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涙いっぱいのハンバーグ

6.涙いっぱいのハンバーグ


 香織はどうしても、あのときの百合子の表情が気になって仕方なかった。

朝、起きてからコーヒーを入れ、トーストにハムエッグをはさんで朝食を済ませると、服を着替えて、幸村家に向かった。

向かう途中、楓を迎えに行く雅俊とすれ違った。

雅俊は、クラクションを鳴らして合図し、車をとめた。

「どこに行くんだ?」

「幸村さん家よ。」

「百合子か?」

「そうよ。いるかしら?」

「ああ、今日は片付け物をするといっていたから、ずっといると思うよ。」

「分かったわ。ありがとう。幸村さんは?」

「楓が埼玉の実家に行ってるんだ。迎えに行くところだ。そのあとプールに連れて行くから帰りは夜になるよ。」

「ええ、ごゆっくり!」

香織は雅俊と楓がいないのは好都合だと思った。

 香りが幸村家に着くと、雅俊がいったとおり百合子は片付け物をしていた。

「あら、香織ちゃん、ちょうどいいところに来たわ。」

百合子は香織に気がつくと、手招きをして呼び寄せた。

百合子が整理していたのは、通帳や印鑑などの貴重品だった。

「どうしたんですか?まさか夜逃げでもするつもりじゃないでしょうね。」

「バカねえ、そんなんじゃないわよ。って言うか、うちって、夜逃げするほど苦しいように見える?」

「じゃあ…」

「香織ちゃん覚えておいて!うちの人ったら、以外とこういうのだらしないから。」

「…」

「それから…」

香織は、百合子の両肩を掴んでしかりと百合子の目を見た。

「ごまかさないで。ユリさん最近なんだか変だよ!何を隠しているの?正直に言ってちょうだい。」

「香織ちゃん、どうしたの?隠し事なんてしてないって。」

そうは言ったが、百合子は香織の目を見ることができなかった。

そんな自分を見透かされるのが怖くて百合子は香織の手を振り払った。

その時、整理するために引っ張り出していた引き出しははずれて床に落ち、中にしまわれていた通帳や書類が散乱した。

散乱した書類の中から、今泉の名刺が二人の間に落ちてきた。

百合子は慌ててその名刺を拾い、隠そうとした。

香織はそれを百合子の手から奪い取った。

名詞を目にした香織は動揺した。

聖都大学病院と言えば、癌の治療では国内でも有名な病院だったからだ。

先日、テレビのドキュメンタリーで放映されたばかりだったので香織も覚えていた。

その時、第一人者として紹介されていたのが確か今泉と言った。

「どうしてユリさんがこの人の名刺を持っているの?それに緊急時の連絡先がびっしりかき込まれているわ。まさか…」

「香織ちゃん、お願い!それを返してちょうだい。」

「ちゃんと説明して下さい!彼は知っているんですか?」

百合子は香織から名詞を取り返すと、その場にうなだれて座り込んだ。

しかし、すぐに気を取り直して、床に散乱した書類をかき集めた。

そして、立ち上がった。

「あ〜あ、せっかく片付けたのに…まあ、いいわ。ちょっと休憩しましょう。」


 二人は居間のソファーに向かい合って座っていた。

百合子はコーヒーをほぼ飲み干した。

百合子は香織に事実を話した。

香織にはとても信じられなかった。

「どうしてユリさんなの?」

「それは私が美人だからじゃない!美人薄命だって言うでしょう?あれって本当だったのね。」

「ユリさん、自覚してるんですか?」

「もちろんしてるわよ。だから色々片付けしたりしてるんじゃない。」

「もっと他にやることあるでしょう?時間がないのよ。」

「あら?一ヶ月もあるのよ。」

「一ヶ月もって、一ヶ月しかないじゃないですか。」

「それより、幸村さんには言わないつもりですか?」

「ええ!それだけは香織ちゃんも協力してちょうだいね。もう、決めたことだから。あの人に言ったら、絶対入院しろって言うわ。入院して1年生きるより、やり残したことを片付けたいの。まだ一ヶ月あるのよ。」

「やり残したことってなんですか?私お手伝いします。」

「大丈夫!時期が来たら、そうしてもらうわ。」

香織は、この後、正気で幸村と接していくことができるのか自信がなかったが、百合子の決意に比べたらどうってことはないと思った。


 雅俊は実家で両親に礼を言って楓を引き取った。

プールに連れていく予定だったが、楓がサンシャインの水族館に行きたいと言ったので予定を変更した。

車を駐車場に止めて、水族館に入った。

さすがに夏休みに入ったばかりの日曜日だったので家族連れで込み合っていた。

その後、展望台に登り、望遠鏡で地上の風景を一緒に眺めた。

レストランで食事をして、東急ハンズに寄った。

雅俊は百合子に新しいエプロンを買ってやろうと思ったのだ。

東急ハンズは、楓も退屈せずに買い物ができる。

雅俊がエプロンを選んでいると、楓も欲しいと言ったので、お揃いの子供用エプロンも一緒に買った。

途中、楓がオルゴール売場で動かなくなった。

楓は、可愛い人形達が踊ったり、楽器を演奏したりするものには目もくれず、宝石箱の中に好きなメロディーのオルゴールを組み込めるものに興味を持ったようだった。

何かの曲のオルゴールを探しているようだった。

読めない文字があると、雅俊に尋ねた。

そして、目当ての曲のものを見つけたらしい。

「パパ!これママにプレゼントしたい。」

楓がそう言って、差し出したのは“星に願いを”だった。

「どうしてこれがいいんだい?」

雅俊が聞くと、楓はこう答えた。

「ママねぇ、いつも鼻歌唄ってるんだよ。カエデがなんて唄?って聞いたら“星に願いを”というのよって教えてくれたの。お星様にお願いをしたんだって!」

「へ〜」

雅俊は感心した。

こんな小さな子がそんなことを考えているなんて、ちょっとした驚きだった。

それよりも、百合子がお星様にお願いしたい願い事が気になった。

「それでママは何をお願いしたと言っていっていたの?」

「それはね、人に喋ったらかなわなくなるんだって!」

なるほど。

百合子らしい。

願いを叶えてあげられるのは、どうやら楓ではないことは確かだ。

雅俊は、楓にそのオルゴールを買ってやることにしたが、楓はおじいちゃんにお小遣いをもらったからと言って、自分の財布から一万円札を取り出した。

「おじいちゃんがこのお金なら何でも帰るって言ったよ。」

確かに。

オルゴールは¥3,150だった。

楓は¥6,850のお釣りを受け取ると、金額をきちんと確認して財布にしまった。


 百合子は香織に雅俊のこと、楓のこと、両親のこと、一通りを話していた。

楓は、ピーマンが嫌いだけど人参は好き。

お風呂はいつもパパと入る。

夜は一人でも寝られるが、怖いテレビを見たときは二人の間でないと寝られない。

学校に行くときは、必ず右足から靴を履くけど、遊びに行くときは左足から履く。

カルピスは薄くしたのが好き。

パンツはウサギのイラストがないとはかない。

ズボンはジーンズでなければはかない。

元々左利きで、絵を描くときだけは今でも左手で書く。

トイレのドアは少しだけ開けておかないと怖くてできない。

歌を歌うのが好きで、夏休みの最後の日曜日にはいつも家族でカラオケボックスに行く。

誕生日には必ず、ハンバーグといちごのケーキ。

うちに来るサンタクロースは女のサンタクロースだと信じている。

 雅俊は、以外と酒は強くない。

“スウィートメモリー”から帰ると、いつもトイレに駆け込む。

女癖は決して悪くはないが、格好つけすぎる。

自分で思っている以上に本当はもてる。

図に乗るから教えない。

肉は好き。

生の魚は食べない。

家にいるときはパジャマかパンツだけ。

夏は、ほとんどパンツ一丁でいる。

楓とお風呂にはいると、1時間出てこない。

朝は、起きるのが早い分、トイレにこもる。

家事の手伝いは、まめにする。

会社では昇進がかかった微妙な時期だ。

過去に、真剣に浮気をしたことが二度ある。

本人はばれていないと思っている。

 雅俊の両親は埼玉で二人とも元気に暮らしている。

雅俊は次男で、長男が家を継いで、悠々自適の隠居生活なのである。

 百合子の両親は長男が面倒を見ているが、病気がちでもしかしたら、自分より早く行くかもしれない。

それだけは勘弁して欲しい。

香織には百合子の気持ちが充分に伝わっていた。

自分に百合子の替わりを頼むつもりなのだということを。

そして、あえて、そのことを受け入れる覚悟もしていた。

昼過ぎには百合子と香織は、とりあえず身の回りのものを整理し終わった。

昼食はそば屋から冷や麦を三人前と天ぷらの盛り合わせを頼んだ。

食べ終わると百合子は少し疲れたようだった。

「香織ちゃん後はお願いね。私、ちょっと休ませてもらうわ。そしたら夕飯のお買い物に付き合ってもらえるかしら?」

百合子はそう言って横になり、鼻歌を歌い出した。

そして、こう呟いた。

「お星様ありがとう。」


 雅俊と楓が家に着いたのは6時半頃だった。

百合子と香織が夕食の支度をして待っていてくれた。

「お姉ちゃん!」

香織の姿を見ると、楓は飛びついて喜んだ。

そして、東急ハンズの紙袋を差し出した。

「カエデ、ママにプレゼント買ったんだよ。」

百合子は早速袋を開けてみた。

「まあ、素敵!」

宝石箱のふたを開けると、“星に願いを”のメロディーが奏でられた。

「楓ちゃん覚えていたんだ!」

百合子は感慨深げにそのメロディーに耳を傾けた。

「なあ、百合子?お星様にかなえて欲しい願い事ってなんだ?」

「あら、楓から聞いたでしょう?人に話したら叶わなくなるのよ!」

ちぇっ!俺じゃないみたいだな。

香織は、そんなやり取りを聞いているうちに目が潤んできた。

楓が、お姉ちゃん泣いてるの?と聞くので、玉ネギを切っていたからだと言い訳をした。

「まいったなあ!これから、一体いくつ玉ねぎを切ることになるのだろう?」

香織はそう思うと、止めどなく流れてくる涙を拭いながら、キッチンに戻った。

今夜のメニューはハンバーグだった。

香織の涙がいっぱい詰まったハンバーグ。


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