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常連の条件

はじめに


 運命とは、生まれたときから定められた、“人”の“人”としての結末。

今を一生懸命生きている人々には決して見えるものではない。

人生の終焉を迎えた人にだけ、これが運命なのだと気づくものに違いない。

そのことに気がついた時、“人”は“人”として、生きてきた証を残さなければならない。

それは、多くの時間を過ごしてきたものにも、そうではないものにも差別なく課せられる。

たとえ、それが、決して幸せなものではなくても、しっかりと受け止め、生きてきた証を残さなければならない。

時には、それを残すべき時間も与えられずに、突然の終焉をも変える場合もある。


 それは突然の通告だった。

しかし、百合子には、自分が生きてきた証を残すべく時間が与えられた。

限りある時間の中で、タフに、そして、したたかに、計算しながら、静かに、ことを進めていかなければならない。

決して、悲観してはいけない。

恐れてもいけない。

まだ、若い百合子には、過酷ともいえる運命。

だが、百合子はひるまなかった。


1.常連の条件


午後10時。

ざわついた店内のカウンター席には、いつものメンバーが顔をそろえている。

ここは、下町のスナック、“スゥイートメモリー”。

L型のカウンターの一番奥で、ショートホープをふかしているのが、宮田慶介。

そこは彼の指定席でもある。

52歳。独身。バリバリの関西人だ。

だいぶ、額の面積が多くなっている。

バーボンの水割りが入ったグラスと、海鮮サラダが席の前に置かれている。

これも、いつものメニューだ。

 その隣にいるのが、立花和夫。千葉県生まれで都内在住。

48歳。二人の子供がいるサラリーマン。

宮田とは対照的に、髪はふさふさで、立派な口ひげを生やしている。

キープしてある焼酎をウーロン茶で割っている。

マイルドセブンライトの箱を二つ重ねておいている。

灰皿は、既に満タンになっていた。

 続いて、L型のカウンターのちょうど角の位置にいるのが、坂内秀彦。

24歳。独身。ちゃきちゃきの江戸っ子。

茶髪で伊達めがねを掛けている。

ブランデーのボトルとポテトチップスが置いてある。

薄目の水割りをちびちび飲んでいる。

 一つ空いて、門倉正樹。福岡県出身、この店の近くにある会社の独身寮に住んでいる。

38歳。独身。

秀彦と同じくブランデーの水割りを飲んでいる。

色黒で、少々肉付きがいい。

その手前には、黒澤信明。

38歳。独身。

正樹の同僚で、同じボトルのブランデーを一緒に飲んでいる。

色白だが、細身で筋肉質だ。北海道出身、門倉と同じく独身寮に住んでいる。

 さらに一つ空いて、長谷川義男。

58歳。独身。青森県出身、都内在住。

ビールを飲みながら、カラオケの本を開いている。


 幸村雅俊が店に入ると、ママの陽子が秀彦と門倉の間に座るよう促した。

既に、雅俊のネームの入ったブランデーのボトルとロックグラスが置かれていた。

「幸村さん遅いっすよ。」

秀彦が手をかざして、そう言った。

雅俊は、秀彦の手をパチンと叩いて、ハイタッチした。

「ちょっと会社の連中と一杯やってたんだよ。」

雅俊が席につくと、香織がお通しの蕗の煮物と割り箸を置いた。

「最初はビールにしますか?でも、もう飲んできたんですよね…」

そう言いながら、香織は空のビールグラスを二つちらつかせた。

「分かったよ。一杯だけ付き合ってやるよ。」

「やったあ!」

香織は喜んで、キリンラガーの栓を開けて、まず、雅俊のグラスに注いだ。

雅俊は香織からラガーの瓶を受け取ると、香織のグラスにゆっくり注いだ。

「乾杯!」

香織も雅俊も一気にグラスを空けた。

「ああ〜美味しい!」

雅俊は、空いた香織のグラスに、もう一杯注いでラガーの瓶を香織の前に置いた。

香織は雅俊のロックグラスに氷とブランデーを注いでコースターに置いた。

「幸村さん、相変わらず香織ちゃんには甘いですねえ。」

秀彦はニヤニヤしながら、自分のグラスを差し出した。

雅俊は自分のロックグラスを秀彦のグラスに軽く合わせた。

 幸村雅俊。36歳。妻有り。子供(女の子)一人。

身長176センチ、体重75キロ、髪にそろそろ白い物が交じり始めたサラリーマン。

雅俊がセブンスターを一本取り出すと、香織がライターを差し出し、火をつけた。


香織。28歳。独身。

細身だが、程良く肉付きが良い。髪は黒く、肩に触れるか触れないかくらいの長さだ。

サラッとして落ち着いた顔立ちをしている。

今日は、しろいブラウスに、黒のミニスカートだ。

 香織の向こう側で、宮田と立花の相手をしているのは、絵理。

25歳。独身。昼間は普通にOLをやっている。

ショートカットで、薄い茶色に染めた髪、あどけない少女と、したたかな大人の女の両面を持った不思議な子だ。

今日は白いミニスカートに、ブルーのドレスシャツを着ている。

 この店のママは陽子。35歳。自称独身。

女性にしては背が高く、年齢よりは若く見える。

洗練された、隙のなさそうな顔立ちの美人だ。

今日は黒のドレスを着ている。

角倉、黒澤と長谷川の相手をしている。

 ボックス席で、4人の客の相手をしているのが、みゆき。

30歳。独身。この店には、まだ入ったばかりの新人だ。

髪は背中まで伸ばしていて、色白で、体型は香織と似ているが、顔立ちはキリリとした美人系だ。

花柄の入ったドレスシャツに白いミニスカート。

雅俊は今日初めて彼女を見た。

 そして、もう一人、恭子。32歳。バツ一。

ふわっとパーマをかけた髪に、ふくよかで、人の良さそうな顔をしている。

ぽっちゃり系でも決して太っているわけではない。

この店の小ママ的存在だ。

今日はベージュのドレススーツを着ている。

女の子達は、みんな、せいぜい電車で二駅の範囲内に住んでいる。


 雅俊は、タバコの煙を肺一杯に吸い込んで吐き出した。

「君の顔を見るとホッとするよ。」

香織は照れくさそうに、愛想笑いする。

「幸村さん、良くそんな台詞真顔で言えますね。」

「そりゃあそうさ、心からそう思ってるんだから。」

「そうよ。幸村さんは嘘を言わないのよ。坊やみたいにね。」

「ぼ、坊やって!香織ちゃんに言われたくはないなあ。」

英彦は、いちばん気にしていることを香織に言われて、腹を立てた。

この店の常連客の中では、英彦がいちばん若い。

しかし、年上のほかの常連客と対等に接していると自負している英彦には、若いからとバカにされることがいちばん腹が立った。

もちろん、香織は、そういうことを分かっていてわざとからかったのだ。

「あら、でも、私のほうがお姉さんよ。」

「そういう言い方って、絶対、俺のこと、男として見てないでしょう?」

「残念だけど、私、年下はだめなの。でも、英ちゃんには絵理ちゃんがいるでしょう?」

「そりゃあ、そうだけど、やっぱり誰からでも好かれたいって思うのは、男の性だろう?幸村さんもそう思うでしょう?」

「おお、その通りだ。お前もたまにはいいこと言うなあ。」

「え〜?幸村さんも?」

「当然!でも勘違いしてもらっちゃあ困るよ。浮気っぽいとか、優柔不断だとか、そういうのとは違うんだ。今、目の前にいる子と最高に楽しむにはどうすればいいか、そしたらやっぱり、その子のことを愛してあげること。そうすることで、いちばん本当の自分をその子に知ってもらえると思うから。まず、そこからがスタートなんだよ。だからいつも真剣なんだ。誰に対してもね。だけど、その中でもいちばんだって思う子は必ずいるんだ。でも、他の子と格差をつけて付き合ってはいけない。格差をつけた時点で、もうその子だけに縛られてしまうことになるからね。」

「なんだかずるいなあ。その考え方。」

「そうかなあ?俺は格好いいと思うなあ。俺が言いたいのもそういうことなんですよ。幸村さん。だけど、ちゃんとした奥さんがいるのに、そんなポリシーを貫いて、女の子口説きまくっていたら、奥さん怒っちゃわないですか?」

「分かってないなあ!俺は女の子を口説いてるわけじゃあないんだ。愛してあげたいだけさ。その子が、俺のことをどう思うかはその子の勝手。」

「おぉ!さすが、幸村さん。」

英彦は拍手して幸村の考えを絶賛した。

「私はやっぱり、好きな人には、私のことだけを愛して欲しいわ。」

「それは、無理だ。少なくとも俺には。」

「そんな〜あ!私、幸村さん好きだったのに。」

「大丈夫さ。俺は、いつまでも香織ちゃん、愛してるよ。」

雅俊は、そう言って香織にウインクした。

「大体、そういう考えだとしたら、幸村さんが結婚してるの、香織ちゃん知ってるだろう?その時点で好きはありないだろう。」

「まあ、恋愛にしても、なんにしても、考え方なんて言うのは人それぞれだ。自分の考えがいちばん正しいなんて思っちゃいけないし、まして、それを人に無理強いしたりしちゃいけないのさ。」

「じゃあ、私のことも愛してくれているのかしら?」

隣で、門倉たちの相手をしていたママが、急に話しに割り込んできた。

「ああ、もちろん!」

雅俊は、微笑んで、ママに投げキッスをした。

「あら、あら。ねえ、香織ちゃん。そろそろ、みゆきちゃんと交代してくれるかしら。」

「分かりました。」

香織はそう返事をすると、雅俊と英彦に手を振って、ボックス席のほうに移っていった。


 香織と入れ替わりで、みゆきがカウンターに入ってきた。

「幸村さん初めてでしょう?みゆきちゃんよ。よろしくね。彼女のこともしっかり愛してあげてね。」

ママは、そう言って、みゆきを雅俊に紹介した。

「こちら幸村さんよ。」

今度は雅俊を、みゆきに紹介した。

そして、絵理に代わって、宮田と立花の相手を始めた。

絵理は門倉と黒澤、長谷川のほうに回った。

「初めまして。みゆきです。よろしくお願いします。」

美幸は、ちょっとはにかみながら、雅俊を見た。

雅俊は、美幸の目をじっと見た。

美幸は恥ずかしそうだったが、目をそらさなかった。

「なんだ、なんだ?いきなり二人で見つめ合っちゃって!こりゃ、運命の出会いってヤツか?」

秀彦が茶化したので、みゆきは、ようやく、雅俊から目をそらすことができた。

「恥ずかし〜い!」

みゆきは、赤くなった顔を両手で押えながら、雅俊の方をチラッと見た。

「なんか恥ずかしいよ。そんな風にに見られちゃったら、どうしていいか分からなくなっちゃう。」

「でも、目をそらさなかった。」

「ええ、そらせなかったよ。」

「じゃあさあ、俺の方見て!」

秀彦が言うと、美幸は秀彦の方を見たが、すぐに吹き出して、目をそらしてしまった。

「なんだよ、それ。失礼だなあ。」

「ごめん、ごめん。幸村さんに見つめられた後だったから、なんかおかしくて…」

「まあ、一杯飲むかい?」

「ええ、いただきます。」

みゆきが、新しいタンブラーを出してくると、雅俊は、氷とブランデーを入れた。

「割るのは何にする?」

「ウーロン茶もらってもいいですか?」

「OK!」

みゆきがウーロン茶を注ぐと、雅俊はマドラーでかき混ぜ、みゆきにグラスを差し出した。

「いただきます。」

みゆきがグラスを掲げ、雅俊は自分のグラスを合わせた。


 午後11時。

ボックス席の客が帰った。

ママは、ボックス席の客と一緒に、食事に行くと言って店を出た。

「今日は戻らないから、後、恭子ちゃんお願いね。」

恭子はボックス席の後片付けをしながら頷いた。

続いて、門倉と黒澤も帰っていった。

香織はカウンターに戻り、恭子は長谷川の隣に座った。

長谷川は、先程から、カラオケを歌っていた。

恭子は、デュエットをしたいと持ちかけた。

長谷川は、“居酒屋”をリクエストした。

奥にいた、宮田と立花も、カラオケの本をめくり始めた。

香織が、宮田と立花に付くと、絵理は秀彦に付いた。

絵理と秀彦は同級生だった。

絵理のほうが誕生日が早いので、現時点では絵理のほうが1歳年上なのだ。

「一ヶ月だけでも、お前のほうが年上になるってのは許せないなあ!」

秀彦は、6月25日生まれ、絵理は5月22日生まれ。

ほぼ一ヶ月絵理のほうが早く生まれた。

「仕方ないでしょう!好きで早く生まれたわけじゃないんだから。まあ、あと10日の辛抱じゃない。ねえ、一杯もらうね!」

そう言って、絵理は秀彦のボトルからブランデーを一杯もらった。

「ほおぅ、もうそんな時期か?それで、今年はどんなスタイルでいくんだ?」

ここ“スゥイートメモリー”では、常連客の誕生日を祝うという、アットホームな企画がある。

もちろん、常連客と位置づけされるためには、ある程度の条件がある。

第一に、定期的に店に来ること。

第二に、誰とでも気軽に話しができて、うち解けられること。

第三に、特定の女の子を目当てにしないこと。

そして、ママが、携帯電話の番号とメールアドレスを教えること。

つまり、ママに携帯電話の番号とメールアドレスを教えてもらえれば、立派な常連客として認めてもらえたことになる。

今日、この店にいるメンバーでは、宮田、立花、秀彦、そして雅俊の4人だ。

長谷川と先ほど帰った門倉、黒澤は、まだ良く来るお客さんレベルなのだ。

「まだ決めてないんだよなあ…」

「え〜っ!困るよぉ。準備できないじゃない。」

「絵理に任せるよ。」

「冗談じゃないわよ。私だって、何かと忙しいのよ。」

「幸村さん、なんかいいアイディアないっすかねぇ?」

「じゃあ、仮装パーティーなんてどうだ?」

「それ!いいっすねぇ。」

「絵理、仮装パーティーでいく。ママにそう伝えておいてくれ。」

「なによ、それ。まあ、いいわ。それで、テーマは?」

「そうだなぁ…チェンジでいこうか!男は女装、女は男装してくる。」

「おもしろそうだな。」

幸村は、秀彦の意見に賛成した。

秀彦の向こう側で、話を聞いていた、宮田と立花も頷いてにっこり笑った。

「誕生日はいつだっけ?」

宮田が聞き、秀彦が答える。

「25日です。」

「じゃあ、パーティーは来週の日曜日になるな?」

「一番近い日曜日ですから、そうですね。来週の日曜日になります。」

絵理が宮田に説明した。

「じゃあ、杉浦さん達には、私から連絡しておくわね。」

杉浦というのは、今日は来ていないが、常連客の一人だ。

あと、他に上田、福島の二人がいる。

7人が、現在、“スゥイートメモリー”の常連客だ。


 午前0時。

長谷川が帰った。

小ママの恭子は、雅俊達に席をずれるよう指示をした。

他の客がいなくなったので、女の子達を座らせてやりたいということだった。

宮田と立花の間に恭子が座り、立花と秀彦の間に絵理、秀彦と雅俊の間にみゆき。

香織は、いちばん端の雅俊の隣に座った。

「秀ちゃんの誕生日は仮装パーティーになったんですって?」

恭子が、秀彦に聞いた。

「そうっす!おもしろそうでしょう?」

「何言ってるの!幸村さんのアイディアじゃない。」

自慢げに話しをする秀彦を戒めるように絵理が言った。

「まあ、いいじゃないか。実際にチェンジのアイディアはヒデのもんだ。」

雅俊は秀彦を弁護した。

「そうですよ。俺だって、少しは考えてるんだ。」

「いいわ。そう言うことにしておいてあげる。」

「ちぇっ!みゆきちゃん、こんな女みたいになっちゃダメだからね。」

「まっ!ヒデちゃんったら!」

みゆきは、口に手をあて、控えめに笑った。

「バカだなあ、みゆきちゃんの方が、絵理よりずっと年上なんだぞ。」

立花が、秀彦に言うと、絵理も「そうよ。そうよ」と自分がいちばん若いとでも言いたげに秀彦の腕をつねった。

「香織ちゃんはどうするんだ?男装。」

「そうね、当日のお楽しみ!そう言う幸村さんは?」

「う〜ん…俺達男は、ちょっときついな。何しろ女装して、店までこなくちゃならないんだぞ。真冬ならコートでも着て隠せるけど、この時期コートなんか着てたら怪しいおじさんだからな。まず、その辺りから考えないとな。」

「そっか、そうだね。それもちょっと大変だね。でも、楽しみ!女装した幸村さん、きっと素敵かも!」


 午前1時。

そろそろ店の閉店時間だ。

「じゃあ、宮田さん、ラストソングお願いね。」

恭子は、宮田にラストソングを唄うようにお願いした。

宮田は、十八番の“そっとおやすみ”をリクエストした。

香織が、店の照明を少し落として暗くした。

雅俊は、香織にメモを渡した。

『ファミレスで飯食って帰ろう!』

メモにはそう書かれていた。

香織はウインクして、OKだと合図した。


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