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天国からのメッセージ

11.天国からのメッセージ


 百合子は、淡々と話しつづけた。

香織も黙って聞いていた。

もはや、話を中断させるような質問をしようという気にもなれなかった。

「その日の夜…と言うより、もう明け方に近かったわね。家に帰ってくるなり、あの人はこのソファーに座って頭を抱え込んでいたわ。いつもの朝帰りの時とは、ちょっと様子が違ったの。お酒臭くなかったしね。」

百合子はここで一旦話を切り、お茶を入れようといった。

香織は、立ち上がろうとする百合子を制して、自分がやると言った。

キッチンへ向かった途端に香織の目からは涙があふれてきた。

「浮気のことなんか聞かなければ良かった。」

香織はそう思ったものの、もう後には引けない。

ティーポットに紅茶を注ぐと、レモンをスライスしてスティックシュガーとティーカップをトレイに乗せて居間に運んだ。

香織が入れてくれた紅茶を一口すすると、百合子は再び話しを始めた。


 雅俊は、ソファーに座ったまま、しばらくうなだれていたが、やがて立上りシャワーを浴びるため浴室に向かった。

浴室から出ると、バスタオルを手にした百合子が心配そうな顔をして立っていた。

「起こしてしまったか…せっかくだから、話しておきたいことがある。」

「はい。じゃあ、お茶でも入れましょうね。」

「頼む。思いっきり熱いヤツをね。」

そう言って、雅俊は微笑んで百合子にキスをした。

 雅俊は、百合子が用意しておいたスウエットの上下にカーディガンを羽織っていた。

12月も半ばに入ったこの時期の早朝ともなれば、かなり冷え込んでいた。

雅俊は、熱い紅茶ををすすりながら、セブンスターに火をつけた。

一度、思いっきり煙を吸い込むと、すぐに火を消して、百合子を凝視した。

「良く聞いてくれ」。

「はい。」

百合子は、こんなに真剣な雅俊の顔は過去に一度しか見たことがなかった。

それは自分へのプローポーズの時だった。

だからこそ、よほどのことなのだろうと百合子は覚悟した。

しかも、きっと、いい話しではないに違いない。

「昨日、会社で、うちの事務の女の子が急に倒れて、救急車で病院に運んだんだが、ついさっき亡くなった。まだ27歳だった。そして、彼女のお腹の中にはボクの子供がいた。7ヶ月だった。無論、その子も助からなかった。彼女は子供を産めるからだではなかったんだ。だけど、ボクには止めることが出来なかったし、気が付いたときにはもう、どうにか出来る状態ではなかったんだ。彼女が死んだのは、みんなボクのせいかもしれない。」

雅俊は、さつきと出会ってから、彼女が亡くなるまでのことをすべて、百合子に話して聞かせた。

話しをする雅俊の目からは涙があふれていた。

百合子は冷静に雅俊の話を受け止めたが、内心は穏やかではなかった。

しかし、雅俊を責めようとは、いささかも思わなかった。

それよりも、亡くなった彼女の気持ちを思うと、その方がやり切れなかった。

「わかったわ。私には、あなたの力になってあげることは、きっと、出来ないわね。あなたの気持ちが落ち着くまで、見守っていることくらいしかね。」

「ああ、充分だ。それよりも、本当にすまない。」

「いいのよ。誰にでも愛を分けてあげらるあなただから、私は好きななったのよ。さあ、まだ、最後の仕事が残っているでしょう?あら、もうこんな時間!朝ご飯の支度をするわね。」

そう言って、キッチンへ向かった百合子の目にも涙があふれていた。

その涙は、決して、雅俊が浮気をしたことに対するものではなく、死んでしまった彼女のためのもの、そして、そのことで苦しまなければならない雅俊に対する涙だった。


 さつきの葬儀は、実家のある千葉で執り行われた。

通夜の時には、雪がちらつくほど冷え込んでいた。

遺影の写真には見覚えがあった。

そう、面接に来たとき、履歴書に貼ってあったものだ。

さつきの死因に関しては、母親が幸村の立場も考えて、二度目の流産の影響だと言うことにしてくれた。

親族の席では、さつきの兄弟、親戚達が、若くして炒ってしまった、さつきを偲んで涙を浮かべている。

しかし、さつきの母親だけは凛として葬儀を取り仕切っていた。

雅俊が焼香するときには、感謝の気持ちをこめて雅俊に視線を寄せた。

さつきの元夫は弔電だけで、葬儀に姿を見せることはなかった。

通夜が終わった後も、雅俊は、一晩中、さつきのそばにいた。

ただ、うつむいて座っている雅俊のところに、さつきの母親が、熱く燗をした酒を持ってきてくれた。

「今夜はとても冷えますねぇ。どうぞ、召し上がってください。」

そう言って、酒を注いでくれた。

「ありがとうございます。」

雅俊は、酒を飲みながら、母親に話し掛けた。

「今時の子にしては珍しく、とてもいい子でした。」

母親は、頷きながら、雅俊奈話を黙って聞いた。

「本当によかったのでしょうか?ボクなんかでよかったのでしょうか?」

「病院で初めてあなたにお会いしたときは、とてもびっくりしたのよ。血は争えないものね。まだ、あの子が小さいときに亡くなった、あの子の父親に、あなたがそっくりだったものですから。あの人の写真は1枚もなかったから、あの子は父親の顔を知らないはずなのにねえ…あなたに逢ったのは運命だったのよ。そして、こうなることも運命だったに違いないわ。幸村さん、あの子を送ってあげるまでは、決して涙を流さないで下さいね。あなたが泣いてしまったら、あの子はきっと天国にいけなくなってしまうわ。」

そう言うと、さつきの母親は雅俊の背中に毛布を掛けてから、その場を去った。

雅俊は一人に…いや、さつきと二人っきりになると、目頭が熱くなってきた。

気を紛らわせるのなら、こんなところに一人でいる必要はない。

しかし、あえて、雅俊はそれを選んだ。

さつきを送ってやるまでは、ずっとそばにいてあげよう。

そして笑顔で送ってあげようと、心に決めていた。

さつきの寝顔は穏やかで、幸せそうだった。


 告別式が終わると、雅俊は、会社を代表して、火葬に立ち会った。

煙突から立ち上る煙と共に、さつきは天国に召された。

きっと、お腹の子供と一緒に…

さつきの願いは叶ったに違いない。

天国で、親子二人幸せに暮らしていけるだろう。

さつきは、命と引き替えに願いを叶えたのだ。

雅俊の目から涙がこぼれることはなかった。

心の中で、全て流しきってしまった。


 会社に戻った雅俊は、加藤に報告をして、業務に戻った。

加藤は、とても残念そうだった。

元はと言えば、さつきは加藤のお眼鏡にかなったからこそ、採用されたのだった。

席についてパソコンの電源を入れた。

社内メールが1通届いていた。

「!」

さつきからだった。

日付と時間は、さつきが倒れる10分前だった。

〜データの確認をお願いします。〜

そして、いつものように『用途別経費内訳書』のタイトルが付いた、エクセルのファイルが添付されていた。

〜そろそろ、お腹が目立ってきそうです。年末年始の休暇辺りからしばらくお休みを頂くことになると思います。予定日は3月3日です。超音波で調べてもらったら、女の子だそうです。名前は幸村さんが考えて下さいね。もうすぐ(12月24日)私の誕生日です。クリスマスイブなので幸村さんはご家族と過ごして下さい。その代わり、いつでもいいので1日だけお付き合い頂けたら幸せです。〜

「なんてこった…」

雅俊は、さつきからの最後のメッセージをフロッピーディスクに移すと、メールの着信履歴とデータを消去して席を立った。

このフロッピーディスクにはさつきからのメールの記録が全て保存されていた。

席を立つと、雅俊はそのまま部屋を出て階段を駆け上がり屋上に出た。

外は、雪がちらついて、冷たい風が、容赦なく雅俊の身体に吹き付けた。

雅俊には風の冷たさも、肌を刺すような寒さも感じられなかった。

セブンスターを1本取り出すと、左手の掌で風を遮るようにして火をつけた。

雅俊は一服してから、空を見上げた。

もう枯れ果てたはずの涙が風に飛ばされ、雪と交じって空に消えた。


 百合子は、サイドボードの引き出しから1枚のフロッピーディスクを出した。

「これがそのフロッピーディスクよ。」

香織はそのフロッピーディスクを手に取ってみた。

『用途別経費内訳書』と書かれたラベルが貼ってある。

「全部見たんですか?」

「ええ。あなたも見ておいた方がいいわ。あの人が愛した人の心が、この中にはいっぱい詰まっているわ。」

香織は、百合子に許可を得て、そのフロッピーディスクを、しばらく借りることにした。

 壁に掛けられた鳩時計が正午を指し、鳩が12度顔を出しては、ホッホーと鳴いた。

「あら、もうこんな時間!そろそろ楓が帰ってくるわ。お昼ご飯の支度をしなくちゃ!」

百合子はそう言ってキッチンに向かった。

「お中元にもらった手延べそうめんが山ほどあるの。お昼はおそうめんでいいかしら?」

「もちろんです。」

そうめんが茹であがった頃、楓が帰ってきた。

「お腹すいたー!お昼ご飯なーに?」

百合子は、茹であがったそうめんが入った鍋を掲げて楓に見せた。

「やった!おそうめん大好き。」

百合子は、氷水の入ったそうめんをすし桶に入れて、テーブルに持ってきた。

香りはお椀と箸を出して、テーブルに並べた。

そのまま使えるストレートつゆをお椀に入れて、三人でそうめんを食べた。

「お姉ちゃん、ピンクのは絶対食べちゃダメだからね!」

楓はそう言って、ピンクの色が付いた麺だけを集め始めた。

香織は、そんな楓を見て懐かしさのあまり、つい笑ってしまった。

香織も子供の頃はそうだった。

兄弟で、色の付いた麺の取合いをした記憶が鮮明によみがえってきた。


 雅俊は、昼食に里美を誘った。

里美は快く応じてくれた。

さつきが亡くなって、新しい、社員を募集しなければならなかったが、さつきの葬儀に来ていた小野里美が復帰してくれると言ってくれたのだ。

雅俊は、以前三人で食事をしたファミリーレストランに来た。

「ここ懐かしいですね。私、あの時のこと、今でも昨日のように覚えてるわ。なんだかとても不思議。」

「ああ、たった8ヶ月だけしかいなかったのに、生まれたときからずっと一緒にいたような気がしてた。本当に不思議な子だった。」

雅俊は、懐かしそうにさつきのことを話したが、雅俊の心の中には、今でも、さつきとさつきの子供が住んでいる。

このことは絶対に誰にも言えない。

自分が死んでいくときまで、二人はずっと、自分の心の中で生き続ける。

「しかし、君は大丈夫なのか?」

「何がですか?」

「家庭だよ。旦那は働くことに賛成してくれているのか?」

「それは大丈夫です。しばらくは二人で共働きして、ある程度生活にゆとりが出来たら子供を作って、それから、家を買って…って、そんな感じで行くことにしてるんです。」

「そうか。まあ、元気でいられることがなによりだな。」

「そう!それだけが取り柄ですから。」

雅俊は、そう言って笑う里美とさつきをダブらせてみた。

「あんな想いは二度とごめんだ。」

そして、雅俊は、思わずそう呟いた。

「えっ?なんですか?」

「いや、なんでもないんだ。」


 食事が終わると、香織は部屋に戻って、自分のノートパソコンに百合子から借りたフロッピーディスクを挿入した。

『用途別経費内訳書(1)』から『用途別経費内訳書(18)』までが保存されていた。

香織は(1)から順番に開いていった。

♯『用途別経費内訳書(1)』

2003.05.08 11:23

〜今日はすごく体調がいいんです。だからお付き合いして頂きたいのですが、よろしいでしょうか?〜

♯『用途別経費内訳書(2)』

2003.05.08 11:48

〜ありがとうございます。会社を出るときは別々の方がいいと思います。つまらないことで噂になったら、幸村さんに迷惑がかかりますから。後で行き先を指示して下さい。〜

♯『用途別経費内訳書(3)』

2003.05.08 16:34

〜わかりました。定時になったら、私はすぐに退社します。それにしても、浅草なんて何年振りかしら。とても楽しみです。〜

♯『用途別経費内訳書(4)』

2003.05.09 08:56

〜昨夜はありがとうございました。とても幸せでした。たぶんいい結果が出ると思います。これでもう、思い残すことはありません。〜

2003.05.09 10:07

〜ごめんなさい!ちょっと大げさでしたね。特別な意味はありません。気になさらないで下さい。〜

♯『用途別経費内訳書(5)』

2003.06.18 15:48

〜はい。今日はとても幸せな気持ちで一杯です。〜

♯『用途別経費内訳書(6)』

2003.06.18 16:03

〜理由ですか?そのうちお話します。〜

♯『用途別経費内訳書(7)』

2003.07.07 17:08

〜いつもお気遣い感謝します。私なら大丈夫です。それよりも、こんなにご心配ばかり掛けてしまって、ダメですね。〜

♯『用途別経費内訳書(8)』

2003.08.08 08:08

〜お誕生日おめでとうございます。着信日時見てもらえましたか?全部『8』でそろえてみました。今日はこのために早起きしてきました。くだらないですね。幸村さんは、ご家族とお祝いしてください。私は気持ちだけ差し上げます。〜

♯『用途別経費内訳書(9)』

2003.08.08 16:26

〜ダメです。特別な日だからこそです。〜

♯『用途別経費内訳書(10)』

2003.08.15 14:24

〜はい。そういうことなら、お付き合いさせていただきます。〜

♯『用途別経費内訳書(11)』

2003.08.16 08:43

〜昨日はありがとうございました。久しぶりに緊張しました。〜

♯『用途別経費内訳書(12)』

2003.08.16 10:45

〜気のせいです。私なら大丈夫です。〜

♯『用途別経費内訳書(13)』

2003.09.13 14:38

〜無理していません。大丈夫です。〜

♯『用途別経費内訳書(14)』

2003.09.13 16:48

〜本当にごめんなさい。こんなにご心配をおかけして、子供の頃から、暑いのは苦手なんです。〜

♯『用途別経費内訳書(15)』

2003.11.05 08:42

〜昨日は、お忙しいところ、わざわざありがとうございました。決心は変わりません。幸村さんにはご迷惑をおかけしませんので、どうぞ、ご心配なさらないで下さい。〜

♯『用途別経費内訳書(16)』

2003.11.19 09:39

〜はい。母子ともに順調です。今度こそ、うまくいきそうな気がします。幸村さんのおかげです。〜

♯『用途別経費内訳書(17)』

2003.12.02 17:08

〜よく覚えていましたね。でも、その日はご家族で過ごしてください。娘さんも、パパのサンタクロースを期待していますよ。〜

♯『用途別経費内訳書(18)』

2003.12.16 14:27

〜そろそろ、お腹が目立ってきそうです。年末年始の休暇辺りからしばらくお休みを頂くことになると思います。予定日は3月3日です。超音波で調べてもらったら、女の子だそうです。名前は幸村さんが考えて下さいね。もうすぐ(12月24日)私の誕生日です。クリスマスイブなので幸村さんはご家族と過ごして下さい。その代わり、いつでもいいので1日だけお付き合い頂けたら幸せです。〜


 なんてことでしょう!最後のメールは彼女が倒れた当日のものだということで、本当に突然の出来事だったにちがいない。

幸村がこのメールを保存したのが12月18日の午後4時23分だから、彼女が亡くなった後に見とことが分かる。

幸村のことを思うと、やりきれない気持ちがこみ上げてきた。

それに、予定日の3月3日は、くしくも、百合子の誕生日と同じなのだ。

それよりも、この森本さつきという女性、本当に幸村のことを愛していたのだと言うことが、立った、これだけの短い文章を読んだだけで、充分に伝わってきた。

百合子がフロッピーディスクを入れてくれた封筒の中には、他に、折りたたまれた紙と小さなメモ用紙のようなものが一緒に入っていた。

折りたたまれた紙はさつきの履歴書だった。

そして、メモ用紙のような小さな紙は、たぶん、さつきがいちばん最初に幸村に渡したメモに違いなかった。

香織は、履歴書を開いてみた。

貼り付けられた写真を見て、愕然とした。

香織にそっくりだった。

一瞬、自分の目を疑ってもう一度見た。

そのときにはもう、まったく別の女性の顔だった。

百合子もこの写真を見たとしたのなら…いや、きっと見ているに違いない。

百合子が私を選んだ訳はこういうことだったのか?

幸村には多分、私と彼女が似ているようには見えないだろう。

実際、似てはいない。

まったくの別人だ。

まるで、さつきの魂がそう思わせたかのようだった。

もしかしたら、香織を選んだのは、百合子ではなく、さつきなのではないかという気にさえなってきた。

香織は、自分の背負っているものが、とてつもなく、大きなもののように思えてきた。

 続いて、メモのほうを見てみた。

そして、何気なく、そこに書かれているメールアドレスにメールをしてみた。

〜さつきさん、幸村は元気ですよ。あなたと過ごした日々は彼にとって、きっと最高の時間だったに違いありません。ありがとうございます。〜

届くはずもないメール…

数分後、返信が来た。

おそらく、宛先不明の返信のはずだ。

ところが、送信者は“森本さつき”になっていた。



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