい何が起こってるんだ?
「夜な夜な、怪しい詠唱を行っている者が出没するらしいのだ」