失敗したラブレター作戦
「お、3組のお姫様が体育でドッジしてるぞ。相変わらず美人だなー。ほら、優も見てみろよ」
「いや、アイツはいいよ」
「ちなみに地味姫ちゃんは外野でお姫様の剛球を一生懸命拾いに行ってる」
「何それ可愛い。カズ、それを先に言ってよ」
その日、おれのクラスの6限目は自習だった。
課題プリントは出ているものの提出云々は言われていないので真面目にシャーペンを走らせている生徒は少ない。
机に突っ伏して惰眠を貪る生徒や音楽プレーヤーにイヤホンを差してリズムを刻む生徒、スマホを弄ったり談笑を楽しむ生徒ばかりだ。
斯く言うおれも課題プリントに手をつけることもなく、机にだらーんと腕枕をして突っ伏している。提出しないと分かった時の学生の自習時間なんて皆こんな感じだろう。しかも6限。いっそのこと帰りたい。
傍から見たら寝てるから話し掛けるな状態のおれであるが、後ろの席に座る友人、カズこと木ノ瀬和馬は遠慮なくおれの背中をつんつんして話し掛けてくる。
ハイスペックである我が幼馴染みのことなんて別にどうでもいい。
学校一人気でモテているらしいが、おれからしたら昔からやんちゃで凶暴女のアイツが何故人気なのか分からない。
おれはそんな幼馴染みよりも1組の伊藤姫花さんを見たい。
カズの言葉にむくりと顔を上げて窓から校庭を見やる。そこには確かに幼馴染みの剛球をトテトテと頑張って追い掛けている小柄な彼女がいた。
「はぁー……可愛い。自習ありがとう。帰りたいなんて言ってごめんなさい。そして窓際の席で良かった……」
「優はほんと地味姫ちゃんが大好きだな」
「カズうるさい。それと地味姫って言うな」
「はいはい」
2年1組の伊藤姫花さんはおれの幼馴染みと同姓同名であるが、性格も見た目も全然違う。
幼馴染みの様に口が悪くないし、凶暴じゃない。おっとりしていて癒される。気配り上手で謙虚。ちょこまかと動いてる姿は可愛い。頑張って背伸びして黒板を消しているのも可愛い。小さい口をリスみたいにもぐもぐさせてパンを食べているのも可愛い。そしてはにかみ笑顔は最高に可愛い。
お気付きかもしれないが、おれこと関口優翔は2年1組の伊藤姫花さんに絶賛片思い中である。
「なっ?! 誰だ、あの野郎は。おれの伊藤さんに近付くな」
「いや、まだお前のじゃねぇよ。ただ男子がサッカーやってるコートにボールが転がって行っちゃってあのおっとりした男子が拾ってあげただけじゃん」
「狡い。おれがそのポジションにいたかった。何で6組なの……。何でおれはカズと一緒なの……。伊藤さんとが良かった」
「おいっ」
今年も同じクラスだったらあの野郎じゃなくておれが伊藤さんにボールを拾って渡してあげれたかもしれないのに……。
進級クラス発表の掲示板を見て彼女と同じクラスじゃなかったと分かった時は心底がっかりしたのを覚えている。
「はぁ〜……。そろそろ偶然を装って会いに行ってるのバレそうかな……。いや、彼女は意外と鈍感だからな。可愛いよね」
「優……お前ほんっとに重症だな。バレるバレないを気にしてるなら告白して地味ひ……あー、伊藤ちゃんの彼氏になって堂々と会いに行けばいいじゃん」
「カズ、告白したからって付き合ってくれるとは限らないよ。後、伊藤ちゃんなんて馴れ馴れしく呼ばないで」
「めんどくせー! 大丈夫大丈夫、伊藤さんは優のこと好きだから。両想い両想い」
「……それほんと?」
伊藤さんがおれのことを好き? 両想い?
ただ面倒だから適当なことを言っているのではないだろうか。
それか逆におれが振られるのをからかうつもりとか?
「……何だよその目は。親友の俺の言葉を信用出来ないのか?」
「……ほんとに信用して大丈夫なの?」
「おう! 万が一振られたら1週間学食奢ってやる」
守銭奴なコイツが奢ってくれるなんて……これは信じていいのかもしれない。
それにうかうかしていたら誰かに伊藤さんを取られてしまう可能性もある。彼女は際立って目立ってはいないが、彼女の良さを知っている人は沢山いる。
現に今だってボールを拾ったあの野郎は照れた顔で彼女と話しているのだ。間違いない。アイツはおれの敵だ。さっさと伊藤さんから離れろ。
「分かった。おれ、告白してみるよ」
「よし、よく言った!」
「でもどうやって告白しよう……電話?」
「……電話告白は止めとけ。オススメしない。……女子はそういうところに厳しい」
「もしかしてカズ、電話で告白したことあるの?」
「ああ。告白を電話で済ませるなんてサイテーと言われた」
「そんなこと伊藤さんに言われたらショックで立ち直れない……」
電話告白は駄目だ。
伊藤さんが怒るかは分からないけれど電話告白は駄目だ。
「てか、優。お前伊藤さんの電話番号知ってるのか?」
「電話番号は知らないけど、アプリの無料通話が出来るかなって」
「いつID交換したんだ?」
「1年の時。一緒に日誌書きながらそれとなく聞き出した」
「中々やるな。んでトークでそれからやり取りしてるのか?」
「1度も活用したことない」
「聞き出した意味ねぇ!! そこは例えば交換してくれてありがとうとかクラス替えで離れちゃったけど仲良くしてね、とかさ! 使う機会なんていくらでもあっただろ!」
ただ友達一覧に伊藤さんの名前があるのを見て満足して喜んでいただけのおれはカズの例文を聞いて成程と思った。普通に尊敬する。
勿論おれだって何度も彼女の可愛らしい猫のアイコンをタップしてトークの文字をタップするところまではした。けどいざ文字を入力しようとすると何を打てばいいのかが緊張して分からなくなる。
寝てるのに起こしてしまうかもしれないし、誤操作で意味の分からないスタンプを送ってしまうかもしれない。それこそ既読無視されたらどうしようとか考えてしまってもう1歩踏み出せなかった。
そうカズに言えば彼はおれをヘタレと言った。酷い。
「あー……古典的かもしれないが、恋文でも書いて呼び出したらどうだ? 女子ってラブレター貰ったら嬉しいもんなんじゃね?」
「そういうものなのか……。よし、書いてみる。レターセットなんて持ってないから今日買いに行こう。可愛い感じのが良いのかな」
「いや待て、ラブレターは重要文書だ。それなら可愛いのより茶封筒とかのがいいかもしれない」
「あ、茶封筒なら家にあったよ」
「よしきた。後はお前のその有り余るほどの愛を綴れ」
「呼び出し文だけじゃ駄目なの?」
「それは果たし状か。恋文だぞ、恋文。ラブレター! 愛を伝えなければならないんだ!」
おれはカズの勢いに圧倒されて、またしてもそういうものなのかと彼に言う。ラブレターがなんとも奥深いということが分かった。
結局6限は伊藤さんの観察とカズとの会話で終わった。
帰宅部のおれとカズは行きは地獄坂である長い坂を自転車でサーッとペダルを漕がずに下る。
どんな文章を書こうかと頭の中で構想していたら危うく電信柱にぶつかりそうになった。危ない危ない。カズの注意がなければぶつかっていた。
「じゃあ、俺はこれからそのままバイト先行くわ。じゃーな。ラブレター作成頑張れよー」
「ありがとう。また明日!」
駅前のコンビニでバイトをしているカズと別れておれは家路を急ぐ。帰ったらお風呂と夕飯を直ぐに済ませてラブレターを書く時間に費やそう。
*
翌日は何時間も掛けて書いたラブレターを彼女が来る前に下駄箱に入れる為にいつもより早く起きて登校した。誰かに見られるのも恥ずかしいので朝練のある生徒よりも早くだ。夜遅くまでラブレターを書いていたのと、緊張からか、殆ど寝れていない。
伊藤さんへの愛は紙1枚では書ききれない。けれども何枚も書いたら重たい男だと思われてしまうだろうと泣く泣く1枚に纏めたのだ。
封筒に書く名前だけでもペンが震えて何枚も書き直した。母さんに怒られるくらいには封筒をダメにした。
「はよー、優」
「遅いよ、カズ」
「俺はいつもと一緒の時間だ。ギリギリ五分前。優が早いだけ。んで、今朝入れてきたの?」
あちーと制服のボタンをだらしなく全部開けて青のTシャツを丸見せして登場したカズ。遅過ぎると文句を言ったが、彼の登校時間はいつもと変わらないらしい。おれが早く来過ぎたから遅いと感じたのだろう。いや、ギリギリ五分前も遅いと思うが。
おれの後ろの席に座ったカズはTシャツをパタパタして風を送りながら話を切り出して来た。
「うん。昨日夜遅くまで書いて、朝早くに彼女の下駄箱に入れてきた」
「おお。その調子で告白頑張れよー」
「うん」
その日の授業は全然集中出来なかった。告白を控えているのだから当たり前だ。後でカズにノートを見せてもらわないといけない。現国が一番やばいだろう。
あの先生は板書がとてつもなく多い。その癖、先生の朗読はとても眠気を誘う声だから生徒達は睡魔と戦っている。おれもいつもはそうであるが、今日はひたすら放課後の告白シュミレーションに夢中で鐘が鳴ったのさえ分からなかった。
放課後、カズに背中を押されて送り出されたおれは伊藤さんを呼び出した旧校舎裏に向かった。
そこには既に伊藤さんの姿が──……。
「遅い! 呼び出したのなら先にいなさいよ! ぷはっ! その呆けた顔やばい」
「……は? いや、え? ちょっと待って。呼んでない。おれ、お前呼び出してないから。おれは1組の伊藤姫花さんを呼んだんだけど」
一体どういうことだ。何故幼馴染みがここにいる。コイツも確かに伊藤姫花だが、おれが呼び出したのは1組の伊藤姫花さんであって、3組のコイツではない。
「ゆうがひめちゃんを呼んだことなんて分かってるよ! でも彼女は下駄箱に入っていた自分宛のラブレターを勘違いしてあたしに渡してきたの!」
「勘違い? 何で? ちゃんと1組の伊藤さんの下駄箱に入れたのに」
「ひめちゃんは前にあたし宛だったラブレターを間違えて下駄箱に入れられたことがあって、それ以降ちょっとラブレター不信っていうの? ひめちゃんの下駄箱に入ってるラブレターは全部あたしの所に来るわ」
「何でそれを教えてくれないの!」
「ゆうがあたしと関わりたくないからって避けるからでしょ! 偶然を装って会いに行ってるくらいならそれくらい調べときなさいよ」
知らなかった。彼女がラブレター不信だったなんて。コイツの言う通り、おれのリサーチ不足だ。
そして何故おれが偶然を装って会いに行ってることを知ってるんだ。1年次のクラスメイトにはおれが伊藤さんを好きだということがバレバレだったと以前カズに聞いたが、もしかして他クラスにも広まっているのだろうか。
「それからなにこの茶封筒。もうちょっとマシな封筒にしなさいよ。後、クラス名くらい書いたら?」
「あ、そう言えばクラス名を書くの忘れてた。茶封筒にしたのはカズが恋文は重要文書みたいなものだから可愛い系じゃないほうがいいって言ってた」
「はぁー。ほんと馬鹿。呼び出しぐらい直接しなさいよ。そうすればこんなことにはならなかったと思うんだけど? ラブレターなんて女々しい!」
おかしい。女子はラブレターを貰うと嬉しいものではなかったのか。そういうものだとカズから聞いた。
尤も、おれの想い人である伊藤さんはラブレター不信であるらしいからどの道嬉しくないのだろうけれど。
カズが間違っていたのか、それとも幼馴染みが特殊なだけなのか……。
「クラス名が書いてないし、伊藤姫花宛だったから読ませて貰ったけど、中々面白かったわ。しっかし、よくこんな恥ずかしいことをつらつらと書けるわね。特にこの〝おれの為に──」
「あー! 読むなよ! 返せ! うわ、すげーぐしゃぐしゃだし。酷い」
スカートのポケットから取り出したおれのラブレターを朗読し始めようとした幼馴染みから強引にそれを奪う。
おれの想いが詰まってるラブレターは無惨な姿になっていた。一生懸命書いたのに……。自然と溜息が出てがっくりと肩が落ちてしまう。
そもそもこれが1組の伊藤さん宛だと知っておきながら勝手に読んでぐしゃぐしゃにするなんて酷過ぎるとおれは目の前にいる幼馴染みを睨みつけるが、反省している様子がない。おれの書いたラブレターの文章を思い出しているのか、腹を抑えて笑っている。
ほんとどうしてコイツがモテているのだろうか。
「じゃあ、そういうことだから。ちゃんと次は直接ひめちゃんを呼び出しなさいよね〜」
幼馴染みは言いたいことだけ言っておれの肩を思いっきり叩き、去って行った。応援のつもりか知らないが、力加減を間違えている。肩がとてつもなく痛い。やはり凶暴だ。
「……言われなくても、今度は直接呼び出すし……」
そう口にはしたものの、やはり直接呼び出すのはちょっと怖気づいてしまう。告白も直接するのだから呼び出しで怖気付くなと言われそうであるが、そこは察して欲しい。
──改めて書き直すか? いや、駄目だ。彼女はラブレター不信なんだぞ。このままではまたカズにヘタレと言われ、幼馴染みには罵倒され、笑われてしまう。男を見せろ、関口優翔!
家に帰ってからも葛藤した末、おれは明日の朝、伊藤さんに直接呼び出すことにした。
今日も緊張で眠れそうにない。
昨日よりは遅い登校であるが、それでもおれにとってはいつもより早い。伊藤さんを下駄箱で待ち伏せする為だ。
1組の下駄箱の近くでうろうろしていると1年生の時に同じクラスだった子達から挨拶をされ、何やら生暖かい目をおれに向けて来る。……これはもうバレている。間違いない。
暫くしてから伊藤さんが額に前髪を貼り付けて登校して来た。おれが挨拶をすると驚いた顔をして挨拶を返してくれた。驚いた顔も可愛い。前髪をいそいそと直しているつもりなんだろうけれど、おでこが見えている。伊藤さんのおでこ……可愛い。
本来の目的を忘れそうになったおれはなんとか伊藤さんに放課後、旧校舎裏に来てと伝えられた。
「はよー、優。彼氏になって記念すべき1日目だというのに疲れきってるな。どうした?」
「おはよ、カズ。……実はまだ告白出来てないんだ」
「はぁ? 昨日の放課後何があったんだよ」
だらだらと教室にやって来たカズに昨日の出来事を話すと爆笑された。ムカついたので彼の頭を軽く叩く。
「いってー。ごめんって。……で、告白はどうすんだよ。ラブレター作戦は失敗だったわけだろ」
「もう今朝直接伊藤さんに放課後旧校舎裏に来てって言ってきたよ。はぁー……今日も授業注意出来ない。絶対無理。ってことでカズ、後でノート見せて。昨日の分も全教科」
「金取るぞ。現国は書く量多いから他教科より割増な」
「げ、今日もあるじゃん現国。最悪」
臨時収入だと喜んでいるカズの頭を再度叩く。そこはおれのこれからの頑張りに免じてタダにして欲しい。こちらは本日仕切り直しの告白という最大のイベントが待っているんだ。
お金は結局取られたが、これで安心して告白シュミレーションが出来る。かっこよく、クールな告白にしたい。
ひたすら授業中にシュミレーションをして、成功率も上がった。これなら大丈夫だとおれは昨日と同じくカズに応援されて旧校舎裏に向かった。
どうやら6組の帰りのHRが早かったらしく、旧校舎裏に行くと伊藤さんの姿はなかった。
……緊張してきた。こんな緊張が続くなら早く来て欲しい。いや、やっぱり心の準備がまだだから早く来ないで。
第一に伊藤さんは来てくれるだろうか? 今朝は来てくれるとこくこく頷きながら返事をしてくれていたが、どうだろう。
緊張よりも不安が強くなってきたその時、伊藤さんがやって来た。おれはホッと安堵する。キョロキョロと辺り見渡して何故か彼女も安堵したような顔をしていた。
まずはラブレター不信と知りながら送ってしまったことを謝って、せめてクラスも書くべきだったと頭を下げたのだが、彼女はあらぬ誤解をしていた。
おれがアイツにラブレターを送るとか有り得ない。アイツはただの幼馴染みで、ラブレターを渡したかったのは2年1組の伊藤姫花さんですとそう彼女に言えば、最初はおれとアイツが幼馴染みなことに驚いていたようだが、次第に顔を真っ赤にして悶え始めた。
顔に出さずに余裕のある振りをしているおれであるが、内心は悶えている。深呼吸をして自分を落ち着かせてる彼女が可愛い。
そこからはおれが一方的に彼女への想いを熱く語った。クールにかっこよく決めるつもりが全然かっこよくない感じになった。
それでもおれの口は止まらない。
沸騰するのではないかというくらい顔を赤くした彼女がその顔を見られないよう手で覆ったのを見て、漸く口が止まる。
顔を隠していた彼女の両手を自分の両手で包み込み、今一番言わなくてはならない言葉を告げた。
「2年1組の伊藤姫花さん。おれは君のことが好きです。付き合って下さい」
彼女の返答にドキドキとおれの心臓が騒ぎ出す。
口を金魚のようにぱくぱくしていた彼女は息を吸って先の言葉を紡いだ。
「……はいっ。私も関口君のことが好きでした」
「……過去形?」
勿論彼女の返事は嬉しかったが、調子にのって過去形であることを指摘し、自爆することになる。
「い、今も勿論好きです……」
もじもじしながらそう言った彼女にキュンとした。可愛すぎるっ。殺される。心にハートの矢が刺さって抜けないけれど、満足だ。
伊藤さんは幼馴染みの手によってぐしゃぐしゃにされたラブレターも家宝にしてくれるらしい。
その場で読み出そうとしたので待ったと静止をかける。書いた超本人であるおれがいる前で読まれるのは流石に恥ずかしい。
仕返しされるが如く彼女におれの顔が赤いと言われてしまった。
自転車を片手で押しながらもう片方の手は伊藤さんと繋いで坂道を下る。片手だけで自転車を押しているのでゆらゆらと覚束無い。
それに気付いた彼女が手を離そうとしたが離されないように強く握る。
伊藤さんがおれの彼女になったということをまだ噛みしめていたい。
思わぬハプニングがあったが、無事に想い人である女の子と付き合うことが出来ました。
取り敢えず今は手汗が出ていないか凄く不安です。