スィートメモリー
3.スウィートメモリー
日曜日、午前11時。
仮装パーティーはいいが、女装となると、どこで服を調達するか…
女房か娘の服を借りるのがいちばん手っ取り早いが、女房は小柄だし、娘は小学生だ。
無理に借りて、破いたりしたらえらいことだ。
だが、他に当てはない。
「なあ、百合子、今度、“スウィートメモリー”で仮装パーティーをやるんだけど、テーマが“チェンジ”で、俺達男は女装しなきゃならないんだが、君の服じゃあ小さすぎるし、大柄な友達はいないかい?」
「まあ、女装ですって?あなたが?」
百合子は吹き出し、大声で笑い始めた。
「おい、そんなに笑わなくてもいいだろう?マジで困ってるんだから助けてくれよ。」
百合子は、必死に笑いをこらえながら、腕組みをして考えているようだった。
やがて、何かを思い出し、指をパチンと鳴らして、リヴィングのサイドボードからアドレス帳を取り出した。
それをパラパラとめくり始めると、コードレスホンを手にとるとプッシュボタンを押し始めた。
数秒後、相手が電話に出た。
「ああ、マコ?久しぶり!元気だった?…ええ、…本当?…そうなの?…よかったじゃない。…ところで一つお願いしたいことがあるんだけど、うちの主人でも着られるドレスはあるかしら?…ええ。仮装パーティーで女装しなくちゃならないんだって。…そう。笑っちゃうでしょう?…あら、そうかしら?…ええ、じゃあ、お願いね。…了解。待ってるわ。」
百合子はコードレスホンをテーブルに置くと、雅俊に向かってVサインをして見せた。
「マコって、あのマコさん?」
「そうよ!私たちの結婚式のときプランナーのマコさんよ。そして、私の同級生でもある、真子よ。」
「そうか!その手があったか。」
「いっそ、香織ちゃんにも協力してもらったらどう?」
幸村百合子、34歳。雅俊の妻。東京都出身。専業主婦。
乾真子、34歳。百合子の同級生。東京都出身。ウエディングプランナー。
日曜日、午前11時。
秀彦は絵理の部屋に来ていた。
絵理は女性にしては背が高い。
秀彦にも着られそうな服がいくつかあった。
「なあ、会社の制服はないのか?」
「制服が家にあるわけないじゃないの。」
「だって、洗濯とかするだろう?」
「制服は、会社でまとめてクリーニングに出すのよ。」
「そうなんだ。OLいいなあと思ったんだけどなあ。」
「わかったわ。じゃあ、金曜日に持って帰ってきてあげるわ。」
「じゃあ、土曜日に試着してみるか。ところで絵理はどうするんだ?」
「私は彼から借りるからいいわ。」
「ああ、そうだな!」
日曜日、午前11時30分。
早速、雅俊は香織にメールをしてみた。
〜例の仮装パーティーだけど、百合子の友達がウエディングプランナーをしていて、その筋から衣装がかれられることになった。ボクはウエディングドレスを着ることになったから、香織ちゃん、花婿にならないかい?〜
香織からの返事はすぐに来た。
〜面白そうね。乗ったわ!それで、どうすればいいの?〜
〜土曜日の午後うちに来られるかい?プランナーが衣装合わせに来てくれる〜
〜了解!〜
「香織ちゃん、土曜日に来てくれるって。」
「そう、良かったわ。あなた、あと15年早く香織ちゃんと知り合っていたら、本当のウエディングドレスを彼女に着せてあげられたかもね。」
百合子はそう言って、雅俊をからかった。
「冗談はよせよ。15年前といったら、彼女はまだ13だ。」
からかわれているだけとは分かっていても、雅俊はちょっとドキッとした。
「まあ、なにを焦ってるのかしら。」
「いや、その…だけど、君がいなければ、彼女に会うこともなかったわけだし…」
雅俊は、何もかも百合子に見透かされている様な気がして気まずかったが、まあ、今に始まったことではない。
百合子は決して悪気があったり、何かを詮索しているとか、そういうことで雅俊をからかっているわけではなく、雅俊の微妙な表情の変化や反応を純粋に楽しんでいるだけに過ぎないのだ。
それに、香織は家族の一員みたいなものなのだ。
そもそも、雅俊が“スウィートメモリー”に顔を出すようになったきっかけは百合子だった。
百合子とのスウィートメモリーは14年前に始まった。
仕事の取引相手に接待されたあと、二次会で行ったクラブに彼女はいた。
この手のクラブにはフィリピンや台湾の女の子が多い中で、日本人の女の子は珍しかった。
百合子は“ユリ”という名で店に出ていて、たまたま雅俊達のテーブルに付いた。
雅俊は、何より、日本語が通じることが嬉しかったし、年齢が近いことで共通の話題が多かったということも嬉しかった。
雅俊は、その時以降も何度か一人でこの店に通った。
もちろんユリ目当てにだが、ユリが雅俊のテーブルに付くことは滅多になかった。
それでも、雅俊は辛抱強く1年くらい通った。
そして、ユリが店を辞めると聞かされると、その後どうするのか聞き出した。
まで決めていないということだったので、雅俊は、裏に自宅の住所と電話番号を書いた名刺を渡し、連絡をくれるように約束をさせた。
一ヶ月ほどして、会社にユリから封書が届いた。
今は違う店に勤めているという。
それが“スウィートメモリー”だった。
封書の中には、顔写真付きの自分の名刺と、“スウィートメモリー”の開店案内のはがきが入っていた。
雅俊はその日の夜に、“スウィートメモリー”に顔を出した。
従って、“スウィートメモリー”とは開店時からの付き合いになる。
ユリは、その後、雅俊と結婚するまでの3年間“スウィートメモリー”で働いた。
店が2年目を過ぎたとき、香織が新人として入ってきた。
当時、高校を卒業したばかりの18歳で、短大に通っているということだった。
ユリとは1年間だけ“スウィートメモリー”で一緒に働き、お互いに、いちばん気が合う存在だった。
そのころから、よく3人でドライブに行ったり、誕生日パーティーを開いたりしていた。
今の“スウィートメモリー”の誕生日パーティーの企画もこの頃の延長で、香織が最初の企画を持ちだしたものだった。
ユリと雅俊が結婚してからも、香織はよく二人の自宅に遊びに来ていた。
それは今でも続いている。
このことを知っているのは、ママの陽子しかいない。
“スウィートメモリー”では、雅俊を除くと、今いちばん古株の宮田でさえ、店に来るようになったのはユリが辞めた後だった。
店がオープンした頃は、ママの陽子とユリ、それにコック兼マネージャーの吉川という若い男の3人でやっていた。
客も、なかなか常連客が付かず、ほとんどが一見客だった。
陽子は、何とか常連の客を増やそうと、ユリの他に女の子を二人雇うことにした。
敬子という25歳の子と、真弓という28歳の子が採用された。
二人とも、ユリより年上で、経験も長くそこそこ客も付くようになった。
しかし、半年もすると真弓は自分の店を開くと言って、敬子と客を引っ張っていってしまった。
店は振り出しに戻ったが、経営に困るほどではなかったので、しばらくはこのままでいくことにした。
それからしばらくすると、吉川が田舎に帰って家業を継ぐことになったといって店を去った。
陽子は、新人を一人入れることにした。
一週間後、張り紙を見たといって訪ねてきたのが香織だった。
高校を卒業して短大に通っていると言うことで、もちろんこの手の仕事の経験はない。
しかし、真弓の例があるので、かえって素人の子のほうがいいとユリが進めたので陽子は香織を採用することにした。
香織は一生懸命仕事を覚えようと何でもユリに聞いた。
ユリも、香織に仕事を教えることで何かと得るものが少なくなかった。
この頃から、若い客層を中心に、固定客が増えてきた。
しかし、せいぜい1年、2年で飽きてしまうのが若い客の欠点でもあった。
とはいえ、週末には店に入りきれないほどの客で溢れるほど繁盛していた。
ユリが雅俊と結婚することになったときは、陽子も香織も祝福してくれた。
ユリが辞めたあとも、雅俊は店に顔を出し続けている。
これは、香織が一人前になるまで、色々と面倒を見てやって欲しいと百合子が頼んだことでもあった。
こういった背景があって、香織は今でも、雅俊たちと家族同様の付き合いをしているのだ。
土曜日、午前11時30分。
乾真子は、予め、雅俊の体系を聞いていたが、結婚当事とほとんど変わっていなかったのに感心した。
「サイズは一つでいいわね。デザインの違うものをいくつか用意しましょう。それから、香織さんは、男性のサイズだと少し難しいけど…」
衣装倉庫で真子は、雅俊と香織の衣装を物色していた。
「…ああ、これこれ!去年小柄な新郎さんに着せたもの。これならちょうどいいかな。」
真子は、何種累加の衣装と小物を車に積んで、倉庫を出た。
土曜日、午後1時。
香織は、目が覚めて時計を見ると、既に午後1時だった。
「やばっ!寝坊しちゃった。」
服を着替えながら、携帯電話を手に取った。
「もしもし?あっ、ユリさん?香織です。おはようございます。寝坊しちゃいました。今から出ます。」
香織はジーンズに白い綿のシャツに着替えると、鏡を見た。
はねた髪だけを手櫛で整えると、化粧はせずに部屋を出た。
土曜日、午後1時30分。
真子が、幸村家に到着した。
早速雅俊にドレスを合わせる。
花嫁にしては、大柄なのでデザインはなるべくシンプルなものがいいだろうということになり、最初に合わせたドレスで行くことになった。
「まあ、あとはカツラとメイクで何とかなるでしょう!」
「いいなあ!パパ。私も着たいよ。」
そばで見ていた、小学校2年になる娘の楓が羨ましそうに言った。
「そのうち、きっと格好いい王子様が現れて、素敵なドレスを着せてくれるさ!」
「そうかなあ?だったらいいなあ。」
土曜日、午後2時。
香織が幸村家に到着すると、大きな花嫁が、花婿の到着を待っていた。
香織は幸村を見るなり、思わず口走った。
「まあ、素敵!」
「本当は香織ちゃんが着た方が絶対いいのに!」
百合子はそう言って、香織を寝室の方へ連れていった。
20分ほどすると、りりしい新郎の香織が出てきた。
二人並んでみる。
「わあ!お姉ちゃん格好いい!」
楓がそう言うと、百合子も真子も頷いて、つぶやいた。
「やっぱりモデルがいいと、小さくても存在感があるわね!ああ、雅俊さんもなかなかよ。」
真子にいわれて香織は照れている。
雅俊は、ついでに誉められたことには閉口したが、びしっと決まった香織には惚れ直した。
「これはベストカップルだわ。」
百合子がそう言うと、雅俊はなんだか得体の知れないくすぐったさを覚えたが、香織は、素直に喜んでいる。
「本当ですか、じゃあ、ユリさん幸村さんを私のお嫁さんに下さい。」
香織がそう言うと、その場にいた全員がドッと笑った。
「じゃあ、雅俊さん、ドレスを汚したりする前に早く脱いでちょうだい。」
雅俊はドレスを脱ぐと、ホッとしてセブンスターを加えた。
すると、楓がすかさずライターを差し出した。
雅俊は楓からライターを受け取るとセブンスターに火をつけた。
それを見ていた香織は、百合子の方を見て「まあ、おませね。」そう言うと、百合子も「誰に似たんだか?」そう言って笑みを浮かべた。
日曜日、午後3時。
雅俊はドレスを着込んで、最後の仕上をしていた。
香織は、昨日衣装を預かって帰り、直接店に行くと言った。
二人が新郎と新婦にになったことは偶然だということにしようと打ち合わせしてた。
カツラをつけて、メイクをした雅俊は、昨日とはうって変わってきれいな花嫁になっていた。
「さすが!プロにお願いすると男の人でも、こうなるんだね。女の私でも惚れちゃいそうだわ。」
「本当!パパ本物の花嫁さんみたい。ちょっとでっかいけどね。」
「さあ、じゃあ、車に乗って。お店まで送るわ。」
「ああ、頼むよ。」
「他の人たちがどんな格好をしてくるのか見たいけど、そうはいかないものね。」
「ママに頼めば何とかなるんじゃないか?」
「いいわよ、今更。ブランクも長いしね。私がまた働きたいって言ったらあなたも困るでしょう?」
「まあね。」
日曜日、午後4時30分。
ママの陽子は、早くもバーテンダーの格好をしてパーティーの準備をしていた。
パッと見た限りでは、いつからバーテンを雇ったのだろうと思うくらい、自然に馴染んでいる。
小ママの恭子は、どこで手に入れたのか警察官の制服を着ていた。
もちろん本物ではないけれど。
みゆきは、和服のやくざ者風の格好をしている。
胸に巻いたさらしが、妙に色っぽいやくざだ。
絵理は、おそらく彼氏から借りてきたのだろう。
白衣を身につけている。
絵理の彼氏が医者だということを秀彦は知っていた。
香織はブルーの燕尾服に白いパンツ蝶ネクタイ。
立派な新郎の姿だった。
まさか、ここに花嫁が来るとは、誰も思いもよらないだろう。
日曜日、午後5時。
パーティー開始。
最初に来たのは宮田だった。
舞子の姿をしている。
顔には、真っ白くどうらんを塗っていて、声を聞かなかったら誰だか分からなかった。
「やだぁ!宮田さん?この格好で電車に乗ってきたの?」
香織はまじまじと宮田を眺めながら質問した。
「そうだよ。悪いかい?」
宮田は何事もないかのように平然と答えた。
「ううん、悪くはないけど、みんなにすごく見られたんじゃないですか?」
みゆきも、香織と一緒に宮田の廻りを一回りした。
「ああ、だけど、なんだなあ、人に見られるってのも悪い気はしないなあ。」
宮田は、袖から扇子を取り出すと、パッと開いて顔を隠しながら言った。
「いやだあ!宮田さん、変なところに目覚めちゃったかも!」
絵理は、笑いながら、聴診器を宮田の胸に当てた。
次に来たのは秀彦だった。
予定通り、OLの制服で入ってきた。
メイクは、絵理が店に来る前にしてやったものだ。
さすがに、若いだけあって、そこそこ可愛らしいOLだった。
「あら?ヒデちゃん?」
「そうだけど、みゆきちゃん?」
「これはまた、なかなか色っぽいね!」
秀彦がそう言いながら、胸の谷間を除こうとすると、奥から笛の音がして、恭子がピストルを構えていた。
秀彦は、思わず、バッグを落として、両手を上に上げた。
「主役だからって、何でも許されると思ったら大間違いだよ。」
恭子が、手錠を廻しながら近づいてきた。
秀彦の前まで来ると、ピストルの引き金を引いた。
ピストルの先からは水がちょろっと出てきて、秀彦のほっぺたに跳ねた。
秀彦が腰を抜かすと、みんなは腹を抱えて大笑いした。
恭子は、秀彦に手をさしのべると、秀彦を引っ張り起こし、頬にキスをした。
「誕生日おめでとう!」
続いて、みゆきが「おめでとう!」そう言ってキスをした。
香織、ママの陽子、も同じように「おめでとう!」と言って頬にキスをした。
最後に、絵理が「ハッピーバースデー!」そう言って唇にキスをした。
「きゃ〜あ!絵理ちゃん大胆。」
他の女の子はそう言ってわざと大袈裟にはやし立てた。
誕生日の主役には、店の女の子全員からキスのプレゼントがあるのは恒例なのだ。
そして、一人だけ、唇にキスをする役をくじ引きで決めている。
今回は、絵理がはずれを引き当てたが、秀彦にとっては大当たりだったに違いない。